(十二)
けれどまたよく考えると、春泉の婢と小歌とが話し合っていた始終の詞に、あれだとかそれだとか符牒のようなことのあったのが、なお幾分の疑いを胸に遺して、嘗て耳に挟んだ黒の羽織がまたまたおもい合わされ、いかにもしてその実否を急に突き留めたくなった。勿論今までにもそういう念の起こらないでもなかったが、大概は自分と小歌との過ぎ去った会話の中から、それを打ち消すに足るだけの反証を自分で捜し出して、明白に他人に語ることの出来ない事由を以ってなだめられていたのであったが、それが即ちある望みを持っていたためで、むしろ向こうにその望みが持たれてあると信じていたためで、ある時は小歌に旦那もある情夫もある、黒の羽織がその旦那でその情夫で、咄この貞之進も欺かれるのかとまで決着を付けたこともあったが、それにしても年なり風麼なり逢えばあどけないような所から見て、そんな筈はあるまいあるまいに打ち消されて、内実どこまでも無垢不染の者にして自分の手に入れたかったのだ、否、自分の手に入れるまではたって無垢不染で置きたかったのだ、だからその実否をただすと言っても、実でないことを祈る方に力が這入って、つまり自分が一時の安心を求めに行くようなものであった。言い換えれば実否をただすことの急になったのは、望みを達したいことの急になったので、それで今晩こそはと決意する所があるように、また春泉へ出懸けて行ったが、生憎その日小歌は遠出だと言って、貰いたいにも土地にはいなかった。
誰か外のになさいますかと、内儀みずから出て来ての尋ねに、小歌がいなければ帰ると言いたいのは山々であったが、それもどうやら後ろが見られるようで、さようさと気のない挨拶に、勘考の時間を刻み込んでいると、やっぱりあの位の若い奇麗なのがと言って、内儀は最早事極まったように立って行ったが、ほどなく婢から花次さんが参りますと告げられた。花であろうが月であろうが、柳橋の土は今にしばしば踏んでも、芸妓として小歌の外眼に留まらない貞之進は、場合だけ繕って帰ろうと思っていると、やがて帳場の辺から笑い声がして這入って来たのはその花次とやらか、先では一向心づかぬ容子だが、貞之進はどこか見覚えのあるような気がするので、不思議なことがあるものと段々考えて見るとその筈、いつぞや鳴鳳楼で段通織の下着を着て、頻りに小歌と興じ合っていたのはこの芸妓だ。すれど貞之進は失望というわだかまりがあって、兎に角この座が面白くない、面白くないと思うと、一から十までことごとく面白くない、花次が上に着ている白っぽい乱達縞の糸織の袷も面白くなく、下に着ている古渡の更紗も面白くなく、柿色の献上博多の帯も面白くなく、後に聞けば生意気をもって新道に鳴る花次の調子のなお更面白くなく、それにいつもの婢が二階座敷に出ていて、この初見の客と芸妓とを取り回す者もないので、双方おのずからの遠慮が、いよいよ面白くないづくめにしてしまったが、ふと花次が踊りのことから、貴客小歌さんを御存じと問い懸けた一言に、おもわぬ珍事が貞之進の胸に波立たせた。
小歌と聞いて自分のことででもあるように、何故と貞之進は眼に笑みを持って問い返したが、ご存じなの大変浮かれているんですよと言われて、眼は忽ち元の面白くないに戻るとともに、口までがきっとむすばれて、どうしてと再び問い返した語気は全く変わっていたけれども、訳を知らぬ花次が気の付く筈はなく、ほんとに可笑しいんですよと殆ど火をつけるような前句に、貞之進は益々気が急かれたがそれを隠そうがために、今日は居ないねと言えば、そうですか明るい内はわたしと一所でしたが、それじゃァ送って行ったのでしょうと、なおなお気に懸かる挨拶に貞之進はもどかしくなって、何処と言えば橋場のお屋敷と言う、客かと言えば浜田の御前と言う、さては縁結びに浜田と書いたはそれであったかと胸は躍って、それでは黒の羽織と言うのはと思い切って尋ねると、貴客の方が委しいのねぇ、それは歌ちゃんがお酌の頃からの何で、一度いけなくなったのがこの頃また浮かれ出して、過日も写真を一緒に取りに行ったので、皆んなにからかわれていました、ここへもいらっしゃる方なのと無頓着に言い聞けられて、貞之進の腸はにえるようで、さもない顔でいようとするほど居られなくなって春泉を立出で、秋元へ帰ってかの写真を一番に取り出し、いきなり机へ投げ付けて、おのれッおのれッと腹のうちで二つばかり言って唇を噛んだが、それでまだ未練があってか但しはもう一度投げ付ける積りでか、それを取り上げようとしてよく視れば、小歌の写真と思ったは国元の父母が写真、ヤッと流石の貞之進も我知らず驚き叫んで、更に気を鎮めてその奥の小歌の写真を出そうとする時、よもやという三字がどこからともなく現われ来たると、それにつれて今の今まで煮え返っていた腸は、前に熱したと同じ速度を以って次第に冷たくなって、明かけの抽斗へ手を懸けたまま、俯向いて何やら考え出したが、その間の体の動かないことは、瞬きとてもしないかと思われる程であった。
(十三)
