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![]() 尾崎紅葉『駿馬の骨』 ( 20030412 ) わかき女夫は兎角目につき、老いにし夫婦を見れば、なお羨ましく、思えば我が身の行く末心もとなし。風邪にても寝白粉を忘れず、頭痛ありても日髪を結い、思い切ってはでなを着、我羞かしきあどけなき事をいい、誰見ても十八九、若いと言わるるに、帯一つ出来たより嬉しく、陰へまわれば人魚と、聞くに腹は立てど、なるほど、ことし二十六にて紅い袖口、友禅の半襟、何の好きでするにはあらねど、縁なき内は九十になりても娘、十六でもお袋になれば、袖をつめるが道なり。今の男少女を好み、額際はげて、子のような嫁を望めば、年だけにつくりなば、二度目かと、くやしき事を疑われ、ややともすれば破談、これがいやさに小羞かしけれど、四十島田のつくり娘、いつまでかくてあるべきや、良き縁あれかしとあせれど、前後八度の縁談色々にやぶれ、伯母は気にして星を見てもらい、御籤をとり、うらないを頼むを、笑うてはおこられしが、むかし!むかし!七八年のむかし、今こそ恋しけれ。その頃は身体五つ六つありても、何の苦はなかりしものを、かえすかえすそのときこそ恋しけれ。婦女の身、二十五の春をやり過ごしては、思い懸くるもの少なく、さりとて無きにもあらねど、われ嫁にと所望の男……らしきはなし。先妻に子ありて、頭薄黒く……いや、いや、いやな事かな。いそがしき家内に世帯染みて、年寄りの世話する罪はまだ作らず、いかに身の落ち付きを急げばとて、我を見損いしか、目のきかぬなこうどはら立たしく、また両親とても、唯一粒の我を可愛いとは覚さぬか。死なれた姉さんは、不孝ものとおっしゃりながら、命日には生前の好物とてお菓子を供え、お花をあげらるるからは、いっそ死んで可愛がられたしと怨ずるに、姉よりは不孝ものだと、父親の言語あらく、可愛いければこそと、母親の涙ぞわりなき。なるほどこの身の不了簡、今からはきっと心をいれ替え、添うというものあらば、年老、かたわはおろか、悪魔にも従わん、羅刹も厭わぬ気になるは当座にて、フレンドの誰彼が、某令夫人と書かれし新聞を見れば、分別忽ち変わり、あの女が何を取柄に、容色はもとより十人並、人は知るか、知らぬか、見苦しき坊主頸、中剃と小鬢にはげあり、前歯一枚かけながら、学校にいし頃は、金もうめられず、唱歌は聞かれぬだみ声、家政はいつも辛うじて平均点にとりつき、饒舌にてむか腹立ち。何一つ我彼に劣らずして、身分この下につかんこといいがいなし。よし、両親死ぬとて逼らるとも、いっかな聴き入るる所存なく、二三日過ぎて、綱引きの手車いさましく、すれ違う女の会釈するを、誰かと思えば、あいつか。奥様の威儀を繕い、とき色絹の手袋に、金環つけたる塗柄の小傘を、子細らしくさしかけ、むかしのきゃんが今になおらず、針のような赤毛を揚巻に結び、黒き猪首に巻きつけし白襟、宝石入りの衣紋留めをひけらかし、慈善会の理事とやらにて、今日はその当日、上野への途か。夫の威光に赤毛も光り、我は顔のにくらしさ。この女才子ならぬに好くなまけ、卒業試験の真際には、あの眼に涙を浮かべ、手を合して、神はまたなんじを恵まん!と我に泣きつくをあわれがりて、温習の口移しも、魯鈍の性質に薬はきかず、首尾よく(落)ともれ聞きておろおろし、また我を頼み慈悲卒業せしものが、あれ、あの通り。勿論我は彼等が上に立つべき資格ありながら、なまなかの人に添わば笑わるべし。我は我相応の縁なくば、なお十年も辛抱し、二十年も意地を通し、その上にても縁なくば、百歳近き生娘もなき例にあらず。男を頼まずとも、資産は一人には楽なりと、折角ためし竹跳ねかえり、消えし木焚き上がりて、枕につけば架空の世界に身はうろつき、妄想の現象に眼は迷い、ハネイムウンの伊香保の谷の音、歌舞伎座の電気燈、鹿鳴館の舞踏室、風月堂の新婚菓、夜会の鳳梨、両親安堵の顔、悋気のいさかい、巴里の公園、二頭立の相乗馬車、それからそれへと思い移り、夜具跳ねのけ、真夜中に鏡をとり出し、また寝白粉をしなおし、映る姿に満足の笑み、首肯いて枕につき、明くる朝から縁談にこんどはと胸を轟かせ、その人の写真とて見るに、まんざらならぬ男ぶり、むかしならば非難もいうところなれど、今の身にしては、器量には申し分なく、位置はと聞けば、奏任六等!後はいわせず、二階へかけあがり、汚れし耳を洗わんと一曲奏ずれど、この譜もラブにてうるさし、別に何ぞと、書笥を掻きまわせど見当たらず、用箪笥の底をかえせば、大形なる書翰筒ふと出たり。このうちには何がと引き出せば、七年前金釦のA……という人から、刻み縁の紅箋に、情けの言語を仏文にて、自由につづけし鵞筆の跡、ところどころ震えたるは、その胸騒ぎその手わななき、人目を忍び、心せいて字の崩れたるに、その男の初心と執心とがありあり見えて、こうまで深く思いこませ、なお片思いの浮名になぶらせし事もありけり。今更その男いとしくなり、紫地のろしや革に銀縁のアルバムを引き出し、五枚目の半身これと、見れば男前にくからず、この結べる唇は、無口の性質あらわるるに、色めける言葉をかけてくれしがと、追懐すれば何一つとして、気にいらぬ事なく、どうしてこの時は、これほど実ある人を嫌いしか、考うるほど我が心を解しかね、今ならば願うてもなき縁なるにと、この人の現在の身の上に推慮移れば、あっぱれ在野の紳士と立てられ、我ゆえに遁げてまわりし許嫁を得心して、三つになる可愛きものまで出来、先達て見かけしがと、写真を見詰めれば、動かぬ瞳動きて冷笑し、結べる唇ほころびてつぶやくは、我が身の今を見よと、嘲るごとく心とがめ、口惜しいやら、恨めしいやら、その写真引きぬき、二つに裂いて捨てる窓の外に、薔薇残りなく散りて、あれほどの蜂が今日は一つも見えずなりける。 無断転載禁止
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