飯田龍太の俳句

   第一回

 「飯田龍太句集」などと称していくらかの句を並べておりましたが、それだけでは著作権の問題もあるかもしれないし、何より面白みがない。そこで、わたしの若干の感想をつけて、好みの句をご紹介することにいたしました。思い込みや誤解もあるでしょうが、それもまた議論の材料になればまたよし。

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『百戸の谿』(昭和二十九年)

 処女句集ですが、昭和五十一年に『定本百戸の谿』として若年期の作を補足したものが出ているそうです。たいていの処女作がそうであるように、龍太の場合も、よかれ悪しかれここが出発点であり到達点をも見通している、という感じがします。二十代後半から三十三歳のときまでの作で、青春時代の気負いと、「雲母」調ともいうべき詰屈調があいまって、やや息苦しい句が多い印象はありますが、それにしても、清新な句風が当初から高く評価されたといいます。もっとも、他方では、達観・諦念といった雰囲気を感じさせるものもあって、一筋縄ではいきません。この時代の句は、当然ながら多くが蛇笏選を経ているはずです。

  萌えつきし多摩ほとりなる暮春かな

 若いころの作から追録されたものに属するようです。ものごころついて以来、多摩の隅に生活してきたわたしのような者にとって、郷愁とともに思い浮かぶ句のひとつです。少々観念的ですが、「萌えつきし」という上五を頭の中に情景化できるならば、なかなかに趣ある作となるのではないでしょうか。

  朝焼の峡凪ぎわたる秋つばめ

 甲斐に居を定めた蛇笏・龍太父子の句では、やはり「峡」(「かい」でしょうね)の語に重みがあります。旅行者ではなく生活する者の日々眺めている「峡」なのです。「凪ぎわたる」というのは「萌えつきし」と同様の、作者のことばづかいに対する好尚が表れているようですが、すみきった秋の狭い空に飛ぶつばめは、朝焼の中、実に鮮烈な印象です。

  春の鳶寄りわかれては高みつつ

 龍太の代表作のひとつとして自他ともに認めるものでしょう。自解によると、「寄りてはわかれ」となっていた中七が蛇笏によって直されて入選したそうです。調子はややぎくしゃくしており、清水哲男氏が書いていましたが、龍太は決して俳句が上手ではない、と思わせられるところがあります。むしろそれが龍太俳句の特色になっている。

  黒揚羽九月の樹間透きとほり

 龍太邸のあたりでは、九月は既に秋色深まっていることでしょう。黒揚羽が透き通った空気感を生かすと同時に、その硬さを和らげる働きもしているようです。

  紺絣春月重く出でしかな

 「春の鳶」と並んで、龍太の若き日を代表するもうひとつの句です。こちらの方が調べとしても完成度が高いようです。「紺絣」の象徴するものは、わたしにとっても身について感じられるわけではありませんが、青春の屈折した憂いを「春月」「重く」とたたみかけて、「かな」の切字でとめるところまで、徹底した句ではあります。

  露の村恋うても友のすくなしや

 相次ぐ兄の死去により、四男の龍太が飯田家に戻ることになりました。「露」ははかないもののたとえでもありますが、寒々とした空気をも感じさせますね。ふるさとに対するアンビバレントな心情は、これから当分の間、龍太句の一方のモティーフになります。

  露の村墓域とおもふばかりなり

 もうひとつ「露の村」の句。「墓域とおもふばかり」とは、先の句の詠嘆に輪をかけたなげやりな表現ですが、ここまでくれば、かえって逆説的な故郷への思いが出てくるようです。

  秋嶽ののび極まりてとどまれり

 山家に暮らすと、山は太陽の高さや天候によって多様な相貌を見せることに、いやでも気がつきます。しかし、「秋嶽」が「のび極まって」「とどまっている」と感じ、それをそのような表現に定着した、このような句に接すると、詩的感覚のありようを考えずにはいられません。

