更新履歴・日記・雑感など書いてます

過去のものぐさ日記

2001年2月4日(日)
それにしてもホームステイに来た男の子の礼儀正しさには驚きました。
当然 日本語はしゃべれないし、会話も理解出来ないのですが、
「いただきます」「ごちそうさまでした」「おやすみなさい」「おはようございます」
の挨拶は全部日本語でしてくれるし、一生懸命暗記してきた…という努力も伝わりました。
もちろん、じぶんの家ではワガママ出る時もあるだろうし(それが当然だし)、異国の知らん人の家で緊張してるから・・・というのは百も承知の上で、やっぱり驚きでした。

朝、ごはんをおいしそうに食べてくれる顔は、じぶんの子供ではないとはいえ本当に可愛らしかった。
お世辞というのはわかっていても、ニッコリ笑って「おいしい」と言ってくれると、「このままずっとここにいて、日本の高校に通わないか?」と声をかけたくなってしまいます。 (そうなったらなったで大変ですが^^;)

せっかくの楽しい海外研修なんだろーから、ちょっと面倒だけど、まぁ〜思い出作りに協力しよか。
・・・と、思ってガンバったのですが、結局最後に「思い出作り」してもらったのは、わたしの方だったのですね。
にこやかに手を振って、そして別れを惜しみながら学校へ行った二人の顔には「じぶんはハズレだった。」とは書いてなかったと確信しました。 二度と会うことはないかも知れないですが、わたしの家に泊まっていったのも『一期一会』の何かのご縁。幸福な人生を歩んでいってもらいたいものだ、と心から思うのです。

今回の件でじぶんに点数をつけるとしたら90点くらいはいくやろ、と思うのですが、高校生の男の子の食欲というのを完全に甘く見てましたね。σ(=_=;) ごはん足りなくてごめんなさい。 じぶんが高校生の頃、オニのように食べていたことをケロっと忘れてしまいました(爆)。 《この話、とりあえず完…》

2001年2月3日(土)
短い期間とはいえ、『家に人を招く』って大変ですね。(^O^;)
運悪く、仕事も忙しかったんです。
それと…、もぅ執念としか言えませんが、短い時間でも必ず毎日楽器を吹くという、じぶんとの約束も守りたかったのです。
どうやって時間配分したらいいものか、こんなに悩んで苦しんだのは初めてかも…というくらいひっ迫した状態になってしまいました。

だからといって、忙しいからといって、彼等に対する"もてなし"もいい加減にはしたくなかったのです。
後から友達同士で、じぶんが行った先の家庭の話をすることは必至でしょう。その時、わたしの家に来たふたりに 「じぶんはハズレだった。」 とだけは思わせたくなかったのです。これって、意地とプライドのぶつかり合いみたいなものかしらね(笑)。もちろん素直に「楽しんで帰ってもらいたい」という気持ち(ガラでもないですがσ(^_^;))があったのも事実ですし。
家は狭かったけど歓迎してもらえて楽しかった。どうしたらそういう風に思ってもらえるのだろうか…と、普段高校生と接することのないわたしにとって、大いに頭を悩ませる出来事でした。
《この話、あと一回くらい続く…》

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2001年2月2日(金)
夕食タイムに近所の高校生(やはり男の子ばかり)4人入ってもらい、ささやかながら『歓迎会』をすることにしました。
しかし・・・話が弾みません。(^へ^;;;
日本人同士でばかり話してしまい、肝心のゲストを「歓迎」という雰囲気にどうしてもならないのです。
ま、仕方ありませんね。"言葉"のコミュニケーションには限界がありますから……。

イマイチ盛りあがらないまま、焦る時間ばかり過ぎてゆきました。
だけど「言葉」だけを信じていたのは間違いだったかな。(^-^;ゞ 彼等には"共通言語"がありました!!
ゲームに国境なし!
インターネットに国境なし!
音楽に国境なし!

