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特集上映「ロメールの道徳的コントなど」 B

長いこと見たくてたまらなかった『O公爵夫人』 Die Marquise von O... (1975年/107分/主演:エーディト・クレヴァー、ブルーノ・ガンツ)。原作はドイツのハインリッヒ・フォン・クライスト。よってセリフはドイツ語なのだが、ロメールの手にかかるとドイツ語でさえ洗練された優雅な響きを持つ。まずこれは原作自身が素晴らしく面白く、加えてそれにロメール的表現がさらに面白さを倍増し、全くもってたぐいまれな逸品である。夫に先立たれ、寡婦となって娘とともに実家に身を寄せるO公爵夫人。そのイタリアの邸宅にロシア軍が押し寄せた。逃げ惑う夫人は、暴漢に襲われそうになるのだが、危機一髪若きロシア軍中佐に助けられる。難を逃れた夫人はその夜、睡眠薬をのんで深い眠りに落ちた...。 一同は中佐に深く感謝し、彼は去っていった。平和が訪れて数ヶ月後、夫人は自らの体の変調に驚く。全く身に覚えがないまま妊娠していたのだった。マリアじゃあるまいし、まさか処女懐妊?両親は激怒し、ふしだらな娘を別荘に監禁。夫人は自らの身の潔白を主張して、新聞に「身に覚えのない子供を身ごもったので、子供の父親になる人を求める」広告を出す。そして、その時、現われたのは。
大袈裟な演劇的身振りに始まる冒頭から、素朴な大円団に終わる最後の瞬間まで、古典的カタルシスを存分に味わいつくす喜びといったら!ロメールの描写は相変らずユーモアたっぷりで、時々吹き出しそうになる。とりわけ、若きブルーノ・ガンツ演ずる中佐の滑稽さは、筆舌につくしがたい。公爵夫人もドイツ人らしく、いかにも無骨な淑女であるのだが、フュースリの「夢魔」を再現する、体にぴたりと纏わりついたシルクの寝間着を着て寝乱れる極めつけのエロティシズムには、誰しも息をのむ。そして、世間から逃れて監禁される別荘の、したたる程に美しい緑と陽光。心の底から愛さずにはいられないロメール映画の最高峰。
-Jan 31 2003



特集上映「ロメールの道徳的コントなど」 A


幸運の星のもとに生まれたはずなのに、無一文で真夏の人気のないパリを歩き回るはめになるピエール。パリの街が、いつのまにか悪夢の舞台に変る『獅子座』(1959年)は、明るい楽天性に満ちた後期のロメール映画とは一味違う。強い日差しの、乾いた真夏の風景が、じりじりと焦燥感を増して息苦しささえ漂わせる。1962年の『モンソーのパン屋の女の子』は、街ですれちがった女性と知り合い、デートをして、最後には結婚するまでを描いた短編。お目当ての女性を待ち伏せするうちに、路地裏でパン屋を見つけ、そこで毎日サブレーを買う大学生の主人公。しかし、今度はそのパン屋の娘にも気をひかれてしまい、ややこしい関係に。ヒロインの女優は、恐らくロメール映画の中でも最高の美人ではないか。
「クレールの膝」の2年後に公開された『愛の昼下がり』(1972年)は、ちょっと不思議で、それでいてやはりロメールらしい、あれこれ逡巡する人の心の動きを繊細にとらえた作品。妻を愛し、幸せな結婚生活を送っているくせに、「美しき結婚」のエドモンにも似て、女性のアプローチにノーと言えずに困った立場に追い込まれる優柔不断な主人公。困惑しながらも、その関係を終わらせずにいるところに、下心もちらほらと。日本だったら「不倫」なんて暗い表現になりそうな関係でも、フランス人のそれは、軽やかな恋愛遊戯っぽいところが楽しい。人生は楽しまなくちゃ。
-January 26 2003




