『現代西欧絵画を斬る』山川学而
フランス印象派篇
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ゴッホの光と闇
 ─世紀末 
神の死の物語

1 ゴッホの黄色 click here
2 ナルシサス神話click here
3 写像click here
4 絵画の起源に関連してclick here
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「一八四八年、王政の瓦解によって、ブルジョワジーは自分を守ってくれる「覆い」を奪い去られる。<ポエジー>は一度にその伝統的な二つのテーマ、すなわち<人間>と<神>とを失う。
 ‥‥当時のヨーロッパはまさに驚天動地の知らせを受けた‥‥
「神死せり。‥‥」と。 
   サルトル─『マラルメ論』の冒頭より 

1 ゴッホの黄色
 ≪麦畑≫はゴッホの最後の作品と言われている。麦畑が黄金色に光っている。空の暗い青色が黄色の輝きを増幅させている。躍動感のあるタッチと相まって、その迫力に圧倒される。
 筆者もかつて山の上から田んぼが金色に輝いているのを見ておどろいたことがある。しかし、ゴッホの金色はそれ以上に強く、迫ってくるような感じがする。黄色が背景の暗青色によって強調され、不気味なほどに光っているように思われた。点在するカラスの黒い形からは不吉な予感のようなものを感じた。

 カンディンスキーは青と黄色の取り合わせによる色彩の相乗効果ついてこんなことを書いている。

「同じ大きさの円を二つかいて、一方の色を黄色で、他方を青色で塗ったのち、これらの円をしばらくじっと見ていると、黄色は光を放って、中心から外への運動をはじめ、明らかにわれわれに近づいてくるような感じを与える。これに対して青色は、球心的運動を起こす。(小さな殻に自分を引っ込めるかたつむりのように)そしてわれわれから遠ざかっていく。黄色の円からは、目は突き刺されるような感じを受けるが、青色の円では、目はその中へ吸い込まれるような感じを受ける。」
 筆者の想像だが、カンディンスキーがこれを書いたとき、頭のなかにゴッホの≪麦畑≫があった。あのぎらぎらするような輝きがカンディンスキーの心に強く焼き付けられていて、彼が光の効果についてのべるとき、青と黄色を引き合いに出したのではないだろうか。色彩はただの色ではなく、それぞれの効果を持ち、お互いに影響しあうということを彼は言いたかったのである。
 二つの色の取り合わせによる効果はほかにもいろいろあるが、そのなかから特に青と黄色を例に取ったのは、≪麦畑≫が強く印象に残っていたからか、あるいは、もっと勘ぐってみると、≪麦畑≫こそがカンディンスキーの目を色彩の「効果」というものに向けさせるきっかけになった、と言えるのではないだろうか。
 何を描いたか分からない抽象画を描くには、線や面や色の効果を十分計算する必要がある。カンディンスキーはそれをやった最初の人かもしれない。その彼が、効果というものに強い関心を持ったきっかけがゴッホだったとしたら、ゴッホの功績は大きかったと言えるだろう。 そう考えたくなるほど、彼の言葉は≪麦畑≫にそっくりそのまま当てはまるような気がする。
   
2 光を描くということ topへ

 ゴッホがこういう「突き刺さるような」黄色を使うようになった背景には「光を描く」という印象派の考えの影響があったかもしれない。
 印象派は光を描くという考えから、色彩分割や補色の効果を使う手法を発展させた。ゴッホには色彩分割を使った作品は少ないが、「光を描く」という考えを印象派から取り入れたのではないかと思う。印象派の影響を受ける前には彼はそういう強烈な色を使わなかったし、むしろ暗いミレーの農民画のような色使いをして作品が残っている。
 補色についても十分研究していたと思う。黄色の補色は青ではなく紫だから、≪麦畑≫の色は正確には補色ではないが、補色に近い効果はあるように見える。暗い色を背景にして黄色の明るさが強調されているのだが、そこに補色の効果も加わっているように見え、そこに印象派の影が見え隠れしいてる。
 しかし、ゴッホは印象派の色彩理論を十分理解していなかったのか、知っていても自分の体質と違うと感じて、それを百パーセント採用しなかったのか、結果的に印象派とかなり違う作風になった。
 色彩分割という手法はゴッホの趣味にあわなかったらしい。いくつかやってみたがあまり成功したと思われるものはない。麦畑の麦の黄色も空の青も色彩分割されていない。彼は色彩分割の意味をよく理解しなかったのかもしれない。それはゴッホと印象派のメンタリティーが本質的に異なるからである。
 光を描くと言っても、モネらは太陽や星やランプなど光るものを直接描こうとしたわけではない。光が物に当たって色として感じられるものを描いたのである。 topへ
 特にセザンヌは、光と色の関係をよく認識していて、「光は結局何かの色として描くよりないのだ」と言っている。
 光源性の光を直接描くのでなくて、物の色を描きながら、外界の明るさを表現しようとしたのが色彩分割のはじまりだった。光源性の光を描こうとしても、絵の具自体が一つの物質にすぎない。絵の具自体が光を発するわけではない。絵の具を使って光源性の光と同じ強さの輝きを出すことは技術的に不可能である。しいて言えば、印象派は外界の明るさを描いたが、物の輝きを描こうとしたわけではない。
 だが、ゴッホは死の直前の数年、その輝きにこだわっていた。その代表が黄金色だった。

