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『Split wide open(褐色の街)』

冒頭−ボンベイの街の様子が映し出されると、一挙に映像に引き込まれていた。
主人公KPは、田舎から都会のボンベイに出てきた青年。父親も一緒だったのだが、その父親もいつしか行方不明になっていた。野宿したり、水道管の中で寝たりしながら、なんとか都会で生き延びようとする。そんな折りに、親から捨てられて都会に出てきた、ひとりの幼い少女と出会う。ふたりはまるで兄弟にように肩を寄せ合い暮らしていた。少女はうさんくさい老女のもとに身を寄せ、道路で花を売って生活している。
主人公の青年は、今ではボンベイの街の人々に水を売る仕事をし、時折テレビ局の人にも飲料水を売ったりするうちに、テレビ局の女性アナウンサーと顔見知りになる。このアナウンサーが担当する番組は、ボンベイに住む一般市民の、人に言えないスキャンダラスな秘密を暴くといった内容で、番組のタイトルは「スプリット・ワイド・オープン」

これがしゃれた番組で、毎回自分の秘密を打ち明ける一般市民がゲストに呼ばれる。顔は隠され匿名であるが、その告白内容が、「夫が使用人の男性と深い仲になり、自分もいつの間にかその使用人と関係ができて、泥沼の三角関係」とか、「見合い結婚した夫が不能だったのだが、その家は跡取りが欲しいらしく、義理の父親が関係を迫って来る」とか、そういった話題。しかしそれをまじめくさってリポートするから可笑しい。しかもその告白内容が再現ビデオのような形で語られる。
そんな折り青年は、勝手に街で水を売ったことで、街を仕切るマフィアからコテンパンにやられてしまう。しかも、今まで妹のように可愛がっていた少女がいつのまにか姿を消していた。青年はボンベイの街を、消えた少女を探してあてもなくさまよう。忽然と消えた少女。彼女は一体どこへ行ってしまったのか…・。人口1,600万の街の闇にうごめく、人間の欲望、おのれの境遇の惨めさにさえ気づかない無垢な少女たち。ラストで青年がついに見つけた少女は、もはやかつて彼が知っていた少女ではなかった。切ない結末。

少女売春という厳しい社会的現実をあばき出すという主旨の映画でありながら、物語の伏線となる奇妙なテレビ番組や、主人公の青年が英語を習ったり、生活のめんどうを見てもらっていた、キリスト教の神父の物語など、挿話部分がおもしろい。
ことさらに説明されているわけではないが、この神父はゲイである。深い緑に包まれた教会、そこは時折激しいスコールに見舞われ、遠くに見える海の波は荒れている。ボンベイは褐色の、悲惨さの同居する街でありながら、その雨に打たれる緑は目に染みて美しい。
上映後のティーチインで、監督のデヴ・ベネガルは今のインド社会の現実をありのままに描きたいというような事を語っていた。TVアナウンサーのナンディタを演じた女優のライラ・ローアスは非常な美人で西洋人のような容姿をしている。TV出身で、これが2本目の映画だということ。
(Oct 31, 1999)
『サティヤ』

監督ラムゴパル・ヴァルマ、主演チャクラバルティ、ウルミラ・マートンドカル、マノジ・バジパイ他、1998年インド映画

つい最近この監督の新作「Mast」を見て、いまひとつピンとこなかったこともあって、それ程期待してなかったのだか、なんとも嬉しいことに予想を大きく裏切られた。
ある日、ボンベイの都会にフラリと現われたサティヤ(=真実)。彼には親も兄弟も知人もいない。暗い目をした寡黙な風来坊。逃れがたい運命のように、彼は次第にボンベイの黒社会へと深く入り込んで行く。そこで出会った、兄貴分のビクー。悲惨で無意味な争いや殺人を続けながらも、その世界以外で生きるすべはどこにもないのだ。その殺伐としたサティヤの日々に現われた可憐な女性ヴィディヤ。何としてでも失ってはならない彼女の愛..
物語はとくに目新しいわけではないが、それぞれの俳優の魅力が十二分に引き出され、ウルミラの清純な美しさが光る。が、何と言っても、寡黙な謎の男サティヤを演じたチャクラバルティが素晴らしい。 絶望的なほどの孤独を淡々と演じ、あたかも彼自身がサティヤであるかのような錯覚を覚える。
あと一歩でつかめそうな幸せ。見え隠れする地平線。サティヤが最後に見たものは、約束の地であったか。

(Nov.7,1999)
「日本語はどこからきたのか」 大野晋

「日本語はどこからきたのか」(中公文庫 \590)

大野教授によると日本語はタミル語から来たのだという。弥生時代に稲作・金属器の使用、機織りという文明が南インドから渡来し、それらは日本人の生活の基礎になった。またその時に、日本語の基礎文法もタミル語からとりいれられたとする説。
これまではいくら日本の周辺の言語を調べても、日本語の親戚にあたるような言語が全く発見できなかったが、タミル語には驚くべき日本語との共通点があった。ただ単に言葉の対応だけでも、tambo(田んぼ)→タミル語のtampal、 naru(成る)→naru、fatake(畑)→pat-ukar
fa(歯)→palなど重要な単語約500に渡る例があげられている。加えて語順(文法)が非常に似ていたり、日本の和歌と同じ57577の形式がタミルの古い歌集「サンガム」にも数多くあったりするらしい。
驚くべきは、日本的心情をあらわす「アハレ」(af-are)という言葉にも、対応する語があり、タミル語のav-alam(アヴァラム)は、日本語の語感に非常に近い。

言葉のみならず、祭りにも共通点があり、日本の小正月とタミルの「ポンガルの祭り」は細かい点に至るまで似ているということ。その他にもタミル−日本の「とってもあやしい関係」の証拠がたくさん述べられていて、かなり説得力がある。

