アクロポリス遠景
国際交流基金フォーラムにて地中海映画祭開催中。今日見たのは、参考上映のドキュメンタリー「ヨーロッパの都市と文化」シリーズより、
『文化都市リスボン』1983年/50分/監督:マノエル・デ・オリヴィエラ
『アテネ−アクロポリスへの三度の帰還』 1982年/44分/監督:テオ・アンゲロプロス
アンゲロプロスが自らの歴史と重ねながら語ってゆく都市アテネ。豪奢過ぎる古代の歴史をかかえるこの都市の街並みは漠としてつかみどころがない。現代のアテネに住む人々にとって、丘にそびえるアクロポリスはどんな意味を担っているのか興味深い。

<嵐の前のポセイドン神殿。スニオン岬にて>
私がギリシアに行ったのはかれこれ5年くらい前になる。優雅で静謐さをたたえ、遺跡となってより一層神々しく輝く白の神殿。不思議なことに、これらの神殿群は、遠い歴史の彼方から立ち現われたものであるのに、その様式は時間の隔たりを全く感じさせないもので、これこそが古典古代の普遍性なのだと瞬時に思い至る。私には、ギリシア文明が時間や場所から解き放たれた孤高の高みにあるようにいつも思える。前の時代とも後の時代とも隔絶した突然変異のような。ギリシア芸術の持つ自由闊達さ、神々に近い感じ。以来我々は二度とあの神聖さに到達することはない。
(MAY 25 2000)
葡萄色の海
再び地中海映画祭にて。今日はチュニジア映画。
『ある歌い女の思い出』 1994年/127分/監督:ムフィーダ・トゥラーリ
1950-60年代にフランスから独立したチュニジアを舞台に、王宮に仕える女中とその娘の生きる姿を描く。映画自体はまあまあだったが、唯一印象にのこったのは主人公の少女が弾くウードという楽器。これはアラヴ宮廷音楽には欠かせないもので、リュートの起源となった弦楽器。ふくよかな形といい色合いといい、あたかも巨大な瓜のようで、首の部分が小さく直角に折れ曲がって実に魅力的なフォルムを持っている。この古色蒼然とした楽器が現代でも使われているとは全く知らなかった。この楽器を見たのはカラバッジオやフランツ・ハルスの絵の中だけだったから。あの時代にアラヴからこういう楽器がヨーロッパに伝わったのであろうか。

<デルフォイ。険しいパスナッソス山中>
映画が終わった後に、池澤夏樹氏と「エルマディナ」のユスリー・ナスラッラー監督(エジプト)との対談があった。以前から思っていたが、「池澤夏樹」ってのは、心地よい漢字ばかりが連なるいかにも爽やかで若々しい名前だ。この名前を聞いただけで、夏草が茂る野の道に風が渡ってゆく情景を連想してしまう。恐らくペンネームだろうけど。池澤夏樹の小説は結構好きで、以前よく読んでいた。「真昼のプリニウス」や「マリコ/マリキータ」などなど。が、少し前に部屋の整理をしていた折に出てきた「マリコ/マリキータ」を懐かしく思って読み返してみたが、以前ほどにはのめり込めなかった。年月が経つと人の感性も変ってゆく。対談では、エジプト映画の現状を長々と語るナスラッラー監督より池澤氏の話の方が面白い。氏がアレクサンドリアで初めて見たエジプト映画は、言葉も分からず見ていくうちに主人公の青年が突然おばあさんを殺してしまう。どこかで見た光景.....。そう、それは「罪と罰」のリメイクで、青年はエジプト版ラスコリーニコフだったのだ。愉快。
また池澤氏はギリシアに3年ほど滞在されていたそうだが、その間何をしていたのかというと、時折観光客を案内して小遣いを稼ぎながら、あとはひたすらギリシアの各地を転々と旅しながら、バスに乗って山深い村などに入り込んだり、遺跡を見に行ったりしてたという。
ああ、なんて至福の時間!長い人生の途中で、数年間そういった「猶予期間」が持てたら本当に幸せだろう。しかも、葡萄酒色の海に囲まれて。
(MAY 27 2000)
歌声
地中海映画祭続き。
『アラク 白ナツメヤシの伝説』 1998年/110分/エジプト/監督:ラドワーン・エル・カーシフ
上エジプトの小村。周囲には砂漠とやしの木。男たちは出稼ぎで村を離れ、村には女子供が残される。少年は、その中で育ち大人になる。そしてある日、村一番のナツメヤシの木に上る時がやってきた。その木はどこまでも高く、少年の姿はやしの葉陰の中に消えていった....
