シリーズ 西欧絵画を斬る
フランス印象派篇
山川学而

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印象主義のしめくくり
  スーラの色と形


もくじ
1 人物描写の《人形化》 click here
2 横 縦 斜め click here
3 エジプト的とギリシャ的 click here
4 光と色の理論の集大成 click here
5 むすび click here
1 人物描写の≪人形化≫ topへ

 スーラとシニャックは印象派の理論を整理、集大成したと言われているが、かれらの絵を見ると、モネのそれとの違いはだれの目にもはっきりしている。

 たとえばスーラの『グランド・ジャット島の日曜日』(一九八五)である。まず気がつくことは、人物や物体の輪郭がはっきり見えるということである。
 よく見れば、線描きしているわけではなく、全体がいろいろの色の点々で描かれていて、近寄ってみると確かに線は引かれていない。その意味では「線というものは一本たりとも描いてはならない」というピサロの言葉に違反してはいない。だが、離れてみると点々は見えなくなり、輪郭、つまり物体の境界が、あたかも線を引いたかのようにはっきりとしている。
 物の形や輪郭を明確に描くという点で彼は本来の印象派と一線を画することは明らかである。その違いは単なる趣味や好みの違いではなく、もっと根本的なところから来ていると思われる。
 この時期、印象派の中に、いつまでも印象派的な絵を描きつづけることに飽きたのか、疑問を感じはじめたのか、新しい境地を求める傾向が出始めていた。たとえばルノワールも裸婦の輪郭のはっきりした、ルノワールらしくない?作品を多くかいている。
 (『水浴する女』一八八七など)
 そういう趨勢の中で、スーラはやはり次世代につながる、ある意味で先進性を持っていということもできる。彼は色彩分割法を極端にまで押し進めた点描法を使っていて、そのことだけに注目する人が多いが、それより彼の先進性は形と構図にあると見るべきだと思う。

 スーラの絵を見てすぐに気がつくことは、描かれている人物のほとんどが直立していることである。腰をおろしている人物も上半身はほぼ直立している。そして顔は正面をむいているか、あるいは真横を向いている人が多く、上や下や、斜めの方向を向いている人はほとんどいない。すべてが幾何学的な図形のように整然とおさまっている。また『クールブォワの橋』(一八八六─7)では、ヨットの帆柱と煙突が垂直の平行線を構成し、全体に幾何学的図形の明確さを与えている。
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 そうでない作品もないわけではないが、彼が新しい理論の実践として精根込めて制作した絵にはそういう傾向がある。中にはそういう直立した人物を背景にして、一人だけ体を斜めにした曲芸師を描いた『サーカス』のようなものもあるが、基本的にはスーラの絵には傾かず、曲がらず、という線が多い──なぜか。
スーラので作品でも絵全体は左右対称ではないから、それほどの違和感はないが、一人一人の人物はまっすぐに描かれていて、なんとなくぎこちない。筆者はそれを≪人形化≫と呼びたい。
 人形の場合はそのぎこちなさが愛嬌や可愛らしさになるが、スーラの人物はかわいらいしというところまでは行っていない。それでもなんとなく人形的で、どこかしら「稚拙画」の雰囲気もある。「稚拙画」(ナイーブ・アート)も人形も、人間の持つ魂や精神の深層や強烈な個性などというものは捨象し、人間を単純化し、人間の持つうっとうしさ、重苦しさというような部分を切り捨てている。脱人間性と呼んでもいいだろう。
 生身の人間の生々しさがない。真の人間的なものを切り捨てて、そばにおいてもうるさくない、そして心を楽しませてくれるものに仕立てて見せてくれる。人形化=脱人間性であるといってもいい。

 通常の人間はそのように直立して、前と横だけ向いているということはないから、スーラが描く人物は現実感が希薄で、どこかぎこちなく、生きている人間の生々しさは希薄である。
 人間を人形化することが何を意味するかは簡単には言えないが、画面全体が様式化されて、やや古風な雰囲気がある点、本来の印象派とはあきらかに異質である。
あとで述べるように、スーラはシニャックと共に、印象派の色彩理論を整理、集大成したその意味で印象派の直系の後継者だったが、その一方で、絵の質は本来の印象派とは異質なのである。
 二十世紀になって、イギリスのT・E・ヒュームという批評家が、未来の芸術は幾何学的になるだろうと予言し、それはある意味では当たっていた。それとスーラと直接関係はないが、どこかに通じるものがあるようにも思える。

