シリーズ 西欧絵画を斬る
フランス印象派篇
山川学而
写実と印象の間
1 なぜリアリズムか? click here
2 写実派と印象派の接点 click here
3 再現という考え方 click here
4 カメラ・オブスクラ click here
5 再現と美の追及 click here
6 感覚を描く click here
7 表現主義への道 click here
8 「感覚」から「感情」へ click here
9 自然主義と印象派 click here
「彼らが印象派であるのは、彼らが風景を描いたからではなく、風景から受ける感覚を描いたからである」ジュール・カスタニア
「その場で直接描かれたものには、いつも強さや力や筆使いの活発さがある。それらはもはやアトリエでは生み出せない。第一印象こそ正しいのであり、それを保っておくためには、非常に強情でなければならない」ブーダン
「鉛筆か絵筆を手にして自然の景色を前に腰をおろしたとき、私が気をつけたのは、それまで見た絵をすべて忘れてしまうということだ」コンスタブル
1 なぜレアリスムか? topへ
印象派の源流はレアリトだといわれている。また、自然主義の作家ゾラは一時印象派を自然主義者を呼び、自分の仲間と考えていた。我々が知っている印象派のイメージはいわゆるリアリズムや自然主義とは異質なものに見えるにもかかわらず、当時は当然のように両者を仲間同士と見られていたし、自分たちもそう思っていた。
第四回の印象派展の正式名称が「アンデパンダン、レアリスト、印象派による第四回展」となっていたのを見ても、印象派とレアリストはおたがい一線を画しながらも仲間同士と考えていたことを示している。
我々が持っているイメージでは、印象派と写実とはずいぶん異質な感じがするが、実際には印象派は写実的な風景画家の影響を強く受けた。彼らは自分たちの系譜はレアリスムからきていると考えていた。その当時まだ勝ちが低いとされていた風景画を描くという共通点があったものの、我々の目にはコローやクールベなどの風景画と印象派の作品とではまったく異質に見える。見た目にあれほど違うのに、系譜は同じと考える理由はどこにあるのか───
写実派と印象派の間になにが起こったのか。──あれほどに違うように見える二つの派のどこに共通項があり、またあの違いはどこからくるか。
2 写実派と印象派の接点 topへ
ボードレールは伝統的な絵画をコローなどの新しい風景画と比較して批判し、次のように書いている。
「野蛮人より野蛮な,インクにまみれた学問よ,野合から生まれた趣味よ,それは空の色彩も植物の形も,動物の動きや匂いをも忘れ果てて,ペンをもつ手は痙攣し,麻痺して,もはや万物照応(コレスポンダンス)の広大無辺な鍵盤の上を敏捷に走りまわることができなくなっているのだ。」
彼らが古い価値観からの脱却を求め、自然の風景の生き生きした感覚のなかに新しい価値を見いだそうとしていたことがよく分かる。
特に「動物の匂いをも忘れて」という点は注目に値する。匂いというものは感覚器官を通して直接感じるものである。幻想や宗教や思想などとは無関係である。彼らにはもはやそういうものはいらないと言っているのである。
自然の事物にさまざまの思いを託したりしようと思えばできる。太陽や山や森や川などを比喩や隠喩として使ったり、それを使って、なんらかの寓意を含む物語を描くこともできる。しかし「匂い」はあまりそういうものを含まない、かなり純粋に感覚的なものである。そういう感覚的なものを描くのは、伝統的な価値観に反する。風景画が価値が低いとされた理由もそこにあるが、またそれが古い価値観からの解放を求める時代の風潮にマッチしたという一面もある。
セザンヌもコローについてこう言っている。
「彼がもたらした大きなもの、それは十九世紀の絵画に、ぬれた木の葉の匂いや,
森の苔むした岩の表面や, 樹木のかげ,木の間をぬう太陽の歩みなど,自然が叙情的な登場を見せたことである」
