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aa aaイタリア映画大回顧(2)

2002年も引き続きイタリア映画、しかも初っ端は無声映画。劇場でサイレント映画を見るのは初めてで、しかもプログラムにはピアノの生演奏付きとある。ドキドキしながら会場へ向かった。
『王家の虎 Tigre reale』 (1916年)。若き外交大使ジョルジョは、奔放で美しいロシアの伯爵夫人ナトカに振り回されながらも恋心をつのらせてゆく。しかし、ナトカには過去に愛する人を死に追いやった不幸な恋愛事件があった。夫人はジョルジョにロシアでの出来事を語り始める…。こんなに贅沢で充実した時間は、なんと久しぶりだろう。ピアノ演奏と一緒に見る古いイタリアのサイレント映画。繰り返されることのない一度限りの貴重な時間。誇張された身振りながらもナトカ伯爵夫人を演じる女優ビーナ・メニケッリの存在感に圧倒された。優雅な旋律に伴われて、古き恋物語が甦る。
『灰 Cenere』 (1916年)。サルデーニャの村を舞台に、不義の子を産んだ母親が貧しさゆえに、その息子を父親へと引き渡す。息子アナーニアはりっぱに成長しローマの大学へゆくが、そこで母の事を知り再会を果たす。しかしアナーニアの婚約者は息子を捨てた母親が理解できず一緒に暮らすことを拒む。母親は息子の幸せの妨げにならぬよう身をひくが、息子が再び母のもとを訪ねた時にはすでに帰らぬ人になっていた。簡潔で抑制のきいた作品で、母と子の情愛が胸に切ない。伴奏音楽が素晴らしく物語に相応しく、涙をさそった。年老いた母を演ずるのは、名舞台女優のエレオノーラ・ドゥーゼ。
『アッスンタ・スピーナAssunta Spina』 (1915) はナボリを舞台にした悲恋もの。この時代の映画にしては、アッスンタの身振りや化粧などが自然で誇張された感じがないことに驚く。ナポリの下町風景が印象的だ。
(Jan.13,2002/国立近代美術館フィルムセンター)


イタリア映画大回顧(1)


映画祭が続いて、いい加減時間的にも体力的にも限界なのだが、たまたま知り合いにもらったイタリア映画のチケットで、『ある愛の記録 Cronaca di un amore』(ミケランジェロ・アントニオーニの長編デヴュー作/1950年)を見てしまい、京橋のフィルムセンターで現在開催中の「イタリア映画大回顧 Grande retrospettiva del cinema italiano : dal muto agli anni 80」に通うハメになる。
アントニオーニ、アントニオーニ。ため息をつきながら画面を見つめていた。そのモノクロームのしっとりと美しい映像。夫殺害を企てる若く美しい人妻パオラを演じるルチア・ボゼーの冷たく、息をのむような豪奢。そのスタイルは実にモダンである。突然広がる視界にひろびろとした草原や海。そして無機質な都市の夜闇は人の気配さえ飲み込んで、私をまだ見知らぬ遠い世界へと運んだ。

そして会場に張られた実に魅力的なポスターを見て、どうしても見たかった『山猫 Il Gattopardo』(1963年)。ルキーノ・ヴィスコンティによる貴族一族を描いた叙事詩的大作。最新復元版にしては映像はそれほど鮮明ではなかった。それにしても、素晴らしいのは「人々の配置」なのだ。冒頭、貴族の一家が一室に集まって礼拝を行っている、その一見無秩序に散らばった人々の構図が実は完璧に絵画的に美しいことに賛嘆する。イタリア映画は、イタリア絵画にそのままつながっている。アラン・ドロンはやはり少々野卑な感じがするがそれでも若さゆえに輝いている。そしてクラウディア・カルディナーレの野生的な美しさ。唇をかむ仕種が愛くるしい。大掛かりな舞踏会シーンが見せ場の大河ロマンといった味わいで、いかにもヴィスコンティらしい映画ではあった。
(Dec.23,2001/国立近代美術館フィルムセンター)



怪奇幻想映画の怪物


韓国映画プロジェクトIIでは四方田犬彦氏が絶賛する韓国映画界の怪物キム・ギヨン(金綺泳)の作品も3本紹介された。1960年の『下女』、1969年の『レンの哀歌』、そして1988-95年の『死んでもいい経験』。映画も怪物的だが、この監督の容貌自体も怪物そのもの。それにしても奇怪な映画ばかりである。代表作とも言える『下女』がその中でも一番興味深かった。音楽教師の男がいる。家も新築して幸せな家庭を築いていたが、そこに住み込みで下女がやって来た。この過剰に嫉妬心の強い不気味な女が男の平和な生活をじわじわと侵食してゆく。優柔不断な男はこの下女と関係を結んでしまい、それが原因で物語は悲劇へと転げ落ちて行く...。多くの象徴性に満ちたおどろおどろしい映像が、異様な迫力をもって迫ってくる。平和なはずの家庭におかれた「ネズミ殺しの毒薬」。逆さになって、階段に頭を打ちつけながら落ちて行く女の不気味さ。忘れ難いシーンである。
(Dec.15,2001/赤坂国際交流基金フォーラム)