2 横 縦 斜め  topへ

 セザンヌは、垂直の線は画面に奥行き感を与え、水平の線は広がり感を与えると言っている。実際セザンヌの絵には、はっきりと見て取れる場合と見て取れない場合とあるにしても、そういう「効果」を追求した跡が見える。
 印象派以後、色や線や形を「効果」として見る見方が広がったということができるが、スーラもそれを考えていたにちがいない。色や図形の効果を重要視すれば、当然写実主義から離れる。
 描かれたいろいろの形の持つ効果に関心が向けば、何を描くかは二の次になり、線や色などがそれ自体として意味を持つようになり、さらには、画面全体の構成、構図というものに関心が向くようになるのは自然の成り行きである。
 スーラは物の形をはっきり描いたが、それは写実ではなく、図形の効果を追求したのであって、伝統的な絵画とは意図するところがまったく異なる。
 伝統的な絵画では神話や伝説を描くことが目的だったから、形や色の「効果」は主たる目的ではなかったが、印象派以後、そのう考え方からの離反がはじまり、それが革命的であったことも再三のべてきた通りである。その「離反」の第一段階を、印象派はぼんやりした「印象」を描くという考え方で画面から明確な形をなくすることによって成し遂げた。
 スーラは一歩進んで、形を復活させながら、その形そのものが単なる再現ではなく、それ自体独立した存在を主張するものにしようとしたのである。その意味で本来の印象派から一歩踏み出しているが、その一歩に非常に大きな意味がある。

 絵画において線が与える効果はセザンヌが指摘したものはねんの一部でしかない。人間は意識するとしないとにかかわらず、一本の線にもいろいろの感覚を持つ。われわれが意識する前に体が感じている。
 地面に立っている一本の棒杭でも、ぴんとまっすぐ立っているのと斜めに傾いて立っているかで、われわれの体の中の何かが違う反応している。曲がっているか直線かでも違うし、太い線か細い線かでも違う。だから書道のような芸術が可能なのである。

 たとえば≪ピサの斜塔≫は傾いているというだけで人々の強い好奇心を呼んでいる。あの建物が建ってから八百年以上たっているが、今なお毎日世界中から大勢のが集まってくるということは大変なことである。
 あの斜塔は、建築の途中で傾いたというが、それを傾いたままで建ててしまったのは、遊び心からではなかったろうか。筆者はあの塔に登ったとき不思議な気持ちになった。なぜかというと、塔自体は傾いているのに、階段の傾斜角度は建物の傾きと関係なく、ふつうの階段のように自然な角度で造られているからである。
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 われわれが傾きや曲がりを気にするのは、それが多くの場合死活的に重要であることと関係があるだろう。
 建築物は垂直の柱や壁によって地球の引力に耐えて建っているし、人間も体を傾けると倒れてしまう。われわれが縦の線を目にするとき、どうしても重力を意識しないでは見られない。
 建物にとっても人間にとっても、まっすぐ立っていられるということが死活に係わることがあるのはいうまでもない。そのために線が垂直か斜めかによって、われわれの体が反応し、その反応の強さはわれわれが頭で考えるよりはるかに強い。
また建物はしっかりと垂直に、幾何図形的であることによって安定するが、運動する人間や動物は不動の姿勢をつづけることは少なく、絶えず体を動かし、傾けたり、また直立したり、移動したりする。その動きが生命体の本質であり、動きのなかにこそ「生きている」という実感、生命の証を感じるのはそのためである。印象派に限らず、多くの芸術家があまり整然とした規則性を好まないのは、画面に生命感を持たせるためである。非幾何学的である表象こそ生命と心の表現に適している。
 日本でよく描かれる富士山も、真ん中よりすこしずつ右か左に寄せることによって動きを見せる。富士山自体は左右対称形だから、画面の真ん中に描けばおもしろみがないが、葛飾北斎のように七分三分くらいに片方によせると急にダイナミックな躍動感が出てくる。ななめの線や左右のアンバランスは時に不安をかき立てるが、また時には躍動感やおもしろみを演出する手段になるが、それもこれも人間が垂直か斜めかに敏感であればこその現象である。

 ここでは垂直と斜めについてだけに言及するにとどめるが、世界に存在する事物は、ゆるぎなく安定しているときはその内面に隠されたものを表面にださないが、傾いたり崩れたりすることによって隠れていたものが露出するということがある。これはあらゆる事物について言えることである。
 ちなみに、二十世紀前半の二つの大戦は多くのもを破壊したが、それによって、社会が内包していた矛盾やかくれた真実や、平時には忘れられている人間の心の深層や真相が暴露された。そういう意味で二十世紀は暴露の時代でもあった。

