日の丸はなぜ赤いか?        山川学而
             …「太陽の色」を推理する
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1 太陽の色 
2 欧米人にとっての太陽の色 click here
3 原因は「赤」という語にあった click here
4 日の丸の旗の由来 click here



1 太陽の色
 日本では太陽は赤いものとみんな思い込んでいるから、日の丸が赤いことに疑問を持つ人はほとんどない。歌や詩にも「真っ赤な太陽…」「赤ーい 夕日に…」などという表現がしばしば用いられる。子供が描く絵には、青空に赤い太陽を描くのが定番と言ってもいい。日の丸の旗も太陽を表すのだから、赤丸を描くのは当然だと思っているから、疑問に思う人は皆無と言ってもいい。太陽が赤くないことは、自分の目で見ればすぐに分かる。それは当然である。プリズムにかけて見る太陽光は7色虹になっている。7色が集まって白熱光になるのであって、プリズムの色に白色はない。赤はその中の一つにすぎないから、太陽が赤いはずはないのに、日本人は赤いと思い込んでいる。どうしてだろう?
 外国では事情がちがう。つぎのフレーズはゴッホの書簡集(アルル時代)からの引用である。

「(アルルでは)毎日太陽は黄色く輝いている。」
「大きな黄色い太陽が…」
白い太陽は黄色い光輪で囲まれている。」

 こういう文句が繰り返し出てくる。そればかりではない。彼は黄色や白の太陽をよく描いている。たとえば、

《赤いぶどう畑》(1888)では、白い太陽のまわりに黄色い背景を描いている。
《種まく人》(1888) では、明らかにミレーを意識したと見られる構図に黄色い太陽があり、さらにその周囲の空には放射線状に黄色が塗られている。
《刈り取る人のいる麦畑》(1889)は彼の最後の作品となったが、ここにも黄色い太陽がある。

 このように真昼の太陽をいくつも描いたのはおそらくゴッホだけだろう。美術全集などを見ても、太陽を描いた絵は意外に少ない。ターナーのように雲や霧のなかの弱い光の太陽を描いたり、太陽は描かないで、空を金色の太陽の光で満たしているものはあるが、真昼のぎらぎらする太陽はない。このことからゴッホにとって黄色は特別な色であったことが分かる。彼が好んで描いたヒマワリの黄色も、金色の麦畑もみな太陽と重なり合って、彼の精神状態を訴えていると言ってよい。

 つぎはボードレールの『悪の花』の一節である。

 あの裸の時代の思い出を私は愛する。
 その石像を〈太陽神(フォイボス)〉は好んで金色に染めたものだ。
 そのころ男も女も身のこなしは敏捷、
 うそも心配もなく、楽しかった。
 大空は恋の思いにあふれ、彼らの背中を愛撫し、
 気高い身体器官を鍛えてくれた。

 日本人だったら、太陽神が金色に染めたなどと書く人はいないだろう。

 太陽を金色や黄色と考えるのは中国でも同じらしい。中国の旧正月の祭である春節(チュンジエ)の日、上海の商店街の中の広場に、金色に塗った羊の像が数体飾ってあるのを見たことがある。あれは何かと聞いてみたら、中国語の羊の発音が太陽の陽の字と同じ「ヤン」なので、羊は太陽の象徴なのだと言われた。そこでその羊がどうして金色なのかと聞くと、それが太陽の色だという説明だった。もっとも別の中国人は、朝や夕方の太陽は赤かもしれないが、と、迷っている様子だった。そこで迷うということは、中国語には日本語の「赤い太陽」のように、決まった言い方がないことを示している。私が朝や夕方も、太陽自体は赤くないと言ったらその人はおどろいていた。

