著書一覧
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作品紹介
重要な暗号を届ける任務を受けて任地へと向かう船旅の途中で「私」は金持ちの中国人親娘と出会う。美しい娘は病人のようで今にも倒れそうな様子。父親の方は何か物を取ろうとする度に、空中に指で文字を書く奇妙な癖がある。この親子に興味を引かれた「私」は下船する前の夜、彼等と話をする機会に恵まれた。自室に親娘を案内した「私」に、父親は不思議な物語を語ってくれるのだった。
……娘は昔から心臓が弱く、ある時転倒した拍子に心臓が止まってしまった。純白のドレスにありったけの宝石類をつけてやって娘を埋葬した私が自宅に戻り、放心状態でいると、夜中に玄関のベルを押す者がいる。出てみると左手の指を失い、ドレスを血に染めた娘が立っているではないか。仮死状態で埋葬された娘は、墓泥棒が指輪を盗む為に彼女の指を切断した時の痛みで目を覚まし、帰って来たのだ……
物語冒頭にS夫人なる人物が出て来て従兄の書いた手記を見せる、という形式の本作だが、その形式にした意味がわからないのがご愛敬。だが小説として不出来ではなく、作中で父親の話すエピソードなど、さりげない探偵小説的処理が加えられ、結構イケる。幻想物語をラストで一気に現実に引き戻す手腕もなかなかで、敢えて「スパイ」という設定を設けて現実感の補強を図ったのだとすればかなりの役者だがきっとそうではないだろう。
美人霊媒師小宮山麗子は霧の街に消え、二度と姿を見せなかった……。S夫人は自分が探偵になる契機となった事件について語る。シャム国の寺で夫人は勝田男爵の令弟と知り合った。酷い神経衰弱に罹っていた彼は夫人にだけは気を許し、帰国にあたって彼女に袱紗包を託した。自分が日本に帰るまで開けてくれるな、と伝言を残した彼は、帰国途中の香港で自殺を遂げる。夫人は彼が託した包みを開け、ダイヤの指輪と長文の手紙を発見した……妻の死が諦めきれず半死人のようになった自分は霊媒の小宮山麗子の事を知った。彼女は死んだ妻に驚く程そっくりで、彼女に妻の霊を呼び出してもらい話をするのが日課になってしまった。ある日自分は妻の遺品の中から手紙を発見する。かつて縁談のあった従兄だと妻から聞いたことがある男だ。妻の素行が急に疑わしくなった自分は麗子を無理に自宅に呼んで来て、妻の霊に手紙の一件を問い質した。妻は男との関係を認め、嫉妬に狂った自分は死んだ妻と麗子の区別もつかないまま女に飛びかかった……
自分のせいで家名に傷がつかない様に勝田氏が考え出した大トリック。死者と共に生き、死者の為に煩悶して自らも死ぬ勝田氏の心理を描ききった筆致は見事の一言。しかも彼の狂的な精神が導くこの結末といったらもう、文句無しの大傑作。これを読まされたら森下雨村でなくても推薦したくなる。絶賛。
東伯爵夫人の依頼でサーカスの女を捜すS夫人。女は伯爵を誘惑し情夫を使って脅迫しようとしている悪質な娼婦らしい。そこへ伯爵夫人が死亡したという突然のニュース。世間は原因不明の自殺と騒ぐ。なお調査を進めたS夫人はとあるサーカスで見つけた男に接触した。シンガポールから来た男で、狒狒の着ぐるみを来て美女と戯れ、「鉄の処女」で処刑されるという役の男。彼はS夫人に呼び出されると、すぐに自分の正体を告白した。十年前南洋で虎に食われて死んだという東伯爵の兄が彼であった。家督相続の権利を捨て南洋で生活していたが立ちゆかなくなり、家督を継いで有名になった弟に会いに行くと、伯爵は彼を騙して精神病院に入院させてしまった。しかも莫大な入院費を前払いして。その仕打ちに怒った彼は病院を脱走すると、かつて婚約者だった伯爵夫人智恵子に密かに会いに行った。智恵子は非常に驚き、知らぬ事とはいえ婚約者を裏切ったことを詫びる。智恵子の死は、この兄と弟の板挟みになって悩んだ結果かもしれない。さらに伯爵の情婦であるサーカスの女を発見したS夫人は遂に真相に気づき、伯爵邸へと向かった……。