それより以前にも風景画を描く人はいたし、形や色を忠実に再現しようとする写実的な画家はいたが、目で見た形や色そのものよりも、体の感官で感じられるような感覚を描こうという方向に目を向けたところがコローの功績だと、セザンヌは言っているのである。そういうところにレアリストと印象派との接点がある。
コローも形や色を忠実に再現しようとする再現派であるという点では印象派と一線を画しているが、彼の再現の目的は「匂い」のような感覚を伝えることにある。形や色の再現を通して感覚的なもの伝えようとしたのである。そこに印象派との違いと共通点があったのである。
伝統絵画の価値観では最下位におかれていた風景画。伝統からの解放を求める、いわば革命の時代に、風景画が見直されたことには必然性があったのである。今ではリアリズムと言えば、貧困や労働の搾取や、戦争の悲惨などを描くのが固定観念のようになっているが、その当時はそういう社会的リアリズムはなかった。レアリスムは、ほとんど風景画と同義語だった。
3 再現という考え方 topへ
人間が絵を描き始めて以来、目で見たものをそのまま再現したいという欲求は常にある。写実という言葉の意味を、ただ単に文字通り「実を写す」ということだとするなら、歴史上のすべての絵画にその傾向がある。キリストやマリア像のように、自分の目で見ることができないものを描く時でさえ、自分のイメージにあうモデルを探して、見たままを描こうとする傾向はあった。そもそも絵というものは目に見えるものを写すもの、とする固定観念は古くからある。それを素朴写実主義、素朴リアリズムと呼ぶならば、それは歴史上の大部分の絵画に少なくとも底流として含まれている。それと、印象派の系譜となった特定のレアリスムと区別する必要がある。
そもそも絵画や彫刻は美しいものを創りだすものだという考え方は意外に新しい。少なくともルネサンス以前には、美的鑑賞を本来の目的として描かれたり彫られたりした作品は意外に少ない。芸術作品の多くは広い意味でのメモリアルだった。たとえばエジプトやギリシアの「芸術」の多くは、神話中の神々や王の肖像や、王の業績や歴史上のできごとなどを記録したものである。古代ギリシアの墓には死者の生前の姿を彫った彫刻がたくさん残っているが、これもメモリアルが目的であって、美的な鑑賞が本来の目的ではない。人々に記憶してもらうのが本来の目的だから、その人物に似ていることが第一である。また見たこともない神を描くときは、人々の心にあるイメージを再現しようとするが、本来信仰のために描くのだから、美しさは二義的になる。
中世には教会の壁画や、ギリシア正教のイコンなどが多数描かれたが、それらも美的鑑賞よりは信仰の表現だった。イコンとは「肖像」の意味で、キリストやマリアなどの顔を写したつもりだった。それらは芸術的な美の追求を本来の目的とはしものでなかったことは明白である。
したがって、写実とか再現という考え方は人類とともにある。アリストテレスはそれを「模倣」と呼んだのである。それはいわゆるリアリズムとは違うので、コローやクールベや、あるいは二十世紀のリアリズムなどと区別するために、素朴写実主義、あるいは、むしろ「再現思想」とでも呼んだ方がいいかもしれない。
そういう再現思想は、ルネサンス期の遠近法の発見によっていっそう助長された。遠近法の発見は、写真的な正確さをもって外界を再現する方法を画家に与え、それ以来、画家たちはその正確な再現ということにこだわりつづけた。
伝統的な価値観が支配する中でも、再現思想は生きつづける。古典的な幻想を描くことと、そのような思想とは矛盾するように見えるが、かならずしもそうではなかった。
伝説の物語中の人物を描くときも、イメージにあったモデルを探して写すということはよくやった。たとえばレオナルド・ダ・ビンチは顔の描き方について、複数のモデルの顔のいいところを取り出し、つなぎあわせて描いたと言っている。
