今朝の日本経済新聞に「日本のアニメに経済戦略を」という的外れな社説が掲載されていた(以下カッコ内は引用)。「日本製のアニメは世界市場で六割以上のシェアを占め」、「日本を代表するソフトとして日本の国際的なイメージ刷新にも寄与してきた」が、米国企業や「アジア勢の追い上げも急」で、「日本のアニメ産業は天気を迎えている」。
日本のアニメは「典型的な労働集約型産業」であるため、「近年は人材確保が難しくなり、「『日本のアニメ』の大半が実は外国で作られている」。「米国からはCG化の波が押し寄せ」、「米国の巨大資本とアジアの低コスト生産の挟撃に遭っている」。
したがって「先細り」を避けるために日本の「アニメ業界は金融業界や大学などとも協力し、アニメの面白さが分かる経営のプロを育成する必要がある」。「マネジメント層が育てば、現状からの脱皮も自然に進むだろう」。「創作意欲とセンスにあふれた若い人材は豊富にいる。欠けているのは彼らの才能を見いだし、戦略的に組織化し、ビジネスとして成立させるプロジェクトマネジメント機能だ。制作者が利益を確保できる仕組みを作り人材や設備への投資に振り向ければ、さらなる飛躍も可能になる」。
まずこの社説は日本のアニメ産業が、生産性が高く高収益で、投資余力のある産業になることが無条件に良いことであるという、とても素朴な経済合理主義の立場を、何の疑問もなくとっている。アニメーションが作家の自由な自己表現手段として「芸術」の側面ももっているということを、この社説はほとんど無視している。
たしかにアニメーションには、絵画や音楽の売買が商売になるとの同じように、ビジネスとしての側面もある。しかしたとえば、油絵や陶芸や音楽の制作プロセスは「労働集約的」だからコンピュータを使って効率化すべきだ、という議論は明らかにおかしい。芸術の創作は「労働集約的」だからこそ、単なる「生産」ではなく「創作」たりうるのである。この点で日経の社説は「アニメの面白さ」を分かっていない。
また、日本のアニメという言葉で日本のアニメの多様性をひとまとめにするのは、あまりに乱暴な議論である。日経の社説はアニメそのもののさまざまなあり方を完全に無視している。
たとえばスタジオジブリとディズニーのアニメは、万人にうけいれられる物語性や描画の無難さで共通しており、もはやサブカルチャーとは言えないメジャーな地位を占めている。このようなアニメは、それこそCGによる生産プロセスの合理化や国際分業、多額の広告宣伝費をつかった派手なマーケティングで観客動員を稼ぎ、投下資金を回収するという、いかにもビジネスらしいビジネスモデルに適している。
しかし、ジブリ作品やディズニーが商業的に成功しているからといって、すべてのアニメがそうならなければならないとでも言いたげな日経の社説「日本のアニメに経営戦略を」は暴論でしかない。
アニメにはそれ以外の側面ももっている。たとえば『ドラえもん』『ふたりはプリキュア』など、昔から存在するお子様向けアニメ。この種のアニメは玩具や子供向けアパレル、ゲームなどとの提携でビジネスとしての展開を狙うことができるが、すでに玩具メーカにとっては定石となっているビジネス展開で、日経が「さらなる飛躍」を騒ぎ立てる必要はない。
その他に、いわゆる「ヲタク」向けの市場展開という側面が存在する。プラモデルやフィギア、パロディー作品の同人誌をあつかうコミックマーケット、コスプレなど、アニメ作品の受容が二次的な創作活動を誘発する側面である。あるアニメ作品を観た人たちが、その作品に触発されて、独自の演出をほどこした造形芸術や、コミック、小説、作中人物の衣装を身にまとっての「自演」などにまで行きついてしまう、そういう市場の広がりのことだ。
日本経済新聞はこのヲタク向け市場も完全に無視しているが、実はアニメの経済合理性の追求をもっとも嫌うのは、他でもないこのヲタク文化としてのアニメなのである。
なぜヲタク向け市場においては、アニメがフィギアや同人誌などの二次的な創作活動を引き起こすのか。それはアニメ作品そのものが、一種の仲間うちの「言語」になっているからだ。「グフ」「スカブコーラル」「カガリ・ユラ・アスハ」といった言葉が通じることで、アニメの受容者どうしにコミュニケーションが成立し、それらを言語として新たな「作品」が創られる。いわばヲタク市場とは、アニメがメタ作品化したもの、作品についての作品と化したものである。
ところが、アニメ作品がメタ作品化するためには、つまり、アニメ作品が一種の「言語」として流通するには、日本語の文字や文法が、英語ともアラビア語とも違っているように、それぞれの作品どうしが差異化される必要がある。ロシア語は韓国語と違うことによってはじめて、ロシア語圏(だけ)で通じる言語になる。それと同じように、『ガンダムSEED』という「言語」は、『D.Gray-man』という「言語」と(微妙ではあるが)異なることによって初めて、『ガンダムSEED』のファンの間、『D.Gray-man』のファンの間(だけ)で通じる「言語」になる。アニメ作品がメタ作品化、メタ言語化するヲタクの市場で、アニメの受容者たちが小さなグループ(=同人)に細分化されるのは、このように必然的な現象なのだ。
