星 の 隙 間
リョウがブリッジ前を通りかかると珍しく何か音がする。
話し声? この時間のブリッジ当番はシレーネのはずだ。
コウがいるのかな?
しかし会話とは思えない声はコウのものではなかったし、シレーネの声も聞こえない。
すぐに声が止んで、気のせいかと足を進めようとした時、耳に聞こえてきたのはアコースティックな弦の音。
次いで男性にしてはいくらか高い伸びる声。
いくつかの音やリズムがそれを追うように重なりあう。
徐々に早くなるテンポに誘われるようにリョウはブリッジに踏み込んだ。
リズムを取りながら航海ログを見ていたシレーネはリョウを振り向いて少しバツの悪そうな顔をした。
通信機器をラジオ替わりにしていることの後ろめたさをぬぐってやるようにリョウはにっこりと笑ってみせる。
「この声、アイル?」
「う、うん。ボクシーズ中継点からのライブ中継やってたから」
アイルまたは、アイ×2、などと呼ばれることの多いアイリッシュ・アイは、銀河規模で活躍するシンガーソングライターで、その澄んだ歌声と素直な優しさを内包する曲調で老若男女を問わずファンが多い。
「シレーネ、ファンだったんだ」
「ファンってほどじゃないけど、結構好きよ」
「へぇ。俺も好きだよ。ってもヒット曲くらいしか知らないけど」
「私も詳しくはないけど、何枚かアルバムも持ってるわ。『far wind』とか『クリスタル・サウンド』とか好きなんだ」
「あ、俺もそれは好きだ。曲がいいよね」
「あたしは詩が好き」
なごやかにアイリッシュ・アイの魅力を語り合ううちに曲が終わる。
歓声と拍手が星の海を渡ってシェルディア・テ・フィン号のブリッジに満ちる。
続いてアコースティックな鍵盤楽器がひとつの和音を響かせて聴衆の耳を奪う。
3小節ほど過ぎたところで、一度は静まりかえった会場に声と拍手がうねるように広がる。
曲目がわかったのだ。
「あ」
リョウも小さく声をもらす。
5、6年ほど前の大ヒット曲。
恋人を残して宇宙に出て行くその人の想い。
飛び出して 羽ばたいて
銀の翼で 光の海へ
振り向かず 恐れずに
光へ近づく そのスピードで
部品の一つを置いていくから
身勝手な僕を許して
悲しいノイズやがて粒子になって消えるから
君が君のままで笑えたら
それはいつか次元を超えた光になる
当時、宇宙に出る者たちがこぞって恋人にこの歌を贈ったという。
「でも、この歌って、結局は別離歌よね?」
「……うん」
銀河が広い、この場所は狭い
それより狭いこのコクピットに
1ビットにも満たない電子情報
君の笑顔を圧縮してるのは可笑しいかい?
プログラムされたホログラム
3グラムで作り出されたヒストグラム
君が居る方角を たまに振り返って
超硬質ガラス越しの星の海を見つめながら、その実何も見ていない瞳のままリョウはシレーネの言葉に頷いた。
飛び出して 羽ばたいて
銀の翼で 光の海へ
抱きしめて 捨てないで
言葉の一つ、記憶の断片を
飛び出して 羽ばたいて
銀の翼で 光の海へ
形の無い想いだけを
空まで続く空へ連れ出して
空まで続く空へ連れ出して
『知っている人も多いだろうけど、この唄の詞を書いたのは俺じゃない』
最後のリフレインにかぶるような拍手を沈めてアイリッシュ・アイは語りだした。
口下手と公言し、コンサートはもちろんトーク番組に出演してもほとんどしゃべらない銀河の歌い手が、いったい何を言い出すのかと観客は息を潜め耳をすませた。
『──恋人を軌道ステーションに残したまま宇宙を飛び回る友人が彼女に残していった詩に、俺が勝手に曲をつけたもので──』
その話は有名なエピソードだからファンだったら誰でも、もちろんシレーネも知っているものだ。
そして、その彼女が今、アイリッシュ・アイの妻であることを知るものも多い。
『──そいつが、事故にあった。俺もさっき聞いたばかりのニュースで詳しいことは知らない。どこか、宇宙の片隅にいる彼に、届くといいと思う』
「うわー」
宇宙を飛び回ることを選んだ男が事故にあったというのなら、それは宇宙船事故だろう。
宇宙を生活の場にするものにとって、重大だけれどもどこにでも転がっている最悪の結末。それが宇宙船事故。
両親を思い出してシレーネは反射的に顔をしかめた。
その視界の隅を動くリョウの手が緊急コールのスイッチを押していた。
次々に通常航行には必要のない機器を立ち上げていく。
「リョウ?」
「シレーネ、今のライブ、どこからの中継だって?」
「え、ボクシーズ中継点って言ってたけど、あの…」
「どうした?」
ブリッジに駆け込んできたコウの見たものは複数の端末をつけて何かを調べているリョウと、めずらしくおろおろとしているシレーネだった。
二人の頭上をアイリッシュ・アイの歌声が通り抜けていく。
「ウィルの乗っている宇宙船が事故ったって。ボクシーズにいるアイルがさっき聞いたって言うから、そんな遠い場所の話じゃないと思うんだけど…」
リョウが明け渡した航法シートに着いてコウはいくつものモニタに表示されている情報と断片的なリョウの言葉をうけとめる。
円の端を四分の一ほど切り落としたようなブリッジには、5人分のシートがある。
リョウが着いている機関席、コウが滑り込んだ航法席、無人のままモニタに情報が表示されている通信席とシレーネが座ったままの操舵席、その4席が円弧にそってならび、中点にそれら全ての操作ができる艦長席。
通常航行であれば無人のまま自動操縦させることもできるし、軌道ステーションなどとの接岸や惑星への大気圏突入でさえ、一人でできなくもない。
壁面の全てを埋める計器やそのモニタのほとんどが稼動しているのをシレーネは初めて見た。
デザイン重視の自家用巡航船ならともかく、真空の宇宙を行き交うことが大前提の宇宙船のブリッジに快適性が求められるはずもない。貨物船であるシェルディア・テ・フィン号のブリッジも機能性が最重要視されている。壁面は大小さまざまなモニタが並び、その隙間を色も形も多様なスイッチやランプが埋め尽くす。
シート周りは天井も例外なく、女性としては標準的な身長のシレーネが少し伸び上がれば触れられる位置にも各種モニタや装置が並んでいる。
目の前にあるディスプレイに映し出される情報が刻々と変化しているのをぽかんと見守ることしかできなかった。
「リョウ、アイルを呼び出してみろ。ボクシーズなら多少のタイムラグはあっても超指向性通信なら繋がるだろ」
「ライブ中だぞ?」
「だからこそ、事情を知ってアイルに伝えたやつがそばにいるはずだろ」
「そうか! リシュレが出てくれれば話しが早いんだけどな」
艦長席にすべりこんだリョウは通信回線を開いてボクシーズを呼び出す。
「ここ、かわってくれる?」
航法シートから立ち上がるとコウはシレーネを呼ぶ。
「この3箇所の座標を割り出しといて。状況によってはすぐに跳ぶから」
軽い身のこなしで通信席に座ると、軍の広報や民間のニュースを片っ端からひっぱりだしていく。
全ての艦内検閲を無視する艦長席からのコールでボクシーズに繋がった回線から、さらに個別の携帯端末を呼び出しているリョウの通信をモニタしながら、コウの指はとまることなく動く。
『……はい?』
雑音にまぎれて聞こえてきた女性の声にリョウは握った拳を上げコウに親指を立ててみせた。