今回は僕と音楽の関係について散文的に、かつ自伝的に書いてみたい。というのはこのページのある読者の方が、「あなたと私は音楽の趣味がとても違うようだけれど」という注釈付きで、ピーター・ガブリエルとケイト・ブッシュのデュエット曲 Don't Give Upを勧めていただいたからだ。何を隠そうKate Bushはフェイ・ウォンの次に好きな女性歌手である(最初に聴き始めたのは弟で、その影響を受けただけなのだが)。つまりこの読者と僕の音楽の趣味は、実はとても近いかもしれないのだ。
社会人になって以来、同僚から新たに「学んだ」音楽はTokyo No.1 SoulSetくらいだと、以前このページに書いたことがある。カラオケでビートルズを歌える人が2人いた程度であることからも、今後のサラリーマン生活で新しい音楽体験をすることはもうないだろう。
それに比べると、中学校のとき同級生から得た音楽体験は何物にもかえがたい。友達の一人に日本人ばなれしたスマートな鼻に丸眼鏡の良く似合う、ジョン・レノン似の音楽フリークがいた。彼のおかげで、それまでピンク・レディーや薬師丸ひろ子など、貧困な音楽体験しかなかった僕が洋楽に出会うことができた。(有名進学校は勉強しか能のない奴らの集団だと思っている人がいたら大間違い。勉強はできて当たり前。それプラス・アルファの奴がゴロゴロいた)
もう一つ洋楽との出会いを補完する重要な要素は、当時、関西のサンテレビという地方局がMTVのダイジェストを放送していたことだ。毎週欠かさずチェックしてビデオ・クリップの洗礼を受けつづけたことは、もしかすると映画以上に僕の映像体験の基盤をなしているかもしれない。
最初にハマったのはDuran Duranと、Culture Club。Duran Duranの音楽的な位置付けについてはニューロマンティックという批評用語の他はいまだに判然としないのだが、とにかくそのビートが新鮮だった。ビートと言えば80年代初頭は大人になったマイケル・ジャクソンがブレイクした時期だが、当時からメジャー嫌いだった僕はあまり興味が持てなかった。ブラック・ミュージックという点ではBoy Georgeのソウルフルなヴォーカルに、より魅了されていた気がする(彼は白人だが)。
Duran Duranは歌詞カードを見ながらレコードを聴き、Reflexを歌えるようになるまで練習した覚えがある。その点ではCulture Club熱の方が徹底していて、今でも『カーマは気まぐれ』や Do You Really Want To Hurt Me? 、Timeならカラオケで歌うことができる。学校の文化祭のカラオケ大会で、War, War is stupid!と熱唱したこともある。僕が今、ドリカムやMisiaの曲に合わせて即興でフェイクを歌えるようになっているのは Boy Georgeを聴きこんだおかげだ。彼(彼女?)のヴォーカルは僕のsoulに焼き付いてしまっている。
その他、今でも口ずさめる当時のヒット曲を列挙すると....StarshipのSara、We Built This On Rock-n-Role、REO Speedwagonの Can't Fight This Feeling Any More(この曲は中学3年の修学旅行のとき夜の演芸会で歌った。I can't fight this feeling any longer / And yet I'm still afraid to let it flow / What started out as friedship has grown stronger / I only wish I had the strength to let it show....おお、まだ覚えているぞ!)やOne Lonely Night、ポール・ヤングの Every Time You Go Away、The PoliceのDon't Stand So Close To Me、Synchronisity(当時はどこかの街の名前だと勘違いしていたもんだ)、ユーリズミックスのSweet Dreams、Go WestのCall Me、歌手の名前は忘れたがCaribean Queenという曲、フィル・コリンズとフィリップ・ベイリー(Earth,Wind & Fireのメンバー)の Easy Lover、フィル・コリンズのソロならAgainst All Odds。BlondieのCall Me、Tide Is Hight。歌っていたデュオの名前は忘れたけどEverybody Wants To Rule The World、元Roxy Musicのブライアン・フェリーのDon't Stop The Dance、デビッド・ボウイのLet's Dance....書いているときりがない。