 実際に太陽を見てみれば、赤く見えることはめったにない。夕焼けや朝焼けではあたりが真っ赤になることはあるが、そんな中でも太陽自身は白熱光かせいぜい黄色である。私は数年前からこのことを気にしていたので、よく注意して見ているが、太陽が赤く見えるのは濃い霧や雲を通して見た時だけで、一年に一度か二度くらいしかない。
 モネの『印象 日の出』という絵は朝の港の風景を描いているが、もやと工場の煙がまじったスモッグの中に赤い太陽が描かれている。それもきらきら光る赤ではなく、弱々しい赤である。日本人が見れば太陽だから赤いのは当たり前だが、モネが描いたのは実際に自分の目で見たスモッグの中の太陽だから、一種のレアリスムである。日本人が描く赤い太陽は思い込みによる固定概念であるが、モネが描いたのは実際に見たものである。
 イギリスのターナーもよく霧や雲やもやなどの中の太陽をよく描いたが、その色はたいてい白っぽい黄色である。赤い太陽はたぶん一つもないと思う。夕日であたりが赤くなっているシーンでも、太陽そのものは白っぽい黄色である。彼はそれだけよく見て描いているのである。彼のめずらしい作品に《国会議事堂の火災》というのがあるが、それは実際にあった火災を見ながらスケッチした絵をもとにしたものだが、その火の色が実によく本当の火の色になっている。彼はそれだけ光の色をよく観察し、忠実に際限しようとしたことが分かる。
 ターナーについて私が感心するのは、彼は夕焼けの赤い空を描く時でも、太陽は白っぽく描いたということである。これは実際によく観察していなければできないことである。実際私もこの数年絶えず注意して見ているが、夕焼けでも太陽自体が赤く見えることはまれである。だから、彼のような太陽は自分の目で見て描いたものであることが分かる。
 私がターナーの画集の中で見つけた『解体のために最後の停泊地に曳航されていく戦艦テメレール号』という絵の中の太陽も白っぽい黄色だったが、その下についていた(日本語の)解説を読んで私はびっくりした。
「この赤い落日は去りゆく時を暗示している」とあった。どうやら日本人の眼には白い太陽でも黄色い太陽でも、太陽はみな赤く見えてしまうらしい。なんという思い込みだろう!     topへもどる

2 欧米人にとっての太陽の色

 言語学者で慶応大学教授の鈴木孝夫という人の『日本語と外国語』(岩波新書)という本にこんな記述を発見した。アメリカのイリノイ大学の教授をしていた時、クロスワードパズルをやっていた奥さんが「太陽の色は何色だと思う?」と聞いたので、「そりゃ、赤だろう」と答えた。
 奥さんは、ある箇所に入れる単語のヒントが「太陽の色」とあったので、redと入れてみたが、それでは上下左右つながらなかった。そこでいろいろ考えた末yellowと入れるてみたら、ぴったりと合った。そこでおかしいと思って、夫の鈴木氏に聞いたのである。
 鈴木氏もびっくりして、友人や知人に聞いて回ったら、やはり、太陽は黄色だと言われた。鈴木氏は大学の中のいろいろの国の人に聞いてみたが、フランス、ドイツ、スペイン、イタリアなど西欧諸国では太陽は黄色で、子供の図鑑にも「太陽の色は黄色です」と書いてあった。
 ただ、ロシアなど北欧のいくつかの国では「赤い太陽」という言い方があるらしいという。私が思うに、北極に近い地方では太陽はつねに水平線の近くに見えるので、光は大気圏の中を横に長く通過して来るので、夕日と同じように赤っぽく見えるのかもしれないと思った。
 ボードレールの『悪の華』にこんな文句もある。

 私の身のうちに還って来ようとする冬のすべて…
 怒り、憎しみ、戦き、恐れ、無理強いされるつらい仕事、
 そして、地獄とばかり北極に閉じ込められた太陽さながら、
 私の心はもはや、赤く凍った塊でしかないだろう。

 ボードレールはなぜか北極の太陽は赤いと考えていたらしい。

 古代エジプトでは太陽の色だけでなく、太陽と関係ある神様の肌はほとんど金色に塗られ、金色の衣服を着て金色の光輪がついている。ただまれには赤い太陽もある。私が見たものとしては、ツタンカーメンの墓の中の天井に、夜を象徴するという裸の女の人が横たわっているところが描かれていて、夕方太陽はその女神の口から入り、翌朝股間から生み出されるという神話が描かれていたが、その太陽は赤かった。夕方と朝だから赤かったのかもしれない。
 だが、太陽が赤く見えるのは特殊なケースで、基本的には黄色か金色と考えるのが、外国の一般的な見方であるように思われる。ただ、日本人だけが赤いと思い込んでいて、外国人も同じ考えであろうと思っている、というよりも、赤以外の色の太陽があるなんてことは考えてもみないのが普通である。
 日本人はほとんど例外なしにこの思い込みのとりこになっている証拠に先述の鈴木孝夫氏の著書によると、宇宙物理学者がその著書の中にこんなことを描いているという記述がある。

