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The primo uomo
反自然的な自然
およそ音楽の何たるかを知っている人であるならば、最も美しく感動的なものは人の声であることに反対はすまい。そして、そこに両性具有的な天上的歌声がかつて地上に存在したことを知るならば、どうしてそれに興味をひかないでいられるだろう。
結局7月×日のサントリー・ホールで行われたカウンターテナーJochen Kowalskiのコンサートには行けなかったのだが、その代わりにかねてから懸案の『カストラート』のDVDを手に入れる。しかしそれはオペラをテレビで見るがごとく、劇場で見た感動には及ぶべくもなかった。モデルとなったファリネッリは18世紀ヨーロッパに実在した最高のカストラート。映画の物語はかなり脚色が加えられているが、カストラートという壮絶な人生をたどった人物をドラマテックに再現し、ふんだんに挿入されるバロック・オペラの楽曲も新鮮だ。とりわけ終盤でファリネッリが自らの過去を回想しながら歌うヘンデルの「涙あふるる」の美しさはたとえようもない。その旋律は静謐さをたたえ、悲哀を含みながらひとつの祈りに昇華してゆく。最近いろんな所でこの曲を耳にするが恐らくはこの映画の影響であろう。
詳しい記録が残されていない為、このカストラートという人々が一体どのような生活をおくり、その心中を去来したものが何であったのかはわからないが、表面的な華やかさとは裏腹にその内面は苦悩に満ちたものであったのは想像に難くない。映画でも、華麗なステージの幕がおりたあとの歌手が常に疲れきっている様子からその苦渋が切実に伝わってくる。それにしてもキリスト教とは何と悪魔的なものを生み出すことであろう。享楽的とも言える美に対する貪欲さ。その背後に見え隠れするほの暗い悲劇の色合いは、カストラートの天上的美声になお一層壮絶な美しさを加えたのではあるまいか。男でも女でも大人でも子供でもないこの輝かしい異形の歌手は、その身のうちに栄光と悲惨、無垢と汚辱をあわせもつ引き裂かれた存在であったことは間違いない。
「Farinelli, Il castrato」(1994年/フランス・イタリア・ベルギー合作/監督:ジェラール・コルビオ 主演:ステファノ・ディオニジ)
(July 15 2001)


世界の果てのホテル
たとえ舞台がロスアンジェルスであろうと、「無骨さ」においてこの映画はドイツ的だ。「ベルリン天使の詩」に似ているけど、あの映画よりもずっといい感じ。それもこれもボノ(U2)の音楽のせい。夕暮れ迫るミリオンダラー・ホテルの屋上で、世界の果てに向かって走ったトムトム。その背後に流れる、泣きたいくらいに切なく美しいボノの音楽。それは夕陽と溶け合って、いつもまでも私の胸に迫った。トムトム役のジェレミー・ディヴィスは無垢な青年を素敵に演じている。メル・ギブソンのFBI捜査官は相当危ない人物で愉快。『ミリオンダラー・ホテル』Million Dollar Hotel / A Film by Wim Wenders
(Jun 20, 2001)


古典の愉悦
『クレーヴの奥方』 La Lettre
1999年/ポルトガル、スペイン、フランス合作/107分 監督:マノエル・ド・オリヴィエラ
裕福なクレーヴ伯と結婚したカトリーヌは、新婚旅行から戻るやパリに居を構え新しい生活を始めるが、その時偶然に出会った青年と恋に落ちる・・
と、まるでメロドラマだが原作はラファイエット夫人による17世紀フランス古典文学「クレーヴの奥方」。ポルドガルの巨匠オリヴェイラ監督による映画化は、17世紀の舞台を現代に移し、優雅で奇妙で味わい深い世界を紡ぎ出している。まず夫人が恋に落ちる相手がペドロ・アブルニョーザなるポルトガルのロック歌手という荒唐無稽な設定。ロック歌手ということになってるが、この人の歌はちっともロックじゃなくて、大陸風のポップス。華麗なカトリーヌの恋の相手には全くもって似つかわしくない。そのカトリーヌを演ずるのがキアラ・マストロヤンニで、漆黒の髪と濡れた瞳が実に美しい。キアラの殆ど無表情とも言える抑制が映画の気品を決定している。この感情の抑制こそが貴族性の象徴だ。
まるで演劇を見ているかのような、ストイックなシーンの連続、舞台もパリと田園の別荘と修道院だけ。そして登場人物達による芝居めいたフランス語のセリフのやりとり。このミニマルな感じがすごくいい。それにしても、この二人は本当に恋なんてしてるんだろうか。ユーモアに満ち満ちた映画!



