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TOKYO FILMeX 2002 (Dec.1 - 8,2002 ) Vol.2

もちろん退屈な映画ばかりじゃなかった。そしてそれはやっぱり韓国映画だった。まず「チング」のクアク・キョンテク監督とユ・オソンが再びコンビを組んだ『チャンピオン』。「チング」程の完成度は無い。それでもこの監督は韓国人の「痛み」を実に感動的に描くのだ。実在のボクサー、キム・ドゥックがラスベガスで行われたWBAライト級世界タイトルマッチで、打ちのめされ半死状態で担架に乗せられてゆく。その様子をテレビで実際に見た17歳のクアク・キョンテク自身が感じた、悲しみ、やりきれなさ。それがこの映画の中から確かに伝わってくる。それは痛みであり、行き場のない怒りであったに違いない。貧しく、理不尽だった過去−それは、どうしても語る必要があった。その必然性がこの映画にはある。感傷的すぎるかもしれない。それでも私は、俳優ユ・オソンによって体現された言いようのない悲しみに深く共感を覚える。「チング」も「チャンピオン」も、ユ・オソンの存在抜きには決して語れないだろう。素晴らしい役者である。
そして、最後まで涙が止まらなかった『オアシス』。「ペパーミント・キャンディ」のイ・チャンドン監督作品。一方は刑務所帰りの少し頭の弱い男。そしてもう一方は脳性麻痺で体が硬直した若い女。この二人の恋愛である。「障害者」が出てくることによって、ある程度作品に枠がはめられてしまいそうな予感を軽く飛び越え、だれもが素直に「愛」を感じる至高のラブストーリー。純粋であることを表現する手段として、ありきたりであることを恐れず、ひたすらに直球である。最も悲惨な者が最も祝福された者であるということ。健常者と障害者、日常と非日常、現実と夢、それらの境界が溶け合い渾然一体となった地平は、この世で生きてゆく上の小さなオアシスであるに違いなく、そしてそのオアシスとは「愛」の別名であることもまた確かである。




TOKYO FILMeX 2002 (Dec.1 - 8,2002 ) Vol.1


オープニングの『エルミタージュ幻想』 Russian Ark(ロシアの方舟)は、NHKのハイヴィジョンで放送されたものがそのまま流されたのが興ざめではあるが、このソクーロフの最新作はとっても素敵だった。90分間ワンカットで撮影された映像は、広間や廊下や階段をどこまでも奥へ奥へと進んで行き目眩を誘う。ブツブツと陰気なソクーロフのナレーションも、案内役の山羊のような男の奇怪さも、薄気味悪い音楽も、それとは反対に豪奢な舞台も、すべてが好ましい。エルミタージュの絵画の中をさまよう幻想の歴史絵巻に、ヨーロッパ文化の奥深さを感じる。
コンペ作品では、老人の性を正面から描いた『死んでもいい』(2002年/韓国)が興味深かった。老人の性生活シーンの連続に驚かされるが、いやらしい感じはなく、むしろ二人の暖かい関係がほのぼのとした印象を残す。『ギリギリの二人』(2002年/タイ・シンガポール)は、ダニー・パン監督作品。映像は確かにスタイリッシュだけど、主人公の生き方が見えてこないのが最後までもどかしい。そして、タイ映画『ブリスフリー・ユアーズ』(2002年)は、これが何とも形容のしようがない奇怪な映画で、気持ち悪い後味が残っただけなのだが、コンペ作品のグランプリだったのには驚く。特別招待作品では、ジャジャンクーの新作『青の稲妻』もとりあえず見てみたが、やっぱりこの監督は苦手。私には凡庸な作品にしか思えない。



「自然」の快楽 − エリック・ロメール


晴れ渡った11月最後の週末は、久しぶりに空が高い。散歩がてらに外堀通りをぶらぶらと、東京日仏学院まで歩く。今日はエスパス・イマージュでエリック・ロメールのドキュメンタリー映画の上映。もうすぐ新作『グレースと公爵』が公開されるので(12月21日より日比谷シャンテにて)、テレビでも旧作の特集をやっているし、ロメールを愛する人には嬉しい日々。

現代の映画シリーズ エリック・ロメール、確かな証拠 (1994年/120分/ヴィデオ/カラー)
監督:アンドレ・S・ラバルト
出演:エリック・ロメール、ジャン・ドゥーシェ
ナレーション:アリエル・ドンバール
「メモ帳やヴィデオ・カセット、試し撮りされたフィルムなど、貴重な証拠に囲まれながら、エリック・ロメールが、批評家ジャン・ドゥーシェのインタヴューに答える。古典文化を好むロメールは、自らの作品や、ヌーヴェルヴァーグの仲間たちの映画における、ドイツ哲学や音楽の役割を強調する。またロメールの映画において最も重要な要素である「偶然」について言及しながら、その原則を述べる。そして脚本の書き方や、音響などの作業、俳優との仕事についてなど、理論的、実践的な大変興味深い映画の授業を披露してくれる。」

