----何か僕にできることがなかったか、そう思うと今でも悔しい思いで息がつまりそうになる。なんでもない日に買い物に行く途中で、黒いカラスが瓦屋根から飛び立つ羽音を聞いた瞬間、こんな気持ちでふと立ちどまらざるを得ない。彼女を知るだれもがこのような思いをするためだったとしたら、彼女の命はあまりにもつまらないことに使いつくされてしまった気がする。
ある人は、あまりにふつうであることを嫌ったために、ピンと張りつめた自分自身の心にうち負かされてしまったのだと言い、まるで素直に恋人でもつくって平凡な女性としての幸せを楽しむことこそが、彼女を救うただ一つの道だったと決めてかかる。
しかし、無残に切り裂かれた体が経帷子におおわれたままの、棺の中の彼女をのぞいた人ならだれでも、彼女が決してそのような種類の無念さからは最期まで自由だったと言い切ることができるだろう。
大学に進学してからも、彼女は毎年、盆と正月の二度は帰省することを忘れず、たまたま実家を訪れていた親戚にも、幼いころと変わらぬ愛想のよさで応対していたはずだ。もちろん僕が実家での彼女の様子を知る手段は、なぜか定期入れに大事そうにもっていた、正月ごとに彼女が訪れたという先祖の墓参りの写真だけだったが、葬儀の日、受付を手伝った僕の目の前を通っていく親類縁者たちは、だれもきつねにつままれたような顔をしていたではないか。
ものごとの理由というのは、はじめから分かっているのではなく、結果が起こってからの解釈として後から付け加わるものだ。「どうして」という思いにふと立ち止まらざるを得ない、その心の空白のようなものを埋めようと、それぞれの人が物語という解釈を後から付け加える。
下宿から大学に向かうまでの道で、電車で、通りすがりの人々がとりたてて理由もなく話すことばに、いったい何を思っていたのだろう。もしも彼女が本当にごくごく平凡な生活を望んでいたとしたら、ほんの少し手をのばせばそれはかんたんに彼女にとっての日常になり得たのだ。
人々にとって意味のある言葉も、彼女にとっては心地よく耳をくすぐる風のざわめきとしか聞こえなかったかもしれない。もしかすると、合宿先のホテルで明け方まで部員たちと話しこんださまざまな事どもも、同じように彼女にとっては耳ざわりのよいBGMにすぎなかったのかもしれない。
孤独ということを言うなら、たいていの人は友人や恋人によってそこから救われる一時的な行き止まりのように思っているが、僕はふと立ち止まるたびに、もし彼女が多くの人と触れあえば触れあうほど、いかに自分が孤独であるかを思い知らされていたとすれば、言葉どおり彼女にとって他人は地獄だっただろう。
他愛のないおしゃべりに静かにほほえみながらも、ますます目の前の人との間に広がっていく溝の深さに、潮が引くように希望は後ずさり、代わりに月が砂浜の砂をひとつぶひとつぶ輝かせる。くぐもった砂の匂いが、痛くもなく、苦しくもない彼女の孤独を深めるように。
そして、そのような方向へますます追いこまれずにはいられない自分の気持ちの動きを感じとって、いったいどこにその出口が見つかるのか、大教室での講義中、たまに窓の外に雲の動きを見つめていた彼女はなんとか探り出そうとしていたのだろうか。
つまり、僕も彼女についての物語を編み出そうという誘惑から逃れることができていない、ということだ。理解することによってすべてが忘れられると信じているが、永遠に理解できないとすれば、僕はかえって永遠に忘れられないという落とし穴に自らはまっていることになる。
いっそのこと、きっちりと理屈づけられるようなことは何もなかった。ただ彼女が今はいないという現実があるだけだ。
彼女と個人的に交際したことのある友人は、今でも彼女の実家に通って、彼女と出会わなければ失うことのなかった時間を埋め合わせようとしている。赤の他人なら、その人物が自分と知り合う前にどんな生活をしていたかなど知る必要もないことだが、知ってしまった以上は、いつか知るべきことになってしまう。
物語を編み出す誘惑に駆られながら、これといった物語を作り上げることもできないなら、僕にできるのは事実を忘れてしまうこと、そして物語をやめてしまうことだけかもしれない。