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![]() 痛快チャンバラ活動劇画 ( 19980818 ) 悪役・布袋寅泰と正義の味方・風間杜夫が一騎打ちする痛快爆笑チャンバラ映画と聞いて見に行きたくない人などいないだろう。 世界的に評価の高いミュージック・ビデオ作家・中野裕之が初めてメガホンをとった『SF サムライ・フィクション』は、骨の髄まで徹底的に娯楽時代劇である。 ほぼ全編が端正なモノクロ映像だが、決してスタイリッシュに過ぎることはなく、監督はあくまで娯楽に徹している。明快な勧善懲悪のストーリー、さらわれた美しい娘の奪回劇、血気盛んな若ザムライと、チャンバラに必要な要素はすべてそろっている。 しかも聖杯伝説とロードムービーのフレイバーつきで、なぜかノコギリ演奏の『スワニー・リバー』まで飛び出し、東西娯楽映画の代表選手であるチャンバラと西部劇がマンガ的な世界にごっちゃにされている。 中野裕之監督はこのコミカルな世界を描き出すのに、あえて映画的に取るのではなく、カメラのフレームをマンガのコマのように扱うことで不思議な映像のリズムを作り出している。 冒頭の、風祭蘭之介(布袋寅泰)が宝刀を奪う室内シーンと、主人公の犬飼平四郎とその父が将棋を指すシーンを見たとき、2人の人物を不思議な高さのカメラが真四角にとらえるカットを観て、「おやっ?」と感じるはずだ。 そして、人物の身体部分の固定ショットや、水平移動がほとんどの移動ショット、疾走する人物たちを正面から後退しながら捕らえるカメラ。この映画に登場する移動ショットには、セットを回り込む手持ちカメラや、登場人物の主観の移動ショットが含まれていない。 しかも、複数の人物を収めるカメラや、室内の俯瞰ショットには、広角レンズが多用され、人物だけでなく周囲の空間もフレームに収めようとしている。 点と線で移動するカメラ、移動する主観ショットや手持ちカメラの不在、このように注意深く選択されたフレーミングは、よく考えてみれば映画のフレームではなく、まさにマンガのコマなのである。 ほぼ全編モノクロ映像の中に、効果的に現われるカラー映像、たとえばチャンバラシーンでバッサリと切られた瞬間の効果などは、モノクロのマンガ週刊誌に混じっているカラーページを思わせる。 監督が文字どおりのコミカルさにこだわるのはフレーミングやカメラだけではない。緒川たまきの、一見おさえたようでいてとってもオーバーな演技や、ある意味でハマり過ぎてワザとらしい夏木マリの役どころ、間の抜けた忍者を演じる谷啓、意外なところに登場して笑わせてくれるマルセ太郎。そうしたものすべてが、この映画をまさにマンガそのものに仕立て上げる抜群の効果を発揮している。 ただ、個人的にはもっとマンガでもよかったのではないか?と感じた。全体に笑いのツボや落し方が、まっとう過ぎる。正統派のコメディーなのだから仕方ないといえばそれまでだが、これだけのキャストなんだから、もっとハメをはずして腸がねじれるくらいの過剰演出でもよかったんじゃないか? そして、チャンバラ映画であるからには、もっとチャンバラのシーンを見せて欲しかった。そしてチャンバラシーンは、俯瞰のような覚めたショットは使わず、アップの画像を目にも止まらぬ短か〜いカットで目まぐるしくつなぐツバぜりあいの「動」と、構えてにらみ合う緊迫した「静」のメリハリがもっと欲しかった。 とくに風祭蘭之介(布袋寅泰)と溝口半兵衛(風間杜夫)の一騎打ちは、クライマックスとしては時間的にも短すぎて、ややストーリーに消化不良を残してしまった。 このように映画としてイマイチふっ切れていない点はあるけれども、ワンパターンなストーリーを切れのいい映像で最後までダレずに見せるテクニックはすごい。とにかく腹をかかえて、照れずに笑ってほしい。 無断転載禁止
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