山川学而
西欧絵画を斬る 2
フランス印象派篇

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印象派の意味するもの


1 ルノワールの試みを読む click here
2 絵画と物体の表面 click here
3 モザイク効果 click here
4 色彩分割という名のモザイク化 click here
5 りんかくの喪失 click here
6 西欧とアジアの絵画 click here

                                   1 ルノワールの試み

 ルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』(1877)という作品がある。野外での舞踏会を描いているが、男性の黒い服が多く、女性の白や華麗な色の衣装は影にかくれていて、ルノワールとしては珍しく、全体が黒っぽい絵になっている。しかし、木の葉の合間から漏れる日の光が服の上に落ちて一面に無数の白い斑点を作っている。その斑点が独特の効果を生んでいる。斑点は、それがなければのっぺりした色面でしかない服やテーブルに波を立てる効果がある。それがなかったら、あの絵は通俗的になってしまったかもしれない。私はその光の斑点がピカソの好きな道化の菱形模様に通じる効果があるような気がするのである。
 それはモネやシスレーなどがやった色彩分割とは違って、ただ白い斑点が散らばっているだけだが、それによって単調な面を色のついている面と白い部分とに分けている。しかもそれは実際に日の光が落ちているような幾何学的正確さはなく、意図的につけた点であることは明らかである。
 それとよく似た構図の絵がマネにもある。『チュイルリーでの音楽会』 (1862)である。林の中にたくさんの人物が描かれている。ルノワールはそれを真似したか、少なくとも参考にしたのではないかと思われるほどよくにた構図である。もしあのマネの絵に、ルノワールのような光の斑点をつけたとしたら、モネの絵かルノワールの絵が容易に判別できないかもしれない。しかし、マネの絵にはルノワールのような光の斑点はない。構図には当時としては斬新さがあるが、個々の人物や樹木の描き方はまだ伝統の域を脱しきれていない。

 ルノワールの人体に白い斑点をつけるやり方をしている作品はほかにもいろいろある。たとえば『りんご売り』(1890)では、女性二人と子供が一人いて、その服に上述の絵と同じような白い斑点がある。斑点は手のひらほどの大きさである。彼らの上に樹木はない。少し離れた向こうのほうに二本の木があるが、どう見ても木漏れ日が服にあたるような配置ではない。これはルノワールが効果を出すためにわざと斑点をつけたとしか思われないのである。

 『陽のあたる女の上半身』(1876)でも、樹木に囲まれているように見えないところで, 女の上半身に白く光る斑点がある。光っていない部分にはうすい青みがかった陰をつけている。それを見た当時の人が「腐りかかった死体のよう」と言って非難したといわれるほど、その技法は人々に馴染みのないものだった。
 そのほかにも『あずまや』(1876)『ぶらんこ』(1876)などにも同じ技法を使っている。 斑点は本来のっぺりした単調な色面を分割して、画面に波動を与える効果がある。空間全体が小さい白い部分と黒い生地の部分とに分割されているのである。この斑点による空間分割に印象派の作りだした効果の秘密のカギが隠されている。

 このように、印象派の独特の技法の意味は、よく言われるような色の使い方よりも、斑点による空間分割の手法を絵画に導入したところにあると私は考えている。それでは空間分割にはどういう意味があるか──

2 絵画と物体の表面 topへ

 一言でいうと、切れ目のない物の表面を消しているということである。
 物には切れ目のない表面がある。表面は連続した平面や曲面である。すくなくとも肉眼で見るかぎり、物体には切れ目のない表面がある。りんごには丸い球形の表面があり、ナイフを入れればその表面を割ることができるが、切断面には別の表面ができ、半球型の表面とつながっていて、途切れ目はない。それをまた二つに切ってもおなじことの繰り返しである。どこまでいっても物には連続した表面がある。
 斑点画法やモザイクは画面の上で物の表面を切って、物が本来持っている表面の連続性を消してしまっているのである。そのことの意味は何か、という問題はなお残るが、それを論じるのはまた後回しにするとして、ここでは取り合えず、印象派のやったことは空間分割であり、それは対象の表面の連続性を消したことに意味があるという指摘だけにとどめる。