人の死、殺人という行為が何の為に為されたか……殺人を扱う小説なら一番重きが置かれて然るべきテーマだろう。そしてこれ程に強力なテーマ性で痛切に人の死を描いた探偵小説はそう多くない筈。素直に感動した。
嫉妬に狂った貴族が妻を餓死させたという伝説の残る「妖怪の塔」に一人の男が住んでいる。その男の元を一人の将校が訪れた。時はアルプス戦争のまっただ中……。自らの名を癩病と名乗る男、世間から隔離され真の孤独の内に暮らす男は、毎日外を眺め、人々の幸福そうな姿を眺めては自分にも幸福を分けて欲しい、たった一人でいい、友人が欲しいと神に願う。醜い容貌で街の誰からも見向きもされなかった犬を引き取って飼っていたが病気を伝染させると怖れた街の人々は犬を殺してしまった。同じく癩病の妹は五年前自分の腕の中で天を眺めながら息を引き取った。そして絶望に沈んだ男は自殺を決意する。彼は妹が使っていた階下の部屋へ向かったが、そこで男を待っていたのは妹の遺品である聖書と十字架、そして聖書に挟まれていた妹の手紙であった……。
将校が友情の証として差し出した手を、病人は神に感謝を捧げながら握りしめる。しかし塔の入り口は再び閉ざされ、二人は二度と出会う事はない。将校の再会の申し出を何故彼は受け入れなかったのか、という点などは色々と考えさせられる。犬の死や妹の死のエピソードなど実に心に響く内容なのだが、このようなキリスト教的宗教観が強く現れた表現を自分なりに翻訳して、うまく紹介する事が出来ない己の浅薄な人間性が情けない。ミステリとはまるで関係がないが、本作を選んで訳した【てる】子先生の眼力は評価したい所である。
雪原で猟をしながら暮らすならず者の集団。彼らは皆理由あって世間を追われた男達だが、この「自由村」では過去は一切問われない。ある日村に一艘の難破船が漂着した。乗っていた白人の娘は医学の心得のあるマルクの必死の看護のお陰で一命をとりとめる。娘は捕鯨王と名高い富豪オンタリオの娘ケチー。「自由村」で一番猟のうまいジムは執拗に彼女を狙い、邪魔をする首領のジヨブを殺そうと計画する。しかしジヨブに企みを看破され、ジムは逆に酷いめにあった。彼の告白によれば、彼はかつてオンタリオの元で働きながらケチーに言い寄った上、彼女と親しかった船長を始め数人の船員を射殺して投獄されたのだという。脱獄しこの村で生活していたのだが、ケチー欲しさに狂ったジムは仲間達を焚きつけて反乱を試みる。ケチーを解放してやるべく話し合いに向かうジヨブと、秘かに脱出の手助けをするマルク。しかし二人の計画はジムを慕うエスキモーの娘の為に露見してしまい……。
嫉妬に狂ったエスキモーの娘によるジム殺害という逆転劇。そしてオンタリオの船が娘を捜索に来て、とドラマは予定調和的結末へ。しかしジヨブの判断は違っていた。“無法の中の自由”を守り続ける為、彼とその配下達は人間世界を忌避し、雪原の彼方、新しい自由村を目指すのだ。何と爽快な。男の浪漫ここにあり。これも【てる】子先生の選択眼に拍手だ。
「影なき女」を名乗る謎の脅迫文。東洋活動(株)社長団野求馬の妻寵子の誘拐に引き続き、撮影所を舞台に起こる連続殺人事件。糸を引くのは秘密結社「紫魂団」団長の薊罌粟子か? 然し彼女は既に刑務所内で怪死を遂げているという……。捜査に当たる伴課長とその甥である細谷健一。東洋活動でカメラマンとして働いていた健一は、同じくスクリプターとして働く恋人鼓雄子の為にも果敢に事件の渦中へと飛び込んで行くのだった。
とにかく関係者が次から次へと死んで行きます。しかも衆人環視の中、身体を紫色に染めて……。一種の意外な凶器トリックと言って良いでしょう。真相ははっきりいって反則ですが。事件の冒頭から秘密結社の存在が明らかになっているので、何か変なことが起こっても、「うんうん、秘密結社の構成員だからかな」とあまり気になりません。というのは嘘ですが、そのくらい軽く流さないと展開の無理が気になり過ぎて読み進められなくなるでしょう。細谷健一はあくまでも一般市民のはずですが、カーチェイスの折に突然ピストルをぶっ放すなど、やることがハチャメチャです。あまり小道具や舞台設定の必然性にはこだわっていないようで、急に何かが出現する、という展開が多いです。長篇の構成は難しいですねえ。
