山川学而『遊びと文化』
おもしろさの秘密(その4)
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ミミクリーと変身願望
近ごろよく見る光景──大きな目玉を描いた風船がふわふわ空中に浮かんでいたり、紙に描いた目玉が壁や窓にはってあったりする。鳥よけのおまじない、となどと馬鹿にしてはいけない。あれで結構鳩や雀などの被害をふせぐのに役立っているらしい。
鳥は目玉模様をおそれれるのか、それとも単に嫌うのか、とにかく避けようとする習性があって、蝶や蛾など昆虫の羽根や背中の目玉模様が鳥の攻撃から身をまもるのに役立っているという。
鳥はあの目玉を蛇の目と思って敬遠するのだという専門家の説があるが、風船の目玉は蛇の目にしては大きすぎるような気がする。全くの素人の想像だけでいうならば、鳥には遺伝的に目玉模様をおそれる習性がそなわっているのかもしれない。
目玉模様だけでなく、昆虫の体が木の幹と見分けがつかない色や模様になっていたり、葉っぱにそっくりだったりするものも自己防衛に役立っている。とにかく、動物の体の模様が動物界の生存競争において果たす役割の重要さは素人が考える以上のものがあるらしい。
専門家はそれを擬態=ミミクリーと呼ぶそうである。
人間もまたミミクリーをすることがある、と言うよりミミクリーの常習犯と言ってもいい。昆虫のミミクリーは遺伝であって、意識してやるのではないが、人間は意識してミミクリーをやるからタチが悪い。
欲の皮がつっぱった政治家が清廉潔白な人格者の仮面を被ったり、兵隊が敵の目をごまかすために迷彩服を着たり、化粧や衣服によって「別人のように」綺麗になってみせたりする。服を着て生身の肉体を隠すこと自体一種の擬態であるということもできる。
数え上げれはきりがないほど人間はよく化ける動物である。しかも、動物の擬態は無意識的、遺伝的なものだが、人間のは意図的である。それが悪い場合ばかりはなく、それが世のため人のためであったりすることも少なくないが、とにかく人間はミミクリーが好きである。
自分を別の物に見せかけるだけでなく、事実別の物になってしまいたいという変身願望も強い。自分が実際鳥になってしまったり、仮面ライダーになってしまったり、あるいは小野小町やクレオパトラのような超美人になってしまったりすることを夢見る人は少なくない。というより、だれでもそういう願望を持っている。変装や仮装も、忍者映画を見て喜ぶのもその願望のあらわれである。
人間は自分でない物になることは絶対にできないからこそその願望も強い、ということもできる。その願望が強すぎて、人は実際変身してしまったと思い込んで大怪我をすることもある。テレビのアニメに熱中した子供が「仮面ライダー へんしーん」と叫んでがけから飛び下りたというのもその一例である。
女性がお化粧するのも単にきれいになりたいだけでなく、変身したいからであろう。
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これを遊びとの関係から見れば、擬態、変身、変装などによって、人はあるがままの自分を隠し、自分が自分であることからくる束縛や制約から逃れようとする。一時的にせよ、自分が世間に対して負っている責任や義務や外敵の危険から解放されようとする。
そのように自分を隠すという点では「かくれんぼ」や「いないいないばあ」遊びに通じるし、自分が自分でなくなることによって解放感を得るという点から見れば、「脱出願望」を満足させているということもできる。