 モネの作品の多くは色彩分割などによって、太陽のもとでの野外の明るさの感じを出すことに成功はしているが、それでも突き刺さるような光は描いていない。
 ゴッホは色彩分割を使わずに、光るものを直接描いたり、麦畑そのものが光っているかのように描こうとしている。その効果を強めるために背景に暗い青色の空を配したりなどの工夫をしているが、印象派の考え方とは根本のところで違っていた。その違いはメンタリティーの違いから来ている。メンタリティーが違う以上、ゴッホがどんなに印象派に近づこうとしてもあれ以上はできなかった。
 ゴッホと印象派の絵は見た目が違うだけでなく、その底にあるものが基本的に異なる。その点をさらに追求してみたい。
 
3 魂の叫び
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ゴッホの絵には電灯や太陽などみずから光を発するもの、いわば発光体を描いたものが多い。物体の色として見えるような光ではなく、発光体から出る光、すなわち光源性の光が多い。光の色はほとんどが黄色である。ヒマワリの絵でも、花そのものが光を放っているように描かれていることもあるし、またしばしば背景の壁が発光体のように光って見えるものがある。それも黄色またはその同系色である。
 モネも≪印象 日の出≫のように太陽を描いたこともあるが、霧を通して赤っぽくぼんやりとしか見えない太陽である。ぎらぎらするものは一つもない。汽車の煙に光が当たってさまざまな変化を見せているようなところもあるが、それも「目に突き刺さるような」ものではない。彼は明るい野外を好んだが、突き刺さるような光は好みではなかった。景色であろうと事物であろうと、何らかの物体や物質を描くかぎり、それは光が物に当たって色として人間に意識されるものである。
 ゴッホはそれに物足りなかった。なぜか?

 簡単に言うと、彼は強い刺激を求めていたのである。モネのようなやさしい光や美しい光より、自分の心に突き刺さるほど強い刺激がほしかったのである。そこに精神病理学的な一面がのぞいている。

 ゴッホが光を描いた例をいくつかあげてみよう。

≪夜のカフェテラス≫ (1888)
 室内の光が溢れ出て、テラスや軒を光らせている。実際にはランプの光は物に当たって、色として人間の視覚に入ってくるのだが、彼の絵では物そのものが光っているかのようになっている。あるいは、黄色い光そのものが溢れた水のように室内からテラスに溢れ出たかのように見える。暗青色の夜の街角に、家の玄関とその周りだけが黄色く光っているが、それは色彩的には決して美しいと言えるようなものではない。ただ、夜の闇にぱっと浮き出た光を描くことに異様とも言える執念を感じさせる。

≪夜のカフェ≫(1888)
 天井から下がったランプの周りに同心円状の黄色い光輪があり、床も黄色に照らされている。光が床にあたって色として目に映るのではなく、ランプの光がそのままの色で、あたかも床そのものも光っているかのようである。

