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『パルデス』

1997年インド映画/ヒンディー語/3時間10分
監督 : スパーシュ・ガイー 音楽 : ナディーム・シュラワン
主演 : シャー・ルク・カーン、マヒマ・チョウドリー、アムリーシュ・プリー

アメリカで成功したインド人のキショリラール(アムリーシュ)は、その息子にインド人の心を伝えるため、インドに住む親友の娘ガンガー(マヒマ)をその嫁に迎えようとする。しかしアメリカ育ちの息子ラージーウはインドの風習などなにも知らない。キショリラールはかねてより、遠縁で身寄りの無いアルジュン(シャー・ルク)を信頼して面倒を見ていたが、今回はアルジュンに二人の結婚の仲介役を頼み、アルジュンとラージーウはインドへと向かう…・。

まず人物の使い方が巧い。個性の強いシャー・ルクを3人の中でも一番地味で、前半部分ではほとんど脇役といっていいアルジュンに配し、後半、傍若無人なラージーウの実態が明らかになるにつれ、アルジュンとガンガーの仲は次第に近づいてゆくのだが、そこに至る伏線がずっと押さえた調子で描かれてゆく。まだ大人になりきっていないガンガーは、異郷の地で、子どものようにアルジュンを頼りにし、またアルジュンの方も、ガンガーに惹かれながらも、恩義あるキショリラールを裏切ることなど夢にも考えない。
そのあたりの抑制のきいた物語の流れが、結末に近づくにつれドラマを盛り上げ、またアムリーシュ演ずるキショリラールはただ頑固なだけでなく、理性ある人物として描かれている点が「最後の一言」を納得ゆくものにしている。
それにも増して素晴らしいのが音楽の使い方。どの曲も実に物語りに相応しく、インド映画における音楽が人物の感情表現の一つであることがよくわかる。どれもがアルジュンの苦悩や思いを雄弁に語っていて、胸に迫る。最後に結婚をゆるされ、父と抱きあうガンガー、キショリラールと抱きあうアルジュン、その肩越しにそっと微笑みあう二人...。このラストがまた秀逸でいつまでも心に残る。監督は最近『Taal』という、これもまた繊細な映画を作ったスパーシュ・ガイー。
(Dec.9,1999)

『ペパーミントキャンディ』

1999年韓国映画/135分/監督:イ・チャンドン/出演:ソル・ギョング、ムン・ソリ、キム・ヨジン

とても変わった映画だ。物語の主人公ヨンホは、20年ぶりの同窓会ピクニックが行われていた河辺に突然現われ、まるで酔っ払ったようにあたりをフラフラと歩き回ったあげく、近くの鉄橋に上って、迫り来る列車の前に立ちふさがった。その時点から彼の人生が、数ヶ月毎、数年毎にフラッシュバックされる。そして最後に彼は20年間前同じ地点に立った自分へと戻ってゆく....。だが、いくら過去へさかのぼっても彼の人生は殺伐として不毛で、とり返しがつかない。最愛の恋人とはどうして結ばれなかったのか?彼の人生は一体何だったのか?
見終わったあと、なんとなく暗い気分になる映画ではある。ヨンホの20歳の河辺での至福は二度と取り戻されることはなく、20年後同じ地点で見上げた空は切ないばかり。
上映後に監督と主演男優が壇上に登場して、テーチイン。「軍隊の民間人誤射や、刑事であった主人公が被疑者を拷問する執拗なシーンがあったが、社会批判的な意味あいがあるのか」という質問に監督は、社会批判が主眼なのではなく、それは誰の人生でも起こりうるひとつの出来事として描いた、と答えていた。そんなもんだろうか。
(Dec.11,1999)
『カランとアルジュン』

1994年/ヒンディー語/175分
監督 : ラーケーシュ・ローシャン/音楽 : ラージェーシュ・ローシャン/主演: シャー・ルク・カーン、サルマン・カーン、カージョル、マムタ・クルカルニ、ラーキー、アムリーシュ・プリー

