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旅行雑誌のちょっとした取材も兼ね、先月、雪まだ積もる、東北は会津の町を訪れてみた。今回、宿をとったのは芦ノ牧温泉郷というところ。風情たっぷりで、なかなかイイ感じだ。さて会津といえば(食いしん坊な皆さんには、喜多方ラーメンかな?)、一般的なイメージは、白虎隊に代表される戊辰戦争、明治の、近代日本になる為の犠牲になったということだろう。
これは実のところ、会津の人々もそう。僕たちにとっては、例えばオジイチャン、オバアチャンのいうところの「このあいだの戦争」って、やっぱり太平洋戦争だったりするでしょ、もちろんそれ自体、もう風化しつつあるわけだけど。でも、会津の人たちにとってみれば、「このあいだの戦争」ってのは明治維新の時の、戊辰の戦争なんだよね。そして、これは今でも会津の人々の共通認識だ。今回の旅行(一泊二日の駆け足だったけど)でも、それは実感する。立ち寄った喫茶店の若い娘さん(18くらいか)と世間話してると、「うちの家は、こないだの戦争で」「あそこもこないだの戦争で」って繰り返し言うから、「こないだの戦争って?」って聞くと、「西軍(薩長)との戦争ですよ」って答えが返ってきたんだから。だから戊辰戦争っていうのは、今に至るまで、トラウマというか、強烈なものとして明治以降、祖父母から親へ、親から子へ、そしいてその子から孫へ、曾孫へ...代々、遺伝子として受け継がれていったんだろう、そう思う。
一般的には、明治維新後、会津は朝廷に逆らった賊軍とされたけど、実際のところは、会津藩ほど勤王に励んだ藩はなかった。ただ歴史の狭間に翻弄されたというか、孝明天皇の崩御と明治天皇の即位を経て、気がついてみると、官軍から一気に賊軍になっていたのである。孝明天皇が会津藩を一番愛されていた、というのは最近では良く知られるところだ。しかし、孝明帝の後ろ盾を欠き、長州藩が復権して、かつて会津と連合を組んでいた薩摩と手を結ぶあたりから、一気に悲劇的な道を歩んでいく。まさに時代の荒波に翻弄されたわけだ。そして、その時に会津の人々が味わった屈辱は、時を超えて、今なお風土として息づいているように思う。例え、西南戦争でかつての仇敵、薩摩が今度は賊軍となり、旧会津藩士が警視庁の抜刀隊として戦地に赴き勝利を収めたにしても、維新後20年もして、会津から多くの有能な人材を輩出したところでも、秩父宮家に会津藩主の血筋の姫が嫁いだにしても、それは深層心理から決して消えることはなかったはずだ。
昨日までの価値観がガラリと崩れるというのは、良くあることだが、勤王の会津がいつのまにか賊軍にされてたという強烈な体験は、会津の人は120年以上も昔に、血を流して実感してたわけで、だから、太平洋戦争に敗れ日本人の多くが一気に価値観が一変して衝撃だった、といったところで、会津の人々にとっては、それはもう、その80年も前に体験していたことなのであって、それほど驚くべきものでもなかったのではないだろうか。僕は会津を訪れるたびに、いつもそう思う。
正直者が馬鹿を見る、というのは好きな言葉ではないが、武士道とかの言葉が形骸化して、寝返りや裏切りが実は跋扈していた幕末維新の時代に、不器用だけど最後まで信念を曲げずに、尊い犠牲を払いながらも、義に殉じようとした会津の人々に僕はとてつもなくシンパシーを感じてしまう。不器用だけど誠実に生きること。これは今の時代でも有効でなくてはならないはずだ。そして、それを感じたかったら、一度、会津を訪れてみることだ、と思うのだ。
(2000.3.19 記)
今回はチョット固かったかな?次回は柔らか〜く、演歌でもお馴染みの柴又、矢切りの渡しを訪れてみます。
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