「探偵小説」ジャンルの初期における貴重な女流作家の第一長篇ですが、妙に空想的な感じとロマンスだけが「女流」臭く、あまり褒めたくはならない作品です。
新生寺の住職が、天光教の奥書院で割腹自殺を遂げた。葬儀の帰りに天光教の総務を務める男と乗り合わせた「私」は、住職の自殺の原因を聞く。住職が毎夜悩まされる悪夢。それは連れの女を殺害して逃げ出した六部の夢であった……。
これはまた実に日本的な怪談話です。仏寺の住職が神道の屋敷で自殺を遂げる、という不可思議な状況に惹きつけられますが、思いっきりすかされてしまいます。住職と男とが若い頃からの知り合いだった、ってそれだけかい。天光教というのは降霊術なんかもやるので、住職はそれを利用しようとしていた、ということのようです。胡散臭いですね。この男の最後の一言が良いです。こんな結論を平気で言える奴はなかなかいません。文章の雰囲気はいいのですが、話の筋があまりにストレートすぎますね。
素木博士は仕事を辞め、夫人との時間を過ごすことを決意する。が、家庭を顧みないくせに嫉妬深い夫に愛想を尽かしていた夫人は、夫の助手のBと関係を持っており、彼と離ればなれになる状況がつらくてたまらない。しかも博士は獰猛な闘犬を番犬として飼い、夫人への監視をより厳しいものにしてゆく。或る夜、Bが忍んで来ると思い庭に出た夫人は、やはりBが忍んで来ると思い嫉妬に狂った博士の離した闘犬によって、顔に咬み傷をつけられてしまう。博士は犬を射殺し、ショックを受けた夫人はBとの関係に踏ん切りをつける。
ある日林の中で発見された縊死体。警察は近くの病院から抜け出した患者の自殺として片づけたが、夫人はその死体の着物の柄に見覚えがあった。それは間違いなく愛人Bの着物だった……。
何のことはない、嫉妬に狂った男女の復讐譚だろ、と思うでしょうが、この作品の構成は見事です。後半クライマックスでびしっとヒネリを効かせて、意外な結末が待っています。よけいな登場人物は全く登場せず、博士と夫人との駆け引きだけで一気にラストまで緊張感を持って読ませます。お薦めの好短篇。
旧家松谷家では昨年から不幸続きだった。祖母が死に、母が死に、父が死に……二十八歳で当主となった若主人は神経衰弱に罹り、家族で逗子の別荘へ移ってしまった。ある夜、見回りの甚左衛門爺さんが土蔵の前を通ると、窓に明かりが見える。何者かが蝋燭を持って土蔵に侵入しているらしい。爺さんは大慌てで駐在所に駆け込み、巡査の橋本を連れて戻って来た。二人が土蔵に踏み込むと、泥だらけになった男が一人うずくまっている。驚いたことにそれは当主の松谷氏だった。大事な品物を納めに戻って来た、と言う松谷氏は爺さんを見ると恐ろしい剣幕で恩知らず、と怒鳴りつける。二人は訳も分からずその場を去るが、明け方、松谷家は全焼、翌日土蔵の焼け跡から白骨が見つかり、松谷氏が逃げ遅れて焼死したものと思われた。事件に不審を抱いた橋本巡査は、番小屋の爺さんを訪ねた。松谷御殿の生き字引を自認する、この七十三歳の爺さんに自分の推理を聞かせる為に……。
土蔵にまつわる過去の事件とは? 松谷氏焼死の真相とは? 構成はちゃんと探偵小説になっている。推理のきっかけに「殺人者の血統」云々を持ち出すのは時代の産物といえるかもしれないが、ロムブロゾやクレッチマーの学説の又聞き程度の扱いで説得力には乏しい。(記、2004.6.7)
本庄と辰馬は賭博場の手入に巻き込まれ、逃げ出す途中で別れた。本庄はタクシーを拾ったが、何と座席には美しい少女の血にまみれた死体が。調べてみてまだ少女の息があることに気づいた本庄は運転手を騙してタクシーを降り、少女を連れてアパートへ戻る。そして医者を呼んできたのだが、その時には既に少女の姿はどこにもなかった。
