さすがに休日のたびに劇場で映画ということになると出費もバカにならないので、今日はおとなしくTSUTAYAでDVDを借りてきての映画鑑賞となった。最近はどうもどちらかといえば邦画を観たい気分なので、邦画のコーナーをぶらぶらしていたら、思いがけず『チルソクの夏』(2003年)を見つけた。迷わず借りてしまった。
たぶんこのページの読者は誰も観ているはずがない映画なので、安心して評を書けそうだ。要するに上野樹里つながりである。『スウィングガールズ』(2004年)で主役の女子高生を演じていた上野樹里が、この映画では主人公の女子高生(水谷妃里)の親友3人組のうち、いちばん目立つ狂言回し役を演じている。『スウィングガールズ』を観た直後に、Yahoo!JAPANの映画コーナーで上野樹里の出演作品を検索していて『チルソクの夏』を見つけ、題名を覚えていたのでTSUTAYAで目にとまったというわけだ。
最近の韓国ブームにのってというわけではないと信じたいが、『チルソクの夏』は1977年から78年の下関を舞台にした、平々凡々たる青春恋愛映画で、本来は独立したエッセーとして取り上げることもないような作品だと言ってしまっていいと思う。まぁ、上野樹里つながりということでお許しいただきたい。
監督の佐々部清氏は『チルソクの夏』の舞台となっている下関出身で、1958年生まれという年齢にもかかわらず、この作品で日本映画監督協会の新人賞を受賞したらしい。調べてみると助監督のキャリアが長いようだ。でも2004年年始の『半落ち』の脚本・監督と言えばなんとなくピンとくる読者がいるかもしれない。といっても僕は『半落ち』の原作さえ読んでいない。監督の公式ホームページにある作品一覧から、何か接点のあるものがないかと探してみたが、やはり一つもなかった。
まずは脚本からだ。「チルソク」とは韓国語で「七夕」のことらしい。1977年、韓国と日本の陸上競技親善試合で、韓国人の男子高校生と日本人の女子高生が出会って、恋に落ちる。親善試合は年に一回、七月七日。今度会えるのは来年の親善試合の日。それまで文通をつづける二人だが、男子高校生は伯父を日本兵に殺されている母親から文通を反対され、女子高生は周囲の「朝鮮人」に対する偏見から、やはり文通を反対される。などなど...。
途中まで書いてうんざりするくらい、典型的な『ロミオとジュリエット』のアレンジによる恋愛物語で(ただしこの映画ではジュリエットの方が、父親の職業が信じがたいことに「流し」だという貧しい家庭)、ほんとうにストーリーはどうでもいい。
しかもどうして3か所も、主人公を含む女子高生仲良し4人組の着替えのシーンが必要なのか理解できない。なぜ主人公の水谷妃里をはじめ、上野樹里と他2人まで、ブラジャー姿でスクリーンに登場させる必要があるのか、まったく分からないのだ。ちなみに水谷妃里は1987年生まれで、撮影時15歳。SENOBYという清涼飲料水のテレビCMで、アリキリの石井をジャイアントスイングしていたセーラー服姿の女子高生と言えば誰でもわかるだろう。
それに真理(上野樹里)が恋人との初体験の感想を語ったり、生理が遅れていて妊娠しているかもしれないなどといったエピソードは、いかにも中途半端な挿話で、必然性に欠ける。中途半端といえば韓国人の男子高校生側の描写も中途半端。彼と母親との確執がどうなったのか、まったく描かれていない。
次に演出について言うと、いちばん理解に苦しんだのは一連の親善試合のシーケンスだ。映画の冒頭でさまざまな陸上競技の種目を、いきなりスローモーションで見せる。円盤を投げる瞬間に「シュワ〜ン」という効果音つき。何なんだこのベタベタの演出はと、ただただ絶句である。
