更新履歴・日記・雑感など書いてます

過去のものぐさ日記

2001年6月27日(水)
結婚式を挙げた友人は、高校時代は演劇部で燃えたそうな。
だから演劇部時代のおともだちが、たくさん祝福にかけつけてました。
「いま、そこにいる人たちと心がひとつになったって感じた瞬間。あれを一度味わってしまうと一生忘れられないんですよネ。」
と、わたしにもお話してくださったのですが、もうわかり過ぎるほどわかる。
調子に乗って「わたしも、高校時代ブラバンやってたんですよぉ♪」と言うと「あぁ!ブラバンの人たちも一生付合うって言いますもんね(^^)」と、"一度味わってしまった『あれ』" が何の事だかわかる。その共通点が嬉しくて演劇談義にも花を咲かせました。

確かに彼女たちのお嫁さんを見る目は、とてもあたたかく優しい。
大人になって仕事場で知り合ったわたしとはやっぱりどこか違う。
何かを創り上げた、ひとつの事に燃えた!って思い出は、大人になってしまうと簡単に手に入れる事は出来ないから、だからこそ大切な思い出なんだな…って、改めてしみじみと感じ入ります。

「あの感動って一度味わっちゃうと忘れられなくて、今もちょこっとだけど芝居してるんです。楽器はもうやらないんですか?」と聞かれ、即座にこたえました。
「いいえ、わたしも、今でも楽器を吹いているのですよ」と。(^_-)-☆

2001年6月25日(月)
仲良しの友人の結婚式に出席するため、横浜へ行ってきました。
以前6年ほど住んでいた街だから、なつかしさでいっぱいでした。

電車に乗っても座席にはすわらないで、ドアの窓にへばりついて景色をながめていました。
毎日通勤で見ていた景色。家と工場しかない無機質な景色だけど、当時じぶんのまわりにいた人たち、 その時に考えていた事など、次々と思い出がよみがえってきます。

横浜は素敵な街だったのでとても気に入ってました。
出来ることならば生涯ここで暮らしたいと思ってました。
だから関西に来る事に対して、正直言って抵抗があったし、すごく悩んだっけな…。

久しぶりに歩いた横浜は、やっぱり素敵な街でした。
道も駅も迷わないで、あの頃と同じようにどこにでも行ける。
だけど、今のわたしは生涯大阪で暮らしたいと思っています。

心の底から好きだった街、横浜。
今は同じくらい、大阪の街がすき。

2001年6月18日(月)
小学校1〜2年生くらいの女の子3人組が、わたしの練習風景をジーっと見てました。
子供が興味深げに見てるのはめずらしくないので構わず続けていると、拍手までしてくれました。
かっこいい曲でも吹いているならともかく、やっていたのは音階3度の跳躍。f^^;
「ありがとうね^^;」と返事すると、ザザザ☆と近くにやってきて、楽器ケースの中を興味深々でのぞきこみます。
「これ、お化粧に使うの?」
「いや、お化粧じゃなくて楽器につける油なんだよ」と、使い方を見せてあげると目が輝いてきます。
そして「わたしも吹いてみたい!」とせがまれてしまいました。
うー、ついにこの日が来たか。見知らぬ人に「ちょっと吹かせて」と頼まれても絶対断るぞ!と決めていたけれど、 小さい女の子達の好奇心も大切にしてあげたかったので、隣に座らせて吹かせてあげることにしました。

彼女たち、「ちゃんとした持ち方から教えて」ってやる気満々なんです。
でも、音はもちろん出ない・・・。 しばらくフーフー吹かせた後に、「くちびる緊張させてごらん」と、少し怒った時の唇の形を見せてみました。
すると、あっという間に音を出します。子供の吸収力ってすごいもんです。
嬉しそうな顔。「わたし!今日はじめてやったんだよーっ!」って得意満面。
そうそう、わたしも誰でも、初めて音が出た瞬間っていうのは一生忘れられないのものなのよ…。(^-^)
中にはかなりいい音を出す子もいて、「いい感じ!いい音だよ!」とほめると、嬉しさを爆発させて楽器がおもしろい!と大はしゃぎ。
しかし、大切な楽器をぶつけたり落とされては大変なので、しっかり管の一部を握ってました。汗だらけになりました(笑)。
「じぶんで持ちたい」と言われたけれど、それだけは譲れないのよ。わかってちょーだいね。