ドリームキャストを持ってきた人がいて、器用にテレビにつないでくれてたのですが、韓国の子、実は超ゲーマーらしく腕にはちょっと自信があるみたい。 日本の高校生よりハイスコアを出すものだから、みんな興奮して「リベンジ!リベンジ!」と大騒ぎになってしまいました。
いつしか英語で自己紹介もはじまり、みんなの"ホビー"が"コンピュータ"ということなので、ノートパソコン出してネットサーフィンです。 うちは無線LANだからこーゆー時、便利なんですぅ(かなり自慢^^;)。
NETに繋ぎ出したら言葉はいりません。じぶんのHP自慢。学校のHP自慢。自作美少女CG自慢^^;。などなど。 日本のヒット曲の韓国版カバーを聴けるサイトで、ハングルの"I Love you”(尾崎豊)を聴いたり。
最後には屋外でテコンドーや空手もやり、始めの盛り下がりぶりがウソのようにいい雰囲気で終る事ができました。
次の日聞いた話では、その後日本人4人組は遅くまで色紙を作り、翌日学校で渡して別れを惜しんだそうな…。
うぅ〜ん、いい話だ〜。イマドキの高校生も、なかなかやるな。泣けてくるぅ〜(笑)。
《この話、もうちょっと続く…》

2001年2月1日(木)
今回の個人的大パニックは、韓国の男子高校生をふたりホームステイさせたことから始まりました。
日本へ研修旅行に来て地元の高校と交流。そして一般家庭での滞在体験というすばらしい学習内容です。 うらやましい!わたしも行きたいくらい(笑)。
しかし、わたしの家は狭い団地で、お客さんを泊まらせるような場所的余裕はありません。^^; 仕事もしてるし、いっぱい・いっぱいの毎日です。「マジかよ〜、勘弁して〜。」というのが正直な気持ちでした。
女の子の生徒は「うちにいらっしゃい」という人が多く、あっという間に決まったみたいなのですが、男の子は人数が多い上に受け入れ希望も少なく、 ホームステイ先を決められなく困っていたみたいなんです。
それにわたしの家は高校が近く、学校へすぐ行けて楽です。
あぁ、もうこれは逃げられないって感じだったのです。

家が狭いくせに二人も受け入れたのは、 「異国で知らん人の家にひとりで泊まるの緊張するやろな。友人と一緒の方がいいやろ。」 と思ったからです。 一度「受け入れる」と決めたからには、一人も二人も手間は変わりませんから。
そして次に最大の問題。
わたしの家には子供がいませんので、同世代のともだち作り・交流のチャンスがないということ。 本来でしたら高校生の子供がいる家庭に行くのが望ましいのでしょうが、状況がひっ迫していたみたいだったので、とにかく 「受け入れ先」の数の方が大事だったのです。
でも、せっかく楽しみにしてやって来るのだろうに、「日本の高校生と友達になれるかな?」と期待してるかもしれないのに、このままでは かわいそう。
・・・という訳で、近所の団地に住む日本の高校生にも参加してもらうことにしたのでした。
あぁ、家狭いのに〜(号泣)。
みどりぱん人生最大のピンチなのでした。・・・・《この話、しばらく続く…》

2001年1月31日(水)
ここ数年の記憶の中でも、最高に忙しい数日間を過ごしていました。f^^;
(あ、まだ過去形ではないのですが…(笑))。
余程の事がない限り、日記の更新と掲示板のレス書きは停滞させたくないなぁ〜、と思っていたのですが見事沈没しました。
でも、不思議なことに全然疲れないんです。
むしろこのパニック状態を楽しんでいるくらい。

仕事が忙しくても、家に帰ってきたらボ〜とするし、
生活がバタバタしていても、職場でボ〜っとして(笑)バランスを保っていたのですが、両方同時にパニックになるという普段では考えられない非常事態に 脳ミソが興奮状態におちいり、ドーパミンが放出されているようです。
こーゆー時って、後が恐いですよね。(;^_^A 若くないんだから疲労が噴出してきた時がコワイかも…。

2001年1月26日(金)
本日、めでたく!
50000 (^-^;ゞ

このHPがデビューホヤホヤの頃、ある方に言われました。
「一生懸命やっているのはわかるんだけど、いつまで続くかな…というのが正直な感想。」と。
実は、わたし自身もそう思っていました。
ホームページをメモ帳で作る!
このHPの最初のテーマはこれ。だからページの内容は何でも良かったのです(笑)。
じぶんの書いたHTMLが画面に表示されるのがおもしろくて、ただそれだけのためのHPでした。
知っているタグが少ないので作りは単純だし(ソフトを併用してる今も単純だけど)、ホームページで何をしたいのか? という肝心の部分が固まってなかったので、更新したくてもどこをどうしたらいいのか、さっぱりわかりませんでした。

