「鉄レポ」アーカイブ特選 1994秋

鉄レポートに限らず、以前から旅や撮影の記録を文章にするのが好きで、
いくつかは機関誌などに残していました。今回は学生時代最後の年の1994年秋、
鉄道研究部の撮影会の模様を、原稿を再編集してみました。どうぞご覧ください。

 毎年恒例となった秋の撮影会は、11月20日(日)に行われました。よって以下にその詳細(一部手抜きあり)をご報告します。

 Act.1 垣夜(375M)
 11月19日(土)、部室に集まった4人の写真班員(1年 S崎君・3年 K村氏・3年 M元氏・4年 私)と4年 K林氏は、夜21時頃部室を出発、まずは徒歩で神田駅に向かう。神田から京浜東北線の103系(私だけ山手線205系)に乗り込み、あっと言う間に東京着。東京では、あの「垣夜」と呼ばれる375Mの発車まで時間があるので、今回予算の都合で行けなくなってしまったK林氏が先頭になって、ホーム上で飲み会が始まった(まあいつものことだけど)。飲み会が終わると、K林氏はさっさと帰ってしまったが、そろそろ375Mが入線するので、荷物をまとめて到着を待つ。
 23:33、375M(165系)が入線し、座席を確保。一応1ボックス2名で取ったが、しばらくすると車内は満席となる。そして23:40、375Mは東京駅を後にし、一路東海道線を下るのであった・・・。

 Act.2 浜松
 375Mは翌11月20日(日) 3:39、浜松に着。4人ともあまり眠れなかったらしく、特にM元氏は疲れ切った顔だ。とりあえず荷物を待合室に置き、コンビニを探しに外に出る。駅の周りを1周して、途中警官に怒られたりしたが、駅の南口にコンビニがあったので、そこで食料を調達し、再びホームに出て、貨物列車の通過を見ながら早い朝食をとった。

 Act.3 東海道本線 金谷−菊川(A地点)
 浜松5:33の静岡行き(113系)で菊川に向かう。私は熟睡して菊川6:03着の時にK村氏に起こされるまで気がつかなかったが、とりあえず下車。ここから撮影ポイントまで徒歩で1時間もかかるため、効率アップをねらってタクシーを使う。K村氏がタクシーの運転手にダイヤ情報の地図を見せて、わかってもらうのにちょっと手間取ったが、何とか出発。15分ほど走って、撮影ポイントであるA地点まで歩いて5分ほどの踏切で降ろしてもらう。ここでいきなりEF65PF牽引の貨物が通過したので、すかさず撮影。そしてA地点に着くまで歩きながら何本か列車を撮影して(列車本数が多い)、急な坂を登り、ようやく今日のメインであるA地点に着。
 A地点では、今度の改正でなくなってしまう特急寝台の「みずほ」を撮るのが主目的だが、その前に「富士」・「はやぶさ」などの特急寝台や113・211系などの普通電車、そしてEF66牽引のコンテナ列車が来るので、4人とも飽きずに撮影(またはその合間の食事)に専念できたが、私のカメラ(キヤノンA−1)の電池がなくなってきたので、思うようにシャッターが切れず、シャッターチャンスを逃すハプニングがあった(その後S崎君のカメラ(ニコンF601)も同じ目にあったが、金谷で新しい電池を手に入れたので助かり、特殊な電池を使う私は、最後まで電池に悩まされたのであった)。ほかの3人も当初、露出不足なのに加えて、開放F値が暗いズームレンズを装備していたので、あまりいい手応えにならなかったようであった。しかし、肝心の「みずほ」「さくら」の通過時には、日光がさしてきて、まあ見れる写真をものにできたようである。