VIVA!BRASS♪→[コンサート]に「岡本篤彦コルネットリサイタル Vol.5」を追加しました。

2001年6月15日(金)
「ミスコンテストは女性差別だ!」と言う人がいますが、わたしはミスコンテスト賛成派です。
理由はきれいなおねいさんが好きだから(笑)。

わたしが住む街の夏祭りではミスコンの類が開催されます。 入賞すると海外旅行へ行けるそうなのですが、ミスコン賛成派なので税金の無駄遣いとは思いません。
最近はいろいろな世論にも気を使っているのか、応募者の性別・年令・未婚者に限るのような制限もなくなって、 とてもいいことだと思います。

だけど、いつの年か忘れましたが(本当は忘れてないのですが"いつ"を明記するのはあえて避けます)、たまたま夏祭りの会場を通りがかり、初めて入賞者を見ました。
「税金の無駄遣いだ」と思いました。
理由はビューティーじゃなかったから。
ホコリっぽいグラウンドのテントの中でくたびれたウエディングドレス着て、暑苦しそうにうちわであおいでる。
ギョロギョロした視線・ニコリとも笑わない怖い顔・濃い目の化粧。
審査の結果は吹奏楽コンクールと同じように審査員の好みで左右されるのでしょうが、とてもガッカリしました。
それに比べて、いつか見たミス横浜のパレードはすごかった。
本当にかわいい!と心底思える素敵なレディーが、ニコニコ笑顔絶やさず手を振っていました。 おもわずわたしも手を振ったくらい。
ミス横浜は3〜4人いたのですが、全員笑顔が輝いていて素晴らしかった。
うちの街のはなんだ?! 愛想笑いのひとつも出来ないで、どこがミス?どこがビューティ?

女の嫉妬は見苦しい
と思われるのを覚悟の上で、あえて吠えよう^^;;;;。
税金使ってビューティコンテストするならば、ビューティーな人を選んでください!!!

市民税の納付書が送られてきて、ふと思ったこと(笑)。

2001年6月14日(木)
参加費が有料になってまでもやりたくない、もう卒業しよう、と思っていた某オークションサイト。
結局、足を洗う事が出来ず、参加費を払ってまで参加しています。(^^;ゞ
「人の古着を着るなんて、みじめっぽくて絶対イヤ!!!」
と思っていたわたしだったのに、なぜか今は全然抵抗感がなくなってしまいました。
新しいし、きれいだし、お店で買うより全然安い。
新品でなくても断然こっちの方がいいって思ってしまうのです。

ちょっと怪しげな出品の数々を見てまわるのも楽しみのひとつです。
「わたしは祇園のクラブのママです。お客さんからのプレゼントがたくさんあるので出品してみました。」
この人、先日捕まっちゃいました。
ファンだったのに(爆)。
ニセブランドを売るのはよくないけれど、誰も本気で「祇園のママ」とは思ってなかっただろうに〜、とちょっとだけ同情。

露店で売ってるベビーカステラの店先って、卵の殻が積み上げてるじゃないですか。
でも、実際あれだけの卵が使われているとは思えない、チープな味(笑)。
だからと言って、誰も「卵使ってへんやろ!うそつき!」とは言わないはず。
露店というのはそういうもんだし、その怪しげな雰囲気を楽しむものでもあるような…。

嘘の商品売るのはよくないけど、「祇園のママ」は個人的にアリ(笑)。
ちょっと騙されるかも知れないというリスクを承知した上で、ここまでなら許せるという金額をじぶんの心の中しっかり決めて、 かけひきを楽しめばいいんじゃないかなぁ〜と思うのです。
あくまで『露店』なのだと割り切れない人にとっては、参加するのは危険すぎる場所なような気がします。

