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Country Visited |
Turkey, Portugal, Spain, Morocco, Israel, UK |
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KLM, El Al, Air India, Thai International |
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Tokyo(NRT), Hong Kong(HKG), Delhi(DEL), Bombay(BOM), Trivandrum(TRV), Colombo(CMB), Abu Dhabi(AUH), Sana(SAH), Amman(AMM), Istanbul(IST), Paris(CDG), Lisbon(LIS), Madrid(MAD), Amsterdam(AMS), Tel Aviv(TLV), London(LHR), Bangkok(BKK) | |
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LP Middle East 2nd Edition LP Mediterranean Europe 4th Edition |
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| Money (When Left Japan) |
Cash USD 15, HKD 439, JPN 1284 |
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99年2月17日、ぼくは生涯で最後の長旅となるであろう14度目の自由旅行に出かけた。今までの旅行で累積したマイレージを使って、ビジネスクラスでインドまでの無料航空券を取り寄せた。ビジネスクラスにしたのは1、累積したマイレージの有効期限が1998年末まで、2、ビジネスクラスならかなり簡単に予約が取れる。というわけで、これからインドで一日5ドル前後で旅行しようとする人間とは思えないかなり「リッチ」インド入りを果たした。
さて、ぼくの旅行は香港で一泊したあと、まもなくインドの首都デリーに着いた。は好きだが、どうしてもこの都市だけは嫌だった。小うるさい、インチキ野郎がうようよしているだけでなく、都市がばか広くかつ人工的で、特に魅力が感じられないのも理由である。イエメン行きの航空券、ビザ関係(金曜日はビザ発行しないので、スリランカでとることにした)と列車の予約を一日ですべて完了させ、翌日の夜行で早速マドラスへと向かった。
はなにがよいのかさっぱりわからない。少し気の毒だが説明すると、確かにそれなりに面白いところがあるが、どれもインドに比べて劣っているので、特によいとは思わないのが実感です。奇妙なことにスリランカのビーチで同じく今年卒業した大学院の同級生(あまり親交がなかった)とばったり出会った。彼が付き合っている彼女は僕の高校の同級生(彼女ともあまり親交がなかった)ですから、不思議な縁ですが、一緒に食事をした後、これからの人生を互いに祝い合った。とにかく可も不可もなく、10日間ほど滞在した後、ゴアへと赴いた。ゴアはヒッピーのお気入りとあって、だらだらと過ごすのにもってこいの所でした。ぼくはスーパーカブを48時間借りて、ゴア周辺をくまなく走りまくった。いい天気にも恵まれて、とても気持ちが良かった。ボンベイで思いかけない人間と再会した。年前の夏でバルト3国を旅したときに出会って堀川君でした。誰かが言った通り、大抵世界を回っているのは同じ人間だなと実感した。もっとも、ぼくは今回で引退するでしょうが…彼と奇しくも同じ日にガルフ航空を使うので、一緒に空港(朝4時…)に行った。別々の便だったので、彼は1時間早いバハーレーン行きに乗り込み、ぼくそのあとのアブダビ行きで今回の最重点国、イエメンへと向かった。
は期待したとおり、とても興味深い国でした。町中を走り回るトヨタさえなければ、15世紀にいるのではないかと錯覚しそうな、アラビアンナイト的なところでした。人々はカートと呼ばれるチューンガム(?)を噛み、ジャビアン(短刀)を腹前に飾り、中国製の安っぽい背広に民族衣装の組み合わせ(不思議と似合う…)、さらに時折見かけるAK-47を誇らしげに背負う男たちを見かけると、たまらず気分も高ぶってきた。毎日が新鮮で、死ぬほど面白い。サアナの旧市街を隈無く探検していたときに出会った子供たちと遊んだり、喫茶店で出会ったおじさんたちと一方通行の会話を楽しんだり、すっかりイエメンの虜になった。