※この辺に前回のべたピカソのアルルカン好きとの接点がある。アルルカンの菱形模様は人体の本来の形を菱形に分割する。言い換えると人体のモザイク化である。そういう視点からいずれピカソのキュービズムをもう一度取り上げるつもりである。

3 モザイク効果  topへ

 印象派は特にニュートン以来の色彩理論に影響されたと言われている。

 太陽の光をプリズムを通して見ると、いろいろの色に分かれて見える。野外で見るまぶしいほどの光も分割すれば赤や青や黄色や‥‥などになる。従来の画法では空は空色とか、木は緑とか‥‥というように、あらかじめ絵の具を混ぜ合わせ、自然の、見たままの色に調合してから塗るが、印象派は絵の具を混ぜ合わせるのでなく、チューブから絞りだした絵の具をそのまま塗るような感じである。
 自然の色を構成している要素の色─樹木なら青や黄色や、場合によって少量の赤などを、そのまま画面上にならべておいておく。自然の色を要素に分割し、並べておけば、人間の目には、それらが混じり合って自然の色と同じに見える、というのである。それを色彩分割と呼び、その手法を最も効果的に使ったのがモネの『蓮池』だったと思う。

 しかし、その考えには矛盾がある。もちろん、そのような考えにしたがって生まれた作品は結果としてはすばらしいものになったが、理論そのものには矛盾がある、と思う。
 どういうことかというと、分割された色が目にはいるとき完全に混じり合って、もとの色と同じに見えるのだったら、はじめから絵の具を混ぜて塗っても同じことなのである。塗る前に混ぜてから塗っても、別々に分けて塗っても、人間の目に同じように見えるのであれば、分けてぬることに意味はないのである。
 実際には、分けて塗った色の斑点は完全に混じり合っては見えない。非常に遠い距離からみれば混じり合ってみえるかもしれないが、そんなに離れてみたのでは、絵画の鑑賞などできるはずがないから、それも無意味である。
 色が分かれたままで見えるからこそ印象派独特の効果のある絵になるのである。(それを私はモザイク効果と呼ぶことにしている)

 実際印象派の絵を見てみれば分かる。分割された色面が完全に混じり合うことなく、赤や青や黄色などが分離した斑点として目に入ってくる。その斑点の大きさは作家によっていろいろあるが、見る人の目にはその点々が完全に混じり合うことはない。
 新聞の写真は黒い点の集まりからなっているが、その点が非常に小さいから、人間の目は点として識別できないで、ただの白黒写真のように見てしまう。印象派の絵は決してそうはならないし、もしそうなってしまったら、印象派の印象派たるゆえんはなくなるのである。

 空間を小さな色面に分割するところに印象派の印象派たるゆえんがあるのである。彼ら自身は、印象派の素晴らしい効果は色彩分割という理論からもたらされたものと信じていたし、その理論がヒントになったことも事実だが、あの独特の効果は、色彩の分割よりも対象や空間をモザイク状に分割したところにあるのである。極端な言い方をすれば、色彩はかならずしも分割しなくてもよかったのである。

 そのように、印象派はニュートン的光学理論に影響され、色彩分割法を生み出したのだが、その結果彼らははからずも、空間を分割する手法を学んだのである。そして、色彩理論よりもその空間分割こそが20世紀までつながる絵画史上重要な発見だったのである。そう考えれば、二十世紀のピカソやマチスやその他多くの画家たち、一見印象派とは似ても似つかないように見える画家との連続性もはっきりと見えてくる。