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「人物画は顔が命だ。凝りすぎた装飾や金ぴかの額縁でもない。顔はたくさんの美しい顔から上等な部分だけを組み合わせて描くのだ。そのとき、一般的な好みで選ぶことが大切だ。人は自分に似た顔を選ぶ恐れがあるからだ。」
これば警察が犯人捜査に使うモンタージュ写真と同じ手法である。ダ・ヴィンチがもしこの言葉通りに描いたとすると、かの有名なモナリザも特定の一人の人の肖像ではなく、いろいろの美人のモンタージュだということになる。モナリザのモデルが誰だったかという議論は昔からあるが、そういう議論は無駄になる。
それが真実だったかどうかは別にして、それが当時のふつうの考え方ではなかったかと思う。歴史や宗教の中の人物を描くにしても、自分のイメージにあう人を探して、そのいいところを忠実に描こうとするのである。描く目的は再現や描写そのものではなく、あらかじめ心の中に用意されているテーマのようなものがあり、その手段としてモデルを使ったのだが、モデルを写すという作業そのものは写実である。モデルは手段であって目的ではない。
その場合、一方ではモデルを再現する作業と、他方には心の中にあらかじめ用意されているもの=理想や理念のようなものとが共存しているのである。描く前から何かしら物語的なものがあることを、セザンヌは「レオナルドは文学的だ」という言葉で表している。したがって、描く対象から受ける感覚的なものはあまり重要視されないことになる。
そのような形ではあるが、とにかく写実、再現、あるいは自然の模倣といった考え方は絵画の歴史とともにつねに存在した。
ルネサンス以後、バロックの時代、ロココの時代、あるいは十九世紀の新古典主義、その他写実と縁遠いように見える多くの絵画の流派や運動においても、そういう写実はつねにある。それといわゆるレアリスムとは区別しなければならない。
そこでは再現はあくまでも手段であることから、対象そのものの美しさや新鮮な感覚などにはあまり注意がされなかったが、十八世紀から十九世紀にかけて、対象そのもの、再現そのものに新鮮な感動を感じることに気がつきはじめたのが、いわゆるレアリストであった。
そのレアリストたちも、忠実な再現という考え方から抜け出せないでいた。そこから完全に離れたのは印象派がはじめてであり、またそこに印象派の新しさの意味があるということもできるのである。印象主義は西洋絵画が真に現代的なそれへとテークオフした瞬間を体現していた、ということもできるのである。
4 カメラ・オブスクラ topへ
写真のカメラという語は、ラテン語のアーチ型の天井や、そういう天井のある納骨堂や葡萄酒の貯蔵室などを意味するカメラ(camera)からきたと言われているが、もう少し厳密な言い方をすると、画家がしばしば用いた「カメラ・オブスクラ」という道具があって、これがカメラの元祖ではないかと思う。オブスクラはイタリア語では「暗い」という意味。(英語の“obscure"
=「おぼろげな」にあたる) 「カメラ・オブスクラ」は「暗室」という意味になる。
密閉された暗い部屋の一方の壁に穴をあければ、反対側の壁に外の景色が逆さになって映る。そこに紙を貼っておいて、映った像をペンでなぞれば、忠実な再現ができる。もう少し簡便なやり方としては、箱の一つの面に穴をあけると、穴の反対側の面に外の景色が逆さに映る。もしそこに写真の感光紙をはりつけておけば、現代のカメラと同じ写真ができる。写真がなかった時代には、箱の一部に手を入れる穴をあけておいて、映っている景色をペンでなぞったのである。それでかなり正確なデッサンが得られた。その原理を使って、できるだけ正確に見たままの景色を描こうとしたのが「カメラ・オブスクラ」である。
十七世紀から十八世紀にかけて、カメラ・オブスクラは画家の間でかなり使われたらしく、その構造もいろいろあった。箱の中に反射鏡を入れ、底の部分を取り除き、床においた紙に映像を投射するものもあった。その場合、床の上が明るいとはっきりした画像が見えないから、昔の写真屋さんがやったように、装置の全体を暗幕ですっぽりおおうというようなこともやった。