  ひややかに夜は地をおくり鰯雲

 俳句は、誰もが見ていて、聞いていて、感じていて、しかしはっきりとは認識していなかったものを、「ああそうだ! そのとおり」というように言い表すものだ、などといわれることがあり、わたしもそうだと思います。さて、鰯雲の季節、夜の空をながめてこの感覚はいかがでしょうか。わたしなど、うならずにはいられませんが。

  春すでに高嶺未婚のつばくらめ

 これもいいですね。「未婚のつばくらめ」なんというのは、当たり前ですが、どうもわたしのような者からは出てこない措辞でして、視線が上へ上へとのびていく、それ自体が春の訪れの喜びを表しているようではありませんか。

  いきいきと三月生る雲の奥

 龍太一流の表現です。雲の奥で三月が生まれる。しかも「いきいきと」。これは、こういう表現を引き当てた、その時点で勝負は決まっているわけで、いかにも俳句ならではのありかたです。俳句にもこうした世界があるのに、客観写生などというお題目からは、こういう表現に到達することはむずかしいでしょうねえ。

  満月に目をみひらいて花こぶし
  夏川のみどりはしりて林檎の国

 擬人的喩が龍太句の特色のひとつといえましょうか。この時期、俳壇、あるいはそれを超えて流行していたのかもしれません。いずれにせよ、新鮮な喩を見出すことは短詩型文学の大きな課題でした。二度と使うことはできない、あざやかであってはかない試みといえましょうか。

  山河はや冬かがやきて位に即けり

 蛇笏にしても龍太にしても、山の句にはやはり独特のよさがあります。もちろん、蛇笏と龍太とで同じではない。蛇笏は峻厳だが、龍太はより繊細なところがある。どうでしょう、「春すでに」もそうでしたが、「はや冬かがやきて」。季節の推移を敏感に感じとって、しかも「位に即」くと把握しているのは、壮大にして清新というべきではありませんか。

  強霜の富士や力を裾までも

 富士の句はむずかしい。どうしても対象に位負けしそうです。そうでなければ、銭湯の絵のようになるか。この句は「強霜」という強力な措辞で富士に立ち向かい、さらに、その広大な裾野を富士の力の及ぶ領域ととらえているので、富士らしい力と大きさが出ていると思います。

  新米といふよろこびのかすかなり

 龍太は、とくに戦後の一時期、農業に深くかかわったということですが、この句など、「かすか」といっているわりには、稲作のよろこびを深く感じさせるところがあります。

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『童眸』(昭和三十四年)

 第二句集は、少しだけ肩の力を抜いた感じがします。たとえが飛躍しますが、ブラームスの交響曲を思い出します。ベートーヴェンの伝統に連なろうとしていたブラームスは、第一交響曲の構想から完成まで二十余年を費やしたといいます。そして完成した作品は恐ろしく緊張感に満ちた力作になりました。しかし、いかにも息が詰まる。次の第二交響曲はくつろいだ雰囲気の曲で、一年ほどで完成したものです。胸のつかえがとれたような開放感を感じないわけにはいきません。どうでしょうか、蛇笏の下にあった龍太も、処女句集のあと若干の余裕をもって、句の世界をひろげたものとみえます。

  大寒の一戸もかくれなき故郷

 蛇笏・龍太の家がある集落はおよそ百戸、それが処女句集の題になったわけですが、その集落が全部みえる。それほどに小さいということでもあり、「一戸もかくれなき」と、ひとつひとつが立って見えるほどで、それぞれの家庭各々に対する思い入れも読みとれます。小高い丘からの眺望ですが、大寒の空気感を的確に捉えて過不足なく、例のごとき詰屈調でもなく、わたしには、龍太句の中でも屈指の秀作と思われます。これを知った後では、大寒の句は作りにくくて困る。

  雪の峰しづかに春ののぼりゆく

 龍太句には、季語が重複しているものが珍しくないようです。それは、季節が重なりつつ推移していく風土のせいもあるでしょう。雪を頂いた山容にも、春は麓から静かに浸透していく、それを「春がのぼる」と言いえた瞬間、作者もこの風土を句の形に定着した満足感を覚えたのではないでしょうか。

