昭和53年7月25日炎暑の中、日本の歌謡界に燦然と輝く金字塔を残し、巨匠・古賀政男は逝った。彼は明治37年福岡県三潴郡田口村に父・善太郎、母・セツを両親として生まれた。彼は六男二女の五男であった。
彼が生まれた当時は日露戦争の勃発した年でもあり、世の中は決して平穏な時代ではなかった。いや、むしろ明治期もっとも混沌とした時代であったろう。それゆえに古賀政男の幼年期も波乱に満ちたものだった。父の死、母の苦労、兄を頼っての渡鮮、何一つとっても明るい思い出はなかった。失意と焦燥の日々を送ったこともあるはずである。
しかし、そんな苦悩の多い彼の心を支えたものが二つある。その一つは早く逝った父のかわり、彼らの幼い子供たちを細腕で育てたくれた母への愛である。幸せ薄い忍苦の中でも限りない愛情を注いでくれた母への愛慕の念は、人間・古賀政男の形成にとって実に大きな比重を占めている。
また、もう一つ彼の心の糧になったものは音楽への情熱である。
仁川時代、親友から大正琴をプレゼントされ、四兄・久次郎よりマンドリンを贈られその音色に陶酔した。このマンドリンとの出会いが、後に明治大学マンドリン倶楽部の創設、演奏活動へとつながり、そして永遠の作曲家・古賀政男へと飛躍してゆくのである。
彼の作曲した作品は3000曲とも4000曲ともいわれ、普段私たちが古賀メロディとして親しんでいるのはその内のほんの一部に過ぎない。しかし、その一曲一曲が全作品を代表するが如き密度の高い作品となって私たちの胸を打つ。
ある人は、「寂しさ」と「哀しさ」が古賀メロディを支える要素であるという。もちろん、それも大きな要素であることは否定できない。しかし、古賀メロディには「寂しさ」「哀しさ」を越える「明るさ」を感じさせるエッセンスが入っている。それゆえに、どんな哀愁を帯びた曲でも暗さなど微塵も感じられない。
この見事な調和が、凛としたメロディと独特の格調を生み出し、私たち日本人の心の琴線に触れる。
古賀政男が全霊を傾けて創り上げたメロディの数々は日本人の心に万感の思いを宿しながら永遠に歌い継がれてゆくはずである。