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『流星』

新宿シネマカリテで『流星』を見る。監督:ジェイコブ・チャン キャスト:レスリー・チャン、エリクソン・イップ(子役)、ティ・ロン、キキ (1999年/111分/香港)
株価の暴落ですべてを失った元ディーラーのレスリー。借金をかかえ、下町でその日暮らしの生活を送る。彼のもとには捨て子のミンがいた..
ストーリーもなにもかもイマイチ。雰囲気を盛り上げようと音楽がやたら大仰なのが、かえってこの映画の空疎さを際立たせている。子役もちっとも可愛くないし。物語の素材がチープで表面的すぎる。香港で最悪の興行成績だったのもうなずける作品。これに比べれば『恋戦沖縄』の方がはるかに楽しめる映画だ。レスリー、またまた次回作に期待。
(JAN 7 2001)


Dreams

いつも探し物ばかりしてる。突然聞きたくなったクランベリーズのCDを一時間かけてようやく見つけ出す。辛くなったり、悲しくなった時、とりあえずクランベリーズのDreamsを聞く。どうしても、アイルランドの、ケルトの音を聞きたい夜がある。その次にコアーズを聞き、あとは片っ端から古いCDを聞きまくる。気がついたらすでに夜が明け始めていた。
(FEB 22 2001)

Don't say you love me unless forever
Don't tell me you need me if you're not gonna stay
Don't give me this feeling I'll only believe it
Make it real or take it all away
Cores - Talk on corners





『僕の国、パパの国』

EAST IS EAST
『僕の国、パパの国』(1999年/イギリス映画/1時間36分 監督:Damien O'Donnell/出演: Omu Puri, Linda Bassett)

イギリスのパキスタン人?いやでも「マイ・ビューティフル・ランドレット」を思い出す。あの時のダニエル・デイ・ルイスの素敵だったことと言ったら。が今回はゲイの話ではなく、マンチェスターに住むパキスタン一家の家族の物語。イスラム教徒で古い伝統に頑なにしがみつく専制的な父親、そんな男に苦労しながらもついてきたイギリス人の妻、イギリスで生まれ育ち、その国の価値観で生きる子供たち。そんな今にも崩壊寸前の危うい家族の姿。カーン家は一触即発だった。親に無理矢理お見合い結婚させられそうになった長男はすでに家を出ている。そして、また二男、三男にむりやり結婚を迫る父親。そこで子供たちは ...。

かなりせっぱ詰まった危機的状況に取り囲まれながらも、この映画はユーモアに満ちている。あれはトーマス・マンだったろうか....最後に私達を救うものは唯一ユーモアである、というような事を言っていたのは。
そんな救いがこの映画にはある。家族が営むフッシュ&チップスの店、下町の狭いタウンハウス、外国人を苦々しげに見やるイギリス人おやじ、パキスタン人街、雨がちの道路、そして家族達が見るインド映画の音楽。物語を囲む全ての風景が心に優しい。何も解決しないラスト「そして人生は続く」。愛さえあれば、何も恐くない。
(FEB 23 2001)


Pan Tadeusz


『パン・タデウシュ物語』1999年ポーランド=フランス合作/2時間34分
(監督:アンジェイ・ワイダ 出演:ボグスワフ・リンダ/ダニエル・オルブリフスキ/アンジェイ・セヴェリン/グラジーナ・シャポウォフスカ/マレク・コンドラト)岩波ホールにて。
19世紀初頭、ロシアの支配下にあったリトアニアの田園を舞台にして、貴族たちの戦い、愛、祖国への望郷の念などが壮大に描かれる歴史絵巻き。が、今時こんな大仰で、もったいぶった映画を見せられてもなあ。演出も俳優達の演技も、えらく芝居がかっている。しかも饒舌すぎるポーランド語。ただし、風景だけがむやみに美しい。ポスターにもある、古城を背景にもつ緑の丘は、どこまでも幻想的だ。実はこの絵に惹かれて、わざわざこの映画を見る気になったのだった。それとタイトルのタデウシュ。ポーランドの名前。タデウシュ、タドツィオ、タッジュー。「ベニスに死す」の妖しい美貌の青年も同じ名前だった。 (APR 6 2001)



