梅屋敷公園(大田区文化財・梅屋敷と和中散売薬所跡)

「梅屋敷駅」から第一京浜を蒲田方面へ5分ほど歩いた所に「梅屋敷公園」があります。左側の写真の碑には「明治天皇行幸所蒲田梅屋敷」とあります。園内には紅白あわせて100本あまりの梅の木があります。この写真の手前、第一京浜を挟んで「大田区体育館」があります。

----以下大田区教育委員会設置案内板より引用-------
大田区文化財・梅屋敷と和中散売薬所跡
「和中散は、食あたり、暑気あたり等に効く、道中常備薬として作られ、旅人に珍重され元禄から正徳にかけて(1688年〜1716年)大森村中原、谷戸(やと)、南原に3店が開業しました。このうち南原にあった店がのちに北蒲田村の忠左衛門に譲られ、この地に移転したといわれています。文政年間(1818年〜1830年)の初め、忠左衛門の子の久三郎の代に庭園に梅の名木を集めて休み茶屋が開かれ亀戸の梅林とともに梅の名所「梅屋敷」として有名になり、広重の浮世絵にも描かれました。」

園内には「里程標」(復元)もあります。
「昔、梅屋敷山本家の門の傍に自然石の里程標の石碑がありました。
その高さは1メートルほどでその表面には、
 距日本橋三里十八丁 蒲田村山本屋
と刻されていたと伝えれています。
 木戸孝允、伊藤博文らが梅屋敷で新年宴会を開いた際、二人が合作した一幅中の木戸孝允の画にも描かれていました。戦後里程標は姿を消しましたが、資料をもとに復元しました。」
以上 以上大田区土木部設置案内板より引用

狂歌堂真顔の歌碑(復元)

「昔、梅屋敷の園内には数多くの碑石がありましたが、所有者が移った時や戦後の混乱期に姿を消してしまいました。この歌碑はそれらの一つを資料を元に復元したものです。
文面は、

 旅人の神に手向けの幣代や
    白絹咲きし庭中の梅
          狂歌堂真顔

であったと伝えられています。」
以上大田区土木部設置案内板より


梅屋敷商店街
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