永井ルイ(RUI'S HIPSLIPS)インタビュー

永井ルイさんといえば、去年秋に行ったミルクウッド・プレゼンツのイベント「キンキー・ナイト・ファイナル」にも出演くださったことで、皆さんも良くご存知のことと思う。数々のスタジオ・ワークで注目された後、すかんち解散後のROLLYらとロック・ローリーを結成、キャンディー・ライダーやフォーク・ロックス等のバンド活動と並行して、「セーラームーン」を始めとするアニメーションの主題歌をヒットさせたり、新人アーティストの発掘、プロデュース、さらには他アーティストへの楽曲提供など幅広いフィールドで活躍されてるマルチ・アーティストだ。

そんなルイさんが最近率いているユニット・プロジェクトが、ルイズ・ヒップスリップス。昨年12月には、雑誌ストレンジ・デイズが主宰するレーベルからファースト・アルバム『ヒミツの宇宙旅行』(ストレンジ・デイズ:SD-1202)を発表しているが、各レコード・ショップのバイヤーの話を総合してみても隠れたロング・セラー作品になっているとのこと。

媒体でも同様に、後期ビートルズ、10CC、アラン・パーソンズ・プロジェクト、ELOを彷彿させる、まさに70年代未来派ポップ的なブリティッシュ・ロックの美味しい部分を凝縮した、そのサウンドは各紙から絶賛された。この手のサウンドが大好きな方は買って損ナシの一枚、と僕もここに断言しよう。

さて、そんなルイさんからお茶のお誘いがあったのは、今年に入ってすぐのこと。東京は吉祥寺にある御本人のスタジオにお邪魔して、あれこれとお話を聞くことが出来た。『ヒミツの宇宙旅行』に関しても、もっともっとお聞きしたかったのだが、それはストレンジ・デイズの99年No.6(「クリムゾン・キングの宮殿」が表紙のやつ)でチェックしていただくとして、ここでは今までなかなか語られることの少なかったルイさんのルーツ、バックグラウンド的なところを中心に、いわゆる世間話的なノリで伺ってみた。まあ、皆さんも一緒にお茶を飲んでいるような気分でお読みくだされば幸いだ。

(○=小松崎、●=永井ルイ)
○この『ヒミツの宇宙旅行』って、いわゆるストーリー性のあるコンセプト・アルバムと思ってイイんですか?

●まぁ、そうだね。69年のアポロ月面着陸時にたまたま宇宙人がアポロに乗り込んじゃってたら、どうなっていたんだろうかって。そういった子供の頃の空想みたいなのがテーマなんですよ。で、宇宙人が宇宙船に乗って、地球にやってきて、それで様々な体験をして、また宇宙に帰っていく。それが大まかなストーリーなんだけど、細かい部分はリスナーの人の御想像にお任せだね。だからロック・オペラみたいな類の大仰なストーリーじゃぁないの。割とあっさりしてるんだ。

○ルイさんと僕って年が3つ離れてるわけだけども、世代的には一緒ですよね。子供の頃は2000年になれば、もう宇宙旅行も夢じゃないって信じてましたよね。鉄腕アトムの世界ですよ、もう。

●手塚治虫はねぇ、僕の最も好きなアーティストの一人なの。小松崎クンの家って手塚プロの近くなんだよね。ほら、昔、虫プロが経営不振に陥った時ってあったじゃない?手塚マンガ自体、それほど売れなくなって。で、その時に、多分資金を稼ぐ目的だったと思うんだけど、手塚先生が個展を開いたの。個展というより即売会といたほうかもしれないなぁ。僕はその時小学生で、母親にねだって連れていってもらって、そこで先生がその場で書いて色をつけてサインまでしてくれたアトムの色紙が、ほらそこにあるでしょ。これは僕の宝物の一つだね。

○そう言われてみると、今回のアルバムも手塚タッチのSF的な作品に近いですね。音を聴いてるとイメージが膨らむ感じで。ルイさんといえば、実に多くのアニメ主題歌を手掛けられてるわけですが、その幼少時の体験なんかも影響してるかもしれませんね。

●今でも、吉祥寺だからね。漫画家が多いんだ、ここ。楳図かずおさんなんかしょっちゅう道端でバッタリ会うしさぁ(笑)。

○楳図かずおさんも昔、ロック・バンドやっててレコード出したりしてましたよね。グワシって感じで(笑)。

●やってた、やってた。ギンギンのグラム・ファッションに身を固めてね。結構、あのキッチュさ加減って大好きだったなぁ。もう60過ぎてるんだけども、今でも昔ながらのノリなんだよ、あの人。徹底しててイイよね。

○僕の心の師匠の赤塚不二夫センセーも、昨年まだ病み上がりだってのに、雑誌で公募したコムロ・プロデュースの新人発掘オーディションに応募したんですよ。ホント、あの時代からの漫画家の人達って徹底してますよね。もう最高(笑)。長生きしていただきたいです。ところでルイさんが音楽に目覚めるきっかけって一体なんだったんですか?

