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最小限住居--自邸(1952)
1951年、増沢洵(26才)の設計である。レーモンド建築設計事務所に勤め始めて半年、当時なかなか当選しない金融公庫の融資に当選したのがきっかけで自宅の設計を開始、設計期間2ヶ月、工事期間3ヶ月のスピードで1952年3月に竣工した。「新建築・1952年7月号」に「最小限住居の試作」の名称で掲載された。
200坪の敷地の中にぽつんと建つ、建築面積が9坪、延べ15坪(49F)の住宅である。その当時は金融公庫の融資の上限が60Fで、「最小限住居」の名称が付いてはいるが、比較的大きな住居であった。平家の住宅が多かった時代であるが、吹抜けのある2階建ての空間構成、12本の丸柱構造、鉄筋の筋交い、水洗便所、キッチンなどは最新設備、ワークスペースと家事コーナーがあった。タタミ室はないが「和の雰囲気のあるモダニズム建築」で、設計者の「最大限努力住居」と呼んでも良いだろう。
2才半の私にとって13年間をこの家の変遷と共に接している。この「最小限住居」は3回の増改築を行っている。2年後に妹が誕生して家族が4人になり、吹抜け部分に床を張って増床、1956年に設計事務所開設に伴い玄関を作り、次の年に1階部分の南側に下屋増築、横に物置きを作った。障子の入った大きな開口部と吹抜けは、「整然とした大きな空間」という幼稚園生の記憶である。GLから1FLが363@、2FLまでが2242@、庭との一体感があり、母は手を延ばすと2階の床に荷物を乗せられた。小学校の低学年、1階の寝室の2段ベットの上段を使っていた。うっかりすると2階の根太に頭をぶつける高さ。階段は蹴上げが182@、踏面が204@、50度に近い勾配で梯子感覚。1階の腰窓の高さは757@、窓から地面に飛び降りられた。横の物置きから下屋に乗り移り2階に入ることも可能で、あたかも忍者屋敷。
3間(5454@)の正方形プランは子供にとってもスケール感を楽しめる空間を作りだしていた。
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