中学部の卒業式(1943年3月19日)
最後列が僕
高校の進路を考える時、僕は大学に進学したいと思っていた。ところが、それまで聾学校から大学に進学した者はいなかった。だから、大学に入るためには普通高校へ行かねばと考えて、僕は国府台高校を受験し、合格した。
中学部の卒業式の翌日の晩(かなり遅い時刻であったと記憶している)、突然聾学校の校長である川本先生が僕の家に訪ねてきた。
川本先生は、会えば必ず「え? 何? もう一度。もう一度、言ってごらん」とやるので、僕にとっては煙たい先生だったから、川本先生が訪ねてきた時も、親しく話す気にはなれなかった。それに川本先生は僕の両親と口をパクパクして話しているから、僕はお呼びでないと感じた。けれども、僕のことを話しているに決まっている。「一体なんだって言うんだろう?」深刻そうな顔をしている川本先生と両親の顔を僕はチラチラと盗み見た。
「ちょっと、こちらに来なさい」。
「高校合格おめでとう」と川本先生は言った。しかし、その後、川本先生はこんな話をされた。
実は、聾学校の生徒に大学入学資格があるか否かを文部省に問い合わせた。文部大臣のところに出向いて確認したところ、「問題ない。聾学校の生徒にも大学入学資格がある」と。
そこで、属聾学校で職員会議を開き、これまでは「職業科」のみであったが、今後は大学進学を希望する生徒向けの「普通科」を新設する旨が議論された。「普通科」に入る見込まれる生徒はごく少数にすぎず時期尚早という反対意見もあったそうだが、結局「普通科」は新設されることになったという。
川本先生が僕の家を訪ねてきた趣旨は、僕に新設された「普通科」に入ってもらいたいということだった。つまり、国府台高校へは行かずに、聾学校に留まって欲しいということだ。僕は複雑な気持ちだった。前日の卒業式では、僕が普通高校へ行くことが決まっていたから、みんなから餞別の色紙に「がんばれよ」お別れの言葉をもらっていた。
僕は、結局、聾学校に留まることにした。
春休みが終わり、高等部の入学式の日、僕が学校へ行くと、みんなのいぶかしげな瞳が僕に集まったのはもちろんである。
いつでも厳しく「口話、口話」と言っていたあの川本先生が、僕を聾学校に引き戻したというのは奇縁ともいうべきだ。
僕が、聾学校に、また、聾者の世界にどっぷりと漬かって生きるような方向付けを与えたのは、「口話の川本校長先生」と「手話の名手の萩原校長先生」だった。萩原先生については、別のページで語ろう。
|