2001年6月12日(火)
今のお座敷の最終日が、ようやく今月末までと正式に決りました。
その事を伝えに来てくれた"置き屋"の営業さんが、「大変だったでしょー。お疲れでしょうから少し休んでいいですよー。」と言ってくれたので、 間髪を入れずに「じゃ、明日休みます!」と返事しちゃいました。
でも休ませたから、残業代と相殺!なんて言われないだろうなぁ〜? わたしは最近、人間不信あるよ(笑)。

日差しが強くなってきて、日陰のない公園で練習するのがつらくなってきました。
もうあと3週間で終わりだけど、職場の向いの公園には全く日よけになる物がありません。

ふと、お店で見た、つばの大きな帽子。
あぁ!とっても涼しそう。
こんなのかぶって練習したら、可愛くて日よけにもなるし、いいな。
でもお値段がとっても高い〜〜!!
頭をよぎったのは、朝6時までの残業…。涙でぐちょ濡れになった大阪城ホールのベンチ…。
よし、「ごほうび、ごほうび、買っちゃえ!」

そういう訳でカードで買った帽子の代金があるので、ちゃんと残業代は払ってくださいよねぇ〜。

2001年6月11日(月)
さて、そろそろのん気に暮らしたいものだ。----と思うのですが、先月何もしなかった(出来なかった)ツケを払わされてます。
用件を聞く前から
「来月聞くから」
「来月やるから」
「来月にして」
「来月考えとくから」
と、ぜーーーーんぶ後回しにしてたのですから、そりゃ6月は地獄だわなぁ(爆)。

VIVA!BRASS♪→[コンサート]に「大阪ハーモニーブラス サマーコンサート2001」を追加しました。

2001年6月5日(火)
『情報開示ツール』の更新もなくなって、仕事が暇!!\(^^)/
・・・と言いたい所なのですが、世の中そんなに甘くなかったです。

修羅場の最中にやっていたクイズやプレゼントの当選者に、住所を訪ねて発送するまでの業務をしなくてはならないのですが、 これがすごい大量の件数でたまらない〜(>_<)。今月いっぱいで契約期間が終るのに早く終了させなくちゃと焦ってしまいます。
当選者には電話(主に携帯電話)で住所を聞く約束になっていたのですが、大抵の方は電話に出てくれないのです。
まぁ、仕方ないですよね。知らない番号から着信があっても、普通は無視しますよね。
でも、わたしも仕事だから必死なの。
だって早く終らせたいし、残業なんてもう1分たりともしたくないし、ダラダラ休みたいんだもん(笑)。

携帯電話の場合、出てもまず相手は無言です。
怪しまれてるのは充分わかっているから、
「あのぉ〜っ○○さまでいらっしゃいますか?
と、不必要なくらい明るく+可能な限り可愛い声で(笑)話しかけるようにしているのですが、 これで男性の場合なら、100%即返事してくださいます。あー、わたしって性格悪ぅ。(形振り構わず早く終りたい)

自宅にかける場合は本人以外の家族が出る場合が多いので、怪しまれ度は倍増します。
それでも大抵は住所を教えてくれるので助かるのですが、内心「"おめでとう商法"やら怪しい事件が多い中、結構みんな無防備だよな」 と思ってしまいます。
中には「本人にそちらのプレゼントに応募したのを確認してからお返事してもいいですか?」と言われることもあります。 2回も電話するのは面倒だと思う反面、「お母さん!それは正しい!わたしの母もきっとそう答えますよ。」と、内心嬉しく思うのが不思議。
次の日電話すると「本人に怒られちゃいましたf^^;疑ってごめんなさいね」と恐縮されるのですが、もちろんイヤな気持ちなどなるはずはありません。
じぶんの生活や幸福は、じぶんでしっかり守らなくちゃね!(^-^)b

でも、わたしはやっぱり楽に早く仕事を終えたいと思うので、お願いですからわたしを信じて住所を教えてくださいな(笑)。

2001年6月2日(土)
今日スーパーのベンチでソフトクリームを食べながらボ〜っとしていたら、幸せ気分が込み上げてきました。
あ〜〜〜っ、これだよな〜〜〜♪(*^▽^*)/
って、しみじみ。

ホント異様な毎日だったんだ。
運動会が始まる前は、夜中にタクシーで帰宅する日々だったもん。
心の中がずーっと不安定で、「みどりさん、最近おかしいよ!」なんて言われてたけど、 「おかしい」のはわたしじゃなくて職場なんだって。