このような性質をもったヲタク市場が、アニメの経済合理性の追求と相反する理由はもうお分かりだろう。経済合理性は貨幣という「普遍言語」が国境を越えて流通することで、不可避的にグローバル化をもたらす。お金は、適切な交換レートさえ存在すれば、世界中どこでも使える「普遍言語」である。最近よく議論になる地域通貨も、ふつうの通貨と交換レートさえ設定すればたちまち、地域通貨でなくなってしまう。どこでも使えるということが貨幣の本質である。
それに対して、言語には言語どうしの差異がある。差異があることによってその言語を持つ文化に独自な表現形態が生まれる。いや、それぞれ文化の独自の表現形態が、その文化特有の言語を産みだす。この際、どちらが原因でどちらが結果かはどうでもいい。とにかく文化と言語は、差異とその文化や言語だけが流通するような「境界のある小さなグループ」を要求するのだ。
そして日本のアニメーションが「世界市場で六割以上のシェアを占める」に至ったのは、日本経済新聞の期待に反して、そのようなヲタク向け市場が開花してからである。それまで世界でアニメと言ったらディズニーだった。日本のアニメが世界的な市民権を得たのは、米国における『スターウォーズ』のように、『ガンダム』のような作品が一部のマニアの熱烈な支持をうけることでメタ言語化したからだ。
メタ言語化した途端に、ふつうの意味での言語(日本語や英語)の壁を越えて、『ガンダム』は国境をまたいだ「小さなグループ」の中だけで通用する「言語」になった。そのようになることで初めて、日本のアニメは国境を越えることができた。
ところが日本経済新聞の社説「日本のアニメに経営戦略を」は、日本のアニメが「米国の巨大資本とアジアの低コスト生産の挟撃に遭っている」と書いている。これが完全にまちがった事実誤認であることは、もうお分かりだろう。日本経済新聞は米国や韓国、中国といった国民国家の境界、つまり、ふつうの意味での言語の境界しか見えていない。アニメを自動車産業と同じように、国民国家どうしの経済競争という観点でしか見ることができないのだ。
そうではなく日本のアニメは、それ自体がふつうの意味での言語(英語や日本語など)とは別の「言語」になることによって初めて世界的なものになることができた。韓国や中国が現時点で日本のアニメ産業の「下請け」になっていることに、「新興国の脅威」を見るのは、日本経済新聞が国民国家どうしの経済競争という見方しかできないからだ。日本のアニメそのものが一種の言語になっているのであれば、現時点で国境を越えた分業が成立しているのは、ある意味、当然なのである。韓国や中国のアニメ制作会社で懸命にセル画を描いている若者たちは、日本のアニメ制作者たちと「同じ言語を話している」のである。
したがって、日本経済新聞の社説が日本のアニメに欠けているのは「プロジェクトマネジメント機能だ」と書いているのも、勘違いもはなはだしい。たとえば『交響詩篇エウレカセブン』の商業的失敗を見るだけでもそのことは一目瞭然だ。
『エウレカセブン』はテレビ版の放映の一年半前から、ゲーム制作が始まっており、そのさらに一年前から、テレビ、ゲーム、小説、アパレルなどの複数の市場をまたぐクロスメディア戦略のプロジェクトが始まっていたと言われている。ところがテレビ版の放送開始から1年たっても、『新世紀エヴァンゲリオン』と比べると見る影もない、商業的には無残な失敗ぶりだ。
『新世紀エヴァンゲリオン』や『攻殻機動隊』が国内外に熱狂的なファンを獲得したのは、綿密なクロスメディアのプロジェクトマネジメントが行われたからだろうか。いいや違う。そこに強烈な作家や制作者集団の個性があり、その個性が作品の受け手たちの間に一種の「言語」を産みだすほどだったからだ。
日本経済新聞の社説がとんちんかんなのだとしたら、今の日本のアニメに必要なものは何なのか。『ドラえもん』や『ONE PIECE』で稼いだお金が、若い作家の実験的な作品にも回るようにすることだ。音楽業界を考えればわかりやすい。インディーズのアーティストをソニーや東芝のような大資本がメジャーデビューさせるような仕組みが、アニメ業界でも実現されればいい。
しかし音楽業界は音楽業界で、メジャーレーベルによるインディーズ・アーティストの「乱獲」がすでに問題になり始めている。『HEY HEY HEY』や『うたばん』のようなバラエティー番組でアーティストをコメディアン扱いして知名度をあげても、一発屋で終わらせるプロデューサを「在庫回転率を改善する優れたプロジェクトマネージャ」と言えるだろうか。
少なくとも日本経済新聞の社説が書くように、プロジェクトマネジメントを導入して「経営戦略」を明確にしさえすれば、日本アニメの「先細り」が解消されるなどといった、単純な問題ではないことだけは確かだ。