≪アルル 黄色い家≫(1888)
 暗青色の空の下に、家と地面が黄色になっている。

≪星空≫(1889)
 光は弱いが夜空に沢山の星が光り、川向こうの人家の光が川面に映っている。弱い光なので、絵全体が暗い、やや病的な感じがする。

≪糸杉のある麦畑≫(1889)
 糸杉が中心であるが、その周囲にあの有名な≪麦畑≫と同じ色の金色の麦畑と青い空が描かれている。

≪ピエタ≫(1885)空が光っている。衣服も同じ色の光。

≪ひまわり≫(複数)
 花自体が発光する光源であるかのように金色であったり、背景の壁の全面が金色に描かれてたいりする。

≪ジャガイモを食べる人々≫(1885)
 この作品はゴッホが印象派のような明るい色調を使うようになる前の作品で、暗い部屋で農家の家族が食事をしているところでである。天井から下がったランプだけが弱々しい光を放っている。
これについてゴッホ自身がこんなことを言っている。
「ぼくはランプの光のもとで手掴みでジャガイモを食べる人たちが、その同じ手で土を掘り返して来たんだということを、どうしても示したかった。ぼくの絵は手を使う労働に対して、そして正直に苦労して得た食物に対して威厳を与えるものだ。」
この言葉はゴッホが社会正義や人道主義に強い関心をもち、社会主義に転向しても不思議でないようなメンタリティーの持ち主だったことを示している。あえて断定するならば、あまりに強い正義感のゆえに俗世間に受け入れられず、一生苦しんだ孤独な魂がそこにあった。

ほかにも沢山の例があるが、彼が金色の光を描きたかったことは間違いない。そのように見てくるとき、彼の最後の作品だったとも言われる≪麦畑≫(1890)の金色の意味も少しずつ分かってくる。
 このようにぎらぎら光る黄色を好むということは、どのような精神状態を表しているか、心理学者の意見を参考にしてみると──

 人間の色の好みについてしらべた心理学的調査がいろいろあるが、その中で、人間が好きな色の順序をしらべたものがある。多くの調査結果で一番好まれる色は青や青紫である。そのあとに赤や緑などがあり、黄色は最後である。
 黄色が嫌われるということではないと思うが、「一番好きな色は?」ときかれて「黄色」と答える人がすくない。それは世界の多くの民族に共通している。黄色が好きだという人は異常だなどと言うほど、この調査結果には強い意味はないと思うが、少なくともゴッホの色彩感覚は平均的な人と違うということは言える。
 さらに、黄色にかぎらず、あざやかな原色を好むのはどういうタイプの人か。千々岩英彰氏がこんなことを書いている。

「原色を好む人は、自分の職場や学校、経済力、知識教養、容姿など、各種の面で不満をこぼす。‥‥性格は非同調的で主観的。」

「一般には、冴えた赤や黄色のような刺激的な色をを好む人は、自己主張が強く、行動的で社会適応もうまいと思われている。しかし、筆者の研究結果では、そうせざるをえない、どろどろした何かが隠されていることを暗示している。
 なぜ原色に引かれるかと言うと、あざやかで刺激的な原色は、何かにつけて自信を失い、いわば自我が縮小した状態にある者に声援を送り、縮小した弱い自我を拡大する力があるからだと考えられる。」
(『人はなぜ色に左右されるか』千々岩英彰 河出書房─1997─ p.138-9)

 これはゴッホの性格にぴったり当てはまる。つけ加えることは何もないと言ってもいいほどである。

 筆者が若いころ≪麦畑≫を見たとき、最初に受けた印象は、あの強い光によって、背後にある暗闇=精神内部の暗黒を押し隠し、抑圧し、「闇を消そうとしている」というものだった。上の記述と符合する。
 あの絵の中に点在する真っ黒いカラスは、暗闇を押さえつけていた表面にあいたふし穴か裂け目で、そこから背後の闇がのぞいて見えているかのように思われた。
 表面の下にかくれた闇は、巨大なのエネルギーをもって地殻を揺り動かすマグマのようにどろどろしているように思われた。それを抑圧しようとすればするほどエネルギーは強まり、時に爆発し、時に地震を引き起こす。ゴッホの絵の渦巻き模様は、マグマのエネルギーが地上に引き起こす地震波や断層のようなものである、という感じがした。
 フロイド的な言い方をすれば、深層の暗黒はふだん意識の表層に現れることがないが、表層に亀裂が生じたとき吹き出す。そこで人ははじめて内部の暗黒の存在を知る。
 ゴッホは強い黄色で暗黒を消そうとし、あるいは閉じ込め、隠し、押し殺そうとしている。しかし、消そうとしても消えない闇、押さえようとしても押さえ切れないエネルギーがある。言わば、あの絵は光と闇のはげしい葛藤のドラマなのである。
 これは筆者があの絵から受けた印象をありのままにのべたものであって、解釈ではない。その印象は今も変わらない。
 もう一つ勝手な想像をつけ加えるなら、彼が黄色や金色を好んで使った背景に、キリスト教思想の「神の栄光(glory) 」という思想があるかもしれない。キリスト教美術ではしばしば金色が使われるし、キリスト教徒が求める神の国には黄金色のイメージがある。
 金色は使い方によっては俗悪になるが、人はしばしば神聖なものや限りなく尊いものを金色に描こうとする。黄金色には低俗と高貴との両面がある。
 奈良の仏像も今は金メッキがはげ落ちて、黒い地肌になっているが、できた当時は金ぴかだった。
 われわれは黒い仏像を見て、古びた姿に感動して、これが太古以来の日本の心だと思い込みがちだが、奈良時代の寺院は金ぴかで、見ようによっては俗悪だった。キリスト教でも黄金色は神と栄光と魂の救済のシンボルなのである。
 ゴッホの心に暗黒と、そこからの救済願望や渇きがあり、それが金色となって現れたと考えるのはあまり的外れではないと思う。 
 