イエメンの面白さは止まるところを知らなかった。首都のサアナからさらに南下し始めると、周りの風景は一変して、荒涼な地形が広がり、今まで経験した中でもっとも壮観で、形容しがたい風景が目の前に現れる。イエメンまで来たのだから、かの有名な「砂漠のマンハッタン」を見ずに帰る気はない。ただ、Aden から Shibam 間での道程は穏やかなものではなく、反政府ゲリラが最近観光客を誘拐する事件が多発しているので、事前に許可をもらう必要があった。ロケットランチャーと重機関銃を装備した一個中隊に守られて、心配していた事態にならず、無事中継地の Mukkara に着くことができた。一泊したあと、念願の Shibam に着いた。苦労した甲斐があって、ほかの町と同じく、 Shibam 及び周辺の町はぼくにあくびする暇を与えてくれなかった。数日後にサアナに戻り、エチオピアの内戦が未だに終了する気配がないのを見て、スーダン行きの航空券を強引に変えてもらい、直接ヨルダンへと乗り込んだ。
は想像以上にモダンで、かなりアメリカナイズされた国という印象を受けた。良いのかどうかよくわからないが、女子の露出度は他のアラブ諸国に比べてかなり高いので、少しは気になっていた。ヨルダンもそれなりに見所がある国でしょうが、イエメンから直接やってくると、全然物足りない。観光地への入場料もべらぼうに高く、どうでも良いような博物館はJD3(USD4.5)もとられ、かの有名(唯一?)なペトラに至ってはJD20(USD30)もとられては泣きたくてしょうがない。人それぞれの意見はあろうが、世界的に有名な博物館、ルーブル、プラド、故宮(しかもGNPがここの6倍以上)の入場料がせいぜい10ドル以下(インドは逆に信じられないほど安い…)であることを考えると行き過ぎとしかいいようがない。まさにヨルダンで出会ったフランス人がいったように、
You got not much the same from your money…
シリアはヨルダンよりも面白いとはいえ、印象は同じく悪い。学生証を持っていたから大抵 S£25(USD 0.5)で済んだが、持っていない旅行者たちはS£200(USD
4!)をも支払わされた。とてもじゃないが、アラブ人の貪欲さには舌を巻いた。別にケチるつもりはないが、支払われた値段に見合ったサービスを期待するわけだから、それに応えられないのならやめるべきだと思う。日本の物価は確かに高いけど、サービスや質もかなり高い(しかも収入も高い)ので、納得して払える。こういう姑息なやり方にはとても賛同しかねる。
を後にして、陸路でアダナ経由で最愛のイスタンブールに3度目の訪問を果たした。コソボ情勢はいよいよ悪化していったので、バルカンを訪ねる原計画を修正せざるを得なかった。夜行バスで朝早く着いたぼくは休む気分になれず、早速情報収集に出かけた。誘惑に負けたのか、「欧州どこでもUSD
139!」が目にいってしまった。ただ、あさっての便は全部満席になったので、翌日に出発せざるを得ない。せっかく大好きなイスタンブールに来たのだが、やむを得ない。即決で翌朝、エールフランスでここから一番遠いリスボンへ行くことにした。こうして、ぼくの4度目のトルコはアダナから入国してわずか36時間で終わってしまった。
は緑が多く、欧州の中でも最も落ち着く都市としてその名が知られていた。今までの疲れを癒すのに持ってこいな所でした。程なく、モロッコへと向かうべくして、の
Sevilla へと向かったのだが、これがぼくの計画を大きく狂わせたことになるのは知る由もなかった。
Sevilla は新大陸への玄関口として知られ、町の雰囲気も独特なものが漂い、フラメンコ、闘牛、「Sevillana」なる踊りの発祥地としても有名であることから、いかに面白い町であるかは想像付くでしょう。ぼくが訪ねた頃はちょうど年一度の「Feria
de Abril」が催された。期間中は毎晩フラメンコの衣装を身にまとい、明け方まで飲みかつ踊りまくった。日中は格好よい背広を着、高大な馬に跨って、市内を闊歩する騎手たちの姿を見かけると何だが熱くなってくる。4日間の滞在はあっという間に過ぎた。心を鬼にして次の町、Cordoba
を訪ねることにしたがなぜか Sevilla のことがいつまでも脳裏に焼き付いてしまい、堪能することができなかった。一晩考え抜いた末、Sevilla をも少し居たい一心で、なにもしないわけにも行かないので語学留学する決意を固めた。翌日、Cordoba
から日帰りに Sevilla で語学学校を探しに戻った。観光案内所でもらったリストを元にさらに三軒に絞り、実際学校を訪ねてから CLIC というところに決めた。これで、心おきなくモロッコを訪ねることができた。
今まで訪ねた所でに二度と行かない国を挙げてくださいといわれたら、迷わずに「」と答える。これほど嫌がらせの多い、かくも多く不愉快な経験をした国は今までかつてなかった。一日たりとも「China!」「Japan!」「Koriano!」「Konichiwa!」「Karate!」「Jacky Chen!」という掛け声から逃れることはなかった。ターゲットはあからさま東洋人、とりわけ日本人に集中しているので、今までの日本人旅行者はなにをしたんだろうと考えたくなった。それに日本のイメージを聞いてみたら、「トヨタ」と「ソニー」以外になぜか「Jacky Chen」が入るのは不思議でしょうがなかった。日本大使館の広報部はいったいなにをしているんだ?
