| NWOBHM - NEW WAVE OF BRITISH HEAVY METAL (ニュー・ウェイブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル) 1)ブリティッシュ・ハード・ロックの衰退 1960年代末から1970年代中盤まで「ブリティッシュ・ハード・ロックの黄金時代」 と呼ばれるほど、イギリスではハードロックが盛んだった。それも誰もが知って いる「レッド・ツェッペリン」「ディープ・パープル」が主軸となり、さらに「ブラック・ サバス」も加えて完全なる黄金時代となる。しかし、1970年代半ばを過ぎた 頃からハードロックが衰退し始め、1976年 「ディープ・パープル」の解散を機に 暗黒時代へと一変する。このハードロック衰退と同時にイギリスのシーンは パンク/ニュー・ウェイブ一色に染められてしまうことになる。 2)ハードロック/へヴィメタルの救世主 1970年代後半、パンク/ニュー・ウェイブのバンドたちに発展を期待できない ことが分かるとパンクのムーブメントは衰退し始める。ちょうどその頃ハード ロック/へヴィメタルの救世主が現れる。その名は「ニール・ケイ」。彼はミュー ジシャンでは無かったが、後のNWOBHMの火付け役として、またヘヴィメタル の歴史上忘れられない重要な人物である。彼はハードロックの復興のため 自分の所属するディスコ「バンドワゴン・サウンドハウス」のメニューに「ハード ロック・デイ」を設け、新旧ハードロックを聴きまくることのできる場を提供した。 この企画は見事に成功し週1回が年を負う毎に週3回、4回と増えていった。 その後、彼は第2の企画として音楽専門誌「サウンズ」の協力を得て、若手 ハードロックバンドのデモテープを募集する。案の定、彼の元には膨大な数の デモテープが届き、いいデモテープを「バンドワゴン」で次々と紹介した。 3)アイアン・メイデンの登場 ニール・ケイがハードロック復権に向けて活動していたある日、彼のところに 元製図技師という一人の青年がデモテープを持って現れた。その青年はテープ を渡すと去っていったらしい。ニールにとってそのテープは聴かなければなら ないテープが1本増えただけのことだったそうだが、デッキにそのテープを 突っ込んだ途端に彼の顔色は変わってしまったそうだ。凄まじいスピード感と 破壊的なリフ、それでいて印象的なメロディと見事なドラマ性を持つサウンド。 このテープの主はアイアン・メイデンであり、さっきの青年はこのアイアン・ メイデンのリーダーであり、ベーシストのスティーブ・ハリスだったのだ。 ニールは早速「バンドワゴン」でこのテープをかけまくった。すると嵐のような 反応でアイアン・メイデンは「バンドワゴン」のリクエストチャートを独占し、 バンドワゴンの自主製作レーベル「サウンドハウス・テープス」からシングル を発表し、完売してしまう。 <シングル収録曲:鋼鉄の処女、インヴェイジョン、プローラー> 4)一大ムーブメントへの発展 1979年、アイアン・メイデンの成功に刺激されたイギリス中のバンドが、進撃 を開始した。このムーブメントは当時サウンズ誌の副編集長であったジェフ・ バートンによってNWOBHM(New Wave Of British Heavy Metal)と命名され 数多くのバンドが生まれた。その数は凄まじいものであったらしい。同年に ニール・ケイの監修でこれらバンドを集めたオムニバスアルバム「METAL FOR MUTHAS」(アイアン・メイデン、スレッジ・ハンマー、エンジェル・ウィッチ、 サムソンなどが参加)が発売される。このムーブメントをきっかけに翌1980年 には第一回目のモンスターズ・オブ・ロックが開催され、ハードロック/ ヘヴィメタルが復権し、アメリカにおいてもジューダス・プリースト、スコーピ オンズ、AC/DCが大成功を収めることになる。 5)NWOBHMの衰退 NWOBHMムーブメントの名のもとに繁殖をつづけたヘヴィ・メタルバンドたち は衰退を余儀なく迎えることになる。これはマイナーレーベルたちが未完成 なたくさんのヘヴィメタルバンドを世に送り出したことも原因と言われている。 結局NWOBHMムーブメントは約3〜4年の短い命で幕を閉じた。生き残った バンドは、アイアンメイデン、デフレパード、サクソンなどほんの一握りだけ。 現在でも大きな人気があるのはアイアンメイデンぐらいではないでしょうか。 <Reference:The Heavy Metal Guitarists> |