4 色彩分割という名のモザイク化 topへ

 色彩分割画法の印象があまりに強いので、我々はつい印象派と色彩分割画法をイコールで結んでしまいがちである。が、印象派と言われる仲間の画家でも、色彩分割を用いて成功した人は案外少なくない。
 印象派という名前のもとになったモネの『印象、日の出』(1872)にも色彩分割は使われていない。画面をちいさな点で埋めていく作品の多いピサロやシスレーのような作家のものも、その斑点がかならずしも色彩分割されていない。山下清の点々画法のように、樹木は緑の、花はピンクの、というふうに、対象の持つ色を点々で表しているだけの場合が多い。
 印象派イコール色彩分割画法であるとするならば、それに厳密にあてはまる作品は意外にすくなくない。印象派の仲間でもドガのように、色彩分割とは全くそれと異なる画法を用いたものもいる。
 だが、空間分割という観点から見ると、印象派周辺の画家たちを含めてかなり多くの作品がそれにに該当するし、印象派以後二十世紀にいたるまで、実に多くの作家やグループの作品にも当てはまる部分が少なくない。
 たとえば、ゴッホは絵筆のひと刷毛分の幅と長さのバー状の色面で画面を埋めるという描き方を好んでやった。景色や人物もそれによって分割され、モザイク化されている。その意味ではゴッホも印象派の一人と見なすことができる。
 セザンヌの言った「自然のなかに円筒や球や円錐をみる」という言葉もそういう視点から見るなら、自然を幾何図形的に分割することを意味すると解釈できる。

5 輪郭の喪失 topへ

 物の輪郭─
 別の見方をすると、斑点画法は物の輪郭を消してしまった。画面上で、描く対象の輪郭の線を消してしまったのである。
 ヨーロッパではかつての日本画のようなはっきりとした線で輪郭を表すことはすくなかったが、人間の顔かたちや物体の輪郭ははっきりと見えるように描いていた。たとえばルネサンス期のダビンチやラファエルなどを見れば、彼らがいかに明確な輪郭線を好んでかいたかが分かる。
 印象派はその輪郭を消してしまった。斑点画法はもちろん、斑点を用いない場合でも、印象派の絵に共通しているのは、輪郭の否定である。
 たとえば、前にあげたモネの『印象、日の出』では、斑点画法を用いていないが、霧が立ち込めた風景のなかにまわりの景色はかすんでいる。明確な形を持った物体は一つも描かれていない。
 それまで輪郭をうまくかくことに腐心してきた保守的な画家たちにとって、それは事件だったにちがいない。だから、「印象派」という呼び名も最初は非難するために用いられた、いわば「嘲笑」の言葉だったという。つまり「なんだ、あの絵は。ただの印象を描いただけではないか」といわれたのがその呼び名の起こりだった。
 印象派より一世代前に活躍した、新古典主義者と言われたアングルは、輪郭を非常に大事にした点、印象派と逆だった。彼は、「線を引け。デッサンせよ。色はあとからついてくる」と言ったそうである。ピサロが言ったという「線は一本たりともひいてはならない」というのと比べれば、その違いがはっきりする。
 アングルの考え方は絵画の常識であって、印象派のほうが変わっている、と言うべきかもしれない。古来絵画とは、色を塗るより前に線を引くもの、線画が主流と考えられている。たとえば、ギリシャの有名な伝説に、が恋人が長い旅にでるのを悲しんだ女が、壁に映った男の影をなぞって、シルエットを描いて、彼をしのぶよすがとした、というのがある。印象派はその常識を破った。
 したがって、印象派の功績を考えるに際しては、輪郭の意味を考えなおしてみる必要があるのである。

