日比谷シャンテシネで、カンヌ国際映画祭国際批評家週間大賞受賞作、女性監督ジュリー・ベルトゥチェリ『やさしい嘘』(2003年)を観た。フランスとベルギーの合作だが主な舞台はグルジアとパリである。グルジアで暮らす祖母エカ、娘マリーナ、孫アダの3世代の女性3人が主人公で、セリフの多くはグルジア語、祖母と孫娘をむすぶ重要な絆としてフランス語がつかわれている。
グルジアという国はソ連邦が崩壊した後、1991年に共和国として独立宣言しているが、どうやらテロが頻発するなど政情が不安定だったらしく、おそらくこの映画がクランクアップした後の2003/11にも野党勢力が大統領府を選挙し、シェヴァルナッゼ大統領が辞任に追いこまれるという事件もおこっている。
映画の中でも3人の暮らすグルジアの家では毎晩のように停電がおきたり、突然水道がとまったりといったシーンが登場人物の苛立ちを代弁するように挿入されている。マリーナの恋人が住んでいる、ほとんど廃墟のように朽ちた集合住宅群も、効果的な背景として登場する。そもそも娘マリーナの弟オタールが、パリに出稼ぎにいかなければならなかったのも、グルジアに残っている3人の女の暮らしを楽にするため、という設定になっている。フランス語の原題『Depuis qu'Otar est parti』は「オタールがいなくなって以来」という意味だ。
驚くべきことに、主役であるエカおばあちゃんを演じるエステール・ゴランタンは1999年に85歳で映画デビューした女優だという。その娘マリーナ役のニノ・ホマスリゼはグルジア生まれの15歳でデビューしたベテラン女優で、映画の中でも安心感のある堂々とした演技を見せている。
そして孫娘アダ役のディナーラ・ドゥルカーロワは、14歳でデビューした1976年生まれの女優で、本作の公式Webサイトで初めて知ったのだが、なんとカネフスキーの『動くな、死ね、蘇れ!』(1989年)でヒロインを演じていた少女だという。どこかで見たことのあるような顔立ちだけど、こういう顔立ちのロシア人もよくいるから気のせいだろうと思いながら観ていたのだが、どうりで観たことがあったわけだ。
監督のジュリー・ベルトゥチェリは1968年フランス生まれで、父親ジャンルイ・ベルトゥチェリも映画監督。父親の作品は日本ではほとんど公開されていないようで、フェリーニの『道』(1954年)に主演したジュリエッタ・マシーナの遺作『木洩れ日』(1991年)くらいのようだ。ジュリーはキェシロフスキ監督の助監督などを経て、本作が長編初監督作品のようだ。
初監督作品にしては、フランス映画のひじょうに良質な面をしっかりとうけついだ説得力のある作品に仕上がっている。冗長を感じさせるカットはまったくないし、早すぎると思わせる展開もない。パリの都心部でのロケも、グルジアの大自然を背景にしたロケもすばらしい。薄暗いバルコニーでマリーナがタバコをすう場面など、やや長めのカットで登場人物の心理を描写すべきところはそうなっているし、祖母がひとりで遊園地で遊ぶ場面では、短いカットのリズムで少女のようにうきうきした心情がよく表現されている。
そうした映像上の演出技術にもたしかなものがあるのだが、この映画は何よりも脚本のよさが作品全体を引き立てている。日本語タイトルにもなっている意外な「やさしい嘘」が、ラスト近くで3世代の親子に本質的な和解をもたらす鍵になっている。
しかし「どんでん返し」がそれだけに終わらないところが、また素晴らしい。祖母と孫娘のアダを映画のはじめからむすんでいる一つの線が、フランス語なのだ。祖母はスターリン時代のソ連に郷愁を感じていて、娘時代に学んだフランス語とフランスに強いあこがれを老境に至っても抱きつづけている。祖母の心は、ロシアがまだフランスにあこがれていた時代を生きているのだ。
学校でフランス語を学んでおり、フランス語で自活を目指している孫娘のアダは、そんな祖母にとって自分の実現できなかった夢をたくせる存在である。壁の書棚にびっしりならんだ古びたフランス語の書物は、一見、オタールに会いに行くための手段に姿を変えたように見えるのだが、じっさいには祖母の孫娘にたくす思いがかくされていたのである。それは最後の最後で明らかになる。いかにもフランス映画らしい、粋などんでんがえしだ。