でも、今はそれでよかったと思います。
ホームページは最初からきれいに完成させてデビューさせる必要はない。 公開後に少しずつコツを覚えたらいい。
作りながらじぶんのスタイルを考えたらいい、と思うのです。
最初からある程度作れる技量を持っていたら、わたしはきっとここまで「楽しい!」と思って続けることは出来なかっただろーなぁと思うのです。 HTMLが全くわからなかった。初めて作ったものがあまりにもお粗末だった。だから、少しでもきれいで可愛いHPにしたいと願い、 その「夢」を追いかけるプロセスに熱中していったのだと思うのです。

同じことを、楽器を吹いている時のわたしにも言い聞かせています(笑)。
初めてHTMLを書いた時、"今日"の日が来るなんて、夢にも想像していませんでした。
今はただ遠い「夢」でしかない吹奏楽現役復帰だって、いつか叶う日が来るのではないかと…。

いつもご覧くださっている方、初めて偶然お越しくださった方、みなさんありがとうございます。

2001年1月23日(火)
わたしの街では選挙があります。
だから、朝、駅前に候補者とその"お取りまきーズ"がズラリと勢ぞろいして、お見送りしてくれます。

おはようございます!(^^)
行ってらっしゃいませ!(^^)(^^)
お勤めご苦労さまです!(^^)(^^)(^^)
それは、それは豪華な光景です。

晩に帰ってくると、またまたゴージャスな人海戦術でお出迎えしてくれます。
お帰りなさい!(^^)
お疲れさまでしたぁ!(^^)(^^)
今だけ社交辞令とわかっていても、お姫様気分でリッチな気分で嬉しいんだよなぁ〜。(お姫様は朝早くから働きに行かないけどさ^^;)
あぁ〜っ、全然迷惑じゃないから、お願いだから毎日やってぇ〜〜!!(笑)

2001年1月21日(日)
電車の中で、高校生の男の子数人がお菓子を食べていました。
特別めずらしい光景でもないのですが、やけに大事に、ゆっくり味わって食べている仕種が目にとまったのです。何やら感想を言い合っているような雰囲気だし…。 「モンドセレクションごっこ」でもしてるのかなぁ?(^^;
一人の手にあったお菓子の箱をふと見ると、今話題の"ムースポッキー"が・・・。 某ネットオークションで一箱5000円の値段がついていた、あれか!
「もうすぐ関西でも販売されるから、食べたいのならもうちょっと待ったら?」って注意を促していた人がいたけど、噂のムースポッキーいよいよ関西上陸か〜と、思わずわたしも買ってしまいました。
昔のポッキーに比べてやわらかく、プリッツ部分の味も良いです。全体に対するチョコの比率(笑)も高くなったみたい。でも5000円払ってまで"いの一番"に食べたいほどでもないな。
とはいえ、特定地域にしか売っていないモノって気になるのは確か。

昔、北海道限定 "ファンタ フルーツパンチ"ってのがあって、重たいけど東京まで持ち帰ったものです。 味的においしいものではなかったので、次の年の帰省時には消えてましたが、どんなにまずくても、"見せびらかす"のが快感だったのに残念…。
絶対おいしくて、他の地域では手に入らない、究極の地域限定品といえば!!!
浜松のうなぎパイ V・S・O・P これしかないでしょう。
うなぎパイはどこにでも売っているけれど、V・S・O・Pは浜松でしか買えません。これだけのために新幹線に乗ってしまいたくなる衝動を押さえるのに必死…… というほどの美味しさです。すごく食べたいけれど、いつまでも全国進出はしないで欲しいな。いつでも買えるとおいしさも半減するような気がして…。^^;