3 エジプト的とギリシャ的  topへ

 二十年近く前、筆者がエジプトを訪れたとき、それまで抱いていたヨーロッパの伝統文化のイメージとエジプトのそれがあまりに異質であることにおどろいた。
 一概にヨーロッパ文化の伝統と言っても、大きく二つの流れがあるということはよく言われる。その一つは古代ギリシャからその周辺に広まった、いわゆるヘレニズム文化で、もう一つは言うまでもなく、キリスト教的伝統である。後者はヘブライズムと呼ばれる。古代エジプトの文化はそのどちらとも大きく異なるというのを強く感じた。

 エジプトの壁画や彫像などの特徴の一つは、人物や神の像が直立していることである。椅子に座っていても上半身は直立しているものが多い。一部に民衆のはたらく姿を描いたものもあるが、発掘された壁画や彫像の多くが王や女王や神のものであるせいもあって、直立姿勢が多い。
 軍勢が行進する様を描いた壁画では、横を向いた兵士たちが、みな同じように足を開いて進んでいるが、それでも体は直立し、顔はそろって進行方向を向いている。
 エジプトを見てからギリシャに行くとすぐに気がつくことは、ギリシャ人の絵や彫刻は傾いた姿勢の人物が多いということである。たとえばスポーツする選手の彫刻や、チャリオットに乗って競技している絵などは、当然体を曲げたり、傾けたり横にしたりなどしている。それが躍動感を与えるだけでなく、その人物の性格や意思や情念など、形のない心の内面を感じさせる。
 運動していない人物でも棒のように突っ立っているものはすくない。たとえばミロのビーナスもすこし体を傾けてポーズを取っているし、バッカスは踊っていたり、ポセイドン(ローマのネプチューンに当たる海の神)は馬に乗って前のめりの姿勢で海の波頭の上を疾駆していたりする。。
 ギリシャの彫刻も初期にはエジプトの影響が色濃く残っていたので、エジプト風の立像も少なくはないが、だんだんギリシャ固有の民族性を示すものが造られるようになり、エジプトとはまったく違う文化になった。
 その違いが何を意味するかは興味あるテーマになりうるが、一つだけはっきりしていることは、ギリシャより古代エジプトは安定した王政のもとで、長い平和な文明を発達させたことである。もちろん奴隷制はあったが、それも現代人が想像するほど残酷な制度ではなかったことが最近の研究によって明らかになっている。
 一般に、傾斜した人物が多く描かれているか、直立した人物が多いかで、その民族の文化の質が分けられると言える。
 政治権力が安定し、平和で秩序がしっかりしているところでは直立型が多く、また権力の中枢にいるものほど整然とした秩序を好む傾向がある。その代わり形式ばっていて、人間的な要素─喜怒哀楽や精神的な苦悩などの表現─が希薄になる。宮廷や軍隊では人間さえも直線的な姿勢を強要され、また直線的に整列することを要求されるのもそういうことである。
 絶えず戦ったり、活動したりいるところには斜めの人物像が多く描かれ、そういう姿には人間のさまざまの側面や内面が露出している。(ただし、混乱した社会では逆説的に、秩序を希求するということもあるが)
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 芸術家一人一人を見るときも、そういう視点から見ることによって、新しい見方ができることも多い。
 人間が幾何図形のように直線的に、左右対称形に描かれているときは、人間がほとんど物体に近くなって見え、内面は見えにくくなっている。人間の内面を絵画的に表現しようと思ったら、曲がったり傾いたり、横たわったり、崩れたりしていなければだめである。それは感情や思想などというものは線で引けるような明確な形を持たないからである。

 ルネサンスの偉大な芸術家であったミケランジェロがヴァチカンのシスティナ礼拝堂に描いた名作『アダムの創造』では空中に浮かんだ神の姿は前のめりに傾き、アダムの体は寝ていた人が起き上がろとしているかのように、斜めになっている。『最後の審判』では罪深い多くの人間がさまざまな姿勢でうごめいている。立っている人物を描いたものでも、ミケランジェロは決して直立不動の硬直した人物を描かなかった。彼の描く人物はみな傾いたりポーズを取ったりすることによって、動きがあり、そこに様々の人間の精神のドラマが感じられる。
 これはミケランジェロが人間をその内面で捉え、表現しようとしたことを意味している。

