シリーズ 西欧絵画を斬る
フランス印象派篇
山川学而
西欧絵画もくじへ/ピエロの館表紙へ
Escape from Meaning
世紀末の精神構造
1 顔のない群衆 click here
2 ルノワールの『モスク』(アラブの祭)の回教徒 click here
3 物体の持つ意味と絵画 click here
4 モネの構成美 click here
5 新しい都市像と人間 click here
6 セザンヌの肖像がの意味 click here
7 絵画と表現 click here
1 顔のない群衆 topへ
パリの大通りを高いところから見下ろして描いた『キャプシーヌ大通り』(1873)というモネの作品があるが、それを見た人がこんなことを言って笑ったという。
「こりゃあ、何だ。これでも人間か。顔もないじゃないか。これじゃ、だれだかわかりゃしない。わしら人間はこんなみっともない存在でしかないのか。」
素晴らしい傑作も、無理解な人の目には駄作と見えたのである。今では個々の人間の顔を描写しない群衆の絵は珍しくないが、当時は革新的だったのである。
モネの絵では、パリの街路樹が実際よりも大きく描かれていて、ビルもその陰に隠れるように小さくなっている。街路にはたくさんの人が歩いているが、小さくて男か女かもよく分からない。もちろん顔も分からない。それでも現代の大都会の雑踏に比べれば、人の姿はまばらである。通りの広さも実際より誇張されているかもしれない。われわれの感覚では雑踏というより広場を散策する人々のように見える。そういう都会的な風景が当時としては新しい光景だっかかもしれない。
モネより前にも都市景観を描いた絵は数多くあるが、それらは石造りのビルの質感や、輪郭の直線的な感じなどをできるだけリアルに再現しようとするものが主流だった。都市を描いたと言ってもモネとは基本的な価値観が異なる。
都市の群衆というものも、その時代まではあまり見ることのないものだったと思う。人間が群れ集う光景は、軍隊や大聖堂でミサをする人などは古くからあったが、そういう人々はみな共通の信仰や目的を持ち、おたがいに知り合っている。
新しい都会の雑踏のなかではおたがいに何を考え、何を目的にしているのか、あるいは目的もなく歩いているだけなのかも分からない。おたがいに見知らぬエトランジェであり、無関心である。雑踏の中で一人一人が孤独である。ボードレールのいう群衆の中の孤独もそこにある。近代産業都市の疎外感がある。
モネはその群衆を単なる風景として描いた。ボードレールのような感情をまじえずに。したがって、人間はだれであろうと、どんな人間であろうとたいした問題ではない。人間を尊厳な存在としても見ないし、個性や感情を持ったものとしても見ていない。人格を持った個人を描くという考えはまったくない。モネにとって重要なのは広い空間にばらまかれた人々の黒っぽい影が作りだす模様だけ、人々の配置のパターンだけだったように見える。 topへ
モネの悪口を言った人にとっては、人間を描くということはその人の人格や思想や感情や、その内面にあるものまでも表現し、ひいては人間の尊厳を表現するもの、さもなければ女性の体のような美しいものとして人間存在の価値を表現するものでなければならなかったのである。だれだか分からないように描くということは、人間軽視であり、人間の尊厳に対する侮辱と映ったかもしれない。
前からしばしば書いているように、モネにとって、人間も空間を彩る小道具の一つでしかなかったのである。したがって、個々の人間の外見の中に詰まっている人格や思想や感情などもろもろのものは必要なかった。『サン・ドニ街』(1878)ではその傾向はいっそうはっきりしている。
フランス象徴派のうちボードレールはまだロマンティシズムや古典主義的なものなど、いろいろの精神的、思想的なものを包み込んでいた。エリオットは彼のことを「時ならずして生まれた古典主義者」と呼んだが、私はむしろ「時ならずして生まれたロマン主義者」と呼びたい。彼はそれほど複雑な、割り切れないものを抱え込んでいた。その点彼はマネに近い。
モネはそういう複雑系のような思想性をあまり引きずっていない。その点マラルメに近い。