非常に幻想的な映像で、光の明るさが眩しい。石造りの村には穴蔵のような住居があり、それはあたかも迷宮のよう。大人になったしるしに頭にターバンを巻かれる少年の凛々しさ、アラブの男たちはしゃれ者だ。あの衣装は男たちをずいぶんりっぱに見せる。
全編に流れる魅力的な歌声。アラビアはきっと音楽の揺籃の地に違いない。
それにしても、エジプト映画の質の高さに驚いた。音楽や踊りが挿入されるさまは、インド映画ほどの華やかさはないものの明らかにインド映画を連想させる。あるいはvice versa?
(MAY 31 2000)

イストワール・ド・シネマ/Histoire(s) du cinema/複数の映画史
ジャン=リュック・ゴダール監督作品『映画史』第一部。
目眩を起こしそうな豊穣。言葉と音と映像と。モンタージュで切り刻まれそして接合されるイメージ、音の洪水、リフレインされる言葉。恐らく、フランス語の知識がなければこの映画の本当の豊かさの半分しか享受できないであろう。悔しい。それほどまでに言葉の響きが美しく、その響きにうっとりと身を委ねる。その饒舌な映像は、限りなく豊かでそして同時にどこか空虚である。だから決して難解ではない、魅惑的な映像の世界にただ身を任せていればいいのだ。なにかの前にくるか、あるいは後にくるか−つまりそれが「歴史」。歴史家のフランス人による、実にフランス的なタイトル。映画史、言葉無き歴史、夜の歴史。
これは映画そのものを語る映画。しかも、それ自体が映画の可能性を押し広げている新鮮さ。重厚であると同時にどこまでも軽快な知性。
「映画は芸術ではない、そもそも技術でさえない。それを神秘だと言っておこう。」
2時間半に及ぶ映画はあっという間だった。映画館のユーロスペースを出ると、外は激しい雨で、その雨音は映画の中で繰り返し流れていたタイプライターの音とだぶった。
(JUN 1 2000)
不確かな足元
土曜日、曇り。
『エル・マディナ』1999年エジプト映画/105分/監督:ユスリー・ナスラッラー
主人公のアリはエジプトのカイロに住む役者志願の青年。市場で働く父親は頑固者で、アリに役者などという夢は捨ててサウジアラビアに出稼ぎに行けと言う。カイロでの生活に息が詰まりそうなアリは父親に反抗してフランスヘいって役者になると宣言する。2年後のパリ。アリは落ちぶれてボクシングの八百長試合で日銭を稼いで生活していた。パリに住むパレスチナ人やエジプト人の不法滞在者との出会い。最後には車に轢かれ記憶喪失になったアリは、哀れな姿で故郷に帰ってくる。アリに再び故郷での生活が始まった。だが彼は確実に少し成長していた。
.....
テーマは放蕩息子の帰還。監督はこの映画で個人としての自己の確立や己のアイデンティティ探しを描いたと言っていたが、これもまたビルドゥングス・ロマーンである。前半のカイロの街での主人公の鬱屈した日々はなかなか秀逸だったが、後半はちょっとくどくて長く感じた。主役のアリを演じた役者は、ものすごく顔が長いウマ面なんだが、笑うと眼が可愛らしくてなかなかインパクト大。
(JUN 3 2000)
楽園の黄色い薔薇
今日は一日ずっと落ち着かなかった。今晩見る『映画史』第二部が待ちきれなくて。
Histoire / Histoire / Histoire
histoire(歴史)の中に隠れたtoi(あなた)
スノッブでペダンテックで高踏的で、鼻持ちならない知性。だが、その映像の/音の/言葉の洪水の中に垣間見える鮮烈なイメージ。感覚の放蕩。細かなイメージの断片がきらめく一瞬。虚と実、聖と俗、過去と現在、生と死....あらゆるものが突然接合され新たなイメージを紡ぎ出す。しかしこの歴史はまた非常にプライベートで限定的なそれである。ヨーロッパの、フランスの、ゴダールの歴史。自分には未知の古い映像が続く中、エリック・ロメールの『緑の光線』のラストシーンが、それも白黒に変形され巧妙に古い画像の中に紛れ込んでいたこと。 思わずあっと叫びそうになった...
