遊びと文化 山川学而


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古典の中の日本人の遊び観


 日本人は勤勉だと言われていたが、最近では勤勉すぎるのは悪いと言われてあわてている人もいる。勤勉が悪いはずはないのだが、それが行き過ぎて、働くことが人生のすべてであって、遊ぶことも休むことも悪であるかのような錯覚に陥り、人間性を無視した過酷な労働を強いたり、自分自身に課したりするのが悪いのである。
 これは当たり前のことのように思われるのだが、長い間遊びは悪だと信じていた人にとって、健全な遊びとか適度の休養という考えがなじみにくくて戸惑っている人がいる。それが日本の現代の状況である。
 ところでそういう頑迷な勤労思想は日本古来の伝統だと思い込みがちだが、それも違う。遊びを求めるのは、善悪を超えた、本能であり、基本的人間性の一部であり、おそらく遺伝子やDNAと言ったレベルで我々の体の中に受け継がれてきたものである。日本人の祖先もその例外ではなく、いろいろの古典や記録にその痕跡が残っているのも当然である。
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 古いところでは万葉集にすでにそういう価値観を歌った歌がかなりある。たとえば、大伴旅人の「酒をたたえる歌」というのがある。    
   
価(あたい)なき宝といふも 一坏(ひとつき)の にごれる酒に あにまさめやも
(価なき宝<仏典で仏の教えのことをさす「無価宝珠」、すなわちかぎりない価値のある宝という>─それも一杯の酒に及ばない)   
   
この世にし 楽しくあらば 来む生(よ)には 虫にも鳥にも われはなりなむ
(今の世を楽しくすごせれば、来世では虫になろうと鳥になろうと構わない)

生けるものつひにも死ぬる ものにあれば この世なる間は 楽しくあらな
(人はいつか死ぬものだから、生きている間は楽しくしよう)
  
世の中の 遊びの道に すずしくは 酔ひ泣きするに あるべかるらし
(世の遊興の道に心楽しまないならば、酒に酔って酔い泣きするのがよかろう)
   
 この歌には何となく近代インテリのデカダンスの匂いがする。軍閥や官僚に牛耳られた時代の社会の谷間で、怒り苦しみながら生きた書生や文学青年などのインテリが、酒を飲んで憂さを晴らしている図を連想させる。それだけ現代に通じるものがあるように思う。その分だけ、古代人らしい素朴さに欠ける嫌いはあるにはあるが、千数百年を経てなお通じるものがあるということは、それが人間性の深いところに根ざしている証拠と考えてもいいだろう。
 億良や家持など万葉末期の歌人は、宮廷政治の世界では疎外され、不遇だった人たちで、朝廷で羽振りのいい人たちを横目でみながら、人生を楽しくしよう、楽しくしようと必死になっていた風がみえる。
 勤勉哲学全盛の時代にはこういう歌が万葉集にあることさえ一般の人に紹介する人も少なかったから、多くの国民が、日本人の祖先たちはみな高尚な、立派な歌ばかり作っていたかのような錯覚を持っていたのではないだろうか。
 かつての国学者や政治家は、万葉集のそういう面を軽く見て、天皇をあがめる歌や、愛国心や忠誠心を歌った歌や、富士山を讃える歌など「格調の高い」ものばかりを取り出して、「これが万葉集だ」「これが大和心だ」といって国民を欺いて(?)きたのではないかと思われるふしがある。
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 日本の古典の中で「遊び」という言葉が最も頻度高く使われているのは「粱塵秘抄」ではないかと思う。これは当時の「今様」(今風の歌の意)を集めたものだが、遊び願望が吹き出したような印象を受ける。

海には万劫の亀遊ぶ 蓬莱山をやいただける 仙人童を鶴にのせて 
太子を迎えて遊ばばや(319)
武者を好まば・・・梓のま弓を方にかけ 軍遊び(いくさあそび)せよ 軍神(327)御馬屋(みまや)の隅なる飼猿は 絆離れてさぞ遊ぶ・・・・(353)
海におかしき歌枕・・・・・沖の波は磯にきて鼓打てば みさご浜千鳥
  舞い傾(こだ)れて遊ぶなり(400)
大唐朝廷(みかど)はゆゆしとか・・・閨(ねや)には黄金の蝶遊ぶ・・・(407)
舞えや舞えかたつむり  まことに美しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん(408)
   
 まだまだあるが、中でもよく知られている決定打はこれである。
   
遊びをせんとや生まれけむ 戯(たはぶ)れせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声聞けば
わが身さへこそ揺るがるれ(359)
   
 この本の選者が後白河院だったというから、その頃すでに日本でも生活を楽しむ、遊ぶということに価値を認める思想ができていたことが分かる。そこにはややデカダンスの色がにじんで見えるが、その点でも大正時代の日本文学の一部に通じるものがあるような気がする。
 そして、その後白河院は「仮令(たとひ)また今様をうたうとも、などか蓮台の迎へにおずからむや」(このような遊びをしたからと言って、死んでから極楽に行けないということもないだろう)と言っている。
 徒然草にも「されば、人、死を憎まば、生(しょう)を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。」とある。
 とりわけ中世の日本人は遊び好きだったし、またよく遊んだ。そして、その豊富な遊びが江戸時代に開花する独特の日本文化の母胎になり、土壌になった。遊びのないところに豊かな文化は生まれない。
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