よく考えてみれば、シャー・ルク・カーンとサルマン・カーンが同じ画面に兄弟として登場するのだから、随分豪勢な映画だ。女優もカージョルにマムタ・クルカルニだから申し分ない。その割には、ややこの映画の印象が薄いのは、おそらく音楽が少し地味なのと、ストーリー終盤の復讐シーンがくどくて、あまり後味がよくないせいかもしれない。
しかしそれ以外は、二人の兄弟が輪廻転生するというまるでSFじみた筋立てといい、テンポのいい展開といい、飽きさせない娯楽要素満載のインド映画だ。今はあまり活躍してないようだけど、マムタ・クルカルニは私の結構好きな女優で、この映画でも実に可愛らしい。ボーイッシュに登場したあと、惚れた男を追い掛け回したり、女らしく変身したり。

だが何と言っても私がこの映画で一番好きなのは、映画のタイトルの出かた。何度見てもフイを衝かれて、その度に感心してしまう。菜の花畑のある山間の村で幸せに暮らしていた母親と二人の息子に悲劇がおこる。殺されてしまう息子たち。悲嘆に暮れた母親はカーリー神に息子達の蘇りを祈る。その同じ時刻に別の村で二人の赤ん坊が生まれていた。 …・ という物語の長い長い前置きが続いたあとで、いきなりこちらの虚を衝くようにして「カランとアルジュン」というタイトルが出てくる。たぶんタイトルが出てくるまでに30分以上は優に過ぎているのではないか。インド映画のこういう意外性がすごく好きだ。予想や期待を裏切ってくれる感じ。普段の日常で、こんなに新鮮な体験をすることはめったにない。そんな点でもインド映画というのは私の嗜好にひどく合っている。

(Dec.18,1999)
『Saaz』(メロディ)

1997年/ヒンディー語/2時間38分
監督 : Sai Paranjpye
キャスト: Shabana Azmi, Aruna Irani, Zakir Hussain, Raguveer Yadav

インドのプレイバックシンガーであるマンゲシュカール姉妹をモデルにしたといわれる映画で、歌手である二人の姉妹の愛憎を描いた作品。
マンシーとバンシーは歌手である父親のもと、歌の練習をつんで育ってきた仲の良い姉妹だった。だが一見仲のよい姉妹も、こと歌の事となれば、実は無意識のうちにもライバルであった。幸せな一家を不幸が襲う。母親が3人目の子どもを身ごもり皆の期待のなか生まれた男の子は、生まれてすぐに死んでしまった。それに失望した父親はそのころから身を持ち崩し酒浸りの生活を送るようになり、失意のうちに世をさる。身寄りのなくなった姉妹は、ボンベイの縁者に引き取られ、その街で働くようになる。
姉は持ち前の美声を生かして、映画の仕事にありつき、がしかしその抜きんでた美声はたちどころに注目を浴び、有名な音楽監督と契約を結ぶことになった。街には、姉が歌った映画の歌が流れない日はなかった。成功の道をひたすら歩んで行く姉。
一方、親代わりの姉に保護された生活を送る妹の方は、姉を賞賛しながらも自分自身の生きる道を模索している。姉に劣らず美しい声を持つ妹は自らも歌手になりたいと望むが、姉はあなたには家名をついでもらうべきだと説得して無理矢理妹を結婚させてしまう。しかし、相手の夫はろくでもない男で夫婦生活は不幸の連続。ある日、姉の家に来ていた音楽監督が妹の美しい声に気づき、彼女を歌手としてデヴューさせる。妹の歌声も瞬く間に人々の人気を博し、姉妹はプレイバックシンガーという世界でライバル同士となってゆく。姉は妹の成功を妬んで、裏工作で妹の公演を阻害しようとしたことが原因でその後二人は絶縁状態になるが、やはり憎みきれない姉妹同士は、ある地方の公演での共演を期にまた歩み寄ろうとした矢先、姉のマンシーは舞台で倒れる。彼女は白血病だった。そして、まもなくその生涯を閉じる。
残されたバンシーは、プレイバックシンガーとして成功してゆくが、その過程で多くの恋を経験し波乱に満ちた人生を送る。

この映画で使われている音楽はどれも非常に素晴らしい。プレイバックシンガーを題材にした映画にふさわしい、どれも心に染み入るような名曲ばかりだ。子ども時代に父親が歌ってくれた歌、姉妹がスタジオで録音する歌、あるいは姉が歌った映画を二人で嬉しそうに見る場面。
とりわけ録音が行われるシーンなどは興味深い。Shabana AzmiとAruna Iraniが二人で映画の曲を録音するシーンでは、二人のハーモニーが次第に敵対心に変わって行く様子が伝わってくる。惜しむらくは、姉が亡くなることにより片方があっけなく舞台を去ってしまい、二人の姉妹の愛憎劇が中途半端のまま終わってしまっている点。後半は妹のバンシーの半生を描くストーリーに終始する。それよりも、二人の姉妹の心理的葛藤や愛情をもっと長く見たかった気がするのだが。