翌日警視庁の宮岡警部に呼び出された本庄は連れてゆかれた先の家で昨夜の少女と出会い驚愕する。彼女の名はとみ子。警部の妹で犯罪捜査に協力しているという。彼等が追っているのは何と友人の辰馬だった。辰馬はスパイ行為を働いて巨額の報酬を得ており、警察のマークに気づいて父の経営する工場から重要な品物を盗み出して高飛びする計画らしい。それを辰馬の許から奪還するのが二人の使命なのだ。協力を要請された本庄は快諾し、とみ子と行動を共にすることになった。計画は実行に移され、辰馬を拘束した宮岡警部は品物の在処を聞き出し、とみ子と本庄を連れて品物を取りに工場へと向かう。と、そこへ新たに現れた一塊りの人影――。
【てる】子先生のスパイ小説のパターン。その一、誰かだと思っていたのは実は別の誰かだった。その二、味方だと思っていたら実は敵だった。この二つの組み合わせしかない。そして本作もその通り。「黒猫十三」は「くろねこトミー」と読むのだ。
赤星刑事は伝書鳩に宝石を運ばせるという奇抜な手口で犯行を重ねる宝石強盗を追っていた。狙われたのは杉山書記官。書記官は婚約者の為に宝石を買ったばかりで、それを知る者は宝石商天華堂の主人と保険会社の岩城文子、それに当日店に来ていた佐伯田博士の三人だけの筈で、どこから情報が漏れたのかは不明だった。数日後、空港に向かう道中で書記官は狙撃され負傷するが、その時現場で犯人を目撃した本田という学生のことが新聞に大きく報じられた。その夜、本田は暴漢に襲われる。しかし本田は強盗犯をおびき寄せる為の赤星刑事の変装だった。逃げた暴漢の人相から彼等の一人が唖の権という札付きであることがわかり、強盗団が送りつけて来た鳩に付着していた土埃から犯人のアジトの見当がつく。アジトに突入し、暴漢らを逮捕した赤星だが、肝心の首謀者の正体が明らかにならない。そこへ杉山氏の事件で一番怪しいと思われていた佐伯田博士の許に脅迫状が届いたとの連絡が入った……!
平和の象徴・鳩が、凶悪な強盗犯罪に利用される。科学捜査の導入、犯人の心理の裏をつくおとり捜査と、捜査の過程を多面的に描き、最重要容疑者を最後にひっくり返して再び読者を惑わせる構成も成功。宝石に取り憑かれた真犯人の人物造形は実に“らしく”ていい。しかし【てる】子先生、ダイヤを小道具にした作品が実に多いが、その辺が「女流」?
実業家河井義三の妻美保子の突然の失踪。警察・マスコミは駆け落ち、自殺、他殺とあらゆる線から捜索を試みるが彼女の行方は洋として知れない。そこへ顔を潰された身元不明の絞殺死体が見つかり、服装や持ち物が彼女のものと一致したことから、美保子は何者かにおびき出され殺害されたものと思われた。新聞記者の長井明は彼女を家から連れ出したという外国人女性、絞殺という殺害方法、そして死体の左の脇の下に彫られていた青蜥蜴の刺青から、事件には印度の狂信的宗教団体チュッグ団が関与しているものと看破する。おそらくチュッグ団と関わりのあった美保子が、メンバーによって連れ去られたのだろう。長井の調査で一人の容疑者が浮かぶ。旧子爵の尾口邦明。彼の邸宅を訪れ、様子を探ろうとした長井は落とし穴に突き落とされ、頭を打って入院する羽目になる。長井の勤める新聞社の社長はこの事件から手を引いてしまい、後ろ盾がなくなった長井だが、彼と知り合った女優の鴨川すみ子は長井の熱意に感動し、協力を買って出た。そして妻は死んだものと人生に絶望し、自殺を図ろうとしていた河井も、美保子が監禁先から隙をみて出した手紙を受け取って彼女が死んではいないことを知り、長井やすみ子と協力して美保子救出に乗り出す決心をするのだった。
美保子はチュッグ団の教主鮫島の屋敷に監禁されていた。鮫島は誘拐した美保子を妻にして印度に逃亡するつもりなのだ。屋敷内の使用人は全て教主に絶対服従で美保子の逃げ出す隙はない。唯一人アンヌラという印度人の少女だけが彼女の味方で心の支えだった。だが印度へ出発する日は刻々と迫り、美保子は絶望感にさいなまれてゆく……。
