2005/11/15、黒田清子さん(紀宮さま)の披露宴で、乾杯の挨拶をした東京都の石原慎太郎知事が「信仰とは賭けである」と言ったのはベルグソンだと間違ってしまったことは、その後スポーツ紙が取り上げたこともあって話題になった。その後、石原都知事自身が記者会見で強がった反論をしたのがやや印象的だったが、「愛と苦悩の日記」でも触れたように、正解は言うまでもなくパスカルである。
今さらながら今回は『パンセ』のくだんの箇所を、僕の下手くそな日本語訳で確認してみようという企画である。「章」というのか「節」というのか、『パンセ』の各部分をどう数えるのか正確なところは知らないのだが、233節がその信仰と賭けについての議論の部分である。二人が対話をするスタイルになっているところは、ソクラテス以来の「弁証法」の伝統を意識してのことか。よくわからない。
【think or die訳】「次の点をよく考えてみよう。神は存在するのか、それとも存在しないのか。ところで私たちはどちらに傾くだろうか。理性はこの点について何も決められない (ここの mais はたぶん逆接ではなく話題転換の意味だと思う)。無限の混沌が僕らを分けへだてている。その無限の距離の果てでは、ひとつの賭けがなされていて、コイン投げがおこなわれる (croix ou pileはフランスの古語でコイン投げの賭けのことらしい。未来形は「〜だろう」と訳すと不自然になるので訳さないでおいた)。あなたは何を勝ち得るだろうか。理性によれば、あなたはどちらにすることもできない。理性によれば、あなたは二つのうちどちらを禁じることもできない (この他動詞 défendre は「守る」と「禁じる」のどちらか。ここでは faire の反対語として使われているので、「どちらも行わないということもできない」という意味だろうと解釈して「禁じる」を採用した)。したがって、どちらかを選んだ人たちを、間違っているといって非難してはいけない。というのも、あなたはそれについて何も知らないのだから (手元にある『世界文学全集』の日本語訳では vous を一貫して「君」と訳してあるのだが何故だろうか。小林秀雄も『パスカル』という随想の中で「君」と訳している)」
【think or die訳】「いや、そういうことではない。 (ここで話者が変わっていることに注意)私はそちらを選んだということで彼らを非難するのではなく、一つを選んだということで非難するだろう。なぜなら、表を選んだ人も、もう一方を選んだ人も、どちらも同じように間違っているからだ(この部分の encore que + 条件法は「〜にもかかわらず」という意味ではなく、単なる順接と解釈するのが正しいようだ)。二人とも間違っているのだ。正しいのは、賭けをまったくしないということだ。」
【think or die訳】「なるほど。しかし賭けは行わなければならない。まったく自分の意思ではなく、あなたはすでに船に乗せられてしまっているのだ (être embarqué と受動態になっていることに注意。事件などに「巻き込まれる」という意味で使われる表現のようだが、語源どおり「船に乗せられる」と訳しておいた)。そうだとすればあなたはどちらに賭けるか。考えてみよう。賭けなければならないのだから、あなたにとっていちばん利益が少なくなるのは何かを考えてみよう (ここで interesserという他動詞は「〜の関心を引く」という意味ではなく「〜に利益を与える」という意味に使われている)。」
【think or die訳】「あなたは二つのものを失う。真理と善だ。そして二つのものを賭ける。あなたの理性とあなたの意思、つまり、あなたの認識とあなたの幸福だ。そしてあなたの本性は二つのものを避ける。誤りと悲惨だ。あなたの理性は一方より他方を選んだからといって、もっと傷つけられるということはない (ここは Votre raison n'est pas plus blessé même si vous choisissez l'un que l'autre, puisqu'il faut nécessairement choisir. という風に順序を入れ替えるとわかりやすい。それからこの部分の plus は「もはや〜ない」という否定文ではない。よく見ると「ne 〜 pas plus」と pas が残っている。pas が残っているということは plus を使った比較構文の否定形ということだ。何と何を比較しているのかはやや分かりにくいが、「賭けをしない」ことと「賭けをする(=どちらか一方を選ぶ)」ことを比較している。賭けをしないよりも賭けをする方が理性がより傷つくなどということはない、という意味)。というのも、必ず選ばなければならないからだ。これで論点がひとつ片付いた。 (vider は「空にする」という意味だが、事件や問題点を「解決する」という意味もあるようだ)」
【think or die訳】「ところで、あなたの幸福はどうなるだろうか。神が存在する方をとったときの、得と損を比べてみよう (peserは「重さを測る」という意味の動詞。天秤にのせて、どちらが重いかを測ってみる感じ)。次の二つの場合を比べてみよう。あなたは勝てばすべてを得る。そして負けても何も失わない。ならばためらうことなく、神が存在する方に賭けなさい ( il は Dieu を指し、sans hésiter は gager 「賭ける」を修飾している)。」
ちなみに小林秀雄は『パスカル』という文書の中で次のように書いている。
「パスカルは、まるで賭ける様に書く。衝動と分析力とが見事に一致したニイチェの様な否定の達人も、パスカルの様には烈しくない」
また、「縺れがいよいよ解き難いものとなる様に、そういう様に考えて行く事」、「考えれば考えるほど解らなくなる様な考え方、これはパスカルの採用した断乎たる方法」であると書き、パスカルは「懐疑派にならずに、疑う事」をした人だとも書いている。
そして、小林秀雄の魅力的な一文。「解決がついたという事は、眠りについたという事である」。まさにこの think or die にぴったりの言葉が、小林秀雄が1941年7月に書いたパスカルについての文章から見つかるとは予想していなかった。