妹が姉に「(音楽の世界は)こんなに広いのに、どうして私達がライバルになるの?」と問うと、姉は「この世界では、トップに立つのはただ一人なのよ。」と答える。ほんとうにそうだと思う。トップに立つのはいつもただ一人で、そこはまた他には誰もいない孤独な地点でもあるのだ。

(Dec.19,2001)
『KADAL DESAM』(マドラスカレッジ大通り)

1996年/インド映画/タミル語/154分
監督  : カデール 音楽  : ARラフマーン
主演  : ヴィニット、アッバス、タッブー

この映画は1998年のファンタステック映画祭で上映された一本で、これを去年見た時は、その途方もない面白さにすっかり心を奪われた。以来、この映画をまた劇場で見たいと切に願っていたので、たとえキネカ大森という小さな映画館でもこれが見れるのは本当に嬉しい。
あの大乱闘が、あのラブ・ホスピタルが、…と思い浮かべるだけでうきうきしてくる。上映前には、公開を間近に控えた『ジーンズ』の予告編が流れ、こちらもまた心臓の鼓動を高めるのに十分。

ラフマーンのムスタファ♪ムスタファ♪のメロディが流れた後、画面にいきなりバイクを乗り回すマドラスの荒くれ者一味が登場。朝露に濡れる真っ赤なバラの花はそのバイクに無残にも踏みにじられ、物語が賑々しく始まる。
「女はいないか?」とあたりを見廻すや、音楽の流れてきたエアロビクス教室に乱入して、エアロビの先生を血祭りにあげたあと、女をさらって行く…・というすざまじい導入部分。
さてさてここはマドラスカレッジ大通り。愛と青春の炸裂する街。ライオラ大にパチャパス大、そして聖メリー女子大に通う若者たちが、今日も街を闊歩する。女子大生たちは、ピンクの花が敷き詰められた街路にさんざめき、それに見とれる男の子たち。だが青春に喧嘩はつきもの。ライオラ大とパチャパス大の学生たちの間で、ささいなことが原因で大乱闘が始まる。この乱闘シーンがすごい。いつのまにか、どこからともなくものすごい数の人が湧き出て来て、いきなり車のビュンビュン走る高速道路上でワナワナ乱闘をくりひろげる。しまいには、高架道路から車が放りなげられる始末。凄い!
お金持ちでプレイボーイのアルン(アッバス)と、夢見がちな貧乏学生で詩人のカールテック(ヴィニット)は、この喧嘩の時にアルンがカールテックを助けたことがきっかけで大の親友となる。
カレッジ通りにはもちろん美女も欠かせない。ロマンテックな伴奏のもと、輝かしく登場する純白の衣装のディヴィヤ(タッブー)の美しいこと。この女神にアルンもカールテックもすっかり惚れてしまうのだった。お互いの愛する女性が同じデヴィヤだとは全く知らないまま、二人の熱い友情はいやが上にも高まってゆく......

二人の男と一人の女。愛と友情の板挟み。ストーリーに無理がなくてバランスがいい。差し挟まれる軽快な音楽。3時間全く飽きさせない。それぞれの俳優も、うまい具合に登場人物の個性に馴染んでいる。サングラスをかけると、ちょっと昔のマシュー・モディンに似てるアッバス演じるアルンは、一見プレイポーイ風で実は真面目な好青年。お金持ちだけど嫌味がない。一方、ヴィニット扮する髭面のカールテックはいかにも詩なんか書きそうな少し鈍臭い青年。そしてディヴィヤを演ずるタブーは文句無しに素晴らしい。この女優の美しさには知性がある。媚びない、きっぱりとした美しさ。こういった魅力は決して外見の美貌からだけでは出てこないんじゃないかと思う。タッブーの硬質な魅力があってこそ、この映画のポップさが生きてくる。