そのように、写真機はなにも下地のないところに突然出現したわけではなく、フィルムや印画紙などをのぞく構造部分はずっと前から用意されていた。写真機を発明した人が、その名前をつけるときも、カメラ・オブスクラの「オブスクラ」を取り去るだけでよかった。
オブスクラのかわりに「ルシダ」(明るい)という語を使って、カメラ・ルシダというのもあった。プリズムの上からのぞくと、前方の景色が下においた紙と重ね合わされて見え、画家はそれを見ながらペンで輪郭をとっていく。その他様々の工夫がこらされた。
画面上の一点から画面全体に広がる放射線に沿って、物の輪郭が遠くなるほど小さくなるという、いわゆる線遠近法は、ルネサンス期に考えだされ、その後長い間ヨーロッパ絵画に大きな影響をあたえ、カメラ・オブスクラもそういう動きの中で発明されたものである。
レオナルド・ダ・ヴィンチが言った言葉がその線遠近法の概念をよく伝えている。
「遠近法とは表面が滑らかで完全に透明なガラス板の向こう側に見える光景にほかならない。このガラス板によって遮断された目を頂点とするピラミッド型にのっとりすべての対象は板の表面に投影される」
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分かりやすく言いなおせば、窓ガラスの前に立って、目の位置を固定して、外の景色をガラスの上にマジックか何かでなぞるのである。ビルの形や電柱の位置や、その他描きたい物体の位置や形をガラスの上にマークしていけば、正確に描けるはずである。
これは透視図の原理である。カメラ・オブスクラの発明にはダビンチの遠近法と透視図画法が大きく影響している。それは馬や人体を描くために解剖までやったというダビンチの合理主義精神から発したものである。
古い伝統的な絵画が主流だった時代にも、そういう道具や手法を使うことによって、しばしばおどろくほど正確な遠近法を使った写実的な絵が描いた人もいた。たとえばフェルメールの室内画といわれる作品にはしばしば十七世紀前半に描かれたとはとても思えない、正確な遠近法が見られる。彼が「現代絵画の遠いパイオニア」と呼ばれるのもそのことと関係がある。
そういう線遠近法のほかに、色彩遠近法というのもあった。景色は遠くなるにしたがって青みがかってくることを利用して、遠いものには青みがかった靄をかけるなどして、風景の奥行き感を出した。これもダビンチの研究によるところが大きい。またこの方法はかなりのちまで影響を持ち、たとえばセザンヌも、空間の奥行き感を出すために、どうしても空を(少なくとも一部は)青く塗らないとだめだと言っている。
これらはすべて、人間の心の奥の方に根ざす、目で見た世界を再現したいという夢、「再現願望」の現れ以外のなにものでもない。それは古代人がはじめて洞窟の壁に動物の絵を描いた時以来人類共通の願望である。
5 再現と美の追求 topへ
ダヴィンチなどルネサンスの画家は、リアルな描き方に感動するあまり、ややもするとたくみな「再現」そのものに感動してしまっているかのように見えることがある。われわれが考えるような美意識とは別に、あまりにみごとな「再現」に神秘的なものを感じたのかもしれない。ダ・ヴィンチは科学的真理に神秘を感じた人だが、それと同じ心理で絵画の技術に神秘を感じていたことは十分ありうる。モナリザが神秘的だというのもそれと関係があるかもしれない。
とにかくそういう再現思想に囚われているかぎり、われわれわの考えるような純粋の美の概念は生まれない。しかし、長い間そういう再現を追求していくうちに、それと美はかならずしも同じものではないことに気がつくはずである。そこで再現願望そのものとは異なる、美を追求したいという願望が介入してくるのは自然である。建前上はあくまでも見たままを忠実に描くという立場をとりながらも、美を追求し、描かれる対象の美しさや感動を伝えたいという願望の方が強くなる。それがコローのような進歩的な写実派だったということもできる。