『ルー・ザロメ 善悪の彼岸』


リリアナ・カヴァーニ監督『ルー・ザロメ 善悪の彼岸』という映画があった。公開が1985年だから、15年以上前の随分昔の映画だ。多くの芸術家にインスピレーションを与えつづけた女性ルー・ザロメとニーチェ、パウル・レーの3人をめぐる、半分実話に基づいた物語。世紀末を駆け抜けた美貌の才女ルー・ザロメを演ずるは、これまた硬質で知的な美しさをたたえるドミニク・サンダ。ドミニク・サンダの圧倒的な美しさだけが際立つ映画なのではあるが、この映画を忘れがたいものにしているのは、シュトラウスの音楽が流れるラストの数分であるに違いない。
ルー・ザロメは出会いの何年か後に、すでに狂気の淵に沈んだニーチェを再び訪ねる。廃人になった彼に「年が変るわ。新しい世紀が来る。私達の時代が来るのよ。」とつぶやくルー。そしてニーチェの家を後にして馬車で黄金色の落ち葉の敷き詰められた森のなかを遠ざかってゆく。この数分間が、ほとんど永遠と名づけたいほどに甘美で秀逸なのだ。馬車に乗りこんだルーは、ニーチェとの日々を思い出し、ひとりクスクスと笑い出す、その笑い顔のまるで少年のようなあどけなさ。シュトラウスの音楽を背景に、遠い日を思いながらもの憂げにパイプに火をつける優美さ。画面は、彼女の真摯で不敵な横顔をとらえたあと、黄金色の森の中を遠ざかって行く馬車の姿をずっと映しつづける …
ドミニク・サンダの美しさは、なんと言ったらいいのだろうか、中性的であるゆえに非常に若々しく、毅然として知的な深みをたたえ、純粋な透明性に満ちた美貌である。彼女以外にルー・ザロメを演じうる人物は存在しないであろう。
そしてシュトラウス。「2001年宇宙の旅」がシュトラウスによって(も)永遠に私達の記憶に残るのと同様に、この映画もシュトラウスによって不滅のものとなる。この明るい旋律をもつ祝祭的な音楽は、実は同時に悲劇的な音楽でもあるのだ。悲哀や不安に、シュトラウスほど似つかわしいものはなく、実に久しぶりにこの映画のラストを見たのだが、深い感動は微塵も変っていなかった。(APR 20 2001)



El Espiritu De La Colmena


見たいと思うような映画がみつからないままに、本棚にしまい込んでいた古いビデオをがさごそ探してみる。そして目についたのが『ミツバチのささやき』(1973年/スペイン/ビクトル・エリセ監督/99分/主演:アナ・トレント、 イザベル・デリュイア他)

この映画を劇場で見る機会を逸したのがなんとも悔やまれる。この、ほとんど神秘的とも言っていい映画に胸騒ぎを覚えない人がいるだろうか。光と影を効果的に使った、ヨーロッパ的美学の洗練そのもののような映像。それぞれのシーンが、あたかも一幅の味わい深い絵画のようである。草原、廃虚、列車、暖炉、寝室、ドア、蜂の巣状のステンドグラスのついた窓ガラス。そして、音楽がまた何とも不可思議な響きで幻想性を高める。
あるスペインの田舎村で、「フランケンシュタイン」が上映される。それを見た幼い姉妹イザベルとアナ。姉にフランケンシュタインは森に住む精霊だと教えられた妹のアナはひとり森へ向かう。
しかし、これもまた境界線をめぐる物語じゃない?夜の湖でアナが触れたものは、それは醜い怪物ではなく、なにか途方もなく神聖な何かであったはず。本当ならばグロテスクでもあるはずのあのシーンが、どうしてあんなに神聖でありうるのだろう。奇蹟の顕現。少女がそれを少しも恐れることがなかった様子は、あかたも「けがれなきいたずら」でマルセリーノが十字架からおりてきたキリストを少しも恐れなかったシーンをふと思い出させた。そしてまた、いちばん最後に成し遂げられる奇蹟という意味では、「緑の光線」をも想像させるのだった。少しだけ年上の姉イザベルには、もうその世界は閉ざされているという残酷。目を閉じればいつでもお話しできる。私はアナ。 (APR 21 2001)



『血の婚礼』


Mirror/Miracle
再び古いビデオ。『血の婚礼』(1981年/監督:カルロス・サウラ/68分/出演:アントニオ・ガデス)
ダンサー達がメークアップ道具やスプレー類を神聖なものを扱うように楽屋の鏡の前にならべてゆく、そこからすでに物語りが始まっている。実から虚へ入って行く様子が明確に提示される。鏡の前に立つダンサー。ギターをつま弾く男。練習着でのリハーサルから、本番の衣装をつけての通し稽古が始まる。その過程が淡々と追われているだけなのに、ここでは虚構と現実の境界がぼやけている。彼らの圧倒的な踊りを通して、虚構が徐々に現実を侵食してゆく。ここでは確かに、ナイフは赤く血塗られていたのだった。この現実と虚構の意図的な混乱は、1983年の『カルメン』で、より一層感動的な形で再来する。それにしても、第一級の芸術品としてのアントニオ・ガデスの舞踏の魅惑的なこと! (APR 22 2001)


Life is not bad


At the midnight. I found a letter from India in my post. I realized immediately he was going to keep our promise. Life is not bad ...
(MAY 1 2001)