  春暁のあまたの瀬音村を出づ

 あるところで、龍太が一番好きな季節は春だといっているのを読んだことがあるように覚えています。しかしまた、このきらきらと輝くような春暁の句はどうでしょう。もはや、ことばも必要ないでしょう。わたしの大好きな句のひとつです。考えすぎかもしれませんが、「村を出る」瀬音に、あるいは志半ばにして故郷に帰らざるをえなかった作者の複雑な心境が託されているようにも思えます。

  満目の秋到らんと音絶えし

 本人は春が一番だといい、それは山峡の甲斐の風土からも察することができるのですが、しかし、秋の句もいいと思いますね。「満目」は、この時期龍太句でしばしば出会うことばですが、ここでは、まさに「満目」でしょう。冬の早い土地ならではの情感です。

  月の道子の言葉掌に置くごとし

 龍太氏は昭和三十一年に「−−九月十日 急性小児麻痺のため病臥一夜にして六歳になる次女純子を失ふ」という経験をしているそうです。この句はその前年の作ですし、歌われている内容がその急逝した子のことかどうかは、わたしは知りませんが、無垢なる少女の面影は、これまた龍太句の一領域を形成しています。

  極暑の夜父と隔たる広襖

 旧家の大きな屋敷、寝苦しい極暑の夜も、わたしのような狭苦しい住まいのそれとはおのずと違っているでしょう。襖を隔てているのは、いわずと知れた大俳人蛇笏その人です。結社の主宰として、人としての大きさをももっていたはずの明治生まれの父と、その子との間に、どのような思いがあったか、窺い知ることはできませんが、この句には、ヒントになるようなかすかな匂いがありませんか。

  枯れ果てて誰か火を焚く子の墓域

 もう、何もいいますまい。先に引いた前書のあと、何句かが並んでいます。
  露の土踏んで脚透くおもひあり
  花かげに秋夜目覚める子の遺影
  抱かれ来て亡き姉の辺に置く林檎
  父母を呼ぶごとく夕鵙墓に揺れ

  満月の冴えてみちびく家路あり

 俳句に署名はいるか、とは、しばしば論じられる問題ですが、蛇笏だの龍太だのの筆からこの句が生まれたとなると、わたしには、ああなるほどなあ、という感慨があるのです。

  冬耕の父母見下ろしに子が帰る

 基本的には農村であるところに暮らす作者には、こうした情景も親しいものでしょう。多くの日本人にとっても、なつかしさをもって見る風景というべきでしょう。しかし、「冬耕」でもあり、哀愁のかおりがただよっています。

  湯の少女臍すこやかに山ざくら

 「信濃旅情」との前書きの後に連なる作のひとつです。龍太にはめずらしい類の題材ですが、「伊豆の踊子」の一場面のような感じがあります。そうして、「山ざくら」。大自然の中の出湯が健康な輝きをきらきらと濡らしています。

  夏すでに海恍惚として不安

 これもまた龍太句の中にしばしば登場する不思議な感覚です。とはいえ、まさに「感覚として」わかるところがあるのではないでしょうか。

  晩年の父母あかつきの山ざくら

 名作ですね。わたしが「山ざくら」好きになったのは、この句のためです。「あかつき」も龍太好みといえそうですが、「山ざくら」もそう思えます。わたしも好きです。というのも第一に響きがいい。町中のソメイヨシノなどとは違う清冽なよさがある。この句はほとんど何にも感情を表すことばを含まないのですが、「晩年の父母」と置いた心情、推し量るに余りあるほどではありませんか。

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 今回はこれでひとまず終わりにします。本文で書いたことですが、飯田龍太は、たとえば高濱虚子のように、器用な、あるいは天才肌の、巧みな作家ではありません。そこをどう思うか、わたしは、何か胸絞られるところがあるのですが。


「飯田龍太の俳句(第二回)」

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2000.4.7 改訂