●やっぱ母親の影響だね。うちの母って結構モダンっていうか、洋モノ好きだったの。だから子供の頃からプレスリーを始めとする、いわゆるアメリカ産のポピュラー音楽のレコードが周りにあったんだ。で、そうこうしてるうちにビートルズの初期のレコードに出会ってね、ありきたりな表現だけど(笑)、ガツ〜ンってやられたの。小学校の終わりくらいには、もうビートルズ中後期フリーク。でちょうどその頃、クィーンがラジオでガンガンかかるようになってね。

○「ボヘミアン・ラプソディ」とかですか?

●まだ「キラー・クィーン」の頃だったと思うよ。それで今度はクィーンにはまっちゃってね。ミュージック・ライフとかは良く読んだなぁ。そうこうするうちに、ちょっと溯ってグラム・ロックを聞いたり、その一方でベイ・シティ・ローラーズにパイロット、ELOとかね。これで今に至る自分のカラーがある程度決まったと思うよ。

○グラム・ロックはどんなアーティストがお好きでしたか。

スレイドとか最高だったね。あの、ある種ポップの王道的なことをやりつつも漂ってくるじゃない、いかがわしさみたいなものが。ビートルズの影響下にあるんだけどニセものっぽい。でも、そのキワモノとホンモノが表裏一体になってるわけで、これはクィーンもそうだしT-REXもそう、そこにたまらない魅力を感じたの。

○楽器を始められたのもその頃ですか?

●中学に入ってすぐくらいかな。クラスメートとバンドらしきものを組んで放課後、音楽室でやったりしたね。アンプを持ってる奴が一人しかいなくて。だから、ひとつのアンプにギターからベースからヴォーカル・マイクやら全部突っ込むわけ。ハウリングしまくりのノイズの洪水、それはそれはひどい音だった(笑)。しばらくすると貸しスタジオに行くようになってね。でも、スタジオといっても今みたいに録音機材やら揃ってるわけじゃなかった。

○高校は「子供電話相談室」でお馴染みの無着成恭先生明星学園とのことですが、ここは校風が非常に自由なところですから、さぞかしバンド活動に精を出されたのでは?

●その通りです(笑)。あの頃は高校生の分際で、髭はぼうぼう、髪は肩まであったし、ほとんどヒッピーだったね。今よりゼンゼンふけてたよ。六本木あたりでロック主体のパーティー形式のライヴ・イベントを企画して、それに出演したりしてたね。あとはヤマハのスタジオで良くコンテストやっててね、そこに出入りしてるうちに、ギターの講師をやったりトラのミュージシャンをやったりといった仕事が入ってくるようになったんだ。初めてのレコーディングは何だったかなぁ、ゴメン、あんまり当時のことは覚えてないんだよね。もう結構グチャグチャで、知らないうちにどんどん前に行ってたって感じだから。バンドとして出て、コンテストで入賞してオムニバスにレコーディングしたこともあったし。まあ、そうこうしてるうちにプロのミュージシャンになっていったってわけ。

○なるほど初めて明かされる永井ルイ・デビュー秘話は、今なお神秘のベールに包まれてるってわけですね(笑)。最後にRUI's HIPSLIPS以外での、今後の活動を教えていただきたいんですが?

●湯川トーベンさんとかとやってるフォークロックス、それに古賀森男とのチェリーフィッシュ以外にもライヴはやっていきたいし、プロデュースとか作品提供ももちろん予定してるんだ。あとは、新人の女性シンガーを発掘して作曲からプロデュース、それに売り出しなんかのプロモーションに至るまで、ゼロの段階から完成まで関与してみたいなってのもある。ほら、例えばスージー・クアトロみたにさ、ベースを持たしたら世界一カッコイイ女性ロッカーって昔いたじゃない。バックの男達の従え方からしてカッコよかったよね。だから、例えばギター・メイカーとタイアップして、スージー・クアトロ・モデルのベースを作りつつ、街中で実際に女の子たちに持たせて、優勝者をコンテスト形式で選んでデビューさせる、みたいなのもあっていいと思う。まだ最終的な詰めにまで行ってないけど、実際このプランには、ギターメイカー、雑誌社なんかからもオファーがきてるんだよ。実にグラム・ロック的だけど、こういうフェイクっていうか、ある種いかがわしくて、でもキッチュなポップ感覚っていうのも今の時代に求められてると思う。

○和製スージー・クアトロですか。それは実現したらホントに面白いプロジェクトになりそうですね。今後とも、シンガー、プレイヤー、コンポーザー、アレンジャー、プロデューサーと何足もの草鞋を履いてファンを楽しませてください。今日はお招きどうもありがとうございました。

●こちらこそ今日は楽しかったよ。また遊びにきてね。

(2000年1月/吉祥寺 RUI'S STUDIOにて)

TEXT BY KOMATSUZAKI&YOSHIDA
SPECIAL THANKS TO MR.TAKAYAMA(FLOWER Co)