映画の中盤では800mを走る上野樹里のスローモーションで、効果音は彼女の呼吸音。水谷妃里の走り高跳びもやはりスローモーションで、ジャンプする瞬間に彼女自身の「ウッ!」という声。これら陸上競技のシーンの演出意図は、ほんとうに理解不能だ。ちなみに水谷妃里は本当に走り高跳びの選手で、映画のジャンプシーンは本人、2004年は一年間『ランナーズ』という雑誌の表紙モデルとして登場するらしい。上野樹里も本当に陸上短距離の選手である。
演出意図不明のシーンはまだまだある。主人公の水谷妃里が1年ぶりに再会した韓国人男子高校生と、4年後の再会を誓ってキスをして別れた後、親友3人が彼女をなぐさめるために『なごり雪』を歌いながら物陰から出てくるシーン。この演出には3人は相当困っただろうなぁと思わずにいられない。
ふつうに考えれば、まず物陰から3人が現われる。上野樹里「大丈夫、きっと会えるって」と言いながら水谷妃里を抱きしめる。二人で肩をふるわせて泣く。残りの二人も抱きつく。すこし落ち着いたところで、気分を変えて、未来に希望をつなぐために、上野樹里『なごり雪』をBメロから歌いだす。という流れが、自然な感情の推移じゃないのか。一体どういう気持ちになれば、歌なんか歌いながら親友をなぐさめようと抱きしめられるだろうか。
また、七夕の話が出るところで、画面いっぱいに天の川が映って、これ見よがしに牽牛星と織女星が光るカット。これなども、クドさの極致といった感じだ。それから、カラオケというものが流行りだしたために、「流し」の仕事がなくなってがっかりしている父親(山本譲二)に、主人公の水谷妃里が新聞配達で貯めたお金で買ってきた質流れ品のギターをプレゼントし、父親がそのギターを手にとっておもむろに演歌を歌い始めるシーンで、どうして山本譲二をわざわざズームするかな。
しかもそのズームがぞんざいだ。ふつう情感たっぷりにズームするときは、観客が最初は気づかないくらいにゆっくりズームするものだが、ズームのし始めが「ズームしました!」というくらい乱暴に、いきなり山本譲二の上半身が大きくなるのである。この演出意図もよく分からない。
抑制が効いていて素晴らしいなと思ったシーケンスは、主人公と相手の韓国人が二十数年ぶりに再会するか、というラストの部分くらいだ。この部分はモノトーンであることもあいまって、引き締まった画面になっている。しかしどうしてこのシーンだけ、あんな幾何学的な画面構成にする必要があるのかも、よく考えてみると分からない。
とにかく演出意図ということを考え始めると、この映画は疑問符だらけになって映画そのものを素直に楽しめなくなってしまう。これまでの人生で数十本ほどしか映画を観たことがなくて、演出意図なんか気にしながら映画を観ないという人は、おそらくこの映画は「今年の一本」になるだろう。Yahoo!JAPANの映画コーナーで意外に評価が高かったり、この映画の熱心なファンサイトがあるのもそのために違いない。
で、最後に上野樹里の話だが、この映画でも『スウィングガールズ』同様、やっぱり田舎の元気な女子高生役なのである。『チルソクの夏』公式サイトにあるメイキングを観ると、フィルムの回っていないところでも『スウィングガールズ』の主人公役とあまり変わらない雰囲気であることがわかる。
ただ『スウィングガールズ』公式サイトのコメントムービーでは意外に大人しい感じで、1年の月日がそうさせたのだとしたら、この手の役以外の今後の広がりに期待したいところだが...どうだろうか。2004/12/24に発売されるDVD『ラストコンサート』(1976年)のアフレコをやっているそうだから、注目してみたい。もっとも僕がそれまで上野樹里という名前を気にし続けているかどうかは不安だけれど。
というわけで、水谷妃里や上野樹里を観たい人にはおすすめの映画だが、彼女たちにまったく興味がないという人には、まったくおすすめできない映画だ。ただ文句しか書いていないエッセーに最後までお付き合い頂き、感謝感激。