ロメールの、実に愉快なじいさんぶりに思わず吹き出しそうになる。手紙や写真やビデオやつかいこんだノートや、ポートフォリオ、いろんな器材、アマチュア風な小道具や最先端機器−隠し持ったさまざまな小道具が次々とさりげなく披露され、ロメール映画が実にロメール自身であることが感じられて楽しい。そして、溢れ出すようにしゃべるしゃべる−音楽のこと、会話、そして色、絵画、自然。ロメールの映画で一番好きなのは、その「音」の扱い方なのだが、まず「会話ははっきりと明確に聞き取れなくてはならない、そして会話は会話だけで楽しむべき、しかも同録を行っていると自然のいろんな美しい音が入って来て、そこにBGMを入れる余地がない。」とロメールは語る。自然こそが一番美しい。風の音、雨の音、街のざわめき、石畳を歩く足音、ページをめくる音...私たちを取り囲むありとあらゆる繊細で美しい音たちが、音楽のないロメール映画を実に音楽的に彩る。時には、夜明け前の完全な静寂の一瞬(「レネットとミラベル、四つの冒険」)さえ、息を呑むほど音楽的であること。そこにフランス語の豊かな会話の響きが加われば、さらに「音楽」を付け加える必要はなくなるだろう。また、ロメール映画では主人公たちの衣装に注目しなくてはならない。彼らが身に付ける色がアクセントになって、画面が実に絵画的で美しい色彩バランスを保つ。そして続ける、「すべては偶然に支配される。」と。人々は偶然に出会い、偶然の物語を紡ぎ出す。自然はめちゃくちゃだけど、その些細な偶然が悦ばしい。日々は新たな発見の連続だ。だからこそ人生は美しく、そして味わい深い。(11/30)




7th PUSAN International Film Festival (Nov.14-23,2002)


去年の楽しさが忘れられず、2回目の釜山国際映画祭。たった2日間だけの滞在だったけど、それでも映画三昧に、ちょっぴり食べ歩きも。やっぱり釜山はやめられない。没落したブラーミン一家の悲劇を描いたテルグ語映画『The Rite ... A Passion』や、韓国版アニメ『マリ物語』などがおもしろかったが、なんといってもキム・ギドクの最新作にして、今年の映画祭のオープニング作品でもある『海岸線』が刺激的だった。相変らず確信犯的で、きっぱりと反社会的な映画に喝采。詳細はのちほど。(11/19)

The Coast Guard「海岸線」 監督:Kim Ki-duk2002年 韓国
The Rite ... A Passion 監督:K.N.T.Sastry2001年 インド
My Beautiful Girl, Mari「マリ物語」 監督:Lee Sung-gang2002年 韓国
No Blood No Tears「血も涙もなく」 監督:Ryu Seung-wan2002年 韓国
Three「スリー」監督:Peter Chan他 2002年香港、韓国、タイ
Kunpan,Legend of the Warlord 監督:Thanit Jitnakul2002年 タイ
Pushing Hands「推手」 監督:Ang Lee1991年台湾



東京国際映画祭2002年 (Oct.26 - Nov.4,2002) Vol.3

デジタル復元版の美しい画像に驚くキンフーの『大酔侠』。グリーンデスティニーでチャン・ツィイー演じる凛々しい女剣士のオリジナルはこの映画のチェン・ペイペイだった!とにかくカッコいい!アン・リーもきっと胸躍らせてこの映画を見ていたに違いない。インド映画の『時に喜び、時に悲しみ』は青年監督カラン・ジョハールの2作目。大ヒットしたデビュー作の「Kuch Kuch Hota Hai」には及ばないが、最近の見かけだけ豪華なボリウッド映画とは一線を画する力作。人々の心情を細やかに描き、切ない親子の情が泣かせる。 ただ、城に住み自家用ジェットで移動する家族というキッチュな設定が残念。KKHHがあんなにもすんなりと感動的だったのは、主人公たちがふつうの大学生活を送り、失恋し、また再会してと、その設定が現実的だったからかもしれない。歌や踊りで十二分に豪華で夢の世界なのだから、せめて舞台設定はもう少しリアルにして欲しいもの。
『結婚は狂喜の沙汰』は、実に面白い韓国映画だった。優柔不断な若い男は大学の講師で独身、友達の勧めでブラインド・デートをするが、相手の女性は美人だが三高しか目にない。こんな打算的で身勝手な女とは、さっさと別れてしまえばいいんだろうが、そこは男と女。互いが自分が探している相手ではないと頭の中ではわかっていながら、ずるずると関係が続いてしまう。女は結婚相手には、より条件のいい男を求めているくせに、目の前の便利な男とも別れられずにいるし、男は女の打算に辟易としながらも、その体が忘れられない。そんな男女の本音の部分を実にあっけらかんと描いていて、むしろ爽快感すらある。二人の会話や関係が物語りの主人公となり、余計な部分がないシンプルで小気味良い展開は、洗練されたフランス映画を彷彿とさせた。見るものに判断を委ねるラストも心憎い。