言葉というものは音声や文字による記号と、意味という無形のものとから成り立っているが、人間もまた顔や身体などの外見と、その中に詰まっている人格的なものとから成っている。その中に詰まったものは身体に対する「意味」と考えることができる。
モネにとって空間のなかに存在する個々の物体の意味はあまり重要でなかったように、人間の意味を描くことにも関心がなかったのである。積み藁や有名な大聖堂の絵でも、積み藁とはなんであるか、大聖堂とは‥‥というようなことなど、個々の物の意味はまったく問題にしていないと言っていい。古くからある絵の概念は、物を物として描くことであり、その点では風景画家も例外ではなかったのに対して、モネは物の物としての意味を捨象してしまっている。言い換えると、物の物性にこだわらず、そういうものから超越している。それによって彼は現代絵画への一歩を確実に踏み出したと言える。
モネの絵画について、色彩分割とか光を描いたなど、いろいろのことが言われているが、筆者の考えでは、彼が物の意味から絵画を解放したところにもっとも重要な意味があり、それが現代絵画への最大の貢献だったのである。
十九世紀の前半までは、伝統絵画であれ、ロマン派であれ、新古典主義であれ、実にいろいろの「こと」を絵の中に持ち込んでいた。ギリシャ神話からフランス革命に関わる人物やエピソードや、ドラクロワのようなアラブの伝説を主題にしたものに至るまで、物語──セザンヌの言う「文学的なもの」に満ちあふれていた。
その中に純粋に美的な要素も含まれているにしても、絵画が何かを再現し、伝達する手段であることに変わりはなかった。印象派はそこが違っていた。そして古い絵画から印象派への橋渡しの役割をはたしたのがマネであり、詩において同じ役割をになったのがボードレールだったと考えれば、ボードレールがマネを強く支持した理由が理解できる。
2 モネの『モスク(アラブの祭り)』の回教徒 topへ
モスクに集まった回教徒を描いた絵がある。エキゾチックな感じがあり、色彩的に非常に美しく、評判のよかった作品である。その色彩は『睡蓮』などに見られるモネとはいささか異なる。私はむしろアラブの伝説などに題材を取りながら色彩の美しさで人々の眼をうばったドラクロワの影響があるような気がする。この作品にも、『キャプシーヌ大通り』と同じ群衆の描き方がはっきり見える。
手前から向こうに行くにしたがって高くなっている傾斜地に、たくさんの回教徒が描かれている。それを斜め上から見下ろしたような構図である。一人一人はほとんどひと刷毛ほどの大きさしかなく、したがって細部は省略され、顔の描写もない。一人一人の特徴はまったく無視されているばかりでなく、それが回教徒であるかキリスト教徒であるかなどということも重要でない。ただモネは群衆を描きたかったのだと思う。
回教徒の群衆が画面全体の中で大きな川のS字形の流れのような構図に配置されている。画面の上から下へとゆったりと曲がり、下に行くほど広がっている。末広がりの構図はモネの『緑衣の女』の裾を長く広く引きずったポーズを連想させる。あの作品は間違いなく日本の浮世絵の影響で描かれたものである。それはまた、尾形光琳の曲水をも思い出させる。したがって、モネのあの構図の原点は浮世絵にあると言ってもいいだろう。
『モスク』でもそれと同じ流れの構図のなかで、個々の人間は点にすぎない。建物もほんの脇役程度にしか描かれていない。画面を埋め尽くすように描かれた色とりどりの服装が色彩分割に似た効果を上げ、全体として明るい、輝きに満ちた空間をつくり出している。
個々の人間は全体の効果をつくり出すための手段として描かれているにすぎないことは明らかである。一人一人の服装の色にはかなり気を配っているものの、顔はまったく問題にしていない。モスクの回教徒だということでエキゾティックな効果もあるが、その点をのぞけば、それがイスラムの信者であるかどうかということは大した問題でない。第一モネはアラブに旅行したこともないし、モスクを見たことがあるかどうかも疑わしい。