それにしても、あのいかにもといったセット。リアリティなんて頭から無視した堂々たるセット風景。うそくさいところが返ってシュールな味わいでいい感じ。友情か愛情かといったシリアスなストーリーかと思えば、ラヴ・ホスピタルなんてお気楽なミュージカルシーンが出てきたり、随所に意表をつく仕掛けが満載されている。クライマックスのアクションシーンも、なんだか無謀というかムチャクチャというか恋の鞘当てがタンクローリー爆破に至る凄まじい展開で、これぞインド映画と喝采したくなるような素敵すぎるエンディング。インド映画の中でも類を見ない新鮮さ、それがこの「マドラスカレッジ大通り」。

(Dec.22,1999)
ヨーロッパのクリスマス

それぞれの街にはそれぞれのクリスマスの表情がある。長く雪に閉ざされ、森閑としたイブの夜更けに村の教会へ急ぐ北ヨーロッパのクリスマス、シャンゼリゼのイルミネーションが豪華に凱旋門を照らすパリのクリスマス、お正月過ぎまで賑々しくネオンが瞬くおめでたい香港のクリスマス …・。どれもとても思い出深い。その中でも今でも私の記憶にはっきりと残っているのは、南ドイツの街、ミュンヘンのクリスマス。
クリスマス、ドイツ語ではヴァイナハト−聖なる夜。クリスマスが近づくと、どの街でも広場にクリスマス市がたつ。ヨーロッパの街ではたいてい市庁舎の前に広場があって、毎日曜日にはそこに市がたつ。さくらんぼやりんごや洋梨などの果物、パンやお菓子、焼いたソーセージ、なんでも売っている。ドイツのソーセージはそれは美味で、これに芥子をたっぷりとつけて少し歯ごたえのあるドイツパンに挟んで食べると頬っぺたがおっこちる。なつかしいのは、当時「ノルドゼー(北海)」という名前のチェーン店があって、ふつうパンに挟むのはソーセージやハンバーグなどの肉だが、ここでは魚をはさんで食べる。アンチョビだとかニシンの酢漬けが中味だったと思うが、これが意外にも美味しくて一度食べるとやみつきになってしまう。まだこのチェーン店はあるのだろうか。

クリスマスシーズンにたつクリスマス市のことを、人々はフローマルクト(楽しい市場)と呼ぶ。この市は特別だ。クリスマスを迎える4週間前、アドベント(降臨節)のあたりからこの市場が街の広場に出現し、クリスマスまでずっと続く。この市場では、ツリーに飾るさまざまな飾り物や、あるいはクリスマスならではの食べ物や飲み物が売られる。小さなリンゴに赤い飴をまわりにつけたお菓子は日本でもありそうだ。ドライフルーツやマジパンが中にはいったクリスマスパンの「シュトレン」。これはヨーロッパのほかの国でも食べるのだろうか。最近は日本でもケーキ屋などで売っているので驚いた。この白い粉をふった、硬い硬いケーキは、なんと1ヶ月以上も保存がきくそうで、ドイツの家庭ではそれぞれの家でこのシュトレンを焼き、クリスマス以降も、もう見るのも嫌になるくらいずっと食べつづけるらしい。この白くて細長いケーキの形は、嬰児イエスを表している。よく中世の絵画などに出てくるが、ヨーロッパでは昔、赤ん坊を包帯のような白い布でぐるぐる巻きにしていた。たしかに、その白い布で巻かれた赤ん坊の姿にも似ている、このケーキ。私はこのシュトレンが大の好物で、あまり甘くなくてフルーツの香りも香ばしく、いかにもドイツらしいお菓子だ。
しかしそれにも増して私のこの季節の大きな楽しみは、グリューワイン。赤ワインを暖めてその中に香料を入れて味付けした身も心も温まる飲み物。アルコール度が低いので、普段は全くお酒を飲まない私でもこれなら飲める。寒い冬の夜、街を歩きながら、クリスマス市でこの暖かいワインを飲んだこと、かじかんだ手にそのグラスがとても暖かく、ワインからのぼる湯気が顔にかかったこと、まるで昨日のことにように鮮明に思い出される。

ドイツの冬はいつまでも続き、日の光は乏しく、夜が長い。そんな中にあって、クリスマス市の暖かい明かりは、この季節の唯一の灯火のように見える。ヨーロッパの暗くて長い冬のただなかでクリスマスという明るく楽しい行事を行うことは、ほとんど必然のことなのかもしれない。春はまだまだ遠いけれども。

(Dec.25,1999)