特集上映「ロメールの道徳的コントなど」 @


ユーロスぺースでのロメール特集。『クレールの膝』(1970年)こそは、‘夏の避暑地でのアバンチュール’シリーズの始まりで、夏、青い空、湖、避暑、水着、恋・・ すべてが揃っている。結婚を控えた外交官のジェロームは、避暑地で昔の女友達に偶然会う。再会を喜びあうが、彼女にはローラとクレールという二人の若い娘がいる。初夏の湖のほとりで、ジェロームは若い娘たちとの恋愛遊戯を始めようとするのだったが、とりわけ美しいクレールが気になって仕方がない・・
もうすぐ最愛の女性と結婚するというその少しの間隙さえも、アバンチュールに余念のないフランス男に、古い女友達、こましゃくれたローラと内気な女の子クレール、そしてそれぞれのボーイフレンド、という複数の登場人物たちによる、初夏の湖を舞台にした軽妙で豊かな人間関係。ローラを演ずるのは、少女時代のベアトリス・ロマン。私は「恋の秋」(中年女性)→「美しき結婚」(女子大生)→「クレールの膝」(少女)の順で見たので、彼女の姿をさかのぼって観察する楽しみがあった。ロメールは彼女の人生すべての時期をフィルムにおさめていることになる。ベアトリス・ロマンのローラは実に愛らしくて、特徴のある少しくぐもったような話し方は子供時代から変らない。一方、金髪碧眼のクレールは清々しい美少女で、夏らしく日焼けしたすらりとした肢体が目にまぶしい。くせのない美人ということで、ロメール映画の登場人物にしては、ちょっと異色の感じがする。(彼女はこの映画以外には登場していない。)小説家の母親はつぶやく、「うまくいけば、美人になるかもしれないわ」。母親でありながら、ジェロームに誘惑をけしかける程、進歩的な女性なのだ。季節は終わる、でも私達の記憶に残るのはフィルムに刻まれた輝かしい永遠の夏。
- January 24, 2003



18世紀的愉悦


たった一ヶ月で公開が打ち切られてしまった、ロメールの最新作『グレースと公爵』は、実に新鮮で刺激的な体験を堪能できる作品だった。 あの「O公爵夫人」を思えば、ロメールの歴史劇が魅力的でなかろうはずがない。とりわけ、ルイ16世処刑の様子を、グレースが遠く彼方の丘の上から眺めるシーンはあまりに生々しい「映画的現実」で、何か見てはならないものを見ているような不思議が感覚にとらわれた。ロメールは俳優を選ぶときに、セリフまわしや声の質を重視するらしいが、ここではオルレアン公が印象的である。いかにも演劇的で、くぐもった低いバリトンの響きは、物語の快い通奏低音を奏でる。また、グレースは英国人であり、彼女のしゃべる「外国人の」フランス語もまた微妙な差違を感じさせ、味わい深い。
グレースとオルレアン公爵の関係は、「終わった恋」である。かつて恋人同士だった二人は、別れた後も暖かい友情を持ち続ける程十分に大人であり、恐らく「別れた恋人」というのは、いつまでも魅力的な存在でありつづけるのだろう。公爵が、さりげなくグレースの寝室を訪問したりする描写が心憎い。例のよって、ロメール映画の常連たちが脇役で登場するが、さまざまなシーンで彼らを発見する楽しみもまた格別。
- January 22, 2003



飛行士は誰


『飛行士の妻』 なんてとても奇妙なタイトルだと思う。1980年、エリック・ロメール作品。別に宇宙飛行士が出てくるわけではなく、ヒロインのマリー・リヴィエールの恋人で、妻子持ちのパイロットのこと。不倫なんて結局ロクなことがない。いくらその瞬間幸せでも、いつかは破局がやってくる。マリーは半分やけになって、ちょっとダサい大学生と遊び半分で付き合っているのだが、一途な彼はマリーの愛人を街角で見かけて、こっそりとその後をつけはじめた…。そうやって、ロメール映画の基本にのっとり、「獅子座」よろしく、登場人物たちはパリの街の中をあちこち歩き回る事になる。
実にロメールらしい楽しい映画なのだが、何にもまして感動的だったのは、飛行士がマチュー・カリエールだったこと。シュレンドルフの「テルレスの青春」に登場した美少年で、その後、オーストリアの画家「エゴン・シーレ」を描いた映画でもう一度見た記憶がある。妙に神経質そうな美貌が印象的な俳優だ。フランス風の名前だけど、ドイツ語圏の映画で馴染みがあっただけに、こうやってロメールの映画に登場したりするとちょっと不思議な感じがする。
- January 19, 2003