このような描き方をしていることから、画家としてのモネは、人物の個性や思想や感情などに興味がなく、ましてその人がどういう経歴や職業を持っているか、どのような才能を持っているか、過去にどのような体験をしたか、などということには全く関心がなかったことがよく分かる。これは脱個人、脱個性と呼べるようなものである。
かつてヨーロッパの絵画の主流は歴史画だったが、別の言い方をすれば物語性が重要だったわけである。モネは早くからその考え方を捨てたが、それだけでなく、個人としての人間の物語性をも捨てているのである。
絵画の物語る多くの人間的なものを全部捨ててしまった。そしてただ感覚的な美しさに専念した。それをさらに言い換えるなら、絵画の中に多くの意味を入れることをしなかった。歴史画では一人一人の人物に説明できるような意味があり、描かれた物語にも意味があり、さまざまの意味が重層的に表されていた。モネはそのような意味を放棄したのだということができる。
3 物体の持つ意味と絵画 topへ
この章の表題の‘Escape from Meaning' はTS・エリ オットの‘escape
from personality' をもじったもので ある。彼は‘impersonality'
という用語も用いた。その 意味はいろいろの解釈がなされるが、簡単に言い換えると、十九世紀のロマンティシズムがしきりに強調した人間的なもの、感情や夢や理想や幻想、人間の美や偉大さを示すもの、すべてそれらのロマンティックな理想に依存する詩人の姿勢など、そういうもの一切から一歩抜け出て、高い次元に立つこと、人間的なものから超越した立場に立つことなどなどである。そういう文芸思想と十九世紀の絵画の姿勢と微妙に通じるものがあるというのが筆者の考え方である。
エリオットは詩人である。詩人は言葉で作品を作るから、画家と違って、個々の言葉の意味からはなれて詩や小説を書くことは不可能に近い。またエリオットのいう「個性からの脱却」と印象派の対象の意味からの脱却とはかなりニュアンスが違う。にもかかわらず、印象派とエリオットの間には地下茎のように深いところでつながるものがあり、その点の解明なくしては、現代絵画、文学の本質を根底から理解することはできないと思う。
エリオットがボードレールを高く評価し、フランス象徴派の影響を強く受けていたことはよく知られている。そのボードレールは前述したように、マネや印象派の先駆者ともいえるレアリストを強く支持した。特にマネとボードレールとは気質的にも通じるものがあるように思われる。ボードレールがフランス象徴派の先駆者であったことと、マネが印象派の先駆者であったこととの間に平行線が引けるかもしれない。そう考えれば、エリオット、ボードレール、印象派、サンボリストたちが、思想構造の根っこのところで繋がっていたことは容易に想像できるだろう。
そのボードレールはアメリカのエドガー・アラン・ポーの影響を強く受けている。ポーは、詩は言葉による音楽であるとして、しばしば言葉としての意味を持たない音を挿入した詩を書いた。彼は詩は言葉が持つ音楽的効果が詩だと思っていた。個々の言葉の意味よりもその音楽的効果を重視するという考え方は、モネの光と色を重視する考え方に通じるところがある。
しかし、詩は言葉でつづるものであり「カラス」「窓辺」「夜」などという個々の語の意味をはなれてはポーの詩も存在できない。それが詩の宿命であるが、すくなくとも詩の本質は意味よりも効果にあると考えた点は新しかった。
ポーからボードレールを通して受け継がれた流れはフランス象徴派(サンボリスト)と呼ばれ、他方モネの仲間は印象派と呼ばれた。象徴と印象とは相反するかのように見えるが、問題意識の在り処は微妙につながっている。その点は別の機会に詳しく触れることにする。
4 モネの構成美 topへ
セザンヌはモネの絵を見て「なんというすばらしい構図だろう」と感嘆したと伝えられる。実際モネの絵の多くはその構図の美しさによって人の心を引きつける。
そのことと、彼が個性を描かなかったことと関係があると考えることは自然な流れである。個々の物体や人物を写実的に描こうとする人は、それぞれ個性と自己主張を持った個々の物の形を全体の構図のなかにうまくはめ込むことに苦労する。モネは物体の個性を重要視しなかったから、全体の構成を理想的に組み立てることができたのである。