2001韓国映画プロジェクト II


国際交流基金アジアセンターによる韓国映画特集。プロジェクトIは2001年3月に開催された。今回は、未公開新作プレミア上映、キム・ギヨン(金綺泳)・イマニの再評価、パク・クァンス、パク・ジョンウォンの特集、女性監督映画と盛り沢山。

99年に東京国際映画祭でも上映されたパク・ジョンウォン監督の『虹鱒』(1999年)、同級生5人が休暇をとって虹鱒の養魚場のある山村へ出かける。その村での出来事が5人を思わぬ事件に巻き込んで行く…。平凡な生活をおくっていた人々が些細なキッカケから袋小路にはまり込んでゆくようすが不気味に描き出されてゆく。設定は面白いが、終わり方があっけない。
『チルスとマンス』(1988年)はパク・クァンス作品。アン・ソンギ演じる看板屋のマンスと、彼を兄のように慕いアメリカに行くことを夢見るチルス。二人の青年の苦い挫折を描く秀作。高層ビルの看板の絵を描きながら騒いでいたら、それを自殺未遂と勘違いされて大騒動に発展するというクライマックスは、コミカルな味わいさえあり、今見ても古さを全く感じさせない。
パク・ジョンウォンの『われらの歪んだ英雄』(1992)は、田舎の学校に転校してきた都会育ちの少年と、その学校を支配する「権力者」である少年とのかかわりを描く。少年達の間の権力構造が大人社会を風刺していることは明らかである。自然の描写が美しいのはこの監督ならでは。

そして2001年の新作映画『新羅の月夜』はキム・サンジン監督作。前作はあの痛快な「アタック・ザ・ガス・ステーション」で、またしても極上の娯楽映画。なんと言っても主演のイ・ソンジェとチャ・スンオンのコンビが最高で最初から最後まで抱腹絶倒の面白さ。ガリ勉でさえない高校生だったイ・ソンジェが大人になったらソウルで極道になっていて、一方高校時代は学校のアイドルでリーダー格だったチャ・スンオンの方は、田舎町にとどまって高校教師になっているという設定が可笑しい。その田舎町に極道のイ・ソンジェがやってきて、ひょんなことから二人が同じ女性(キム・ヘス)を好きになり..。それにしても韓国映画にこんな軽快な笑いのセンスがあるとは!脱帽。「アタック..」に続き、イ・ソンジェのカッコよさに唸る。
そしてもう一本2001年の大ヒット作『猟奇的な彼女』。監督はクァク・チェヨンという人。タイトルが妙な感じだけど、これがまたとことん笑える映画。主人公の女の子(チョン・ジヒョン)がとんでもなく暴力的で、この彼女に恋してしまった男の子はひどい目にあうことになる。それでも最後にはニンマリとしてしまうような素敵なハッピーエンド。漫画みたいな物語が素敵な映画に仕上がっている。「イル・マーレ」では印象が薄かったチョン・ジヒョンが猟奇的に大暴れして、実に魅力的だった。
(Dec 6-16,2001/赤坂国際交流基金フォーラム)



ふたつの月夜


『リメンバー・ミー(同感)』(2000年/韓国/111分 監督:キム・ジョングォン 主演:キム・ハヌル、ユ・ジテ)。1979年に生きる女子大生ソウンと、2000年に生きる大学生のイン。二人が時を超えて無線通信で知り合うというストーリーだが、ただのロマンティックな恋物語だけじゃない。学生運動の激しい、政治の時代に生きるソウンと、平和で物質的にも豊かになった現代に生きるインを描写することにより、韓国の二つの時代を浮き彫りにしてゆく。1979年から2000年へと、いかに時代が、社会が変っていったかがさりげなく描き出され心憎い。二人が待ち合わせし、そしてすれ違う場所である時計台。遠く時を隔てても、二人がそれぞれ未来に向かって笑っている姿で終わるのが印象的だ。政治の季節はまだ終わっていない。
(Nov 29,2001/シネマスクエアとうきゅう)