スーパーのベンチでソフトクリームをたべる。
わたしはなんて幸せなんだ!と思う。
あぁ、人生観がすっかり変わってしまったかも(笑)。

2001年5月30日(水)
地獄の仕事から解放されて、やっと普通の生活に戻る事が出来ました。
でも、無理をし過ぎたせいか、まだ心と体のバランスがちょっと変って感じかな。

今回のお座敷は、とある"運動会"の事務局でした。
"運動会"の情報を、たくさんのみなさんにご覧いただくための、情報開示ツール (相変わらずボカした苦しい表現やね^^;)を作る仕事をしていたのですが、その現場は壮絶極まる修羅場でした。
これだけ大きな"運動会"だというのに、直前まで作業員がわたしひとりしかいなかったのも恐ろしい事だと思うのですが、 その後増員してくれたのがたったのひとり。これも信じられない少ない人数です。
昼12時から夜12時までの契約で、男性ひとりが加わりました。
準備も満足に出来ないまま、開会前夜ついに夜通し作業に入りましたが、夜更かしに弱い、 昼型人間のわたしはすぐに体調を崩してしまいました。

このまま終るまで、この状態なの?
深夜ひとりで、朝まで作業させるつもりなの?
わたし、機械じゃないよ、寝させないつもりなの?

と思うと、体がつらいという以上にプレッシャーや重圧に耐えきれなくなかったのですね。
深夜お手洗いに行くために、作業場からホール内部に入る鍵をもらっていたのですが、 真っ暗なホールの中で、「誰か助けて!」「つらいよ!」と声を張り上げ泣いてしまいました。

もちろん、泣けど叫べど、誰も助けてくれる訳などありません。
「咳をしてもひとり」どころか、「絶叫してもひとり」なのです。
このまま逃げようか?
どこかに隠れて、明日、北海道に行って隠れてしまおうか?
真剣に思いました。

人がいるはずないホールの中で、深夜に泣き声がする・・・これって結構、異常事態です。
わたしの泣き声も相当大きかったので^^;、ホールの当直警備員が気がつき 突然「どうしたんですか?!?!?!」と2人組に懐中電灯で照らされてしまいました。 一人は制服、一人は寝巻き姿でした。
「仕事がつらすぎて・・・」と泣きじゃくるわたしを残し、警備員は作業場へ行き、 責任者へ「忙しいのはわかりますが、こんな時間ですし程ほどにした方がいいのでは ないですか?」と進言してくれたのですが、それで「そうですね、明日にしましょう」 と終る職場なら、こんな時間に泣きはしないのです。
仕事に引きずり戻されて行くわたしの姿を見た、二人の警備員の哀れみの視線は 生涯忘れられないと思います。
今までの人生で、あれだけ他人から「かわいそうな人…」の目で見られた事は ありませんでしたから。

結局、朝6時までかかってなんとか形は出来たのですが、パソコンの横にメモ書きで 「○○号室で仮眠してきてください」と書かれたのを読んだ瞬間、キレてしまいそう になりました。
そして、今度は作業場の中で責任者の目前で大泣きしてしまいました。

このままでは続かないです。
頭がおかしくなりそうです。
ここにある、データやシステムを全部破壊してしまいそうです。
こんな"運動会"、なくなってしまえばいいと思っているのです。
でも、そうしてはいけないと思う心と、ギリギリで格闘しているのです。
結果的にキレてしまう(破壊してしまう^^;)を実行してしまうにしろ、 最後にじぶんの気持ちを誰かに伝えておかなければ、 (社会人として)失格だと思うので、今、正直にお伝えしているのです・・・。

じぶんの心の中の気持ちを、泣きじゃくりながら説明しました。
泣いてばかりで情けないとは思うのですが、かつて経験したことのない強い極度のストレスで、 仮眠室でシャワーをあびた時、髪の毛がゴッソリ抜けてしまいました。悪夢でした。

