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スタイルの齟齬
( 19981002 )

Japanese/English

主演俳優の名前が冠されている映画はできがよくないのが多い。おそらく俳優の名前がなければ売れないからだろう。

その意味で『仮面の男』に『レオナルド・ディカプリオの』を付けなかったのは正解だ。あれはレオ様なしでもじゅうぶん面白かった(その半分はデュマのおかげかもしれない)。

アラン・ウェイド監督『ジュリアン・ポーの涙』(1997年アメリカ 84分)も『クリスチャン・スレーター』という冠がついているだけあって、監督の器用さだけが目立つ映画だ。

脚本も書いているウェイド監督はこの作品が初メガホンだが、演出があまりにスマートにこなれすぎて、ストーリーの面白さが台無しになっている。この作品での演出スタイルはむしろB級恋愛映画向きだ。

脚本はフランス語の小説が原作になっているらしい。それを監督がアメリカの田舎町を舞台に翻案したのだろう。

ストーリー自体はひじょうに面白い。

自殺志願の青年が車の故障で、ある田舎町にしばらく滞在することになる。よそ者が数十年ぶりにおとずれ、閉鎖的な田舎町の住人は異様な好奇心をよせる。

彼が人殺しだという根も葉もないウワサまで流れ、誤解をとくために彼は自殺の意思を告白する。住人は一転して彼を同情し、尊敬する人々さえあらわれる。一介の簿記係として日陰の人生をおくってきた彼が、突然、衆目をあつめる偶像と化したのだ。

そんな彼の部屋を一人の女が訪れ、ずっと死を共にする人を待っていた、それがあなただと告げる。二人は深く愛し合い、青年は生きる希望を見出しはじめる。

しかし彼女は不意に彼の前から姿を消し、一足先に自殺してしまう。一方町の住人は自殺を先延ばしにしている彼に苛立ち、決行をせまる。

そして彼は市長や警官につきそわれ、町外れへと歩いてゆく。

以上がこの映画のストーリーだが、全体がある種の不条理劇になっている。彼が自殺を思い立った理由、運命の女が自殺する理由、住人たちが異様に物見高い理由などはいっさい説明されていない。青年は田舎町にとっての異邦人であり、田舎町そのものがどこかカフカの『城』のような空間でもある。

このような素材の性格からして、この映画をB級恋愛映画のような技法で撮っていいわけがない。意図的に不均衡な構図、カット割りの長短のメリハリ、人工的な照明などがなければ描き切れないだろう。

まずこの監督の基本的なミスは登場人物を多くしすぎたことだ。そのせいで映画の焦点が完全にボケてしまっている。

たった84分の映画に町の住人ほぼ全員を登場させる気が知れない。青年をつけまわす子供たち、実はゲイである仕立て屋の主人、理髪師、自動車修理工の夫婦、警官、こうした人物は一切ムダ。

そして後半のカット割りが「軽快」すぎる。前半は突然の訪問者と住人の対比をおもしろおかしく描くために軽快さも必要だが、青年が不思議な運命の出会いを経験する後半が同じテンポで良いはずがない。

また音楽も耳ざわりだ。決して選曲の趣味は悪くないが、この映画には必要ない。音楽を生かしたいなら青年の悲恋物語に集中すべきだ。

低予算ながら良心的な作品を作ろうという監督の野心には期待したいが、第一作は素材のおもしろさに比べてあまりに力不足だった感が否めない。


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