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2001年1月20日(土)
事務所があまりにも寒過ぎるので、それぞれの工夫で「寒いこと」を楽しみはじめてきました。
ヒーターの蒸発皿に牛乳ビンを入れてあたためている人。
食品の保存もバッチリなので、ヤクルトや食べ残しのおだんごなど窓際にズラリ(^^;。
"お客さんの目"がない職場なので、やりたい放題です(笑)。
それにしても、生卵のパックまで置いてあったのにはビックリ。あんな寒い所でお弁当をたべる人は、楽器の練習時間を稼ぎたいわたしくらいしかいません^^。だれが何の必要で卵を???
札幌雪まつりも寒さを楽しむ工夫から生まれたイベントですが、あの職場でも何かイベントが生まれそう。(笑)

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送っていただいたステキなバナー。こちらで紹介させていただきますネ。

2001年1月18日(木)
6年過ぎようが、何年過ぎようが、1月17日は特別感慨深い日であることに変わりありません。

当時、目覚まし時計のセットは5時45分。寒いけれどそろそろ起きようか…と思った瞬間 あの"揺れ"が襲ってきました。
わたしは、地震によって何も失っていません。
だからあれこれ語る資格はないような気もします。
それでも1月17日が来ると地震について触れたい思うのは、1週間後に神戸に行き、あの光景を実際に見たからでした。
芦屋か西宮北口だったか覚えていないのですが、電車が動いている最後の駅まで行き、ある方のお宅の手伝いのため東灘区まで歩きました。
その時見た光景というのは、とても文章や言葉で表せないものがあります。

家からたくさんご飯を炊いておにぎりを作ってきたのですが、それを食べる訳にはいきません。食料品を売っている店を見つけてもそこで買う訳にはいきません。 道すがら炊き出しを勧めてくれる人もいたのですが、それをいただく訳にはいきません。
おなかが空いても自由にたべられない。たった1日だけのことなのに、ものすごいストレスを感じてしまいました。

勤務時間中ですら、自由にお菓子をたべられる今日。
とても幸せなことだなって思うのです。

2001年1月15日(月)
100%信じていた訳ではないのですが、この冬の長期予報は『暖冬』だったはず。
専門的な勉強をして、それなりの根拠があって予報をしたのでしょうけれど、やっぱり"人間"は先の事なんて完璧に予言出来ないんだよなぁって、妙に納得してしまいました。
そういえば東京に住んでいた頃、「この夏は冷夏」の予報に小躍りして喜んだものですが(道産子なので暑いのは拷問です!)、記録的な猛暑☆連続熱帯夜の記録更新☆で、人間不信(笑)に陥ったものです。
先のことなんて、誰もわからないんだ。
先になってみないと、わからないんだ。
…と、目の前の現実を黙って受け入れるだけです。

とにかく寒いです。
道産子なので暑いのも苦手ですが、中途半端な寒さもダメなんです。
新事務所は引越しのドタバタで暖房が入っていないと信じていたのですが、あの凍える寒さでちゃんと暖房中だったとは!!絶望的な気分になりました。屋外が寒いのは我慢できても、室内の暖房をケチった寒さはこたえます。 この感覚、北海道の人なら絶対わかってもらえると思います。
去年の夏は冷え過ぎた冷房で足が凍えるほど寒く、デザインよりも色よりも とにかく長さ!と、足がスッポリ隠れる長いスカートばかりはいていたのですが、冬は暖かくていいな思っていたら甘かった…。 今日はずっと足の指先が凍傷っぽいんです。^^;

北海道って寒いんでしょー?
え?旭川?!あんな寒い所人間の住む所じゃないよね。
・・・とよく言われるのですが、旭川で室内でこんな寒い思いしたことないです。(хх。)
ぬくぬくのホカホカ。薄手のブラウスに短いスカートでもOKなんだけどな…。

2001年1月14日(日)
今日は新事務所でお引越しの荷物ときです。
午前中で帰れるだろーな、と思っていたらしっかり夕方までかかってしまい、お休み1日損してしまって精神的に疲れた感じ。^^;
週休二日のサイクルが乱れるのはツライ……。
わたし個人のエリアは1時間もあれば終わるのですが、だからと言ってひとりで帰るのも……ね。