「太陽の色といえば万国共通と、長い間私も考えていたが、実際、アメリカに住んで、その地の人々との話題の中から、太陽の色が、私が何の理由もなしに、ただ漠然と考えていた赤い色と違うということを知った時には、いささかおどろかずにはいられなかった。」桜井邦朋『「考え方」の風土』(講談社現代新書)
 
 また同氏は「私にしたところで、太陽研究にたずさわることがなかったら、たぶん今でも『真っ赤な』太陽とか『赤い』お日様などといっていたにちがいないのである。」とも書いているという。私に言わせれば、氏が太陽研究に携わっただけでなく、外国に行かなかったら、そのことに気づかなかったと思う。太陽をだれよりもよく観察しているはずの宇宙物理学者でさえ気がつかないでいたのは、思い込みというものの恐ろしさというほかない。
 太陽が赤くないことは見れば分かる。それなのに日本人だけが太陽の色は赤と思い込んでいる。それは国民的思い込みだといってもいい。それで特に困ることはなさそうだが、私が気になるのは、日本人にはそういう国民的思い込みがほかにもいろいろあることである。これは日本の国が島国で、長い間多民族との交流がとぼしかったために、間違いに気づく機会がすくなかったことによるのではないかと思う。そして、その思い込みが重大な政治的誤りに通じることも少ないと思う。
 そこでつぎにその思い込みの原因について、私の推測を含めて述べてみたい。なぜ日本人だけが太陽は赤いと思い込んでいるのか。自分の目で太陽を見れば赤くないことは一目で分かるにもかかわらず、赤いと思い込んでしまったのか。        topへもどる

3 原因は「赤」という語にあった

 古い日本語のアカは色を表す語ではなく、「明るい」という意味だった。それが赤い色の名前として転用されるようになり、やがて「明るい」という意味を(ほとんど)失って、「赤」という色名を表す語になったのである。万葉集では「アカキ」という語に「赤き」と「明き」の二通りの漢字を当てていた。「アカキヒ」というのは「赤き日」とも読めるが「明るき日」とも読めたのである。したがって、最初は明るい日と赤い日とを混同する時期がしばらくの間つづいたものと推測される。つまり、色の名前か明るさをいう語かはっきりしない時期が相当長くつづいたと考えられる。
 「アカアカ」という語は現代でも「赤々」と「明々」と二通りに書かれる。「あかあかと灯がともる」という場合、明るいのか、赤いのか、一瞬混同することがある。それと同じようなことがアカキヒという古代語にもあったとしてもおかしくない。アカキヒが使われているうちに、最初は明るい太陽のことだったのが、時代を経るにつれて「赤い太陽」という意味に変わった可能性は十分考えられる。