物体も人物もそれぞれの特徴を持ち、独自の色や形を持ち、それぞれ個性を主張する。ここはもっとまっすぐの線がほしいと思うところでも、顔の輪郭を直線では描けないし、ここはぐっと曲がった線のほうがいいと思っても、建物の輪郭は直線でなければ描けない。物体の各部分はそれぞれの固有の場所に描かれなければならず、画家が恣意的に変えることができない。物体がその物体であるために必要な形があり、物体の自己主張というものがあり、それに反することは、それがその物でなくなることを意味する。
色についても、ここには赤い色が構図的にはいいと思っても、樹木の葉は緑に、空や川の水は青くなければならないという制限がはじめからある。
それらをうまく調節して全体のバランスを取り、さらに効果的な構図にまとめるのは、どんな名人でも容易にできることではない。むしろ理論的に不可能と言った方がいいかもしれない。
もともと自然も都市も人体も、絵画的なバランスや調和を考えたり、美的効果を計算して作られたものではない。自然がどんなに美しくても、人間の美的欲求を満足させるために計算して作られたものは何もない。
木も草もそれぞれ独立して自由に、あるいは自然の法則にしたがってみずからの形を作った。都市においては一つ一つの建物はそれなりにデザインして建てられたかもしれないが、つぎつぎと建てられる建造物のすべてがおたがいに調和するようにと計算されることはめったにない。都市計画にしたがって、ある程度のデザインを持って作られる場合でも、すべてを計算しつくすことはできない。
モネはそういう個々に存在する物体や人間の細部をことごとく捨象してしまい、自分の構成に必要なものだけを描くから、自由に好む構図を取ることができる。それはあたかも、集団のなかの個人の主張を全部しずめてしまい、全体のしずかな調和をなし遂げた理想社会のようでもある。セザンヌを感嘆させたモネの構成美の秘密はそこにある。
5 新しい都市像と人間 topへ
古い時代に多数の人を描いた絵の多くは軍隊や戦争の絵だった。戦争の絵では人間が戦うという目的意識で統一されている。おたがいが他人に無関心で、それぞれ自分のことしか考えていないかのように、黙々と歩いているという姿は産業革命以後のものである。しかも、モネの絵ではしばしば人物が風景のなかの点でしかないような、広い空間にただアクセントをつけるだけのような存在として描かれている。それが絵になる、ということはモネの発見だったと言ってもいいだろう。
───近代的産業都市が出現する以前、たとえば城壁に囲まれた中世の都市では、人間はおたがいに顔身知りの隣人だった。おたがいの悩みや希望や、能力や、家族関係などといったものを知っていた。
東洋の水墨画には雄大な景色の中に人間が小さな存在として描かれいるものがある。人間の描き方はある程度具象的で、輪郭がハッキリ描かれているものの、大きい画面のなかで小さく描かれているため、あまり注意をひかない。それは東洋の価値観と無縁ではない。自然の偉大さの前に人間はちっぽけな存在にすぎないという、老荘の思想が代表するような東洋独特の哲学がある。
ヨーロッパでは、人間を描く場合は画面の中でかなり大きく、輪郭もはっきりと、かなり写実的に描くことが多い。人間に焦点をあてるところに東洋と違う価値観が表れている。
そう考えると人間を風景の中の小さな点として描いたモネと、それを批判した人との間にも大きな価値観の違いがあったと考えることもできる。モネがあまり人間を大きなリアリティーのある存在として描こうとしなかったということは、東洋思想とまではいかないにしても、人間に重きをおかなかったことはよく分かる。それはかならずしも人間だけに限ったことではなく、物体や対象やオブジェといったような物に対する意識が、古い絵描きと違うのである。それはモネだけでなく、他の印象派の人々の絵についても言える。彼らの絵は一般的に、人や物など、対象のリアリティー、実在性にあまり関心を示さない。描かれる表面の裏に何かがあるように感じさせることにあまり関心がなかったのである。