ジュリー・デルピーがボードレールの詩を朗読する、極めて魅力的なシーンが含まれる前半にくらべ、後半は低く晦渋な老人の声が語りつづける。イタリア映画だとか、アウシュビッツだとか。それにしても各章のタイトルだけでも素敵すぎないか。
Toutes les histoire(s) - すべての歴史
Une histoire seule - ただ一つの歴史
Seul le cinema - 映画だけが
Fatale beaute - 命がけの美
La monnaie de l'absolu - 絶対の貨幣
Une vague nouvelle - 新たな波
Le controle de l'univers - 宇宙のコントロール
Les signes parmi nous - しるしは至る所に
このモザイク状のイメージの氾濫がいったいどういう形で終わりを告げるのかと思えば、最後は目に染みる程あざやかな黄色の薔薇。そしてボルヘスからの引用:
「.....もしもある男が、もしもある男が、夢の中で楽園を横切り、通り抜けた証として、一輪の花を受け取り、目覚めたとき、手の中のその花に気づいたとしたら、何と言ったらよいのか。」私が、その男だった。
(JUN 15 2000)
花の寺
土曜日。友人と北鎌倉から鎌倉アルプスを一周して鶴岡八幡宮までハイキング。朝から曇っていたが、早い時間に小雨が降り出す。まず、北鎌倉駅前のりっぱな三門をもった円覚寺を回り、次ぎに明月院へ。アジサイで有名なこの寺は、この季節がまさにハイシーズンのせいか、お寺に辿り着くまでにかなりの人込み。しかし、庭園のなかは真っ青から薄い水色まで、さまざまな青のグラデーションをみせるアジサイの花盛りで、小雨のなか、その色合いがますます鮮やかに目に染みる。この季節にだけ青い花をつけるこの植物は、いかにも日本的な季節の情緒を感じさせ趣がある。その先にある建長寺から山に入る道が始まる。このあたりまで来ると、それまでのざわついた人影もぱったりと途絶え、周囲の緑が美しい。参道を奥へ進み、かなり急な石段を上り詰めると、大小の天狗青銅像が山に張り付くようにして立って、その先に半僧坊大権現がある。切り立った山の上に立ち、吹き付ける風が強い。ここからは、遠く海が見える。相模湾だ。
さらに山へ続く道が始まり、ハイキングコースになっている。軽い気持ちで出発したのだが、思いのほか上り下りの激しい山道。しかも、道は雨で滑りやすくなっている。厚く積もった落ち葉に足をとられそうになったり、岩道をよじ登ったり、私達はすっかり口数も少なくなり、ただもくもくと歩く。街の喧騒から30分も離れてない所に、こんなに険しい山道があるのが、不思議な感じ。上ったり降りたりを繰り返しながら、約1時間半かけて、折り返し地点の天園茶屋に到着。ここで休息して、やっと一息。この天候のせいか、茶屋には私達のほかは誰もいない。山の上は、ますます風が強く、細かい雨が横なぐりに降り続けている。歩いてる途中は、頭上の木々でさえぎられて雨はあまり気にならないが、やはり足元が滑りやすくなっているので、注意して歩くようにと茶屋の主人が注意を促してくれた。
それからまた一時間ほど山の中の道を歩いて、ようやく終点近くの瑞泉寺に到着。この寺は、京都天竜寺の石庭や苔寺の庭園など多くの名庭を残した鎌倉末期の臨済宗の高僧、夢窓疎石が開いた寺。鶴岡八幡宮からもさらに奥まった場所にあるせいか、訪れる人も少なく、静かで落ち着いた実に美しい寺。とりわけ、門へとつづくゆるやかに曲線を描いて上ってゆく階段や、門の先に現われる庭園の風情、木々の緑のなかに見え隠れする飾り気のない境内の建物、すべてが落ち着いた調和をたもち、静謐のなかにたたずんでいる。この寺は花の寺としても有名で、よく手入れされた、それでいて自然さを失わない木々や花が、心地よい景観を形作る。秋はさぞかし美しい紅葉を見せるに違いないもみじも、今は柔らかい緑の葉が日の光に透けてみえる。この溢れんばかりの緑に包まれていたくて、しばし歩みを止める。
これから先は車道を歩いて鎌倉宮から鶴岡八幡宮へ。かなりの走行距離で、スニーカーも泥だらけ。遅い時間だったが、お昼ご飯をちゃんと食べていなかったことに気付き、小町通りにある禅宗料理の店「左阿彌」に入る。この店は金沢街道にもあって、美味しい精進料理が食べられる。以前京都で食べた鉄鉢料理が実に美味しくて、以来精進料理に目がない。ゆっくり食事してくつろだあと、お店をでて小町通を歩く。あんみつ屋だとか、レトロな喫茶店だとか、おせんべい屋だとか、この通りはなかなか楽しいが、雨が強くなったので、アンティークの店「ミルクホール」に入って食後のコーヒーにする。鎌倉らしい雰囲気のある店で、出てきたコーヒーも濃くて香ばしい。あたりはとっぷりと暮れて、鎌倉駅を出たのは随分遅くなってからだった。
(JUN 17 2000)
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