デスクトップパソコンと周辺機器を梱包して、もう一度セットアップするのが今回の引越しのメインなのですが、一度自宅のPCで失敗して破壊してしまったことがあるので(笑)、結構 緊張しました。「これ壊したらシャレじゃ済まないぞ」(自宅の時もシャレで済まなかったけど)と思うと、段ボール詰めにばかり集中してしまい、イザ組み立てようと思ったら LANケーブルもHDDとディスプレイを繋ぐケーブルも、旧事務所に忘れてきた事に気が付いてしまいました。 「やばい!」と冷や汗が出てしまいました。

あ、MOちゃんと持ってきたっけ?(爆)

2001年1月12日(金)
"ランチタイム ブラス同好会"(今日勝手に考えた^^;)のお兄ぃさんに「練習場所変わります。」 と、ここを去るあいさつをしました。
私的な会話をすることはなかったのですが、毎日吹く前に会釈を交わしていたので、黙って消えると 「ついに…挫折したか…^^;。」と思われそうで口惜しいのです(笑)。ん〜!結構負けず嫌いなの☆
どんなに気持ち的に熱くても、音的には沈没寸前のわたし。(現実は厳しい〜) でも、やめたとだけは思われたくない!

「ボクなんかより、ずっとあなたの方が上手いですよ。」という"はなむけ"の言葉を、額面通り受け取るほど若くはないけれど、地道に毎日練習を続けている 管楽器吹きの努力と根性を、おおいに見習わなくちゃ。
「で、きみのそれ、何て言う楽器なの?」には、ズッコケちゃったけど。^^;

2001年1月11日(木)
職場も仕事内容も全く変わらないのですが、事務所の場所が移転するので淀屋橋に通うのもあと1日になりました。 都心のバリバリビジネス街へ通勤するのは初めての事だったので、いい思い出になりました。

新大阪と比べてお弁当屋さんやコンビニが意外と少ないのは不便でしたが、隣の会社の社員食堂のごはんは本当においしくて、大変お世話になりました。 御社のますますのご発展を心よりお祈り申し上げます(笑)。食券が残っているのでまたいつか遊びに行きます(笑)。

帰り道に見た北新地にご出勤される社交女性の方たちの華やかさも、わたしにとってめずらしい光景で目の保養になりました。忘年会シーズンの和服姿は壮観でした。

昼休みに楽器の練習場所をお借りしてた(前からその場所で吹いていた人で、近くで吹かせてもらうことを許してもらった)お兄さんもお邪魔いたしました。 以前はハイトーンの練習していたのに、わたしが来るようになってもっと低い音で苦んでいるものだから、ハイトーン吹くのやめちゃいましたよね。 お気遣いしていただいてありがとうございました。

わたしの顔とオーダーを覚えてくれたドトールのお姉さん、お世話になりました。「いってらっしゃいませ(^^)」の笑顔は忘れません。

毎日ボ〜っと出勤して、ボ〜っと帰ってゆく毎日だったけれど、こうやって思い返してみると結構いろんな人のお世話になったんだなぁ。"お座敷"はあと半年間。新しい場所でもいい思い出を作りたいです。

2001年1月9日(火)
仕事場で開催した市民参加イベントで、入賞した人の作品と写真を画像処理しました。その方、在りし日の松田優作を今風にした感じで、誰にも文句を言わせないレベルのメチャ男前。
だけどわたしの好みのタイプじゃないのね。
その後、パソコンで個人的内職^^;中、画面がずっと"男前さん"になったいたので、「さっきからずっと見とれてますね(*^^*)」と言われてしまった〜。カモフラージュになったから、まぁいいか。
でも、タイプじゃないんだってばぁ。

VIVA!BRASS♪→[コンサート]に「大阪ハーモニーブラス ニューイヤーコンサート2001」を追加しました。
えぇ、もちろん『内職』はコレです(笑)。

2001年1月6日(土)
子供の頃、お正月というのは本当に特別の日でした。
旭川駅前には"買物公園"というショッピングストリートがあるのですが、全てのお店が完璧にシャッター閉められていて、その「普通じゃない」光景に感動したものです。
遊びに行く場所もない、飲食店もやってない、お正月というのは家の中で過ごすもの…と信じて疑わない時代でした。