 子供が絵を描きはじめるとき、最初にかくのはふつう線画である。線をかいてから色を塗る。彼らは描こうとするものの輪郭を捉えようとするのである。古代人類が残した洞窟や岩に描いた動物の絵などもほとんどが線画である。それは人間が対象物を認知するとき、形が非常に重要な役割をはたしているからである。
 小学校の生徒に父や母の似顔をかかせると、目、鼻、口などを太い線でかくので、化け物のようになってしまうのを見かけることがよくある。それも子供が輪郭にこだわっている証拠である。
 子供の発達段階においても、人類の文化の発達段階においても、線描きの輪郭にこだわるのは初歩的なのである。線描きを用いず、色面によって輪郭を目立たせるのはすでにかなり進化した描写法である。日本では江戸時代まで千年以上の絵画の歴史があるにもかかわらず、ヨーロッパ絵画に接するまで、線描きがつづいたが、それは技法的にはおくれていたことを意味する。
(といっても、芸術の価値は技法だけで決まらない)
 線描きしないまでも、描く対象の輪郭を色面によって明確にするのは第二のレベルであるとすれば、その輪郭さえも消してしまったり、分割してしまったりするのは第三のレベルと見ることができる。

6 西欧とアジアの絵画 topへ

 日本や中国で輪郭を墨ではっきりとかく絵が発達したのは、一つには、書道の影響かもしれない。書道は毛筆を発達させ、線に対する感覚を敏感にさせる効果があったと思われる。そのかわり、色彩や陰影の効果的な使い方という点になると西欧におくれをとった。中国には古くから「没骨(もっこつ)」と呼ばれる、輪郭を線描きしない手法があったが、日本ではあまり発達しなかった。極論すれば、ある意味で日本画は幼稚だってのである。明治時代、西洋からはいってきた油絵を見て、日本画家たちが衝撃をうけたのはそのためである。
 もう一つにはこういうことがあったかもしれない…
 私がエジプトに旅行したとき、ホテルのロビーに花や鳥を描いた日本画の衝立がおいてあるのを見てびっくりしたことがあった。その後もしばらくの間はそれが日本画であることを疑わなかった。しかし、古墳の壁画や古代絵文字などを見るうちにはたと気がついた。ホテルで見たのは日本画ではなくエジプト画だった。それがパピルスに絵をかいた時代から連綿としてつながる伝統かどうかは分からないが、ホテルの絵は輪郭をはっきりと線描きする点で古代エジプトの絵とよく似ていて、それがまた日本画とそっくりだったのである。
 ただし、古代エジプトの絵文字が原始的だと思っている人があったなら、その考えは改めたほうがいい。そういう人はエジプトに行って古墳や神殿の壁の前に立ってしっかりと見てみることをすすめたい。古代エジプトの絵文字は原始芸術などという代物ではなく、非常に洗練されたものである。優美で、しっかりとした形や線質はエジプト文化がおどろくほど質の高いものだったことを伺わせるのに十分である。

 そこで私が考えたことは、日本やエジプトのように明るい風景の中で暮らす人は輪郭をはっきりと描く傾向があるのではないかということだった。それに対して、森や霧の多い風土に育った民族は線よりもマスとして対象を捉えようとする傾向がつよいのではないだろうか−。
 ヨーロッパにも明るい地方はあるが、ルネサンス美術の母体になったイタリアのフレスコ画は、暗い石造りの聖堂の壁に描かれて発達した。美術史にのっているような、ネサンス初期の名画の多くは今もイタリアの大聖堂にそのまま残っている。
 石造建築では大きな窓をつくるのが技術的にむずかしいので、内部が非常に暗い。ルネサンス期に建てられた大聖堂は今でもイタリア各地に数多く残っていて、民衆がその中でろうそくの光の中でお祈りする光景は今でも見られる。(ついでながら、ステンドグラスが発達したのもそういう暗い建物のおかげである)
 とにかくそういう暗い中で発達したということが、線描きの輪郭より、色面本位の描き方を発達させたのかもしれない。それが近代ヨーロッパの絵画にもなんらかの影響をあたえたということも言えるかもしれない。
 いずれにしても、輪郭をどのように描くか、線描きするか没骨にするかということは絵画表現にとって非常に大きな問題である。
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 ここでいいたいことは、西欧絵画が長い間、輪郭のしっかりした色面によって対象を正確に捉えようとするくわだてにこだわっていたが、その輪郭や形を寸断することによって、絵画に新しい可能性を示して見せたことが、印象派の現代絵画への貢献であったということである。