Dil Se.. あるいは「愛は何よりも強いか」
暗いスクリーンの上に写るタイトル文字が、風に揺れるカンテラのようにかすかに揺れている。不穏な物語の始まり。
強い風の吹く深夜のハフロン駅で、アマルはあたかも運命に導かれるように謎の女メグナに出会う。吹きすさぶ風はいつしか大粒の雨にかわり、アマルが持つチャイのグラスに雨粒が音を立てて落ちてくる。女は何も告げずにそのまま列車に乗って去ってしまった。
そして、暗いトンネルを抜ける列車の映像とともに、遠くから「Chaiyya Chaiyya」の音楽が流れてくる...。実に簡潔で魅力的な導入部。
映画の中のミュージカルシーンは全部で4つ、しかしそのうち3つは前半に集中する。
一目でメグナに惹かれたアマルが執拗に彼女を追い掛け回す様子は、ほとんど不快なほどに強引で、前半部分のアマルは無神経極まりない男だ。しかしそれを緩和するのが、「Dil Se Re」と「Strangi Re」の二つの音楽シーン。とりわけ「Dil Se Re」がいい。
まずこの「Dil Se Re」に入る直前の部分に極めて美しい部分がある。アマルが農家にいるメグナを小高い土手に立つ大木の下から呼びかけている。樹は紅葉しているのかその葉を黄金色に輝かせ、葉の間からは太陽の光がこぼれ落ちる。さりげない情景だが非常に美しい。
そして軍隊の行進の足音で「Dil Se Re」が始まる。銃眼から覗く二人の目、無彩色な戦場に配された鮮やかなサリーの色。遠くで炸裂する爆弾があたかも華麗な花火のようで、こんなに甘美な戦争シーンがかつてあっただろうか。音楽と情景が完璧なまでにマッチしていて息をのむ程だ。長い橋の上を遠くからかけてくる女。待ち受ける男。たしかに掴んだと思った彼女は次ぎの瞬間風の中にかき消え、彼の手にはサリーだけが残った・・
しかし、何と言ってもこの物語の真価は後半部分にある。
舞台は一転してデリーに移る−遥かな朝霧にかすむ赤茶けたインド門、デジャヴ、嵐の前の静けさ、メグナたちテロリストの運命の舞台。
メグナを失ったアマルにもまた運命が待ちうけていた。ほとんど放心状態のまま両親のすすめる相手と婚約する。婚約相手の若い女性プリティ。
この3番目の登場人物も、表には出さないが繊細な娘で、アマルの胸の中に住んでいるのが本当は誰なのかを敏感に感じ取っていた。そのプリティが登場する時にかならず流れる微かな背景音があって、それを私は密かに「プリティのテーマ」と呼んでいるのだが、陶酔的で不可思議で遥かな感じのするメロディだ。このちょっとした音楽が、私の中の「Dil Se」のイメージを支配している。ARラフマーンは、ミュージカルシーン以外でも、こういった効果音やバックグラウンドスコアが本当に素晴らしい。こういった小さな印象の積み重ねが映画のイメージを決定してゆく。この微かな背景音によって、プリティの登場シーンが魅力的なものになっている。ただ、後半唯一差し挟まれるミュージカルシーンの「Jiya Jale」は、美しいがやや唐突な印象を与える。
メグナに再会したアマルは、彼女の素性を知る。悲惨な過去、暴力でもって抵抗するしかない過酷な運命、裏切ることは許されぬ仲間たち。インド北東部のテロリストという一見特殊なテーマながら、これは決して一部の人間の問題ではないはずだ。
世界中の至るところで民族や宗教の違いによる地域紛争が勃発しつづける現代。多くの紛争は複雑な歴史的背景をかかえ、容易に解決の糸口はみつからない。争いの背後に見え隠れする大国の思惑。
虐げられた者たちの悲惨な運命が誰に知られることもなく、ただ蹂躪されるままであったなら、彼らに残された唯一の抵抗の手段が「暴力」であるのは不可避であるのかもしれない。
そのメグナに対して、いったいアマルはどう答えることができるだろう。彼はいったいどうメグナに反論できるだろう。彼の答は実に陳腐で泣きたいほどに感動的だ。
「僕は君を行かせない、愛はきっと暴力よりも強いはずだから。」
.....果たしてアマルの愛は暴力に勝ったのだろうか。
もし一緒に逃げることができないのなら、君の行こうとしているところに一緒に連れ行ってくれと懇願するアマル。「愛していると一言でいいから言ってくれ」とつぶやくアマルに、メグナは最後まで何も答えないまま、二人は抱き合って遠いところへ行ってしまった。その答は空しく炎の中に包まれたまま物語は幕を閉じる。
およそ恋愛とは対極の世界であるテロリズムという世界に、ほとんど強引に登場する「愛」。ここでも、男と女は世界の対極からやってきて出会うのだ。マニラトナム映画を貫く愛のテーマはここでもまた実に真っ正面からの直球で、いつまでも心に残る一本の映画であることは間違いない。
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