奇跡
1954年/126分
監督:カール・ドライヤー
キャスト:ヘンリック・マルベア、エーミール・ハス・クリステンセン、ビアギッテ・フェザースピール
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デンマーク、ユトランド半島。ここはきっと、風が強そうだ。北の海から吹いてくる風。家の裏手には小高い丘があり、ここでいつもはためいている洗濯物が、この半島を吹き抜ける強い風を予感させる。
家長の老モーテン、長男ミッケル、次男ヨハンネス、三男アナスが暮らす、豊かな農家のボーオン家。そして、ミッケルの美しい妻インガーがこの男達の一家をまろやかに優しく、居心地よくしている。信仰心もあつく、誰もがつましく謙虚に生きているのだが、この家には暗い影がひとつあった。それは自らをキリストと名乗る次男のヨハンネスであり、哀れにも精神に異常をきたしていた。そして、自分の属する宗派に熱心な信者である老モーテンは、違う宗派の娘との結婚を熱望する三男アナスを許せないでいた。が、そんなある日、懐妊していたインガーが倒れたとの知らせ。一家の太陽でもあった優しいインガーは、子供を死産したあげく産褥熱で命を落とす。なんと神の無慈悲なこと・・。葬儀の準備も終わりいよいよ死者ともお別れという時に、突然次男ヨハンネスが登場して告げるのだった、「死者はよみがえる」と。
ここで私達に伝わってくる「神性」は、ヨハンネスの声である。素朴なデンマーク語で語られる、その不可思議で無垢な響き!それは間違いなく神の声だ。風の吹く丘の上で耳をすませてごらん、きっとその声が聞こえてくるよ。そしてインガーは、生前の美しさそのままに、静かに微笑みながら起き上がった。
(2003年12月12日/ユーロスペース)
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裁かるるジャンヌ
1927年/97分
監督:カール・ドライヤー
キャスト:ルネ・ファルコネッティ
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ジャンヌは遠くの虚空を見つめている。あるいは、うつむいている。私達と視線を合わせることはない。その顔のゆがんだ角度が、痛くて悲しくて、私は気づかないうちにずっと泣いていた。それは、拷問にかけられ十字架を持たされて火炙りになるジャンヌ・ダルクを思ってじゃない。一人の人間の悲しみを、これほどまでに鋭く描き出す映像に感動して、私は泣いていたのだった。私は神を信じている。でも私が感じる「神的なもの」とは、いわゆる汎神的な神さまであって、キリスト教やイスラム教のような一神教的なものは生理的に苦手だ。だから、この敬虔な宗教劇にこれほど動揺させられるとは思ってもみなかった。そしてまた、ひとりの俳優が、ここまで迫真の演技ができるもなのかという驚き。それはもはや憑依現象に近い。このジャンヌに取りつかれた一人の女が体現するのは、狂気じみた宗教心であり、盲信的であるが故に彼女は何も恐れない。それが周囲の人々を恐れさせるのである。
言葉を失う、とはこの映画のためにあるのかもしれない。観客は静まりかえっている。映像が、なにか得体の知れない力をもって見る者を圧倒していたのだった。空恐ろしいものを見た気がして、私は急いで劇場を去った。この「神的な」感動を反芻するために。
(2003年12月5日/ユーロスペース)
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ファザー、サン
2003年/84分/ロシア、ドイツ、フランス、イタリア、オランダ
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
キャスト:アンドレイ・シェチーニン、アレクセイ・ニェイムィシェフ
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ソクーロフという人は不思議な監督である。鬼才という言葉が実に相応しい。上映が終わったあとに劇場に流れてた空気は間違いなく「?」「?」だったと思う。テーマは父親と息子なのだけど、でもそれは普通の親子愛を描いたような生易しいのものではない。いきなり画面で大写しになる男と男のからみあう姿を見れば、誰しもホモ映画だと思うに違いない。が、それは悪夢にうなされている息子を優しく介抱する父親の姿だった。つまり、まず一端ここで観客はなにか「異質なもの」を見てしまうのだ。二人はそんな親子である。そして、二人っきりで居心地良さそうな屋根裏部屋に暮らしている。問題なのは、この二人が不必要に美形であるということ。特に父親。息子の恋人(この娘もすごい美人)なんかは、この父親に嫉妬したりするのである。ヤバイです、はっきり言って。