モロッコでの不愉快な経験はさておき、 Sevilla での留学はとても順調で面白かった。優秀で多彩な級友たちに恵まれ、料理の上手なホストファミリー、テンポのよいバー・ディスコ、友好的な地元学生、美味しかったアンダルシア料理の数々等はぼくの短期留学を彩り、あっという間で終わってしまった。せっかく親しくなった友人たちと分かれるのはとても辛かったが、他にすることもあるので、やむを得ない。再訪問を期して、この地から去ることにした。以前メキシコで知り合ったスペイン人の カルロスの強引ともいえる誘いに乗じて、しばらくスペイン各地を転々としたあと、彼がいる、バスク問題で何かと有名な Bilbao を訪ねた。 親友のカルロスは10kgほど太ったが、強頑さは以前と変わらなかった。彼との相性はやはり良い。二人は毎晩のようにバーを梯子したり、年に一度の強豪クラブ・バルセロナとの試合を見に行ったり、朝から晩までほとんど休まずに旅行、世界経済・政治、人生や女の話で明け暮れていた。三日間の滞在が一日延びてしまい、おかげで朝一のバスでマドリードに行き、そのまま空港へ行く羽目になったが、本当に忘れられない、貴重な体験をさせてもらった。今度いつ再会できるか分からないが、彼は一生の友人になる。
空港で思いかげない難題にぶつかった。KLMは出国用の航空券がないと搭乗できないと言ってきたのである。しばらくは抗議してみたがらちがあかなかった。仕方なくKLMからリファンドできる確約を取り付けた後、しぶしぶUSD1065!で片道の出国チケットを購入した。話はこれだけで終わらなかった…厳しいイスラエルの入国審査がはアムステルダム空港のチェックインカウンターで始まった。あまりにも数多いスタンプをパスポートに無造作に押されていたぼくは心配していたとおり、他人よりも3倍の時間をかけて絞られた。大抵観光旅行でまずインド、中近東と欧州を4月も旅行してからビジネスでイスラエルに入ろうとする人間は世の中は広しとはいえども、ぼくぐらいなものだろう。そのビジネスも「研修」といえば、調べない方がどうかしている。覚悟していたので、嘘つかずに正直に答えることに徹した。まだ疑っていたが、何とか納得してもらった。後の話だが、今度の出国の時は別室につれて行かれて、バックパックと持ち物を「徹底的」にばらされてペン一本から果たしてトイレットペーパーに至るまで調べられた。しょうがないと悟ったので、特に腹立ったなかったが、珍しい経験で少しは面白がっていた。
研修先はギブツの中にあるので、初めてギブツ生活を体験した。とはいえ、ぼくはあくまでもゲストなので、「VIP」待遇で個室が与えられ、世話役もつけてくれた。研修を受けていくうちに改めてイスラエルの底力に驚かされた。外見はぼろぼろのくせに最先端を行く技術が巷に満ちている。研修先はパソコンとPLC (Programmable Logic Controller)を使って、大規模無人化農業・養殖漁業を可能にする技術を開発した。これは過疎化が進む日本の農業にはぴったりの商品といって良かろう。それにしても、自分がこういう仕事に携わるのは夢にも思わなかった。かくしてぼくの2週間ほどの研修が終わり、一週間という短期間でロンドン、デリー、バンコク、香港経由で久しぶりに日本に帰ってきた。なぜかその一週間後から 早速、同級生たちより半年遅れの社会人生活が横浜で始まったのである。もう少しゆっくり休みたかった・・・
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