その進歩的写実でも、まだ見たままを忠実に描くという原則から離れられなかった。彼らは自然の再現そのものを目的にしたのではないが、方法論的にはあくまでも再現派だった。忠実な再現が結果的には自然の美しさや感動を伝える最善の方法と考えていたのである。自然が美しいと思えば自然の、女性が美しいと思えば女性の、忠実な再現によって、その美しさをうまく人に伝えることができると考えたのである。
そのように再現思想に立っているかぎり、どうしても超えられない限界がある。写実派の画家たちも、どこかで素朴リアリズムからの脱却しようとしているところがあった。ボードレールやセザンヌが言ったように、草や木の匂いを感じさせるように描いたということは、ただ単に目で見てきれいであるとか、うっとりするとかいうことを超えようとする努力のあらわれと考えらる。それでもなお彼らはその一線を超えられなかったのである。
そういう古い考え方を大きく転換させたのはほかならぬ写真だった。どんな方法を使おうと、人間の手は精密な再現においてはカメラにかなわない。そこに気がつくと同時に、忠実な再現かならずしもすぐれた芸術ではないことに気がついた。それが十九世紀の半ばに起こったことなのである。
6 感覚を描く topへ
ジュール・カスタニアという人が、第一回印象派展についてつぎのように書いている。
「彼らが印象派であるのは、彼らが風景を描いたからではなく、風景から受ける感覚を描いたからである」
この「感覚」という言葉は意味深長である。風景を描くというだけなら、古くからいくらでも描く人はいた。印象派は風景を描きながら、風景そのものよりも、風景から受け取る感覚を描くというのである。目で見たままの風景の再現と、人間がそこから感覚で感じ取ったものを描くこととは別だと言っているのである。そこにただ目で見た自然の再現という考え方とのはっきりとした違いがある。
印象派が野外に出て風景と相対しながら描いているところは、写実派と同じように見えるが、彼らは対象を正確に再現するよりも、体全体で感じたものを表現しようとし、それを印象という言葉で表したのである。
印象派は光を描いたとよく言われるし、モネ自身もそう言っているが、それは自然から受ける感覚を描くということを、彼らなりの言葉で表したと理解すべきである。なぜなら、光というものは、物に当たって、色として目に見えるのであり、物を描くことによってしか描くことはできない。太陽や火はそれ自身から光を発するが、その場合もなんらかの物体があってはじめて光が出る。そういう光源から発するものは別にして、光はすべて物の色としてしか目に入らない。空の光のようなものは物体のない光そのもののように見えるが、それも空中の塵に反射した光である。だから「光を描いた」というのはレトリックであって、実際には色を描いていたのである。ただ、物自体の形や遠近法などにとらわれずに、感覚的なものを表現しようとしたことが、彼らに「光を描く」という言い方をさせたのである。
(その点セザンヌは冷静だった。彼は、光は結局は物の色として描くしかない、ということを理解していた)
彼らのいう印象と呼んだものは、個々の物体の写像ではなく、全体から受ける感じというほどの意味と考えていい。物体そのものを描こうとするのでなく、野外の光のなかで、身体じゅうが震えるような感覚を絵の具で表現しようとしたのである。写真のように実物のコピーを作ろうという考えから、また物体の存在そのもの、あるいは実在性を捉えようという考え方から、完全に解放されている。
7 表現主義への道 topへ
写実主義にはまた、主観を通さずに、機械的に対象を画面に移そうという考え方が含まれていた。現実にそういうことはありえないのだが、考え方としてそういう原則に立つということである。したがって、そこには表現などという主観的な行為が介在しないかのように考えるのである。