長井たちの調べで尾口と鮫島は実は同一人物であることが判り、美保子は尾口邸に監禁されているらしいことも知れた。しかしそれ以上の手がかりがどうしても見つからない。そこですみ子は印度人女性に変装して尾口邸に潜入することを決意し、ここに美保子救出作戦が始まった――。
「殺人流線型」に引き続き、インドの殺人教団ネタでの長編登場。ミステリ的な仕掛けは今回もまるでなし。読者はドラマをただ追っていけば良い。恐怖の殺人教団に捕らえられた美保子の運命は? そして新聞記者長井と女優すみ子の恋の行方は? など読みどころ満載なんだが、構成のバランスがめちゃくちゃで、ストーリー全体を十としたら、序盤四、中盤五・五、後半〇・五。最後なんてまるであらすじ紹介。結末を書く気がないんじゃないだろうか? 他にも最後の大立ち回りで何故か長井が悪人どもを絞殺しまくったり、誤植のせいか会話文の内容がつながらなくなったり、頭がくらくらしてくる面が色々あるが、それも面白さの一端である。【てる】子先生の場合には。
雅子が領事である父の任地シンガポールに来て十日目、今日は領事夫妻が主催する仮面舞踏会が行われている。慣れぬ土地で暑さのせいもあり疲れていた雅子はベランダで休んでいたが、ホストである父が会場のどこにもいない事に気がついた。領事館の館員の姿も見えず、母が一人で懸命に客をあしらっている。「どうしたのだろう」と独り言をつぶやいた雅子の背後で急に叫び声がして、男が植え込みの中から飛び出して逃げ去っていった。見ると礼装をした令嬢が一人、首を押さえて苦しそうにしている。彼女は英国領事の娘シャロットだと名のった。父母の都合が悪く一人でパーティーに招かれたのだが、カポネという渾名の社交界では有名な不良に絡まれ、大切な首飾りを奪われそうになったところを、丁度雅子が声を上げてくれたおかげで助かったのだという。怯えるシャロットを雅子は優しくいたわり、念の為今夜は泊まってゆくように勧めて母に紹介する。しかし母は上の空。それもその筈、パーティーのどさくさに紛れて領事館に侵入したスパイが大切な書類と暗号文を持ち去ってしまい、領事と館員はその捜査の為に右往左往、夫人は他の客にそのことを知られぬよう、血眼になっているところだったのだ……。
大倉【てる】子のスパイ小説の中では短くまとまってなおかつ捻りのある方だと思う。だが物語の整合性としては「そりゃあんまりだろう」という想いで一杯になる作品。
陽子は子爵夫人。今度の舞踏会の為にどうしても立派なダイヤが欲しかったが家計にはそんなゆとりがない。実家の次兄春樹に頼めば妹思いの彼の事、何をしてでも願いを叶えてくれるだろうが、その何をしてでも、が彼の場合逆に怖い。諦めきれない陽子は春樹を連れて三越へ行く。そこにあった大きなダイヤを眺め、何とか気持ちを抑えて家に戻って驚いた。いつの間にかそのダイヤがポケットの中に入っているではないか。陽子はもしや春樹の悪い癖が再発したのではないかと疑う。平松子爵の若様、春樹と言えば知る人ぞ知る掏摸の名人だったのだ……。そこへ婦人の来客があり、実は彼女がそのダイヤを盗んだ女掏摸だと名のる。そして今度の舞踏会には世界的な掏摸の名人である美人が潜入している、と陽子に教えて帰っていった。それを聞いた春樹は女に興味を抱き、舞踏会当日、陽子と春樹は二人連れだってパーティーに参加した……。
パーティー会場を舞台にした日本と外国の掏摸名人の対決。探偵小説作家は星の数ほどいるが、こんな趣向の物語を何の衒いもなく書いてしまうのは【てる】子先生だけかも知れない。他にも子爵夫人陽子のダイヤにかける情熱というか未練というか、その辺の書きっぷりが実に見事で、宝石好きの女を書かせたら【てる】子先生の右に出る者はいないのではないかと思う。代わりにヘロヘロな結末は許せ。