さすがに気がついてくれたようです。
たった一人に無理矢理仕事を押し付けても、そのひとりがキレてしまえば何もかもおしまいなのだ、ということに。
そして急きょもう一人、作業員を増員してくれて、3人でまわすことになりました。 それでも・・・たったの3人。つらい作業には変りありませんでした。
上層部が適切な人員配置を怠ると、末端の人間は本当につらいです。


「感動をありがとう!」
運動会っていうモンは、このセリフで〆るのがセオリーです。
不手際が目立った運動会だとあちこちで叩かれたけれど、現場の人間は死ぬ寸前までじぶんの持ち場で頑張りました。
『にわか仕込み☆情報開示ツールチーム』の3人も、初対面ではあったのですがあっと言う間にチームワークが形成されました。
ファイル名や画像の名前のつけ方のルールを決めて、原稿がまわってきた瞬間に分業出来る体制を作りました。 3人でひとつの共有フォルダをいじるので、おかしな上書き保存やFTPミスも心配されたのですが、 そんな失敗も一度も犯しませんでしたし、「○○のファイル、今いじらないで!」と声かけあって確認していました。

休憩時間はないし、緊張の連続だし、仮眠は短いし、プライバシーないし、 生命を維持するための食事しか出来ないし・・・。
そんな壮絶な中でも、挨拶は「おはよう(^^)まだ大丈夫?」「うん、まだ行けるよ!」 お互いを思いやる気持ちが最後まで途切れなかったのが、不幸中の幸いでした。
あぁ、もう、絶対にキレられないと堅く心に誓ったのです。
じぶんが抜けたら、残る二人にどんな負担がのしかかるのか?!容易に想像できるから。
夜12時まで契約の人も朝まで残ってくれました。
「二人残して帰れないよ…」と言って。

"運動会"が成功しようと、失敗に終ろうと、そんな事どうでもいい。
ただ、3人一緒にゴールしたかった。
みんなに迷惑かけたくなかった。
考えていたのはそれだけでした。
仮眠室も壮絶でした。毎日髪の毛が抜けました。本当に悪夢の日々でした。

ゴール目前、最後の夜がまた強烈でした。
疲れがたまって限界ギリギリのドロドロだというに、怒涛の作業量が待ってました。 ついに腹痛がはじまり、マウスを持ちつづけた右手は感覚がなくなりました。 意識も薄らいできて、
「あぁ…やっぱりわたしってダメなんだなぁ……最後まで出来なくて残念だった……」 と倒れかけた瞬間
「みどりさん!!!!!!」(もちろん仕事場では本名で呼ばれます)
「ここのソース張りつけて! 次も作ってフォルダ入れたからコピーして!」
「ほら、お前は画像やれ!」
と、バタバタと手伝ってくれて、修正を指示されている間も、わたしに代わって 次々直してアップロードしてくれました。
FTPはわたしがすることになっていたのですが、いつの間にかそれぞれのPCでFTPが出来る 環境が入れられてました。
少しでも負担を軽くしてあげようという心遣いだったのですね。
わたしがさわるソースには、間違えないようにコメントがたくさん埋め込まれていました。それも仮眠中に仲間がやってくれていたのでした。

最終日、30分だけ仕事を抜け出してバレーボールの試合を見ました。 その時初めて『会話』したくらいなのです。
10日間も長時間一緒に仕事してたのに、私的な会話する暇など一切ありませんでした。 もう一緒に仕事することもないし、2度と会う事もないかも知れない3人だったけれど、 崩れかけた時に両腕かかえておんぶして一緒に走ってもらった、 ギリギリ極限の中で見たやさしい気持ちは、生涯忘れることが出来ません。
また、ひどい食生活にも耐えていたのですが、食べたい!と切望していたものを、 わざわざ持ってきてくださった方もいて、涙が出るほど嬉しかったです。

人を傷付け、苦しめるのは人。だけど心を元気にするのも、やっぱり人。
物やお金ではない、ハート to ハート 。思いやりや優しい気持ち。
この世にこれ以上素晴らしいものはないのだ!!! ということを、あらためて思い知らされました。

転げまわって泣くほどつらかった、怒涛の職場だったけれど、 それを心と体にしっかり焼き付けてもらった経験は、生涯の財産です。

感動をありがとう!

〜 素晴らしき仲間たちへ 〜