 Act.4 A地点からB地点
 「みずほ」の撮影に成功して、とりあえず目的が達成されたので、次の目的である大井川鉄道に向かうため、移動する。ダイヤ情報によると、この付近にバスが通っているはずなのだが、先ほどのタクシー運転手によると、そのバスは昨年に廃止されたそうだ。しかし、今年のダイヤ情報には走っていると書いてあるのだから、それはおかしいと思いながら、バスが走っている(いた)らしき通り沿いのお店に訊いたところ、やはりバスは廃止されていたのだった(ここでダイヤ情報は全く使えない雑誌であることが、判明した)。仕方がないのでそのお店の人にタクシーを呼んでもらい、そのタクシーで金谷に向かう。20分ほど走り、金谷駅に到着したが、金谷発の大井川鉄道の電車はしばらく来ないので、歩いて新金谷駅に向かった。途中道に迷いそうになったりしたが、何とか到着し、S崎君と私は近くのヤオハンで電池を買いに(S崎君のはここで復活したが、私のは死にそうのまま)、K村氏(キヤノンEOS650)とM元氏(キヤノンEOS100)はSLを撮りに近くの踏切に行った。
 大井川鉄道の電車(何時何分発か忘れた)は、元西武らしき電車4両編成で、K村氏はつりかけ音にはしゃいでいたが、M元氏はダウンして座り込んでいた。電車はしばらく走り、大井川の鉄橋を渡ってすぐの駅(笹間渡)で下車。ここから5分ほど歩いた大井川の土手付近(B地点)に着。4人とも座席に座れなかったので、疲れ切った表情だったが、土手の上に新聞紙を敷いてどっかり腰を下ろすと、いい天気も手伝って次第に復活していった。

 Act.5 大井川鉄道 抜里−笹間渡(B地点)
 このB地点は、大井川鉄道の数ある撮影ポイントの中でもっとも有名な場所で、SL急行が3往復も走る今日は、ほかにもたくさんの人がきていた。K村氏が金谷駅でもらってきた時刻表のおかげで、効率よく撮影が行えた。まずSL急行はC11の2両とC56がフル稼働し、さらに元南海の電車をはじめとする各種の特徴ある電車が2・4両編成をくみ、轟音をたてて鉄橋を通過するので、「ああっ 来てよかったなっ」という気分にさせてくれた。後半は、私は3人と離れた場所で撮影したので、3人のことは余りよく知らないが、こういう場所では全員が固まって撮影するよりも、個性を磨くためにも各自いろいろな場所で撮影をすべきなのではと思った。それにしても同期生のK村氏とM元氏は相変わらずの凹凸コンビぶりを見せていたのが印象的であった。

 Act.6 帰り道
 機械工学科のK村氏は、明日1限の授業がある(課題を提出するだったかも)という理由で、すぐにでも帰りたかったそうなのだが、乗るはずの電車に乗り遅れてしまい、仕方がないので最初に来る下り電車で急行停車駅の下泉まで行き(笹間渡は急行が止まらない)、そこで1分乗り換えで折り返し急行に乗り継ぎ、早めに帰ることにしたので、私はK村氏につきあって(面白そうだったので)、M元氏とS崎君は撮影してから次に来る普通電車で帰ることになった。
 さて、下り電車は2人を乗せて走り出したが、途中駅で家族連れの乗車(ワンマンカーのため)に手間取ったために、下泉着が遅れてしまった。下泉では乗るはずの急行電車が停車していたが、こちらが停車する前に発車してしまったため、乗ることができなかった・・・ああ無情。うなだれるK村氏。まあここで悔やんでも仕方がないので近くの鉄橋で撮影(ちょうどSLが来る、ちなみにさっきの家族連れはこの列車に乗っていった・・・ふざけるな!)し、結局別れた2人と同じ列車で帰る羽目になった。がしかし、ここで終わるわけではなかったのである。
 電車は笹間渡に着いたが、あの2人は後ろの車両(こっちは前の車両で、前と後ろは通り抜けできない)に乗ったので、金谷まで別れたままであった。さて、金谷に着。K村氏は帰りの切符を持っていたのでそのまま通り抜けてJRのホームに、私は先頭にいたのですかさず窓口へ行き切符を購入。ところがM元氏とS崎君は後ろの車両にいたため、混雑したホームを歩く羽目になっただけでなく、窓口まで大混雑となったため、学割の乗車券を買えずに16:39発の(快速アーバン・・・じゃなくて)三島行きに乗れず、また二人ずつ別れ別れになってしまった。発車する211系に乗っていたこちらに向かって「いてこましたる」というような表情のM元氏が印象的であった。
 静岡で東京行きに乗り換えた2人は、そのままほとんど熟睡していた。私は小田原で小田急線に乗り換え、わざと各停に乗ってM元氏が追いかけて来るのを待っていたが、ついに現れなかった。しかし後日談によると、一応全員無事に帰り着いたようなので安心した。

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