松波博士夫人小夜子の許に脅迫状が届いた。かつて屋敷に勤めていた花という女中からのもので、博士に手をつけられて子供を産んだ花は子供の行く末を不憫に思って、丁度同じ時に生まれた小夜子の子供達也と、自分の子供松吉をすり替えたのだ。松吉はその後病気に罹り死んでしまったが、達也として育てられた自分の子供は生きている。どうか自分の子供を返してくれ……身勝手な脅迫状は何度も送られてきた。その頃、博士邸のそばに鷹匠の親娘が現れた。美人の鷹匠が子供たちに鷹狩りのまねごとをさせて金を取る商売で、他の子供たちに混じって達也もそれを飽かず眺めていた。そんなある日、達也が血まみれになって運び込まれて来た。運悪く獲物の雀が達也の身体に止まり、鷹の爪が誤って達也の喉を引っかけたのだ。そして夜半に高熱を出した達也はそのまま息をひきとった。達也の死の原因は傷口から入った猛毒。美人鷹匠は達也の死因を聞くと、潔く自分が達也を殺したと自供を始めた……。
殺人者の告白が本編のクライマックス。その動機は現代の読者からすると全く理屈に合わない思い込みレベルだが、時代性からしてそうした観念が出て来るのもやむを得ないか。女同士の情念の絡み合いが単純ながら実にスリリングで、それが達也殺しと密接に結びつくという意味では探偵小説的完成度もなかなか考えられているといえるだろう。
チャンピオン権藤猛と新鋭フランク澤田の日本ウェルター級選手権試合が幕を開けた。互いに様子を窺い息詰まる第一ラウンド。そして第二ラウンド開始直後、澤田を一発の銃弾が貫いた。客席では彼の恋人梅村弘子がショックで気を失い、会場は大混乱に陥った。警察の捜査で銃弾は会場の屋根の鉄骨にセットされた拳銃から遠隔操作で発射されたことがわかる。容疑者として浮上したのは弘子の昔の恋人、高島だ。学者気質で生活に無頓着な高島は弘子の兄欣一の妻、メリーと折り合いが悪く、それが原因で弘子と疎遠になったのを澤田に横から奪われたらしい。しかし弘子は高島の優しい性格からして、決して復讐の為に澤田を殺したりはしないと信じている。弘子は懸賞金の提供を申し出、警察は澤田射殺犯に関する情報提供を新聞に広告する。そして届いた匿名の手紙。極秘裡に情報提供者との接触の手筈を整えた近藤捜査係長が約束の場所に向かうと、ベンチには一人の男の射殺死体が。その顔を見た近藤は驚愕する。彼こそ弘子の昔の恋人、高島ではないか!
戦後に「拳闘場の白鬼」のタイトルで雑誌に再録された。拳闘場面は冒頭だけだが妙な味がある。物語の方は一応犯人捜しがメインなんだがまともに付き合うとかなりヘコむから注意。何しろ犯人のアリバイトリックなんて、気付かれないようにこっそり抜け出して殺した、てなやつなんだから。
倉田勝吉の死体を発見したのは深夜の訪問者だった。南洋から来た者と名のる美しい婦人は貴公子のような紳士を連れてホテルの倉田の部屋に入って行き、暫くすると慌てて飛び出してきた。しかもその手に短刀を握りしめて……。支配人も死体を確認し、警察に通報したが、実は倉田の死因は窒息性の毒ガスによるものだった。ガスの発生源は何と手紙。あぶり出しで書かれたそれは文面こそ艶書だったが、インクに混入された猛毒が火に炙られると気化し、読んでいる者を死に至らしめるという恐るべき凶器だった。警察は訪問者の二人を拘引する。そこで初めて紳士と思われていた人物が男装した女性であることがわかった。二人は松島あやめとさつきという姉妹で、あやめは倉田に騙され財産を巻き上げられた上、精神病院に監禁され、医師の手で人為的に精神を狂わされていたのだという。さつきは姉の苦難を知り、病院から姉を助け出すと、倉田へ復讐する為に彼を訪問したのだ。そこへあやめを監禁していた医師、玉澤殺害のニュースが入る。倉田と全く同様の手口で、恐怖の艶書が彼の命を奪ったのだ……。
奇抜なタイトルとトリックには呻らせられるが、実は犯人と被害者とトリックそのものとはそれ程結びついていない。狂人創造という着想も奇抜だが物語の本筋と殆どリンクしてこない。場面毎の面白い設定がこれ程物語構成に生きていない作品も珍しい。