家族の風景


『グッバイ・ジョー』 Joe the king (1999年アメリカ)は、ある白人少年の物語。少年の家庭は完璧なまでに崩壊している。仕事を失いアル中の父親、両親は喧嘩ばかり、家は極貧で食事にさえ事欠く。そんな微かな希望さえ持てない環境で、14歳の少年はいったい何を夢見て生きてゆけばいいのだろう。学校に通いながら、夜は薄汚れたレストランの厨房で夜遅くまでアルバイトをし、そのレストランからくすねた残飯が夜の食事だ。自分が通う学校の清掃の仕事をしている兄がつぶやく、「この地球上からいなくなってしまいたい。」 少年はごく自然に万引きを重ねるようになり、最後にはレストランのお金を盗んで少年鑑別所送りとなってしまう。 最後まで一度も笑うことがなかったジョー。居場所がないのだ。どこにも。家庭崩壊というシーンは世界中どこにでもあるだろう。でもアメリカのそれは、なにか救いようがない程に悲惨である。どんな希望さえも打ち砕いてしまいそうな、うすら寒さ。少年がそれでも失わなかった優しい心も、行き場を失いさ迷うばかり。
- January 18, 2003




タッジオ再び


金曜日の夜から咳き込みはじめて本格的風邪に突入。3連休を家にこもって過ごすはめになり、毛布にくるまってシネフィルイマジカで流れる映画を片っ端から見る。メグ・ライアン主演の『フレンチ・キス』。婚約者をフランス人女性に取られたアメリカ娘が、パリに乗り込みフィアンセを取り返そうとするが、途中で泥棒稼業の男がからんできて、最後にはその男と結ばれる。いかにも底の浅いハリウッド映画なんだが、メグ・ライアンのキュートさに驚く。プラチナブロンドのショートヘアがいかにも愛らしく、途中のセリフにも出てくるが、天使みたい。さすがに人気女優だけのことはあると感心。続いてヴィスコンティ特集で『ベニスに死す』と『夏の嵐』。「ベニスに死す」のヴョルン・アンドレセン演じるタッジオの非現実的美貌は、今改めて見ても壮絶なものがある。ただこの映画、アッシェンバッハの故郷での描写が妙に俗っぽく、トーマス・マンの原作の高貴さを損ねている。その点だけがずっと残念だった。「夏の嵐」はヴェニスの伯爵夫人が敵のオーストリア将校と道ならぬ関係になり、自分を見失って最後には破滅する物語。いかにも女たらし風の青年将校に、恋を経験したことのない純情な伯爵夫人が簡単に騙されてゆくという、女の弱さが痛々しく描かれ悲しい。
- January 12, 2003



幸せの意味


NHKでアジア人間街道という番組を時々やっているが、今日たまたま見ていたらバングラデッシュが舞台だった。一家は昔漁師だったが、一帯が港湾になったために仕事場を失い、家族の唯一の働き手である息子は危険なヤードで働いている。それでも最低の生活しか送れない。父親は給料が下がっても安全な職場で働いて欲しいと願い、息子は村のジュート工場へ職を探しにいくが、空きが無いと断られる。他の仕事が見つかるまでは港湾ヤードで船の溶接等の危険な仕事につくしかない。青年は暗い顔で「僕がもっと働いてお金を稼ぎ、家族を少しでも楽にしてやりたい」と言う。最後に、あなたは幸せですかと質問されると、青年はしばらく口ごもって、「幸せがどうかなんて...。そんなこと僕にはわからないよ。」とぽつりと言った。その時のなんとも言えない悲しい目が、たまらなかった。幸せという言葉の意味さえ知らない人々が、この世界にはいっぱいいる。
- January 11, 2003



