住宅再訪ー淀川邸(旧増沢自邸)
竣工時外観(1952)撮影平山忠治

1952年に「最小限住居の試作」として発表された増沢洵のデビュー作。建築界に与えた影響は大きく、戦後住宅史を代表する作品の一つといわれる。

当時の増沢洵

1965年に旧増沢自邸を解体移築して作られた淀川さん(増沢事務所OB)の御自宅が取り壊されることになるかもしれない、と言う話を聞き、それでは是非今のうちに見学をさせてもらい、この「通り芯」でも取り上げさせていただこうと、さる9月26日にスタッフみんなでお邪魔しました。

その間に、江戸東京たてもの園に移築保存の可能性について聞いてみたこともあり、(残念ながら、戦後の建物は対象外と言うことでした。)当日はたてもの園の学芸員の方、それと丁度1950年代の住宅のディテールの特集を企画されている彰国社の編集部の方々も加わり、大人数の見学会となりました。

居間の吹き抜け(1952)撮影平山忠治
移築のため解体(1965)
ツタに覆われたアプローチと外観外壁の竪羽目は当初のもの。
 当日はあいにくの小雨もようでしたが、一時間半あまりにわたって建物をみせていただき、貴重なお話も聞くことができました。移築の時に大工さんが南と北を間違えて建ててしまった事や、当初は2階の床を作らずに全面吹き抜けのなかなか迫力のある状態で使われていた事など、聞いてみなければわからないことでした。現状は、使い勝手に合わせて改装されている所も多々有りましたが、柱、梁、根太、フローリング、外壁の竪羽目や建具の一部など、当初の部材もよく残っており、居間の雰囲気や全体のスケール感など、当初の空間をしのばせるに十分でした。また、心配していた取り壊しの件も、土地の問題も解決し、当分の間は今のまま住み続けるおつもりとのことで、ほっとしています。(GYO)
左から彰国社土松さん、淀川さん、彰国社和木さん、増沢幸尋
居間現況:丸い柱が年代を感じさせる。建具も当初のもの

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