『JSA』
ひとは、なんて滑稽で、そしていとおしい存在なんだろう。
この映画の悲しい結末を見てそう思った。無防備に人を愛したり、あるいはイデオロギーといった抽象性に振り回されたり、あるいは愛の裏切りに耐えられなかったり。境界線を境にしてにらみ合っていても、お互いに憎みあう理由が実は何もなかったことに気付く瞬間。その時、月夜のススキの原を風がさわさわと吹き抜ける。
人は容易に互いを傷つけ合うくせに、また実に容易に人を愛する。この二人の男たちの間にあったものは一体何。真の友情?絆?それを知っているのは一人の女だけ。
2000年/韓国/110分/監督:パク・チャヌク 主演:ソン・ガンホ、イ・ビョンホン、イ・ヨンエ
同じ南北分裂を扱っていても「シュリ」とは一味違う。大作のくせに、多くを考えさせる深みを持つ映画。韓国映画では、「吠える犬は噛まない」「美術館の隣の動物園」「八月のクリスマス」に次ぐ大好きな一本になりそう。

/Jun 06 2001



『花様年華』
IN THE MOOD FOR LOVE
愛の求道者王家衛、さらなる高みへ。
マギー・チャンのものを食べる時の口元の愛らしいこと。細くて長い、レースのように繊細な指先。セットしたての崩れのない髪。華奢なハイヒールの足音。そして、男の髪はポマードで艶やかに撫で付けられている。麻雀の牌の色、中国茶、新聞、タクシー、夜、雨。そしていつもの、ひとけのないガランとした街角。
60年代香港のアパートの狭い階段で出会う男と女。その二人の間に始まる切なく苦しく、そして甘美な物語。初めて交わされた視線はほんの一瞬であったのに、その時二人の胸には確かな予感が走っていたに違いない。さりげなく描かれる恋愛の極上の瞬間。ほとんど恋愛遊戯と言ってもいいような高度に屈折した愛の迷宮。これまでの王家衛作品と違い、ここではベッドシーンはおろかキスシーンさえない。このストイックさがこの映画を最高にエロテックなものにしている。
そして時が流れ、男と女はそれぞれに過ぎ去った日々を思う。もう二度と会うこともあるまい。が、二人が共有したものは結晶となって時のなかに封じ込められ、そしてまたそれぞれの時間が流れてゆく ・・
最も繊細な表現からのみ得られる最高の感動と陶酔。王家衛はそんな期待に必ず答えてくれる。
の求道

/May 30 2001



KILLING ZOE
深夜のテレビで何気なく見ていたら、あまりに面白くて夢中で最後まで見てしまう。金庫破りのゼット(エリック・シュトルツ)と、暴力的でホモでヤク中で、おまけにエイズで自暴自棄になったイカレ野郎エリック(ジャン・ユーグ・アングラート)と、昼は銀行員で夜はコールガールのゾーイ(ジュリー・デルピー)。エリックは幼なじみのアメリカ人ゼットを誘って銀行強盗を企てる。威勢良くパリの準備銀行に押し入ったはいいが…。
ジャン・ユーグ・アングラートのキレた役が最高。優しい顔をしてるだけに冷酷無比な残忍さが際立つ。エリックの言うがままのゼットは不思議なキャラクター。金庫破りのプロなのだからまっとうな人間であるはずはないのだが、エリックの狂気の前には善人に見えてくる。そして、謎めいた女ゾーイ。一体彼女は何者。
こういう殺戮映画で、フランスが関わると、残忍さに際限が無い。途方も無い暴力衝動、やりきれない閉塞感が満ち満ちてくる。ロックのリズムにのって、自己破滅への道を一気に駆け下りて行くエリックの存在はむしろ爽快でさえある。それにしても、ゾーイが案内してくれると言う「本当のパリ」は、どこか得体の知れない不気味さに満ちている。
「キリング・ゾーイ」(監督:ロジャー・エイヴァリー、1993年米・仏合作96分、製作総指揮:クエンティン・タランティーノ)