そうしてBillboardに深入りするようになると「起源への問い」が頭をもたげてくる。起源への問いには2つの意味があって、一つは個々のミュージシャンが昔何をやっていたのかという問いと、もう一つは、80年代のポップスの大きな流れの基礎を作った70年代の洋楽とはどんなものだったのかという問い。ビートルズの名前は当然知っていたが、そのビートルズと80年代の間をつなぐ洋楽とはどんなものだったのか?それがテーマになっていた。
そうして出会ったのがLed Zeppelinだった。僕はJimmy Pageのギター・リフにノックアウトされた。当然、中古レコード屋でアルバムはすべてそろえた。当時付き合っていた彼女が北米へ修学旅行に行ったお土産にもらったのもLed Zeppelinの写真集。bootlegを漁るところまでは行かなかったが、エレキ・ギターを始めたのは『天国への階段』を弾きたかったからだ。ちなみに『天国への階段』のギター・パートは今でも一曲通して弾くことができる。
Deep PurpleではなくLed Zeppelinにひかれたのは、Led Zeppelinの方がよりブルース色が強かったからだと思う。『Led Zeppelin II』に見られるような、いつ終わるとも知れないブルース・ギターのアドリブとRobert Plantのフェイクがたまらなかったのだ。それに比べてDeep Purpleは整然として、コンパクトにまとまり過ぎていた。芸術はどこかに過剰さや横溢を持っていなければならない。
そのころ弟はプログレッシブ・ロックの系譜に深入りしていた。たとえばフィル・コリンズは昔何をしていたのか?と起源を問えば、答えがそうなるからだ。僕もその影響でEL&P、King Crimson、Genesis、Yesなどを聴いた(弟の一番のお気に入りであるAsiaだけは今でも好きになれないが....)。EL&Pの『展覧会の絵』は、当時すでに後期ロマン派の交響曲にも音楽の趣味を広げていた僕にとっても異様に刺激的だった覚えがある。ピーター・ガブリエルもこの文脈で登場する。もちろん彼のビデオクリップが非常にartisticだったこともある。スレッジ・ハンマーのクレー・アニメーションは今でも強く印象に残っている。
そしてKate Bush。彼女の独特の世界に先に魅了されたのは弟の方だが、僕も彼女の個性的で無数の表情をもつ声や、ポップスを超えた芸術性をもっている曲は忘れられない。当時、僕が『嵐が丘』を原書で読み切ったのは、彼女の同名の曲の影響である(明石家さんまの『恋のから騒ぎ』のオープニング曲になっているので注意して聴いてほしい)。『嵐が丘』のビデオ・クリップでは、リンゼイ・ケンプの影響を強く受けた彼女自身が独特のコリオグラフィで踊っている。確かにキャシーの亡霊の情念は彼女にピッタリの世界である。
その他にKate Bushでお気に入りの曲を挙げるとすれば、Army Dreamer(迷彩服を着た彼女が目を左右にキョロキョロ動かすビデオがおちゃめ)、The Man With The Child In His Eyes、Running Up The Hill、The Hounds Of Love、Cloudbusting(あの長い長いビデオクリップには妙に感動した覚えがある)、Babooshka、The Big Sky(珍しく?開放感のある曲)....。
こんなことを書いていたら、Kateの曲が無性に聴きたくなってきたじゃないか!残念ながらKateのCDはすべて弟の家にある....今度の週末、HMVに買いに行こう。ちなみにKate Bush関連でBabooshka Webというwebringが存在するようだ。
その後、僕は後期ロマン派から、ピエール・ブーレーズなどの現代音楽に深入りしていくのだが、その経緯はまた後日、散文的に書いてみたい。
ただし、忘れて欲しくないことが一つある。僕はLed ZeppelinとKate Bushとマーラーの交響曲を同時に聴きながら、一方でおニャン子CLUBのファンでもあったという点だ。ちなみにお気に入りの曲は『真っ赤な自転車』。いちばんファンだったのは会員番号39番の高畠真紀で、彼女がおニャン子の卒業後、化粧品会社の受付嬢をやっていたところまではフォローできているが....。