日垣一博監督・脚本の『いさなのうみ』1996年を観た。WOWOWのJ・MOVIE・WARS第4弾。転校生の美少女・京子が実はクジラの化身だったという、捕鯨問題をからめたファンタジー。
主人公の廉次は先祖代々のクジラ漁師を継ぐつもりだが、転校生の京子=クジラ(イルカ?)に命を救われたことから「保鯨」に目覚める。始まって20分で結末まで読めてしまう。
廉次を慕う同級生の美智子は、京子と廉次の接近に嫉妬を抱くが、京子がクジラ(イルカ?)の化身と感づいて、再び転校=海に戻っていく京子を優しく見まもり、映画は美智子が廉次の遠洋漁業からの帰りを待つシーケンスで終る。
監督としての演出は、クジラ供養のお寺でいきなり廉次の肩にすがって泣き出す京子や、クジラの壁画をバックにした唐突な京子と廉次のダイアログなど、まずさはあるが、フレーミングや照明の点では優れていると思う。
ただ、脚本は全然ダメ。漁師は捕鯨か生活かのギリギリなのに、その厳しさがまったく表現されていない。クジラ漁師を志す廉次と京子がいきなり和解するのも解せない。廉次の周囲の漁師たちの反保鯨と、廉次の保鯨という対立も、いかにもって感じ。それにしては、ラストでクジラの雄姿に反保鯨だったはずの漁師たちが、あっさり感動してしまうのもご都合主義的。美智子の京子に対する嫉妬もたちまち解消。
文句ばっかりなのも気が引けるので、僕ならこう書き直します、という案を出しておく。
廉次の幼いころのかすかな記憶。時化の日、祖父の漁船から投げ出されたとき、何者かに助けられ海辺に打ち上げられる。その手首にあるクジラの尾のかたちのお守り。
(クジラ漁師にあこがれる廉次と、それを慕う美智子の図は同じ[いかにも男尊女卑のステレオタイプで口惜しいので、演出上、美智子のたくましさを強調する])
ある日転校してくる京子。ことあるごとに保鯨路線を打ち出して廉次を苛立たせる。美智子は、わざと廉次の夢を打ち砕くふるまいの京子と対立、廉次をかばう。
その頃、廉次の祖父は、クジラが数十年ぶりに室戸沖にやって来るという妄想に取り憑かれ、毎晩のように船を出す。ある日、漁船とともに行方不明。
遠洋漁業に出ている父からは不漁の知らせ。廉次の生活に不安の陰。母親は安定した公務員としての生活を廉次に望み、クジラ漁師の夢に否定的に。
美智子は偶然、クジラの供養塔に参る京子のすがたを見かける。一瞬、またクジラ信仰かとあきれ顔だが、その手首に廉次と同じお守りを見つけ、廉次が話してくれた幼時の体験を思い出し、もしやと思い当たる。
母親の反対でかえって廉次はクジラへの執念をつのらせ、現実にクジラの群れが沖に近づいている知らせを受けると、母や美智子の制止をふりきり他人の船で海に出る。公務員の娘である美智子は、漁師の息子である廉次に決定的な態度を取れなかった。
廉次が出た海は、ベテランの漁師たちも出港をためらう大時化に。海を見つめて無事を祈る美智子のそばに、いつの間にか京子が立っている。美智子は、京子の反捕鯨が廉次を追いつめたのだと、京子を非難する。しかし、京子は「クジラの心はそんなにせまくないよ」とつぶやくだけ。
その頃、大時化の沖、木の葉のように揺れる漁船にうずくまり、最期の時を覚悟する廉次。手首のお守りはなくなっている。不意に、幼いころ命を救われた瞬間の想い出が鮮明によみがえる。廉次の手を引いて陸へと導いてくれるクジラ?ではなく、それはまさしく京子の姿...。
翌朝、静かな海、ぬけるような青空。沖に静かにうかぶ漁船に気を失って横たわる廉次。その手首にお守りがもどっている。
廉次を待って防波堤で眠りこける美智子は、京子の気配に目を覚ます。京子は全身ずぶ濡れ。廉次の安否を思い出しハッと起きなおる美智子に、京子は正確に廉次の漁船の位置を告げる。美智子はそれを漁師たちに知らせに走る。が、途中で立ち止まって京子をふり返り、はじめて京子に笑顔を見せる。京子も微笑みかえす。
翌日、京子は予告もなく転校したという知らせ。いつものように美智子と下校する廉次。ふと手首のお守りに目をやる。「京子って...」とつぶやく廉次のセリフにかぶせて、美智子の「漁師のお嫁さんになりたいんやからな」というセリフ(これもいかにも男尊女卑だけど、仕方ない)。
ラストは、海沿いの県道を自転車の二人乗りで走り去る美智子と廉次の俯瞰ショットから、室戸の真っ青な太平洋のパンなんてどうでしょうか。せっかくのファンタジーなら、これくらい盛り上げなきゃウソだよ。