就職して東京に出てきてから、ミーハー気分で初詣風景がよくテレビに映る、大きな神社に行ったこともありました。人が多くて「さすが都会だなぁ〜」とビックリしたものですが、入った喫茶店でコーヒーが 1000円だった衝撃は今でも忘れられません。「お正月料金」が幅を利かせていた時代でした。元旦に仕事をするというのは、まだ「普通じゃない」時代だったのですね。 現に、当時のわたしはサービス業・販売関係の仕事をしていたのですが、1日・2日は完全にお休みでした。年末の買いだめは激しかったです。1万円札がたまり過ぎてレジが閉まらなくなったほどでした。大金を守らなくてはいけない責任と 目の前に行列を作るお客さんとの対応で、半泣き状態だったのがなつかしいです。

そして、今・・・。お正月はちっとも特別の日でなくなってしまいました。
昔働いていた店も、2〜3年前から元旦営業していると新聞で読みました。
わたし自身も特別の買いだめはしていませんし、以前スーパーのチラシについていた「買いだめリスト」も見なくなりました。
飲食店も開いているし、お正月料金取っている店なんてありません。地元に出来た巨大商業施設は、よりにもよって元旦が新装OPENでお客さんであふれかえっていたみたいです。
テレビを見ても「お正月を写そう」とか「おせちもいいけどカレーもね」の類のCMが減って、普段とあまり変りないみたい。

昔と今を比べて、「普通のお正月」のはどっちなんだろ…なんて、考えたりしちゃって。

2001年1月4日(木)
クリーニング屋さんでもらったカレンダー、あまりの安っぽさに速攻捨てようと思ったのですが、割引券がついているのでしばらく飾っておくことにしました。 割引券だけ切りとって捨ててもいいのですが、わたしのことなので切り離した瞬間に紛失してしまうのが関の山です(笑)。
このカレンダー、日替わりで一品ずつのメニューが書いてあるのを発見し、毎日飽きずにながめています。
例えば
○1月1日 おせち
○1月2日 いわしの梅干煮
○1月3日 いかとピーマンのピリ辛炒め
・・・という具合に続き、クリスマスに「ローストチキン」大晦日は「年越しそば」とお約束のパターンになっているのですが、ミスプリントなのか意図的になのか2月にカキフライが連続で登場したり、シューマイの頻度が高めなので 書いた人の好物なのか?とか、しょうもない妄想に浸れるところが楽しめます。捨てないで良かった。

現実には
○1月1日 おせち
○1月2日 おせちの残り
○1月3日 おせちの残り
こんな所でしょう?と思うんですけどね。(^-^;

2001年1月2日(火)
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┃※※※※※※※※┃ 新年あけましておめでとうございます
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「ヒット曲がない」「権威が落ちた」と言われようが、年末は紅白歌合戦です!
紅白見ないで年越せる?! 紅白見ないで何見るの?!という思想のわたしです。
今年の圧巻は一日限り再結成したピンクレディーでキマリでしょう!
近年時々再結成しては二人で歌ってますが、数年前に見た時は年齢を気にしてなのか(?)長いドレスで歌っていたのが残念でした。 今回、昔と同じ超ミニでの登場が嬉しかったです。
再デビューするたびに苦しくなっていった^^;天地真理と違い、ピンクレディーが「偉い!」って思えるのは、長いブランクの後でも 二人で歌う時には、完璧"ピンクレディー"になりきっていること。
息切れしたり、踊りが乱れたりは絶対ないんです。過去の栄光だけ引きずって出てくることはありません。ちゃんと練習してきています。ここが一番偉いです。歌や踊りはむしろ昔より上手になっているくらいです。
いろいろな考え方があるから、「いつまでもミニスカートはいて、昔のヒット曲歌ってるなんて…。」と思う人もいるかも知れません。
でも、ピンクレディーって昔から一生懸命さが伝わってくる人たちで好きだったんです。「やるからにはちゃんとやる」って意気込みがかっこいいですよ!!
紅組勝利の起爆剤だな〜(笑)。

「一生懸命」がすきです。
人が何かを一生懸命やっているのを見てると、心から応援したくなります。
そしてわたし自身も、いつも何かに一生懸命になっていたいと思っています。
今年もよろしくお願いします。 もちろんホームページも一生懸命作るつもりです。(^_-)-☆