富豪の有松武雄に呼び出され、沼津に向かう列車に乗った探偵櫻井洋子は、非常ベルを鳴らしてその隙に列車から飛び降りた不審な二人組の男を見た。義賊尾越千造脱獄のニュースを聞いた洋子は、或いはあれが、と気にかかる。有松邸に行ってみると主人の有松は書斎で心臓を刺されて死亡しており、その時ただ一人家にいた養女の美和子が容疑者として連行された。最近有松は様子がおかしく何かに怯えた様子で、美和子ともよく口論をして、いつか殺される、というような事を口走っていたという。美和子は有松の親友の娘で、彼女の父は母親を刺殺した後、刑務所で狂死した人物だった。そのような印象のせいで、周囲は美和子が口論の末逆上し、養父を刺殺したものと決めつける。哀れな美和子の運命を案じながら一旦帰宅した洋子の許に賊が忍び込んできた。賊は堂々と脱獄囚尾越千造であると名乗り、洋子に頼みがある、と話を切り出すのだった……。
刑務所で同部屋だった男の願いを聞く為に脱獄してきた男尾越。その男が無実であると証明出来る証拠とは何か? そして有松殺害との関係は? 美和子の嫌疑を晴らすことは出来るのか? 仕事人みたいな尾越のキャラクタが実にかっこいい。ミステリ的な捻りは全くないが、過去の犯罪の証拠となる「あるもの」を発見し、過去に何が起こったか確認するラストシーンは結構背筋にくる。
信託会社の保護室勤務の小川は、監査役から電話を受けた。実業家岡部氏の依頼で、貴重品を預ける金庫を用意して欲しいという。空いていたのは「Dの423号」、「DEATH」に「シニサウ」というので評判の良くない番号だった。下見に来たのは岡部氏の夫人だったが、小川は夫人が連れてきた桂子という少女に眼を奪われる。小間使いだそうだが、上流階級の婦人たちを数多く見てきた小川にとっても桂子ほど印象に残る少女はいなかった。暫くして桂子が今度は一人でやって来た。夫人がD423号金庫を借りることにしたので、契約書を持って来たのだ。荷物を運び込み終えた桂子は小川と翌日会う約束をして帰って行った。が、そこへ岡部夫人から断りの電話があったとの連絡。小川は混乱し、事情を聞く夫人と監査役に、桂子が持って来た契約書を見せる。ところが夫人と監査役のサインは偽造。事情を聞こうにも桂子は使いに出たきり戻らないという。金庫の鍵は彼女が預かったまま。夫人は苛立ち、自分に秘密にしている荷物とは何かと、会社で保管してあるスペアの鍵で金庫を開けた……。
世間を騒がす陰謀団の企てが夫と小間使いの関係を疑う夫人の猜疑心によって明るみに出てしまう、という展開の妙。物語が急展開過ぎて小川と桂子の関係が全然書き込めなかったのが惜しい。二人の恋愛がらみのストーリーならもっと生きる設定が色々あるのだが。
高価な宝石ばかり身にまとうので有名な登美代夫人。確かに夫は地位のある人物だが、それにしてもと金の出所を詮索する出しゃばりな声もちらほら。そんな声に反発するように夫人の宝石道楽はエスカレートするばかり。そんな彼女の秘密を仲の良い私だけは知っている。実は彼女の身に付けている宝石類は、宝石商に借り賃を支払って借りているレンタル品なのだ。勿論それは誰も知らない秘密だった。ある日夫人のお洒落仇の女性が大きなダイヤの指輪をはめてきた。それは以前夫人が借り出してはめていた指輪に違いない。夫人の秘密を知ってか知らずか、相手は翌日の夜会には二人でダイヤの指輪をはめて出席しようと持ちかける。はらはらする私の不安をよそに、夫人は平然とその挑戦を受けてたつ。そして当夜、何とか同じ形のダイヤを工面してきた登美代夫人。一安心した私が化粧室に入ると、丁度相手の婦人が化粧を直しているところ。彼女は邪魔になる指輪を外していたが、はずみでそれが私の足下に転がり落ちた。拾って渡す拍子に、私はそのダイヤの不自然な輝きに気がついた。もしや贋物? だとしたら登美代夫人のダイヤの事が気にかかる。私は意を決して、夫人に指輪を見せてくれるように頼んだ……。
