think or die :
1970年代生まれの
人たちのための
エッセー集
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韓国映画祭 in 名古屋
『常緑樹』『成春香』『馬鹿たちの行進』他
1997/09/15

日帝36年からの開放後初めて作られた純国産映画で、解放直前のソウルで日本軍に対する抵抗活動を指揮する革命闘士を主人公としている。

これだけ聞くと、日本帝国主義への怨恨で塗り固められた映画のようで、敬遠する向きもあるかと思う。たしかに日本は否定的に描かれているが、開放後に制作されたこともあってか、日本人そのものの描写は少なく、反日よりも解放の喜びが勝っている。

主人公である革命闘士が語る朝鮮民族独立へのイデオロギーと、その革命闘士とひとりの看護婦のプラトニックな恋愛物語が、微妙なバランスで描かれている。

病院での看護婦の生活が、日本軍占領下とは思えないほど牧歌的に描かれており、病院の時計台からカメラが下りて、芝生に寝そべる看護婦の俯瞰になるカットは、この映画の中でもっとも映画的な美しさのある場面である。

挿入されている音楽はすべて西欧のオーケストラ曲で、意外に民族色は希薄だ。日本の憲兵と革命家の追跡劇も、アンジェイ・ワイダの反ナチ映画のような悲壮感はなく、むしろ刑事ドラマ風の混じり気のないサスペンスを生み出している。

つまり、花束やノートなどの小道具をうまくあしらった恋愛物語、憲兵と革命家の追跡劇、看護婦ののどかな生活風景を描く青春ドラマ、などなど、この映画には、映画的なさまざまな要素がふんだんに織りこまれており、この映画は、反日帝映画ではなく、監督自身が映画を作ることの喜びを解放の喜びに重ねて、心ゆくまで表現した映画であると言えるのではないか。


こちらは韓国発のテクニカラー・シネスコ作品ということだが、ベースとなっている物語は韓国では知らない人はいないという「春香伝」で、8度目の映画化。

物語は李朝時代の身分社会で、地方長官の息子と恋仲になったキーセンの娘が身分ゆえに結婚を果たせないが、新任の長官の妾になることを拒んで貞節を守り抜き、最後は科挙に合格して高官に就いた彼によって死刑をまぬかれ、幸せに暮らすというもの。

カラーであることを十分に意識して、屋外ロケの自然光の場面では、女性たちのチマチョゴリが目にも鮮やかであり、セットの場面では赤と青など強いコントラストの照明が組み合わせて用いられており、色彩の過剰とでもいうべき映画である。

物語の展開は「山椒太夫」を連想させ、主演女優の形のよい鼻筋が香川京子を想起させるが、溝口の緊張感の高いワンシーン・ワンカット演出と対照的に、カメラはほとんど動かず、申監督は大胆さよりも手堅い構図でそれぞれの場面をおさえていく。

つまりは物語そのもののもつ力が大きすぎるので、ここでは映画的なものはもはや何も語る必要がないかのようだ。映画的なもののもつ余剰は、この映画では韓国民族文化の鮮やかな色彩や、舞踊の豊かさを記録映画のように納めることに振り向けられている。

ハッピーエンドには似合わないパンソリが、突然ラストシーンに割り込んでくることにも現れているように、この映画は、韓国のよく知られた物語とともに、韓国的な文化を伝えることに専心しているように思える。


『成春香』と同じく現在もアメリカで活躍し、最近では大韓航空機事件を題材にした『真由美』を撮っている申監督の作品。1920年末から30年初め日本の植民地だった朝鮮半島で、農村啓蒙運動を通じて民族の自立に献身する女性ヨンシンの姿を、恋愛物語を交えて語っている。

今「語っている」と言ったのは偶然ではない。申相玉監督は紛れもなく韓国映画界随一のストーリーテラーである。その演出は最良のウイリアム・ワイラーの手堅さで観るものの心に響く。

ステレオタイプに描かれている悪役日本人はご愛敬として、シネスコの構図は流れるようなイマジナリーラインの処理といい、悲劇的なクライマックスに向かうにつれ微妙に傾き始めるフレームといい、一つひとつの完璧なカットに安心して、前半の「学ぶ歓びの謳歌」と後半の悲恋物語を堪能できる。


「風吹く良き日」がトリュフォー的な体験であるとすれば、この映画はまぎれもなくゴダール的体験である。ある人々は退屈な映画だったと嘆息するだろうが、それはあまりにからっぽだからではなく、この映画があまりに濃密過ぎるからだ。

この映画が物語るのは二人の男子大学生の恋愛と失恋にすぎないが、ワンカットたりとも演出上の冒険がなされていないカットは存在しない。

ビリヤード場でゴドーにたとえられた少年を待つ二人が、壁一面に並べられたキューを背景にしているカット。スカッシュのシーンで3方向からとらえた絵の多重露光。若干早めに回したフィルムにアフレコで台詞を重ねているシーケンス。冒頭の視覚検査シーンやサッカーのシーンで、画面上の人物の顔を遮る色画用紙や横断幕。ビールのジョッキごしの人物の顔。

いたるところに刺激的な演出が横溢し、一秒たりとも観るものを退屈させない。この映画を退屈だという人は、映画は物語のために存在するのではないことを考えてみるべきだろう。


別掲の『神様こんにちは』(1987年)と同じペ・チャンホ監督作品。監督はこの作品を境にして物語中心主義から、映画固有の表現を追求する方向へ作風を一変させているという。

物語は李朝時代の伝説的なキーセンである黄真伊の生涯。この映画を撮るために監督は来日して集中的に溝口作品を研究したというが、前半の固定ショット長回しはあまりに小津的である。

むしろ『神様こんにちは』の出産シーンにも見られるような、ペ監督ならではのすぐれた画面内演出の技法が溝口を彷彿とさせ、この映画でも酒場のシーン(『神様こんにちは』で自称詩人を演じるチョン・ムソンが印象的)で十分に生かされている。ペ監督の画面内演出はスクリーンを舞台と錯覚させるほどの力を持っている。

後半はあてもなくさまよう黄真伊のロードムービーとなる。監督は静的な画面内演出を得意とすると同時にロードムービーの作家であるという点で、ひじょうにユニークな感動を体験させてくれる。ぜひ他の作品も観てみたい。


『自由万歳』
1946年 51分 白黒

製作:高麗映画社
監督:チェ・インギュ
脚本:チョン・チャングン
キャスト:チョン・チャングン/ユ・ゲソン/キム・スンホ

『成春香』
1961年 109分 カラー

製作:申フィルム
監督:シン・サンオク
脚本:イム・ヒジェ
キャスト:チェ・ウニ/キム・ジンギュ/ハン・ウンジン/ホ・ジャンガン

『常緑樹』
1961年 143分 白黒

製作:申フィルム
監督:シン・サンオク
脚本:キム・ガンユン
キャスト:チェ・ウニ/シン・ヨンギュン/ホ・ジャンガン/シン・ソンイル

『自由万歳』(1946年)

『成春香』(1961年)

『常緑樹』(1961年)

『馬鹿たちの行進』(1975年)

『黄真伊』(1986年)