澄んだ目、澄んだ心


ほとんどこの映画のことをよく知らないままに、いい作品らしいという噂を信じて『GO』(2001年/日本/122分 監督:行定勲 主演:窪塚洋介、柴咲コウ他)
繊細な映画である。この映画の主役もやっぱり「痛み」なのだ。理不尽な状況におかれた青年の痛み。それが実に細やかに描かれている。そしてその痛みが見ている私達に素直に伝わってくる。こういう映画は少ない。痛みの重さだけでなく、それを乗り越えたときの悦びをも伝えてくれる主演の若い二人の瑞々しさ。青年が愛する人を前にして、崖から飛び降りるくらいの決意で「僕は在日なんだ。」と告白した瞬間、そしてそれが相手の拒絶で答えられた瞬間、その切ない一瞬に何かを感じなかった人とは、私は永遠に理解しあえないだろう。劇場につめかけた若い観客たちがこの映画をどう受け止めたか、問い詰めてみたい衝動にかられた。
(Nov 28,2001/銀座シネパトス)



TOKYO FILMeX 2001


新・作家主義国際映画祭と銘打った新しい映画祭TOKYO FILMeX。2001年の今年はその第二回目で、去年に引き続き興味深い映画を上映してくれて、アジア映画ファンには嬉しい限りだ。予算不足なのか舞台挨拶予定のゲストがほとんど欠席だったり、上映会場(有楽町朝日ホール、シネ・ラ・セット)がいまひとつだったりするのだが、それでもラインナップは充実している。ただ惜しむらくは、つい先日開催された釜山国際映画祭とほとんど同じ作品が揃っているので、釜山に出向いた人には新鮮味に欠けるだろう。

オープニング作品の『武士(ムサ)』に始まって今年は韓国映画が力強い。コンペ3本、特別招待作2本の全部で5本。中でも群を抜いて素晴らしかったのがキム・ギドク監督の『受取人不明』。「魚と寝る女」ですでに日本に紹介ずみの同監督の7本目の作品。これは韓国映画だけでなく今回の映画祭の中でも最高の映画であったと断言したい。上映後のティーチインは、監督の映画作りの姿勢がうかがえ、大変貴重なものだった。釜山国際映画祭で最新作「悪い男」を見たが、これも「受取人不明」と甲乙つけがたい程の傑作で、キム・ギドクからは当分目が離せない。『武士(ムサ)』は娯楽大作だが、中国、モンゴル、韓国の歴史をからめた迫力ある一本。音楽もいい。主演のチョン・ウソンは、「東邪西毒」の張國榮を彷彿とさせる美しい武者ぶりで好演。この映画の日本公開が決まっていないのは残念至極なのだ。グランプリ受賞作であるソン・イルゴン監督の『フラワーアイランド』はオカルト風の不可思議な映画であるが、デジタルで撮影した映像に独特の雰囲気があり、興味深い作品だった。イム・スルレ監督の『ワイキキ・ブラザーズ』は、やや期待はずれ、『ブルース・リーを探して』は分かり難い。

初めて見るデレク・チウ監督の『天有眼』は、殺人犯、若手刑事、新聞記者の3人がおりなす面白い構成の映画で好印象。北京を撮り続ける女性監督ニン・インの『アイラブ北京』は優等生的映画で私には退屈だった。『藍宇(ランユー)』は、スタンリー・クワンの以前の作品よりもわかりやすい映画なのではないだろうか。ただ物語自体は多少陳腐だが。そして候孝賢の『ミレニアム・マンボ』!中途半端なストーリーでまだ完成されていないような印象もうけるが、それでもとってもいい。特に冒頭部分が好き。通奏低音のように流れる音楽と、シュー・ケイと。もう一度見たいと思わせる作品。

タイ映画の『怪盗ブラック★タイガー』。これからタイ映画がますますクローズアップされそうな勢いだけど、タイ映画の魅力、私には未だ発見できず。そしてまことに時勢にタイアップした2本の映画、イランの二人の監督のアフガン対決、アボルファズル・ジャリリの『デルバラン』とモフセン・マフマルバフの『カンダハール』。後者は朝日新聞で大きく取り上げられたとかで、チケットが売り切れになるほどの大盛況。もちろん悪い映画ではないし詩情もあるのだが、でもひっかかる。あの義足が空から降ってくるシーンで騙されたような気分になったのは私だけ?随分あざとい演出だと思う。それに比べれば『デルバラン』の簡素さ、そっけなさの方がまだ信じられる気がする。あと、釜山で見たアモス・ギタイの「エデン」が良かったので、東京で字幕付きでもう一度と思っていたのだが見逃してしまった。

来年は12月に開催が予定されているTOKYO FILMeX 2002。第一回でマニラトナム監督の『波』を上映したこの映画祭、これからも期待大。
(Nov 26,2001)

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