映像の中では、戦争の記憶や死に別れた妻の事がおぼろげに語られるのだが、いったい何がこの二人をこれほど強固に結び付けているのかは、秘密めいている。しかし、息がつまるような視線の絡み合いや、互いに対する気遣いが、とにかくただものではないことだけは明らかだ。
今私が一番愛している監督、ソクーロフ。この人の手にかかると、映像がまるで魔法になる。そのなまめかしい、艶めいた映像は間違いなく麻薬である。クローズアップや奇妙にゆがんだ映像は、街並みや、遠く遥かな海のきらめきや、煌く空の光をなにか神秘的で神聖なものに感じさせる。これは一体何。二人は街の屋根が続く、その上に暮らしており、隣の窓に渡した空中にかかる細い板の上を行ったり来たりする。ぐらぐらとした、不思議な浮遊感。ここは地上よりも空に近い。そして屋根の上から望むのは、どこまでも広がる遠い北の海。それは美しすぎて、どこかすでに危うい。ソクーロフの映像の感触は、なんと言ったらいいのだろう、独特の彼だけの色合いがあって、その壮絶な美しさは恐いくらいだ。すでに自分と同じくらいの背丈になった大きな息子を肩車する父親、この構図はなぜかもの悲しく、この二人のゆくえがずっと気になる。
(2003年11月30日/TOKYO FILMeX 2003)
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二つの思考の間の沈黙
2003年/95分/イラン
監督:ババク・パヤミ
キャスト:マリヤム・モガッダム、カマル・ナルイ
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パヤミ監督による3作目。セリフが少ないにもかかわらず、実に雄弁である。語る映像、しかもそのさりげなさは全く魅力的だった。中東の、砂漠の、どこかの村。いったいいつの時代なのだろう。男は死刑執行人である。族長の命令に疑問を感じることなく、自らの行うべき仕事を黙々と行っている。そこへ若い娘が処刑されるべく連行されてくるが、「処女は処刑してはならない」という掟があった。処女は天国へ行く、と信じられているからだった。族長はその死刑執行人の男に、この娘と結婚するように命じる。結婚して処女でなくなったら改めて処刑しようというのだ。彼女が一体いかなる罪で処刑されるに至ったのかは全く説明されない。族長につきつけられた理不尽な命令を前にして、男の中に初めて自らの生き方に疑問が生じる・・
劇的なストーリーを抑圧された映像で淡々と語る、その語り口の簡素さに打たれた。登場人物達は皆どこまでも寡黙だ。そして映像はハッとする程に美しい。この「色」の美しさは何と言ったらよいだろう。インド映画で見られるような女たちの衣装の華麗な色合い、一方男の衣服は鮮やかな白である。そして太陽の光。粗末な家屋の薄暗い土間に突如さしこむ光の、なんとキラキラと輝いていたこと。饒舌な静謐。上質な映画の要素がすべてここにあった。
(2003年11月28日/TOKYO FILMeX 2003)
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ディープ・ブレス
2003年/86分/イラン
監督:パルヴィズ・シャバズィ
キャスト:マリヤム・パリズバン、マンスール・シャバズィ、サイード・アミニ
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不可思議な虚無感。その気だるさが、6−70年代のヨーロッパ映画のように思えなくもない。舞台はテヘラン。この街にそんなスノッブな青春像があるということがすでに驚きである。主人公の、女の子のように髪の長い/カムランは、どこかすでに現実の世界からは遠く離れているようであり、冒頭の湖水をただよう溺死体となったヒロインのアイダと混同するように、意図的に仕組まれている。この天使めいたカムランとマンスールという不良青年、そこに登場する一人の女子大生アイダ、この3人の関係は? マンスールはアイダに惹かれるのだが、いっぽうカムランはその二人が親密になるのに反比例するように徐々に生気を失ってゆき、理由もなく突然死ぬ。彼が一体何者であったのかは殆ど明らかにされない。一方相棒のカムランを失ったマンスールは、まるで恋人の後を追うかのように、自動車事故なのか意図的なのか釈然としないまま、アイダをつれて湖の底に沈む。アイダの生き生きとした活発さ・聡明さが眩しい程に魅力的で、しかしその一方、カムランの退廃的な美貌もなんともなまめかしい。湖水へ遠足にゆく3人。真っ青で透き通った湖水を背景に、岩陰に腰掛けたカムランのたたずまいは、さながら古典絵画のような美しさで思わず息をのんだ。謎めいたラストも余韻を残す。これまでに見たこともないようなイラン映画の秀作。
(2003年11月27日/TOKYO FILMeX 2003)