4 表現と効果 topへ 

 旧約聖書の創世記のはじめはこうなっている。

「はじめに言葉ありき。
 光あれ。
 かくして光ありき。」   

 この神話が書かれたのは、イスラエルの民がバビロンに捕らわれていた時代、いわゆる「パビロン捕囚」の時期だったという。人々は絶望し、闇の中に生きていた。この神話を聞いて、人々は、自分たちがおかれている闇の境遇と聖書の中の「闇」とを重ね合わせて、いつか神の声によって自分たちの闇にも光がさすかもしれないという希望を持つことができたという。
 彼らにとって現実は闇であり、光はどこからかやって来て世界を救ってくれる希望であった。闇の現実に対して、光は闇の外からやって来て闇を消す力であり、「効果」を持つ。闇はみずからの内に暗黒を消す力を持たない。暗黒を消すことは闇にとっては自己否定である。闇を消すことができるのは光しかなく、光は外から「与えられるもの」──それが救いである。

 真に悩める魂は、自力で内なる闇を消すことができない。光は外から与えられないかぎり、内なる闇はいつになっても闇である。

ゴッホには色彩への関心も印象派のように美しい絵を描きたいという願望もあったろう。周囲を見回せば、精神の闇を知らないかのごとく、野外の光のなかで楽しんでいるモネやピサロなどがいた。そういう幸せにひたりたいという願望もゴッホにはあった。
 闇はエネルギーを持ち、どろどろしたものであって、それ自体は救いようがない。闇は外からくる光によってのみ消すことができるが、闇そのものの中に自己否定の要因を持たない。
 外から来て精神の内部に影響を与える力は、外因性の力と呼ぶことができる。それはまた、内から外に表現を求める衝動に対して、外から内に向かう「効果」とでもいうべきものである。
 ≪麦畑≫の青と黄色が意味するものは、内面の闇と外から来る救いへの願望である。さらに別の言い方をすると、一方には内から外に向かう表現衝動があり、他方に外からくる「効果」としての救済への願望がある。その両面がある。

5 もう一人の自我 topへ
   
 内面のどろどろしたものはおのずから外に出ようとする衝動を持っていて、時に悲痛な叫びとなったり、時には暴力となったり、なんらかの形をとって外に出ようとする。ゴッホにはモネにない強い表現衝動があった。それは右にのべたように、魂の苦悩がみずから表現を求めてもがいていたからである。印象派は深刻な感情や深い思想などを表現しようという考えは毛頭なかったが、ゴッホにはそれが非常に強くあった。彼は印象派とは相反する指向を持っていたのである。にもかかわらず、印象派の絵に強い印象を受け、そういう作品を作りたいという願望もあった。

 彼は日本の浮世絵の影響も受けた。浮世絵の感覚的な美しさに心をうごかされた。しかし、それはモネが浮世絵から受けた感動と異質である。モネは浮世絵の中に自分のやりたいと思う美の実現のモデルを見たと思った。それはむしろ共感に近かいものだった。
 しかし、ゴッホは浮世絵に自分とあまりにも違う、そしてあまりにも美しい世界、むしろ自分と対極にある精神世界を見たと思った。ゴッホが浮世絵を見て言ったと伝えられる言葉、「これは非常に平和な国で生まれたものに違いない」という言葉は彼がそれと正反対の精神状態におかれていたことの表明である。
 彼はまた「日本に行ってみたい」とも言っていたという。全く異質な世界に逃避したい衝動が言わせたのかもしれない。

