切れる

一時期流行語のようにもなった「切れる」。

多くの大人はそれに恐怖し対策が求められたが、諸外国では切れるのは人として当然と受け止められており、それに対する対策も切れない事ではなく、切れた場合どうするかになっている。

これらはサッカーを見ていれば容易に理解できるだろう。サッカーのワールドカップは4年に一度の大会で、オリンピック以上の規模を持つ世界最大の大会であり、選手のそこにかける意気込みは強いが、そのような時でも切れる選手が出てきてしまうのだ。

民衆による革命や切れる事が原因の事も多い。弾圧された事のない人は、「みんなが革命しているなら、自分は逃げてよう」と思うかもしれないが、切れてしまうと命の危険を顧みず、普段は八百屋をやってるような男が、いきなり広場に走っていくのである。

民族紛争なども、むかついてたまらないからと、相手の民族の殲滅をはかってしまう事もある。

 

国による違い

その切れ方も国による違いがあるようだ。

例えば南米などは怒鳴ったりしていても、一方で冷静な頭が残っているので、計算して切れてる事があり、「まあ、落ち着けよ」と仲間がなだめれば収まる事が多い。

また、いきなりマジ切れする国もある。

日本は二度目にマジ切れするようだ。

例をあげればナイフを先生の前で出すのが「切れる」なら、刺すのがマジ切れだろう。

南米の例をみればわかるように第一段階で、「まあ、落ち着けよ」となだめれば収まる事が多いが、中には「ナイフを学校に持ってきちゃ駄目でしょ!」とマジ切れさせる人もいる。

切れる相手に法律やルールは通用しない。民衆による革命でもそうだが、命などは惜しくなくなる瞬間が切れるなのだ。

これは人の持つ本能として、このような時があるのは当然だろう。危険な敵を目の前にし家族の命を守らなければいけない時には、怖いと思うこと自体が障害になるのだ。

 

切れる事への対応

多くの外国では切れる事への対応があるため、とりあえず宥めたり、一時的に抑えるような事を覚えていく。罰は切れるが収まったとき、おこなえば良いのだ。

どんな事があっても切れる事は悪いという人もいるが、マジ切れして多くの問題をおこすような人は、このような教育を受けてきた人に多い。

人というのは感情を相手に示し、自分の感情を表に出して良いものだ。これらを子供の頃から体で覚えてきた人は、不当な扱いをうけ怒ったとしても、誰かはわかってくれると体が覚えているのでマジ切れるまではなかなかいきにくい。

しかし、中には感情を抑え込まれてきた子供もいる。子供のうちは怒っても切れても、大人たちは抑えさせる事ができるため、マジ切れまでいっても、それとは気付かないで済んできた。

しかし、このような子供が大人になれば、どうなるだろうか。とりあえず自分の感情を抑えて人とつきあえるし、周囲の目を気にする性格になってしまっているので、恋人とは結構うまくいく。ところが結婚になると、感情の抑えがきかなくなってしまう事が多いのだ。

切れる事を防止するには、普段から感情・自分を表現しても良いことを体で覚えていく事と同時に覚えていかなければならない。また、第一段階の切れるときに押さえ込まれてきた事を覚えてきてしまうと、いきなりマジ切れから始まってしまう事があるので注意が必要だろう。

なぜなら、第一段階の切れるは、「(自分・状況・この怒りなどを)わかってほしい」という欲求が残っているのである。しかし、どうせわかってもらえないと体で覚えてきてしまうと、第一段階の切れるをやっても、自分の心に苦痛を与えるだけなのだ。

 

切れる、すごむの違い

切れるとほとんど恐怖を感じなくなるし、法律も意味をもたなくなるが、すごむは法律などが意味をもっている。

そのため、切れると怒る、すごむ相手とは別に考えないといけないだろう。