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マッチ売りの少女の再臨
2002年/125分/韓国
監督:チャン・ソヌ
キャスト:イム・ウンギョン、キム・ジンピョ、キム・ヒョンソン
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この妙なタイトルがずっと気になっていたのだが、中味の凄さはタイトル以上だった。東京国際映画祭、FILMeXと映画祭が続いたが、新鮮さと衝撃度では文句無しに今年のベスト。既成の価値観や感性を転覆させる、こういう映画こそが必要なのである。この映画がどういう映画なのかを説明するのは難しい。明確なストーリーがあるわけではなく、現実とゲーム=ヴァーチャルな世界が渾然一体となり、そのまま最高速度で疾走してゆくような、めくるめく異世界。その語り口はどこまでも不敵でふてぶてしい。ヒロインである‘マッチ売りの少女’は、まるでアニメの中からそのまま出て来たような非人間的なキャラクターで、それを演じるイム・ウンギョンという少女の得体のしれない無表情ぶりが実に素晴らしい。その非現実的‘少女’が、ひたすらマシンガンをぶっぱなして、人々を皆殺しにしてゆく。物語は徐々にゲームの世界なのか、現実なのか、その境界がまったく不明になってゆき、そこはいつしか、私達が見たこともないまったく新しい地平・・。 こういう質の高い「驚き」を与える映画は、めったにない。日常の感覚を徹底的に破壊したい人は絶対にハマる。
(2003年11月28日/TOKYO FILMeX 2003)
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嫉妬は我が力
2002年/124分/韓国
監督・脚本・編集:パク・チャノク
キャスト:パク・ヘイル、ペ・ジョンオク、ムン・ソングン
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冒頭、場所は学校の校長室らしい、主人公のパク・ヘイルが登場する。どうやら学校で職を探しているようだ。その背後に、突然脈絡なく‘国旗売り’の男が登場して追い返されたりしている。一方主人公は校長と就職の話をしながらも、ふと窓の外に気をとられてうわの空になってしまう。放課後の校庭では、女子学生たちが運動している声が遠くに聞こえる − この短いシーンを見た瞬間に、私はこの監督が大好きになった。大切な時に、ふと何気ないことに気をひかれてうわの空になってしまいがちな事、放課後の校庭の遠いざわめき、そんなとても繊細な事をこの人はよく知っている。このちいさな出来事に対するデリケートな感覚は、ホン・サンスに近いと感じていたら、この新人女性監督は、「オー・スジョン」で助監督をしていたとある。
物語は軽妙だ。恋人を別の中年男性に奪われる青年を描いた、一種の恋愛モノと言えなくもないが、乾いた洒脱さと、ミイラ取りがミイラになったような人をくった結末がまた楽しい。主人公の嫉妬めいた行動の原因となる最初の恋人が、最後まで後ろ姿だったりしてはっきりと顔をみせない演出も心憎い。不思議なキャラクターがぴったりな主演のパク・ヘイルはこれからも注目してゆきたい俳優だ。
(2003年11月3日/東京国際映画祭)
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メモリー・オブ・マーダー(殺人の追憶)
2003年/127分/韓国
監督・脚本:ポン・ジュノ
キャスト:ソン・ガンホ、キム・サンギョン、パク・ヘイル
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これは1980年代に韓国の京幾道で実際に起こった連続殺人事件をもとにしている。5年間で少なくとも10人の女性が殺害され、未だに犯人は見つかっていない。‘女のような柔らかい手’をもった謎めいた殺人犯を追う二人の刑事。実話を素材にしたこの映画では、連続殺人はあくまでも物語の背景であり、犯人を追うこの二人の刑事に焦点があてられる。殆ど犯人を追いつめたと思った瞬間に、真実はするりとその手から逃れて、永遠にもどかしいまま物語は終わる。どれほどあがいても決して与えられることのない答え。山すそに広がる麦畑のように茫漠としてどこまでも空しく、人はただその空しさの前に立ちすくむばかりだ。
連続殺人犯や刑事といった即物的な題材を使いながら、この映画全体に流れる異様なまでの緊迫感と絶望感。答えはどこにもなく、全ての努力は報われることはないという、究極の無力感が、恐いまでに迫ってくる。デヴュー作の「吠える犬は噛まない」に続き、またしても完璧なポン・ジュノ作品。ものすごい監督である。
(2003年11月9日/東京国際映画祭)
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