そのように絵の背後に何かがあるように描こうとする度合い、あるいはそうしない度合いによって、印象派の画家たちの違いを見てみると、その傾向がよく分かる。たとえばマネはまだ対象にこだわった点で伝統から脱し切れていなかった。描かれる人間の個性を強く浮き上がらせたり、描く人の個性を感じさせたり、新しい人間象を描いたりするなどによって、彼も十分革新的であったが、まだ対象から離れられなかった。ルノワールはマネよりずっと新しかったが、それでも裸婦や少女などの対象へのこだわりから離れられなかった。
そういう点でもモネは印象派の代表だった。その意味で彼は世紀末のある側面を代表していた。そしてセザンヌは、もうすでに二十世紀へのテークオフをはじめていた。
6 セザンヌの肖像画の意味 topへ
前に書いたように、モネはセザンヌの≪シャトー・ノワール≫を部屋の壁にかけて、日夜眺めていたが、「セザンヌはわれわれの仲間のだれよりも偉大だ」と言ったという。たしかにセザンヌは偉大だった。モネのような大衆性に欠けるところがあったため、生前はあまりめぐまれなかったが、二十世紀に与えた影響ではモネをはるかに凌いでいた。
そのセザンヌが肖像画について言った言葉で前に引用したものをもう一度ここにあげてみる。
「これは私の妻だ。それだけだ。やさしいのか、頭がよいのか、軽薄な人間なのか、といったことについて、肖像画はなにも語らない。絵は本ではない。私はおしゃべりな連中がだまりこむような絵を描きたい。
絵画は色彩以外何も表現しない。ストーリーとか心理とか、そういうものは私は大嫌いだ。人間の心理など、すべて青と黄土色の関係のなかに含まれてしまう。私にとって、顔は風景や静物と同じ価値しかない。」
これは普通の人が持っている肖像画の概念とはおよそかけ離れている。ふつうの人が考える肖像画は、人柄や感情やその他もろもろの人間的なものを感じさせ、それがどういう人物かを物語るように描くものである。たとえば馬でアルプス越えするナポレオンの姿は、英雄の勇気や果断さや、力強さや、なかでも戦う強い意思などをあますところなく描いて見せる。そしてその絵の背後に「物語」を感じさせる。
肖像画を描きながら、セザンヌはそういう物語性にまったく関心をもたなかった。セザンヌの描く、たとえばセザンヌ夫人の肖像画では「セザンヌ夫人という人はこういう人だったのか」と考えさせるようなものは皆無と言えないまでも、あまり多くはない。にもかかわらず、その絵は強い感動を呼び起こす。その感動はふつうの肖像画とちがって、その人の性格やさまざまの思いや人生などの物語から来るのではない。そういうものとセザンヌの絵はほとんと無縁である。
われわれがその絵を見て、セザンヌ夫人が女らしかったか、かわいい人だったか、それともかかあ天下だったかなどということを全く考えないと言えばうそになる。セザンヌ婦人を知っている人は夫人が生前苦労したことなどを思い出すだろうし、セザンヌに興味のある人はまた夫婦の人間関係を想像するかもしれないが、そういう想像は、セザンヌの絵の本質とあまり関係ないし、セザンヌ自身の意図とも関係ない。セザンヌがその人を描いた理由は、夫人がよい妻だったからでも、愛していたからでもなく、単にそれが描く「対象」としてあったからにすぎない。
そういう意味で、彼の描いた肖像画の人物は表面だけの「ぬけ殻」だったと言ってもいい。その人にまつわる物語性を捨象することによって、セザンヌは人物を別の何かに変えてしまったのである。変質させたと言ってもいい。
誤解を恐れずに敢えて言うならば、セザンヌは人や物の「脱け殻」の美しさを発見した人である。彼の肖像画は人物の「脱け殻」であるにもかかわらず感動を呼ぶ、という言い方は正しくない。むしろ「脱け殻」であるから、あるいは「脱け殻」であることによって見る人の心を引きつけるところがあるのである。
topへ
人間の身体は入れ物であって、魂や心は中身であるという考え方は世界のあらゆる民族に共通してある。人が心でその中身がなくなったり、中身だけが天国に行ってしまうと、あとに残るのは「脱け殻」である。失望落胆して虚脱状態の人を「魂の脱け殻」と表現するのもそういう意味である。