/May 26 2001



ラグー・ライ写真展
まだ薄明りの残る夕闇の空には雲が遥かに流れてゆき、その下に横たわるデリーの街には、遠く近くにミナレットのシルエットが浮かび上がっている。そして石造りのとある家の一室で、明るい灯がともされ敬虔な祈りが捧げられた。− Evening prayer, Jama Masjid, Delhi - 1982

河岸に立つ、極彩色の小さなヒンズー教の女神像たち。小さな馬に乗る愛らしい女神。異界の存在が、今も人々の日常に息づく。− among the goddesses, Calcutta - 1987

ノスタルジックなカルカッタの街並み。汚れた市電や人々の群れの間に朽ちかけた豪奢なヨーロッパの建造物。そのコントラストの妙。

バラ色の壮大な雲の下に輝く、幻想の彼方のタージマハル - Taj Mahal in monsoon glory - 1976

何よりも素晴らしかったのは、カジュラーホー寺院。その夕陽に赤く照らされた彫像たちの石の感触。時の流れが、彼らをさらに味わい深い色合いに変える。 - Sculptures, Khajuraho - 1989

/May 27 2001



『運動靴と赤い金魚』
イラン映画なんて好きじゃないし、キアロスタミだってぴんとこない。見る側に忍耐を強いるような寡黙さがいや。でも、でも、この映画だけは例外!
履き古した運動靴を狂言回しの小道具に物語は進んでゆく。迷路めいたテヘランの路地裏を、アリとザーラの兄と妹が一心に走る。なぜ走るのか。それは兄のアリが妹の大切な赤い靴をなくしてしまったから。残されたのはアリの薄汚れた運動靴だけ。兄と妹は、その運動靴を交代に履いて小学校へ通うのだった。このほとんど豪奢なまでの貧困。いまにも泣き出しそうな悲しい瞳のアリと、白いスカーフを被りランドセルを背負ってブカブカの運動靴で走るザーラを見て胸を熱くしない人がいるだろうか。
この物語は監督が友達から聞いた、一足のスニーカーを二人で使う貧しい兄妹の実話に基づいているという。「その兄弟に会ったことはないが、愛しさと敬意を感じ、2人のことを映画で語らなければならないと感じた。」
絨毯が敷き詰められた一室だけの家、働きすぎで体を壊した母親、大家には始終家賃を催促されている、そんな家庭でどうして新しい靴が欲しいなどと言えるだろう。それにしても、これほど貧困を描きながらこの映画に悲惨さがないのは驚くべきことだ。全編を通じて、何か透き通った明るさを感じる。余計な説明のない、ストイックでシンプルな表現も実に味わい深い。習字の練習をしながらノートに書いた文章で会話のやりとりをする二人、溝に落とした靴を一生懸命追いかけて最後には泣き出してしまう妹、交代で学校へ行くために遅刻して学校を追い返されそうになるアリ、せっかく庭仕事でお金を稼いだのに帰りに自転車で事故に遭う父と息子、貧しいながらも隣人に食事を配る優しさ、どれもが忘れ難い宝石のようなシーンが続く。そして、あの素晴らしくさりげないラスト。映画による感動の本質を味わえる瞬間だ。
「運動靴と赤い金魚」1997年/イラン/1時間28分/監督:マジット・マジディ
そう簡単には出会うことのできない珠玉の名作。

kutsu

/May 20 2001



Jean Cocteau
友人に誘われて渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムに「ジャン・コクトー展」を見に行く。「恐るべき子供たち」くらいしか知らないし、とりわけ興味があるわけじゃないけど、彼をとりまく時代が素敵。ディアギレフにニジンスキーのロシア・バレエ団。「薔薇の精」「牧神」「春の祭典」「ペトルーシュカ」「シェラザード」
コクトーとレイモン・ラディゲはあたかもヴェルレーヌとランボーのよう。インクや鉛筆で描かれたいくつもの素描は、シンプルだが魅力的なデザイン性がある。この中に一枚の不思議なスケッチを発見した。それは「火星征服-La conquete de Mars」(1958)と題されていて、宇宙服を来た宇宙船乗組員や宇宙ステーションが描かれているのだが、その宇宙ステーションと丸い形をした惑星着陸船が、「2001年宇宙の旅」(1968)に出てくるそれとほとんど同じものだったのだ。
展覧会を見終わったあと、ル・シネマのレイトショーで、コクトーが監督した映画『オルフェ』を見る。「美貌の大根役者」ジャン・マレーの登場。それにしても奇妙奇天烈な映画!
/May 19 2001