ロメールのいたずら


田園で高鳴るのは誰の心?
空中楼閣を築くのは誰?
− ラ・フォンテーヌ

エリック・ロメールの恋愛劇を注意深く見ていると、主人公に恋愛をそそのかす第三の人物がよく登場する。『美しき結婚』La Beau mariage (1981年)では、結婚にあこがれる女子大生サビーヌ(ベアトリス・ロマン)におせっかいをやく友人のクラリス(アリエル・ドンバール)がそうだ。従兄弟で弁護士のエドモンを紹介して二人を結びつけようとする。サビーヌはハンサムでお金持ちのエドモンにすっかり心を奪われ、これぞ理想の結婚相手だと積極的にアプローチするが、相手の態度はどうもイマイチ・・。サビーヌにあれやこれやとアドバイスするクラリスは、すでに医者の夫を射止めているので、心配してると見せかけて実は友人の恋愛を楽しんでいる。これと似たパターンは『秋のソナタ』(1998年)でも反復される。そしてこの映画では、17年後の中年になったベアトリス・ロマンが再び登場し、今度は『緑の光線』のマリー・リヴィエールにおせっかいをやかれる役回り。『春のソナタ』のナタシャも、とりわけ可愛いおせっかい役で、やもめの父親に友人の哲学教師を結び付けようとする。ロメール映画の中の遊戯性に満ちた人間関係は軽やかで優雅である。
それにしても、ロメール映画のヒロインたちは祝福されることが多いのに、『美しき結婚』のサビーヌはかなり辛辣は視線にさらされている。ベアトリス・ロマンはこの時はさすがに若いので少女らしい可愛らしさもあるが、どちらかというと不細工な娘。性格も頑固で変わり者。にもかかわらず、彼女は男性に対しては自信たっぷりで「私を拒める男性がいるかしら」なんて言っちゃうのだ。で、紹介されたエドモンが自分の結婚相手にぴったりだと思うや、相手の気持ちもおかまいなしに押しの一手。案の定、押しかけていった弁護士事務所で「君には惹かれない」と、こっぴどく振られてしまう。しかし、その後の友人クラリスへのセリフがまたすごい、「よく考えてみたら、彼は私のタイプじゃなかったわ」だって。振られても堂々としたものなのだ。ロメール映画は、こういった日常のこまごました会話や人々のやりとりを見るだけでも楽しく、映画の隅々にまで新鮮な発見がつまっている。サビーヌの結婚願望をシニカルに描写しているので、女性にはかなり「意地悪な」映画ではあるが、細やかな心理描写はさすが。雨に打たれるル・マンの石畳の街は、どのショットも実に魅力的でいとおしい。この映画にはのちのロメール映画でおなじみの役者が次々に出てくる。サビーヌの元恋人は、『緑の光線』、妻子持ちの愛人は『海辺のポーリーヌ』、妹は『友達の恋人』のソフィー・ルノアール、アリエル・ドンバールは『海辺のポーリーヌ』、『木と市長と文化会館』でも再登場。彼女の人形のようなブリッ子衣装に驚くが、フランスでもこんなのアリ?
- January 8,2003




A Happy New Year 2003


このサイトも去年の11月でまる3年、今年は4年目に突入。その割にはあまり進歩も進捗もなくて、マンネリ気味なのだ。いろんな所が気に入らなくて、思い切って作り変えてしまおうかとも思ったりするんだけど、まだそこまでの余裕がない。このままインド映画のサイトとして続けるべきかどうか悩むところ。とりあえずは、個人的雑記をちまちま書き連ねるくらいなのかな、できるのは。それ以前にこの崩壊寸前のパソコンをどうにかする方が先のような気もするが。
- January 6 2003