 身体の硬直した姿勢は人間の内面を隠す効果があり、極端な場合は人間性の否定につながる。独裁者や権力者は民衆の前で無闇に体を曲げたり傾けたりしないのはそのためである。逆に人間的なものを表現しようとするものは、斜めになったり、崩れたりした身体を描かなければならない。そういう目で見るとき、歴史上の芸術のいろいろの人物像の性格がはっきり見えてくるということもある。

 このような観点からスーラの絵を見れば、スーラについてこれまであまり言われなかった面が見えてくる。

 スーラの絵では人物が、「エジプト化している」。そこには人間的なもの─ロマン主義的想像や、燃えるような情念や、喜怒哀楽と言ったような感情表現がまったくない。また写実的な肖像画などと比べて、人物の像が非人間化しているので一種の「稚拙化」が見られる。ことさらに子供のような絵を描く「ナイーヴ絵画」と言われるジャンルに近いものを感じる。
 ここで先にのべた人形化と脱人間とが、エジプト化、稚拙化とがつながる。

4 光と色の理論の集大成  topへ

 印象派はニュートンの光と色の理論に影響されたことは前にのべた。ニュートンはプリズムを使い、太陽の光を分光し、それがいろいろの色の光の混合から成り立っていることを示し、その後の光の研究に大きな影響力を持ったことは周知のことであるが、ニュートンの発見から印象派の時代まで二百年たっている。新しい理論が一般に認められ、広く大衆にまで浸透するのにそれだけの時間がかかったということである。
 十九世紀は科学が過大に信奉された時代で、画家さえもニュートン理論を信奉したのも不思議ではない。

 もう一度モネの考えを振り返ってみると、画面に異なる色を混ぜ合わせないで塗ると、目のなかで混じり合って一つの色に見えるということである。このことを彼らは単なる絵画の技法の問題として考えていたが、今になって見れば、別の意味があったのである。
 別々の色が目のなかで混じり合うということは、実際の絵の具の状態と見えている色とが違うということを意味する。現実に存在するものとわれわれが見ているものも違うのではないか、という発想が生まれる素地がそこにある。
 人間の目は現実にあるものを「ありのまま」を見ているのではなく、「そのように見えているだけだ」ということである。対象の本当の真実と「見え方」とは別であるということをはっきり意識することによって、事実としての対象と人間の目に映った現象としての対象の分離という論理構造が、いつの間にか、そっと、画家たちの認識の中に忍び込んでいるのである。
 筆者が再三繰り返してきた、対象からの離反、あるいは脱人間という観念の最初のきっかけはこのようにして与えられたのである。
 その後継者であるスーラは、やや幾何学的な明確な形を描いたが、すでに対象の再現という観念は卒業してしまっていた。形そのものが実際に存在するものは異なることがはっきり意識されるように描いたのであった。そのような異質化という手法が必要だったのである。

5 むすび  topへ

 西欧の一九世紀末には、一方にゴッホのように自己自身の収拾がつかなくなるほどの激情に支配され、それを表現したものと、その反対に、人間的なものに対して無関心な態度をとるものとがあった。
 よく考えると二〇世紀の世紀末にも一部にそれと似た流れがあるような気がする。残虐な犯罪や異なる民族や宗教間の血で血を洗う争いがある一方に、人間的なものを回避して、楽しい楽園を描いてみせようとする作家がいる。もちろんその中間もあるので、十九世紀末と現在を、同じ精神状況として重ね合わせるのには無理があるが、すくなくとも一部にはそれに似た現象がある。
 振り返ってみれば、一九世紀のそういう世紀末現象が二〇世紀の二つの世界大戦の時代の悲惨な時代の予兆であったような気がする。とすれば、二一世紀もまた、何かが繰り返されるるのではないか。そういう不安を感じるのは筆者だけだろうか。
 二十世紀前半の風潮の中には、そのような秩序への希求と古典への回帰現象のようなものがあったことは事実で、ヒュームが未来の芸術は幾何学的になると言ったのもそういう流れの中だった。
 スーラの一九八〇年代の古典主義的傾向を、二〇世紀のそれと結びつけて考えるには少し早すぎるかもしれないが、十九世紀の文学や芸術があまりにロマン主義的であったり、人間的であったりしたことへの反動はすでに世紀末には現れていたので、スーラもその流れの中の現象として見ることはできると思う。
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