「女」たちの虚栄心、競争心、したたかさを短い中にしっかりと閉じ込め、結びの一言に時代のムードを集約した完成度の高い小品。
端役の女優早川勝美は演出家の楠本に何度も面会を頼んで断られ、思いあまって彼の車の前に飛び出すという行動で何とか彼と面会することが叶った。彼女は何とかいい役が欲しい、と楠本に熱望する。役さえ付けば命を懸けて演技をする、という彼女を楠本はもてあます。そこへ友人の実業家北里が訪ねてきた。彼の息子一雄が早川勝美と恋仲になり困っているので、何とか別れるよう説得して欲しいというのだ。実は勝美が無理をして楠本に面会を申し込んだのも、恋人の一雄の家柄に見合うだけの女優として認められたいという一心からであった。楠本と北里は二人で何とか勝美をあきらめさせようと説得を試みる。だが、命を懸けてでも、と繰り返す勝美の決心は固い。業を煮やした二人は一雄が翻心したと嘘をつき、それを信じてしまった勝美は、彼と最後に一度だけ面会したい、と三人を自宅へ招く。翌日場末の貧民窟を訪ねた三人を老いた彼女の母親が出迎える。なかなか戻らない勝美に、三人は諦めて席を立つ。一雄は彼女への最後の別れを告げるつもりで、老母に向かって丁寧に頭を下げた……。
老演出家が女優に毎年似顔人形をプレゼントするその理由とは? 心温まる物語、というよりはファンタジーか。愛する男との永遠の別れを女優は如何にして為そうとするのか、というあたりの設定と描写に感じる観念的美意識にしびれる。
富士谷数馬は妻の幾代と仲の良い混血の夫人シャロットに興味を抱いた。二人とも熱心なキリスト教信者で、教会で知り合ったのだという。幾代は偶然シャロットが大きな花束を持って墓地に行くのを目撃し、実は無縁仏に墓参するのが日課なのだと聞いていたく感銘を受けているのだった。数馬は偶然を装い何とかシャロットと出会う機会を待った。そして、駅で具合を悪くした彼女につき添って、彼女の自宅に上がり込む。日本人離れした数馬の顔を、教会の神父によく似ているというシャロットは、彼に好意を示し、今まで誰にも語ったことがないという自分の生い立ちを語るのだった。その後何日もシャロットに会えない日が続き、数馬は彼女に逢えないかと墓地にやって来た。妻の言った通り、シャロットは目立たぬ格好で花束を抱えて、あちこちの墓の前に様々な種類の花を一輪ずつ置いて行く。数馬は何ということはなく、彼女が花を置いていった墓の名前と、花の種類をノートに書き留めていった……。
教会の告解場を舞台にしたクライマックスシーンは非常に緊張感に満ちていて中盤のよろめき小説風展開との対比が実に効果的。作中で唐突に日本と中国との理想の関係が語られるのだが、もしや一種の国策小説のつもりだったのだろうか? それにしてはあまりに皮相的な記述で、元外交官夫人という作者の独自の感性は感じられない。
年の瀬のある日、タイピスト濱川松子は生活の苦しさに耐えかね、深夜、社長室の金庫を開けてしまった……。夏に七歳の一人娘が赤痢に罹った時の治療代も正月までに払わなくてはならない、娘の外套も今年はもう小さくて着られない、昨日松坂屋で試着させた紅い外套はとてもかわいらしく娘も喜んでいた、何とかあれを買ってあげたい、しかし外套どころか月給の他に百円なくてはもう年が越せないのだ。金庫の前で目がくらんだ松子は、気がつくと社長室のソファに座らされていた。目の前には社長の笑顔があった。驚愕する松子に社長は金庫は自分が開けたのだと言って札束を投げ渡す。社長の行為を、罪を見逃して優越感に浸っているものと受け取った松子はむきになって詫びを言い、金を返そうとする。すると社長は意外そうに、何故自分が金庫を開けて金を出したのか、松子に話してくれたのだった……。
人情ものの傑作。科白の節々などにツボを心得たフレーズが実に効果的に出て来て、類型的なストーリーと判っていながらも泣けてくる。こういう話を読みながら、【てる】子先生というのは小説の「型」を把握して利用するのが巧い作家だ、という感想を噛みしめるのであった。