なんでも、すでに1850年代に、インド在住のイギリス人宣教師がドラヴィダ語と日本語の関係について著作をのこしていてが、当時は誰も注目しなかった。大野教授は、ドラヴィダ語の中の4大言語であるテルグ語・カンナダ語・タミル語・マラヤラム語のなかでも、とりわけタミル語についての文献が一番豊富であったので、タミル語を比較言語に選び調べていくうちに、日本語に似た言葉がゾロゾロ出てきたということなので、他のドラヴィダ言語と日本語との関係についての研究はこれからなのだろう。

この説が学術的にどれくらい確実なものであるのかはわからないけど、もしかして弥生時代にタミルの文化が日本にやってきて日本語の言葉や文化の基礎をつくり、そしてそのタミル文化が2000年以上もの時を隔てて別の形(映画)で日本にやってきたってのは、ただ想像するだけでもファンタステック。
この「日本語はどこからきたのか」(中公文庫)は、子ども向けに書かれたものなので、わかりやすく楽しく読める。更に詳しくは、岩波新書「日本語の起源」(大野晋)。言語に興味のある人には、興奮させられる内容。

(Dec 3 , 1999)

(←タミル文字で書いた「カーダル」)

JOCHEN KOWALSKI

たとえば、何かある物事に熱中していると、それにまつわることが自然に自分の近くに呼び寄せられるような気がする。以前、ずっと昔に好きだった、そしてもうタイトルも歌手も思い出せないようなポップスソングがあるCMに使われていて、しばらくその曲のことがずっと頭を離れないでいた。ある日偶然通りかかった普段めったに入ることのないショップで、なんとなくCDをブラブラ眺めていたら、フレンチポップスが置いてある一群に妙に気になる一枚のCDがあって、もしやと思って買ってみると、なんと私が探していた曲が中に入っていたのだった。

あるいは、数年前に『カストラート』というイタリア映画があって、当時これを見た私は男性ソプラノという存在にいたく魅了され、もちろん現代にはカストラート(去勢男性オペラ歌手)などというものは存在しないものの、かつてのカストラートを彷彿とさせるカウンターテナーの音楽をCDで聞いては、ぜひ生の声を聞いてみたいものだと思っていた。が、カウンタテナー歌手の実際の歌声を聞くチャンスなどめったにあるまいと思っていた時、なんの気なしに眺めていた会社の回覧物の中に、「ドイツカウンターテナー歌手ヨッヘン・コヴァルスキー・コンサート」のちらしが入っていた。このコヴァルスキーこそは、私のもっとも好きな歌声の持ち主のひとりだった!しかもその公演日は自分の誕生日。その日は、私の大好きな「オンブラ・マイ・フ」(ヘンデル)の曲も歌われ、幸せな夜だった。

(Dec 8, 1999)

日本語と私 ・ 大野晋

大野晋講演会 '日本語と私‘(新宿住友ビル、住友ホールにて)

テーマは「日本語はこれからどうなってゆくのか」。文明と言葉は密接に結びついていて、ある文明がすぐれていると、その文明は言葉とともに周囲に伝わってゆく。(かつてタミルから優れた文明がタミル語と一緒に日本に伝わったように。あるいは戦後、日本の経済復興が驚異の目で周囲から見られていた時、アジアの人々はみんな日本語を習いたがっていたように。)
その土地や地域の性格に結びついている文化とは違って、文明は世界中どこでも広まってゆくことのできる技術を伴っている。人間がそれを見たら必ず欲しいと思うようなもの−たとえば金属とか織物とか−それが文明である。そして、言語の歴史を見てみると、文明が優越している言語のみが生き残るらしい。日本語を生き残らせるためには、21世紀を生きる文明を日本語で発見しなくてはならない。

が、振り返って日本語の現状をみてみると、これがなかなか暗い未来が待ちうけていそうで、ある説によるとこのままカタカナ語、ローマ字語が増えてゆけば、2100年くらいまでに日本語はクレオール(*)の一種になるのではないか?あるいは現代の子どもたちは日本語をまともに学ばなくなっているが、そのくせ英語の歌詞などはすぐ覚え発音も英語に近くなってきている。あるひとつの言語が力を失うと他の有力な言語にとってかわるが、その時もとの言語(日本語)の方はたいてい消えてしまう。だがかと言って、とって変わった言語(英語)ができるかといえば、こちらもアヤフヤなままらしい。つまりどちらの言葉にも習熟しない人たちが出てくるわけだ。

(*)言葉の通じない人々が出会った場合、接触に際してその時だけ通用する共通の言葉をつかう。それはその場限りで、接触が終われば無くなることばであるが、これをピジンpidginという。次に、そのピジンを聞いて育つ子どもが出てくる。ピジンを母語とする人々が話すことばがクレオールcreole。このクレオールが成熟するのに普通300年近くかかると言われる。

この話を聞いていて思ったのは、恐らく多くの人が日本語が崩れてきていると思っていて、しかもその事が危機的に感じられるのは、日本語を失うということはそのまま自分達の文化や根拠を失ってしまうことを意味するからなんだろう。自分が日本語を話すことは、偶然にすぎないが、人はだれしも確固とした母国語が必要なはずだ。十分に習熟した母国語を持つことなしに、どうしてじっくり考えたり感じたりすることができるだろう。しかし、運命論じみて聞こえるが、絶滅に向かう生物の種をいくら保護しても結局は絶滅してしまうように、言葉や文明も一旦衰退期に入ると、もうそれはいくら抗ってもその自然の流れに逆らえないような気がしてならない。まあ、すくなくとも、私が生きている間に日本語が無くなくことはないだろうけど。

(Dec 8, 1999)