山川学而『遊びと文化』(第三回)
おもしろさの秘密(その3)
「鳥になりたい」症候群
またの名「ダエダロス・コンプレックス」
ギリシャ神話に、絶対に脱出できないという迷宮に閉じ込められた男がロウで作った翼で空を飛び、脱出したというのがある。男の名はダエダロス。その時息子もいっしょに飛んだが、息子はあまり太陽に近づくなという父の注意を聞かなかったばかりに、ロウの翼が溶け、転落して死んでしまった。
神話はしばしば科学よりもみごとに人間の心理を描き出す。ダエダロス神話は人間の心に潜む「脱出願望」をよく表していると言える。人間はだれしも、何かから逃れたいとか、今の境遇からぬけだしたいとかいう願望を心のどこかに持っている。この神話はそういう人間の心理をよく表している。それは自由への願望でもある。
貧乏している人は何とかして貧乏からぬけだしたいと思う。今の職場に不満のある人は、もっといい職を見つけて出ていきたいと思う。不幸な結婚をしている人は早く離婚して自由になりたいと思う。地面の上を離れることができないのは我慢できないから、鳥になって空を飛びたい、あるいは愛する人のところに飛んで行きたい、などなど。現在の状態からぬけだしたい、自由になりたい、別の世界に行きたいという「ダエダロス・コンプレックス」または「鳥になりたい」症候群のようなものが人間にはある。
五輪真弓の歌に「人は昔、昔、鳥だったのかしら、こんなにも、こんなにも空が恋しい」というのがある。あれも同じ心理である。
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『ピーターパン』は少年の心理を描いた傑作である。子供が空を飛び、悪者をやっつけたり、女の子を助けたりなど大活躍する。あれも現状からの解放の願望(はやく大人になりたい、強くなりたいなど)と見ることができる。
変わったところでは、この世に耐えられない人が死んであの世に行きたいと思うのも一種の脱出願望であるし、現在の境遇をそのままにして、自分自身の心の持ち方を変えることによって、精神的自由をかち取ろうとする──仏教でいう「悟りを開く」とか「解脱」(げだつ)というのもそれである。解脱の「解」は解放、「脱」は脱出を意味する。
人間は「脱出」したがる生き物である。
遊びは現実の生活と違った、遊びの中だけのルールにしたがっておこなわれ、そのかぎりでは実生活から切り離された別世界を形成する。たとえば野球をやっている間は野球のルールにしたがって行動し、野球場の外の世界での利害関係は忘れるように、頭を切り換える。碁や将棋をやる人は盤上に精神を集中し、相手が目上であるか目下であるかとか、相手に借金しているとかは忘れている。相手は単なる対局相手であって、そのかぎりでは実生活の人間関係を離脱している。試合が終われば現実の人間関係にもどるのだが、それまでは一時的にせよ意識の上で現実から離れている。それは部分的な「脱出」「解脱」である。遊びにはそのような「脱出」の満足感、「解放感」がある。
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遊んでいる間は別の世界に行っているという気持ちになれる。たとえ一時的にせよ、脱出願望を満たしてくれるのが遊びの重要なはたらきである。逆にいうと、遊びを知らない人の心は開放されない。「閉じ込められた」状態にあるということができる。
外国に行って、友達もなく、遊ぶ機会もなく、やりきれない気持ちになる時、人はしばしばホームシックだという。私も経験があるが、図書館で本を読んだり、研究したりする意外に何もない生活の中で「どうにも抜けられない」、「閉じ込められている」と感じることがある。呼吸しても、空気中に酸素がなくなっていくような気持ちである。それは家が恋しいというのともちがう。何とかしなければ精神がおかしくなってしまいそうなのだが、どうにもしようがない。
もし人間の生活から遊びがなくなったら、人はみな外国で私が感じたような精神の閉そく状態、精神の酸欠状態に陥るだろう。