東京国際映画祭2002年 (Oct.26 - Nov.4,2002) Vol.2

アジア映画賞を受賞したスリランカ映画『この翼で飛べたら』は異色作だ。印象的だけど、単純に楽しめるような類の映画ではない。女でありながら男として生きる主人公は、妻もいて自動車工場で働いている。この男になりすました女に欲情する中年の医者や、男だと思い込んで近寄ってくる同僚の男など、この映画では性別がもつれあいこんがらがっている。しかし、この主人公は決して「性同一性障害」などでなく、社会的「性」(ジェンダー)としての女を自ら放棄しただけのこと。しかし、その無表情な顔はなぜかとても悲しげである。ラストの全裸シーンの「剥き出しの」光景には驚かされたが、この主人公を演じたのは監督アソカ・ハンダカマの夫人であると知り、さらに驚く。
『僕、バカじゃない』は、シンガポールの今が鮮明に切り取れていて、あの小さな国に沢山立ち並ぶ高層アパートやマンションの中を覗き込んでいるような楽しさがあった。熾烈な学歴社会や子供に対する親の過剰な期待は、アジアの新興諸国に共通しているようだが、シンガポールのそれはとりわけ顕著だ。落ちごぼれ学級に入れられた3人の少年とその親たちのドタバタ劇を通じて、シンガポール社会を痛烈に風刺する。英語とも中国語とも言えないシングリッシュを話し、それでも母語である中国語へのこだわりは強く、中国語を学ばせるために子供を台湾に留学させる、というような話は興味深い。シンガポールの街角で話されている中国語がいったいどこの地方の言葉なのか、未だに私にはよくわからないのだが、それぞれの出身地ごとに多様な中国語が使われているのかもしれない。しかも、それにマレー語やタミル語が加わる。この雑多な集団をひとつに纏め上げているのが、あくなき上昇志向とその結果としての過酷な競争社会、ということなのかもしれない。


東京国際映画祭2002年 (Oct.26 - Nov.4,2002) Vol.1


「アジアの風」部門を除いて、なんとも寂しい内容の今年の東京国際。ラインナップに明確なポリシーが感じられないのが残念。この調子だと来年はどうなるのだろう。
チェン・ペイペイの「香港ノクターン」を断念して見に行った『荒野の絆』。ネイティヴ・アメリカンの監督によるネイティヴ・アメリカンを描いた映画で、出会えて本当に良かったと思える素晴らしい作品だった。誰しもが、あたかもそれが存在しないかのように、意識の外に押しやる歴史のほの暗い部分。しかしそれは、間違いなくそこに存在して、「ラシュモア山のアメリカ大統領の顔」に赤いしみを残す。舞台はアメリカ先住民居留地パイン・リッジ。仲の良い兄弟だったルディとモギー。ルディはりっぱな警官となったが、兄のモギーはベトナム戦争に傷つき今は酒浸りで廃人状態に陥っている。この二人の兄弟としての愛憎と、住民の大部分が生きる目的を失いアルコール中毒者だらけの、居留地の荒廃した現状が、生々しく描き出される。どれほど力を尽くしても、隣人を救うことのできないもどかしさ、己の無力さ。一旦滅びに向かったものをその滅亡から救い出す術はどこにもないのか? 生命の種が自然淘汰され強いものだけが生き残って行くのと同様に、人間の世界でもより強い文化のみが生き残り、少数派は次第に消えてゆく。その流れを押し止めることはできないのに、それでも消えゆこうとするものたちに、限りない愛を感じてしまう。そのまなざしが切ない。文化を失ったら、人は生きて行けない。だから居留地の人々もいつかは必ず消滅する。私達にできるのは、それをずっと覚えておくこと。大切に記憶しつづけること。


『荒野の絆』 Skinsコンペティション 監督:クリス・エア2001年 アメリカ
『恋人』 コンペティション 監督:ジャン・チンミン2002年 中国
『この翼で飛べたら』アジアの風 監督:アソカ・ハンダガマ2002年 スリランカ
『僕、バカじゃない』 アジアの風 監督:ジャック・ネオ2001年 シンガポール
『結婚は狂気の沙汰』アジアの風 監督:ユ・ハ2002年韓国
『時に喜び、時に悲しみ』アジアの風 監督:カラン・ジョハール2001年 インド
『大酔侠』アジアの風 監督:キン・フー1966年香港
『君が好きだから』アジアの風 監督:テイラー・ウォン1984年 香港
『達磨よ、遊ぼう』コリアンシネマウィーク 監督:パク・チョルグァン2001年 韓国
『海賊、ディスコ王になる』コリアンシネマウィーク 監督:キム・ドンウォン2002年 韓国