しかし、どんなに客観的であろうとしても、主観を通さないで写すということはありえない。一度目で見て、確認して、形や色などを頭に入れてからでなければ絵は描けるはずはないのである。その間に、目の錯覚や、視力の個人差や、その人の精神状態による「見え方」の違いなど、さまざまの影響をうける。絵筆を取って描き始めれば、その人の色の好みや、深層に潜む潜在意識の圧力など、総称して「主観的なもの」の影響をうけないと考えるのは幻想にすぎない。それでもなお、できるかぎり主観を排除して、純粋客観的な描写をしようとする考え方はいつの時代にも跡を絶たない。あたかも人間が写真機になろうとしているかのように。実際に主観を排除することはないが「できるかぎり排除しようとする」のが写実主義だというほうが適切かもしれない。
感覚を描くという場合は、そういう「できるかぎり‥‥」という努力を放棄して、感じたままを好きなように描くことになる。それはいっそう主観的な行為である。目の視神経が刺激となって脳にまで到達し、意識されたとき、感覚も成り立つ。(ただし、心理学での「感覚」の定義はもっとむずかしいものであるが、ここではそこまで深入りしないことにする)一度意識に取り込んだものを、外部にアウトプットしていくので、それは二段階の過程になる。最初の自然から内への「感受」の段階と、それを外に(作品という形で)出してやる段階である。その二段階の過程によって自然は人間の心を経由して作品として肉化されるのである。
そこで重要なのはこういうことである。感覚としていったん意識内に取り込んだものを、つぎの段階で外に出すのだから、その後半の段階は広い意味での表現である。印象派はこの表現の段階をはっきり意識することによってレアリスムと一線を画したのである。
レアリスムの再現思想の盲点はそこにあった。絵を描くとき、必然的に人間の主観が入り込む。自然を写真のように、機械的、光学的に再現するのではなく、人間の心を経由し、その結果「表現」という過程が含まれる。印象派以前の画家はその点を十分理解していなかったのである。。そのことはあとで詳しく議論したいと思っているが、要するに、人間の内面に取り込む感受の段階とそれを外部に出す段階があり、その後者、内から外に出す過程は広い意味の「表現」と呼ぶことができるのである。
8 「感覚」から「感情」へ topへ
感覚であれ、感動であれ、何であれ、一度内面化されたものを外に出すのは、広い意味で「表現」と呼ぶことができる。印象主義はのちにしばしば「表現主義」と呼ばれることがあったのはそのためである。
いわゆる「表現主義運動」は十九世紀はじめにドイツで起こり、ヨーロッパ全体に広まった芸術運動で、印象派とは一線を画していたが、表現の意味を拡大解釈すれば印象派に通じ、印象派の意味を拡大解釈すれば表現主義に通じるのである。たとえば、一時期表現主義者で、のちにアブストラクト絵画の元祖になったカンディンスキーは、印象派の影響を多分に受けた形跡があるし、作品にも印象派と呼んでもおかしくないようなものが多数ある。
もちろん誤解してはならないことは、いわゆる表現主義者が表現しようとするものと、印象派が「表現」するものとは内容がかなり違う。表現主義者のそれは感情的要素が強いのに対して、印象派のそれは「感覚」という語が示すように、自然から直接感じ取ったものである。それは「喜怒哀楽」や「愛憎」などというような感情とは異質である。
喜怒哀楽、希望、失望、恋愛などの感情は心の中にたえず発生する。風景や静物に触発されなくても、日常的に発生する。それに対して、印象派のいう感覚的な要素は、自然から触発されたものであり、自然と向き合ったとき肌で感じたもの。自然から離れれれば、その生き生きした感覚はうすれてくる。だから、その両者は本質的に異なる。ただ、とにかくも内面的なものであることは共通している。そしてそれを外に出すというプロセスが共通しているのである。
表現主義に大きな影響を与えたというゴッホは、手法的には印象派とよく似た描き方をし、後期印象派と呼ばれることもあるが、彼の絵には、風景から直接受けとった感覚よりも、彼自身の内面の感情が色濃く出ている。彼は風景を描きながら、風景と直接関係のない感情を露骨に表現した。
