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Interview with KIM KIDUK
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『受取人不明』というタイトルについて

僕が育った田舎の村で、地面にたくさんの手紙が散らばっていたのを、今でも思い出す。それは宛先不明で戻ってきた手紙だった。 それらの殆どは、郵便受けに長い間置かれたままになって、終いには風に吹き飛ばされて田んぼの中や汚い水溜まりにへばりついていた。そんな光景を見るたびに、僕はその手紙を開けてみたい強い衝動にかられて、実際に何度も実行したんだけど、たいていは悲しい、絶望的な内容だった。この映画の中の3人のキャラクターは、僕にとってこの子供時代の捨てられた手紙のようなものだ。彼らは、「まだ受け取られていない」時代の子供たちなんだ。この不毛の荒野で、チャンググは完全に押しつぶされ、ユンオクはその途上にあり、ジフンは雑草のように生き延びるだろう。

自分たちを取り囲むこの悲惨さは、どこから来たのか?という疑問

米軍基地に囲まれた暮らしをテーマを考えるとき、朝鮮戦争から日本軍による帝国主義の時代まで私達の歴史をさかのぼりたいと思う。この映画のもっとも悲惨なシーンは、父親が家の地面から掘り出した拳銃を修理して、その銃で手に持った鶏を撃つ場面かもしれない。世代をこえて繰り返される暴力−これは僕たちの国における暴力の形態の、一番の特徴と言えるのではないか。

この尋常でない物語をどのように思いついたのか。

これは僕と友達が17歳の時の本当の話なんだ。ジフンの体験は僕自身のものだし、ジフンの友達は27歳の時に自殺した。そして、もうひとりの片目の友達。すべては本当に起こったできごとだった。

チャングクとその母親との関係

米軍基地の周辺では似たような話がいつくもあった。朝鮮戦争の後、多くの混血児たちがアメリカに養子としてもらわれていったが、残された子供たちは、その母親とともに社会の底辺におかれ蔑視されていた。
僕の小学校の隣には、そういった子供たちを保護する施設があった。当時クラスにはいつも2−3人の混血児がいたのは、そのせいだった。あの頃は、僕は彼らがとても恐かった、というのも彼らはたいてい非常に乱暴だったからだ。彼らの中には、チャングクが母親と赤いバスに住んでいたのと同じように、小さな木でできた掘っ建て小屋に住んでいた人々がいた。彼らもまたチャンググと同様にその母親に暴力をふるっていたんだ。僕は小学校の4,5年生だったと思うけど、その光景はとてもショッキングで生々しかった。今僕は、あの頃の僕の友達が、いったいどこから来たのかが理解できる。苦痛と悲しみが続いて行くこと自体は、何も変っていない。

「受取人不明」のアメリカ兵を見ていると、これまで私達を支配していた親アメリカと反アメリカという相反した感情を超えた視点を感じるが。

米軍基地というのは、それが不快なものであることに変りないが、それでもある程度親しい存在であるのかもしれない。彼らは、性的犯罪も含め大小の問題を引き起こしている、それらは遅かれ早かれ無くなってしまわなくてはならないものだけどね。でも、それらの問題を引き起こす原因である根深い‘基地’という環境、帝国主義的侵略者としての心情は、事件を起した数人の米兵個人の問題ではないはずだ。

この映画の脚本を書いている段階では、僕はアメリカ軍に対して非常に批判的だった。しかし、映画のロケハンを始めて、基地の周辺に数限りなくあるみすぼらしい、薄汚れたクラブを見たりするうちち、僕の中で言いようのない悲しみが湧きあがってきた。数ドルのお金でロシアやフィリピンの娼婦を買い、そのあと、惨めにとぼとぼと基地に帰って行くGIから感じるのは、孤独と寂しさだけだった。その時初めて自問自答したんだ、自分はこれまで彼らを理解しようとしたのかと。彼らは、たとえば、中東へ派遣された韓国兵と同じではないか。

これは僕に、アメリカ兵がおこす性的犯罪に対して、別の視点を与えた。彼らは、基地周辺の治外法権の場所で、いったい何をするこができただろう。彼らは、外国で青春時代をおくるはめになった、ただの若者にすぎない。この意味において、「受取人不明」における僕の見解は、「親米」と「反米」の二つの感情がミックスされたものであると言える。


れまでの作品とは違い、「受取人不明」は政治と歴史がテーマの前面にでているのでは。

僕は、これまでのどの映画でも政治を扱ってきたつもりだよ。例えば「クロコダイル」ではノーマルとアブノーマルという問題に焦点をあてたし、「鳥籠旅館」(青い門)では、社会の中での階級差別を扱った。でもこれらの映画は、政治的というより詩的なアプローチを試みたので、今回の映画とはちょっと違うかもしれないね。

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