 ちなみに、色の名前のうち、明るさをいう語から変化したものがアカのほかに二つある。一つは「暗シ」から転化した黒である。(中国語では現代でもも「黒」の字が暗いという意味にも使われることがある)。「アオ」は現代のようなブルーではなく、明るいと暗いの中間のぼんやりした明るさを意味したようだ。それが色名に転化したあとも、はじめは青色ではなく、黒でも赤(あるいは白)でもないあいまいな色の意だったようだ。
 その証拠に、青という色名は非常にあいまいなところがある。たとえば「アオサギ」は青でもなんでもなく、しいて言えば灰色である。木の葉は緑色なのに、「山が青々としている」「青葉」などという。こわいものを見た時「顔が真っ青になった」というが゛顔が青くなることは絶対にない。怖い時人の顔は白っぽく、あるいは土気色になるがブルーではない。そのように青という色は場合によっていろいろの色を表す。それはこの語の起源が赤でも黒でも白でもない、あいまいな色全部を含んでいたからである。
 私はアメリカに行って時、リンゴがまだ赤くなる前まだ青かったというところをつい「ブルー」と言ってしまって、あとで冷や汗をかいたことがある。リンゴがブルーになるはずはない。あれはグリーンである。日本語の青という語をそのまま英語に訳すと変な英語になる例でもある。
 ちなみにこの青に関して、日本人がもう一つとんでもない思い違いをしていると思われることがある。蒙古のジンギスカン(チンギスハーン)は「蒼き狼」と呼ばれたというので、日本人の頭の中では「青色の狼」「ブルーの狼」という不思議なイメージができあがってしまっているようだ。私も何年か前まではそう思っていて、ブルーの色をした狼とは、なんと幻想的な呼び名ではないかと、奇妙な気持になったものだった。しかし、実は「蒼き」の蒼の字はもともとは古日本語のアオと同様に灰色を意味する語である。中国語では現代でも「蒼」は灰色である。「蒼髯」というのは「ゴマ塩のひげ」のことだという。つまりジンギスカンは「灰色の狼」とよばれていたのである。
 そういうわけで、色の名前を表す語が明るさを表す語から転化したといういきさつがあって、アカが赤の意味になったあともアカキヒというのが慣用句として残ったために、「明るい太陽」が「赤い太陽」の意味に変わってしまったと考えられるのである。これが私の推理である。
 アカはたとえばこんな使い方がなされれていた。

日月はアカシといへど吾がために照りや給はず(万葉集892、貧窮問答歌 山上憶良)

アカウうなりて人の声々し 日もさしいでぬべし。(枕草子26)

 この「アカシ」「アカウ」は「明し」「明う」であるが、このアカという語は時がたつにつれて「赤」の意味に変わってきたから、人々の意識の中で、場合によっては「赤」か「明」かまぎらわしいことが多くなってきた可能性がある。そしてこの語から「明るい」の意味がなくなり、「赤」の意味だけになったあとも、この語が使いつづけられたのである。万葉集や枕草子は読まれつづけたのである。そうすれば、て「アカウなりて」というのを読んだ人が、空が赤くなりはじめたころを思い浮かべることがあったとしても不思議ではない。現代人でもこれを漠然と読めば、赤い空をさしていると思うかもしれない。    topへもどる
 
4 日の丸の旗
 私の推理が正しいとすれば、赤丸が太陽のシンボルとされるようになったのは、いうまでもなく、アカが赤の意味に転化したあとのことである。それが旗などに使われるようになった過程はかならずしもはっきりとは分からないが、戦国時代の武将たちは好んで赤丸を旗印などに使ったようだ。赤い色が戦う武士たちの好みにあったのかもしれない。
 江戸時代になって、赤丸、朱色の丸は幕府のしるしとしていろいろのところに使われた。将軍の御座船にたくさんの日の丸ののぼりを立てた。一六七三年、幕府の年貢米を運ぶ船にも日の丸印や朱色の丸印をつけた。一七七九年北海道を幕府直轄にした時、直営の商船を赤く塗り、やはり日の丸ののぼりを立てた。
 一八五四年、日本近海に外国船が出没するようになってから、日本の船印に日の丸が採用された。それについては、日の丸は幕府の印だからとして反対する声が強かったが、水戸の徳川斉昭の主張に押し切られたということである。
 明治三年に日本商船を外国船と識別する印として、あらためて国旗と決められ,その後間もなく海軍専用として、赤い丸に放射線状の筋のついた「軍艦旗」ができた。
 明治4年、岩倉使節団が欧米諸国を歴訪したが、その年12月、一行がサンフランシスコに着き、市長の歓迎レセプションが開かれた時、伊藤博文がスピーチの中で日の丸の旗を指さしながら、こんなことを行ったという。
「現在の日本は地平線から出たばかりの太陽である。暁の雲から出たばかりの太陽はまだ光も弱く、色もうすい。しかし、やがて中天まで来ると、太陽は全天に輝きわたる。これと同様に日本はやがて世界に雄飛し、日の丸の旗は尊敬の念をもって見られるであろう。」彼は太陽が赤いと信じていたにちがいない。

 しかし、そのころはまだ日の丸は一般庶民の間にまで浸透していなかった。それが広く普及したのは、日清戦争のころだったと言われる。ということは、日の丸の国旗はそもそものはじめから、戦争と結びついていたということが言えるだろう。           topへもどる