彼はこう言っている。
「ぼくは目の前にあるものを忠実に再現するかわりに、自分自身をより強く表現するために、色彩をより気ままに使っている」
ゴッホの作品は対象の忠実な再現でもなければ、対象から触発された感覚を描くのでもない。作品をはげしい感情のはけ口にしている。彼の作品には、燃えさかる激情が渦巻いているように見える。はげしい感情を感じさせないモネの絵とは対照的である。それは印象派からも一歩、あるいは二歩、三歩抜け出ている。
彼の感情は描く対象と無関係なものであることもあるが、描かれた対象が感情をよく表現しているように見えることもある。たとえばヒマワリがそうである。ヒマワリが彼の感情の「シンボリックな」表現になっている。それはシンボリズムと呼ぶこともできる。その感情は、風景から感じとった「感覚」よりも、より深い精神の内面に存在し、表現されること、すなわち作品として外化されることを求めていたものである。
9 自然主義と印象派 topへ
繰り返しになるが、初期の印象派はレアリストといっしょにされるほど、レアリストに近いものがあった。たとえば、マネはまだ写実派の自然の再現という思想から完全に抜けきっていなかった。その点、彼は印象派の父と言われながら、父と子は違うという意味で、彼は印象派とは言えないとする人もいる。
マネはゾラの肖像画を描き、サロンに出品したことがあるが、それについてゾラ自身が「画家のモデルになるという経験について」という一文のなかで、つぎのように書いている。
「彼があまり重要でない細部を描いているとき、私はポーズをとるのを休みたいと思い、しばらくは私がいなくていいだろうと彼に言った。『いや、私は≪自然≫なしでは何もできない。どうしようもなくなるんだ。私が人から教わったことにしたがって描こうとするかぎり、私はいまだかつて何一つ価値あるものを創りだしたことがない。もし私の作品が今日なんらかの真の価値を持つとすれば、それは(自然の)正確な解釈と真実の分析によるものだ』と言った」
ここにいう≪自然≫は日本語の自然ではなく、ヨーロッパの伝統的な用法の自然=「神が造ったままの、人間の手で加工されていないもの」「人工的でないありのままの対象」の意味であることはいうまでもない。
この中でマネが言っている「自然なしでは描けない」ということは、想像や既成観念を入れない「見たまま」を描くという意味にもとれるので、多分に古いレアリストや、ゾラの好きな言葉を使えば「自然主義者」と同一視されそうな言葉である。だが、その反面、マネは(自然の)解釈(インタープリテーション)、分析などと言っている。そこで彼はレアリストと一線を画している。彼にはそういう二面性があり、それが作品にも現れている。
たとえば彼のよく描いた肖像画では、輪郭や線をはっきり描くなど、印象派以前の手法をかなり使っているが、その一方で、一人一人の肖像が非常に個性的、非伝統的である。描かれた人物の個性を強調しているという意味でも、またマネ自身の強烈な個性が現れている意味でも、それらは個性的である。そしてそれが新しい時代に現れつつあった新しい人間像をみごとに描出し、新時代の雰囲気をよく表現している。彼はそういう二面性を持つことによって新時代を切り開き、あとにくる印象派の時代に道をひらいたのである。
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そのマネが求めたものは、先にのべた「感覚」とはかならずしも一致しないが、見たままの再現という考え方の枠を打ち破ろうとしながら、完全に打ち破れないもどかしさ、内面の葛藤のようなものを読み取ることができる。
レアリスム、自然主義などから印象主義への移行の過程に起こった、産みの苦しみのようなもの、あるいは生まれ出る苦しみのようなものをマネが体現していたということができる。
※なおセザンヌは「レアリザシオン」(realization)
ということを言っていて、これはまた単なる表現とは異なる概念であるが、ここではその問題は保留する。