古代日本人が言葉とその意味を人間の身体と魂の関係になぞらえ、言霊という語を考え出したのは、なかなかかしこかった。古代の人間はよく言葉の性質を知っていた。絵画とその意味との間にもそれと似た関係がある。絵の具の物理的性質は「殻」であり、それが物語るものが魂や心や意味などと呼べるものである。
描かれたものの意味──絵画に描かれたものが歴史であれ写実であれ、あるいはロマン主義であれ、人々が持っているさまざまの思いを伝えている。そのように意味のあることを描くのが絵画だという考え方は人類の美術史上何千年もの間主流だったのである。また今後も永久になくならないだろう。
ある人は平和への思いをこめて、ある人は人類愛を、ある人は偉大な人物を記念するために、ある人はまた社会悪に対する怒りを等々、描き方が写実的であるかどうかに関係なく、何かを伝えるために描くのが絵画であるという思い込みは人類がいるかぎり、永久につづくだろう。
だが、純粋の絵画的美というものとそれとはかならずしも一致しない。セザンヌが「物語」と呼んだそういうものから離れて、絵画は何ができるか。あるいは何かできるのか、それとも何もできないのか。そういう問いかけを彼らはやったのである。そこにこそが印象派にはじまる現代絵画の大きな流れの持つ意味があるのである。そして、それをもっとも意識的にやっていたのがセザンヌだったのかもしれない。
7 絵画と表現 topへ
絵画には、生活の苦しみや生きる喜びや、愛や悪への憎しみなど、セザンヌのいう「文学的なこと」を描き込むことがてきるし、それが絵画の歴史の中ではむしろ主流である。印象派の「意味」に頼らない、純粋の美の追求は画期的な、世紀の大実験であった。
しかし、人間はつねに何かを訴えたいという衝動に駆られる動物であるらしい。印象派に同調するように見えた画家の中にも、何かを表現しなければいられなかった人が少なくない。
たとえばゴッホがそれである。ゴッホは印象派の影響を強く受け、印象派的な手法を用いた作品も多くあり、新印象派あるいは後期印象派などと呼ばれることもあるが、だれよりも強く、何かを訴えたい衝動を持った人だった。彼の作品の中にははけ口のないはげしい感情が、噴出口を求めて渦巻いていた。彼は画家であるより前に一個の苦悩する人間であった。ある時は経営者の過酷な労働搾取に憤り、あるときは農民の貧しい生活を描いて世間に訴えようとした。彼は社会主義者になってもおかしくないメンタリティーの持ち主だった。
彼は絵画を自己の情念の表現手段にしてしまったことによって、まだ逆に意味で、対象の写実性から離れてしまった。彼の初期の「社会主義的」?絵画にはある程度の写実的な手法が使われたものがあり、たとえば農民を描写した作品ではミロの農民のような印象を与えるものもあった。そしてそれなりに写実的だった。だが、晩年のヒマワリや麦畑などでは表現衝動が写実を乗り越えてしまっていることが見て取れる。
ゴッホと同じように強い表現衝動を持っていた人にムンクがいる。彼は北欧の人々の心の深層にひそむ情念のようなものを引き出して見せた。あの川の流紋のように塗りたくった絵の具が、どろどろした感情を見る人に伝え、訴えかけている。そのような表現衝動に駆られた人々はモネのような描き方には到底満足できなかったはずである。彼らには純粋な美しさより重要なものがあったのである。
topへ
人間は表現衝動の強い動物であると言ってもいい。過去においてもそうだったし、今後永久にそれは変わらないだろう。そのため多くの絵画が美的な欲求より表現衝動に身をゆだねてしまったのである。
その点モネは幸せな?人だった。彼は政治や社会の問題に深く関わることをしなかった。一七七〇年の普仏戦争にも無関心で、ロンドンに逃れ、ピサロといっしょにロンドンの風景などを描いていた。シュリーマンがトロイ遺跡を発掘した年である。政治や社会の問題に関心がないことが、絵画にあまり多くの意味を描きこもうとしないで、壮大な実験に挑戦することを可能にした。印象派の中で彼が突出して大成功をおさめた理由の一つもそこにあると言ってもいい。