人間の「欲望」というものの限りの無さには、時に驚かされる。あるものを求めて人は駆けずり回
り、やっとそれを手にするやいなや、また次のものが欲しくなる。別の言い方をすれば欲しくなるよ
う促されている、とも言えるかもしれない。もはや「欲望」はひとつの商品なのだ。私たちの生きる
この近代的社会においてそれは当然視され、基本的に「欲望」こそは次なる「発展」を支える重要な
要素だとされてきた。
しかし個人的なことながら、やはりそこに疑問を感じ続ける自分がいる。実際<限りのある>地球
の資源たちの中で、「欲望」が<限りを持たない>ものであるなんて、なんだかおかしい・・。また、
そうした「不満足」によって生み出される「欲望」というものが世界の、人生の支柱であるなんてな
んだかあまりに悲しい・・。
そんなときにふと興味をさそったのが、キューバだった。資本主義の象徴たるアメリカのすぐそば
に在りながら今なお、差異化を拒み、頑なに平等を謳い上げる、常夏の社会主義国キューバ。そこに
はどんな人々がいて、一体どんな生活があるんだろう。そんな思いに背中を押され、私は、キューバ
への飛行機に乗り込んだ。
降り立ったのは首都ハバナ。愛酒家の方にはラム酒で有名なハバナ・クラブでその名はお馴染みだ
ろう。葉巻とほこりと汗のにおいが強く鼻をつく。思ったよりも陰鬱で、ねっとりと重い。一歩でも
歩けば何十もの欲望むき出しの視線が絡みつく。早口のキューバなまりのスペイン語が次々に降って
来る。ぼろぼろの高い建物群。
・・しかしまぁ、第一印象ほど当てになりそうでならないものはない。
元気を出して日が落ちる前になんとか間貸し風の宿を見つけ出し、その日は夕食 も食べず、ひたす
ら眠った。
キューバでの朝はほぼ例外なく一ヶ月間、コーヒーの香と、どこからともなく聞こえ始める尋常なら
ざる音量の音楽によって始まった。
ある朝のことだった。前日の大量のラム酒にやられてか私は朝寝坊してしまい、日も高く上がりか
けた頃、コーヒーを求めてノコノコとキッチンに下りていった。居間では平日だというのに、父親を
含め家族や近所の人々が集まり大音量のサルサ・ミュージックがバリバリと鳴る中、皆大声でおしゃ
べりに花を咲かせている。
「ブエノス・ディ〜アス(おはよ〜う)」
と私が言うと、そのおうちの娘さんであるクラウディアは呆れ顔で笑う。
「ブエナス・ノチェス(こんにちは)Fumi!まったく怠け者ね。美味しいデサジュノ(朝ごはん)
を逃しちゃったわよ」
私は昨夜の冗談の内容の続きもこめて、
「クラウディア、怠け者はあなたたちじゃない?サルサにダンスにタバコにおしゃべり。働かなく
ていいの?」
と言い返してみる。すると彼女は、
「いいえFumi、相手の顔がきちんと見えるこのすばらしい時間というのは、おしゃべりとキスのた
めにあるんだから。それをふとんに潜りこんで逃してしまうことは、何よりも重い罪だわ。まぁ正直
なところ、私たちの場合はたとえたくさん働いたとしても、働かなかったとしてもお給料はどうせ一
緒だけどね。全部フィデル(フィデル・カストロ国家元首)が持ってっちゃうのよ」
と一瞬曇った表情をのぞかせ、ちょっとした苦笑いを見せる。
私は思った。ああしまった、毎日の笑顔に囲まれて大元を忘れかけていたが、そう、この国は社会
主義国なのだと。どれだけ懸命に努力して働こうが、また逆にまったく努力しまいが、皆金銭的条件
を平等に整えられる、社会主義国。そしてその中で人々が持つものは、快活な「笑顔」ではなく、
「苦悶」の歪みでもなく、この「苦笑い」なのだ。
青年期をアメリカで「革命のために」過ごしていたという70歳に近い、流暢な英語を話すとても素
敵なおじいさんと仲良くなった。名前は往年の革命戦士ホセ・マルティに因んで、ホセと言った。家
の前に並べたゆり椅子に掛けて、夕方をよく、一緒に過ごした。なんとも美味しそうに葉巻を吹かし
ながら、彼が言っていたことがある。
「もう随分といろんなものは見てきた。今は毎日こうして妻が夕食の準備をしてくれている音を聞
きながら夕日がゆっくり沈んでゆくのを見ることが出来るだけで、幸せだ。若い頃はこんなに美しい
ものが、こんなに側に在ることに気付かなかった。でもそれは仕方の無いことかもしれないけどね。
若い頃というのは皆ガールフレンドに他のどの娘よりも赤いドレスを着せてあげることに一生懸命な
んだ。だけどここではそんな簡単なことが許されない。皆に同じ服を着なきゃいけないんだ」
そして見慣れたあの苦笑いを浮かべた。暴力的なまでに金色の夕日に照らし出されるその皺を、私
は本当に美しいと思った。そしてあきらめにも似たその苦笑いは、同時に計り知れない哀しみを携え
ていた。
確かにあまりに限り無いこの「欲望」たちの存在と、それを利用したこの大量消費型・使い捨て型
資本主義社会との、いたちごっこのような現代の在り方にはうんざりする。しかし、平らになること
を求めて人間の「欲望」をコントロールしようとするこのキューバに身を置いてみると、果たしてそ
の産物であるこれら苦笑いが本当に私たちの求めているものなのか、やっぱり疑問に思えてくる。
ホ
セおじいさんが妻を愛し、葉巻を愛し、夕日を愛するその「欲望」も、ガールフレンドに誰よりも素
敵なドレスを着せてあげたいと思うその「欲望」も、人生を豊かにする大切な要素であるような気が
する。それは少なくとも「新しいツヤ」「今までに無い輝き」(一体どこが違うっていうんだろう)
をうたうルージュのコマーシャルを見て買いに走る「欲望」とは違うのかもしれない。
まぁそんなこんなで、心中は一層まとまりをなくしながら、キューバ最後の夜がやってきた。ハバ
ナに戻ってきた私は、なけなしの10ドルを払ってある有名なジャズ・バーに座っていた。
次々と浮
かんでくるたくさんの思い出を泳がせながら、私は一人のピアニスト、ロベルトの姿に目を奪われて
いた。彼は本当に本当に嬉しそうにピアノを弾く。これ以上の幸せはないといったように、楽しそう
に鍵盤に指を遊ばせる。心を分け合う愛するものの前で人とはこんなに満ち足りた美しさを持つもの
なのか、と驚いた。
その美しさはどことなくホセおじいさんのそれに似ていた。ロベルトは、たとえ
ばそのステージを終えればまた自らの演奏技術の飽くなき追求を始めるだろう。新しいピアノも欲し
くなるかもしれない。だけどそれは、単純に他者より優れたいからなんてものではないだろう。それ
は「満足」というものの幸せを解る人間のみぞ扱える「不満足」のように思えた。そして思った、私
は自分の持っていないものを追求するのに真剣になりすぎて、持っているもの、当たり前のように周
りを満たしてくれているものに目を落とすことを、時に忘れていはしなかっただろうか・・・。
美味しいラム酒のまわり始めた頭はしかしそんな最後の夜、鍵盤の上を踊るロベルトのチョコレー
ト色の指を見ながら、ナニカとてもとても大きなヒントを教えてもらったような喜びでいっぱいなの
であった。 【完】
(注記 Fumiとは、Professor Kapparの人間界での呼び名です)
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