 ゴッホの苦悩や自己分裂は彼の人生に起因している。若いころ宣教師になろうとして、潔癖さと強すぎる正義感のゆえに教会からも世間からも受け入れられず、むしろ追放者となった。これは重大な影響を残した。その時まさにゴッホの中で神が死んだからである。
 画家を志したが、彼の絵は生涯で一枚しか売れなかった。売れる絵を描きたいという願望も人一倍強かったであろう。収入はなく、弟のテオの仕送りで辛うじて生活していた。貧乏と絶望が闇をいっそう深くした。
 当時は精神や人格の二重構造というテーマは文学でも大きなテーマだった。スティーブンソンの『ジキルとハイド』、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレーの画像』もその時代の産物である。特にワイルドのそれは世紀末の西欧精神の状況を雄弁に物語っている。二重人格というのは、人前で見せるいい人間としての顔の下に別の人格が隠れているという意味である。表の顔と裏の顔の間に埋めがたい亀裂ができてしまっている。伝統的な価値観が支えていた人間のアイデンティティーも崩壊している。
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 それは安易な理想主義や夢やその他形骸化した伝統的価値観が矛盾をさらけだしていた時代である。人々は失われた魂のやすらぎを感覚的な、あるいは官能的な快楽や美意識によって癒そうと必死になっていた。それがデカダンスである。この言葉は物事が腐敗し崩れていくというのが原義である。
 十九世紀の西欧は革命の激情や産業発達からくる楽天主義など、もろもろの要因が重なり、とりわけロマンティシズムや理想主義が栄えた時期であったが、世紀末に近づくにつれて人々は次第に幻滅を感じたり、快楽主義に流れたりした。その過程を一種の精神の崩壊過程として捉え、デカダンスと呼んだ。芸術至上主義という考えもそういう背景から生まれた。
 快楽主義、官能主義も、その裏には蝕まれた心が隠されていた。進歩主義と楽天主義の背後に20世紀の暗黒を予感させる社会的矛盾や個人の心の中の不安感が深刻になりつつあった。
 精神の深層という概念を導入し、精神分析学を確立したフロイドもおおむねその時期である。
 ゴッホは周囲の快楽主義や感能主義がはびこる中で、自分自身のうちなる暗黒との葛藤に苦しんでいた。そういう二重構造がゴッホにもあった。前に精神病理学的と言ったのはそのことである。
 サルトルがマラルメ論で言っているように、ゴッホの中で神はすでに死んでいた。彼の心に救いのない闇があった。

 社会人としての、生活者としての彼の自我はもう力を失い、もう一人の凶暴な自我の専横に身を任せるよりない状況だった。死ぬよりほかに選択がなかった。
 それが≪麦畑≫にみごとに表れている。それはゴッホが表現しようとして計算した結果ではなく、彼の闇がみずから自己表現を求めて画面に形を取って出現したと言った方がいい。
 一人の人間のなかに相矛盾する欲求や願望や衝動などがせめぎあっているから、内面のドラマ、自己自身ともう一人の自分との葛藤のドラマがある。ゴッホの絵はまさにそのドラマそのものである。ゴッホの絵を見て、美しいから好きだという人はいないだろう。人々を引きつけるのはあの絵の中にドラマである。

 繰り返しのべてきたように、モネなどの印象派はあまり多くの物語や、思想や魂や信仰などについて描こうとする気はさらさらなかった。 topへ
 ゴッホはつねに何かを訴えたい、何かに祈りたい、時には何かを糾弾したい、などなどの衝動があった。印象派のメンタリティーと正反対である。
 そこで注目すべきことは、モネら印象派とゴッホとの違いが、西洋絵画史の中で一つの流れを表しているということである。それは印象派であるよりも「表現派」と呼ぶ方がふさわしい。
 しかし、表現する内容はかつての伝統的な絵画とはまったく違う。神話や宗教や歴史など、古典的な内容ではなく、個人の精神の内面のできごとである。それは絵画史上まったくあたらしいできごとだった。