かねがね自分が疑っていたことと、花次が何の気もなく話したことと、あたかも符節を合わすような次第であったので、一時はなはだしく激して誤って父母の写真を投げ付けたものの、それはその夜の失望が大いに怒りを助けていたので、実際貞之進の腹のうちにまだ十分の疑いがはびこっていたのではなく、五分の疑いに五分の打ち消しが添っていて、疑いが一分伸びれば打消しも一分伸び、打消しが一分伸びれば疑いも一分伸び、疑いと打消しとが互いに地歩を争っていたので、気を鎮めて後疑いの方から考えれば、浜田という姓は縁結びの時聞いたことがあれば、それが小歌の旦那に相違無く、黒の羽織と言うのがお酌の頃からの深間であるとして見ると、写真を取りに行ったことは淀文の二階で聞いたことがあれば、それが小歌の情夫に相違無く、旦那もある情夫もあるとすると、其処で自分が今迄の望みの達し得られないことが知られて、腸はまたたちまち沸騰点に昇り詰める、が、更に打ち消しの方から考えれば、初めて鳴鳳楼で逢った以来、わたしのではお厭なのと言って手巾を出されたことを第一として、自分と手を牽かれて歩いた事、結んだこよりに目賀田とあるを悦んだ事、御新造さまと呼ばれてにっこりあいよと笑った事、それやこれや小歌の我に対する誠が一通りではないようで、かつまたあの優しい小歌に、男の二人も三人もあろうとは自分に較べてどうしても信じられなくなって、腸はまたたちまち氷点に下り降だる、殊に幾度となく出会った小歌の挙動に確かめられなかったことを、唯一夕の花次の蔭口に決断してしまうことが、自分ながら如何にも不公平の処置のように思われて、熱えたり冷めたり冷めたり熱えたり、どちらがどうとも突き詰めかねて、自分で自分を武者苦者と掻きむしるように苦しませた揚句が、兎に角もう一度小歌に逢った上でと、弱い決心をわずかに固めて、直ぐ出向こうとして気が付いて見ると、小歌に与える祝儀だけの物も、もう財嚢には残っていなかった。
国元の父と母とへ交わるがわる宛てた無心も、初めは短い文言で足りて、そして金は目算より多く寄越されたが、度重なるほど文言は長くなって、そして金は目算より段々少なくなる。この上はこしらえるべきいいぐさの種も尽きていたが、さればと言って小歌に逢わずには居られず、つるんだ金の手許で出来る筈はないのでよんどころなく巻紙の皺をのべて、洋燈の光と瞬きの数を比べながら筆を執ったが、流石こころに咎められて、済まないと思うとその手紙が止めたくなり、止めてはこちらが立たずとまた一行、とうとう切手を二枚要する長文句が出来上がり、自分で持って出て郵便函へ入れようとしてなおためらい、向こうから来た巡査に怪しまれるのを恐れて思い切って投げ込んだが、帰ってからその文句のかどかどを諳んずるにつけて罪恐ろしく、よせばよかったと思っても見、首尾よく行けばいいとも思って見、思い思って五日と経ったが返詞がない、その間も金ゆえ逢われぬとなると倍一倍逢いたさが差し募り、僅か三四十銭の小銭を余すばかりの蟇口を袂へ入れて、一夜ふらりと秋元を出たが、貞之進とてもそれで小歌に逢えると思ったのではなく、もしやの三字の外は言うにも言われぬ果敢ないことが頼みで、先ず一散に柳橋まで乗り着けた。淀文の前春泉の前を、往復二度通り過ぎたが、顔を知った婢も見えず呼び懸ける者もなし、敷居を跨ぐべき身ではないので、振り返りがちに何かなく両国橋の上まで来て、新柳町の家々を見渡すと、いずれも二階に燈りがかがやいて、起ったり座ったりの男女の影が障子にうつり、楽しそうな声が水をわたって聞こえるにつけて、おれもあの座敷で飲んだことがある、あの桟橋に小歌が立っていてそれを二回から顔見合わせて笑ったことがある、ええッ今でも金があればと橋の欄干に拳を当てて、闇にも浅ましい自分のことは気が付かずに、遊んでいる奴原の横面に唾がしたい程になり、橋から広小路へすじかいに下りる時、電信局の横手から駈けて来た車に、芸妓と箱丁と合乗りしているその芸妓が小歌らしいので、我知らず跡おっかけるとその車は裏河岸の四五間目で停まって、小歌と思ったのは夜目にも紅い幽禅の袂に、ぽっくり下駄のお酌であったのに力を落として引返し、それから新道表町をのそりのそりと歩き廻る内、兎ある路次の内に梅乃家小歌と一人名前の御神燈が、格子の中に掲げてあるのが見付かり、溝板とくっつき合った井戸流しに足音を掠めて、上がり口の障子の中程に紙を貼った硝子の隙からそっと覗くに、四十余りの女が火鉢の前にただひとり居るだけで、それがこちらを睨んだように思われたのであわてて戻ろうとして足元の芥箱に躓くと、それに驚いて屋根へ駈け登った白斑の猫に、かえって貞之進の方が驚かされた。小歌はいない、何処へ行った、浜田の御前か黒の羽織かとまた疑い出すと、宿で考えたよりも一層急激な胸騒ぎがして、再び吉川町の往還へまぐれ出た時、加賀屋横丁を曲がった両人連れの女ひとりが、どうやら小歌に紛れがないようで、急いで自分もそこを曲がると、その女連れは立花家という寄席へ這入った。いつか小歌が落語が面白いと言ったことをおもい出して、必定それと自分もうかうか寄席へ這入り、座を定めかねて立っていた今の両人の前へ廻って見ると、似ても似つかぬ三十近い薄痘痕、後ろから見る頭髪ばかりが若いので、貞之進はいよいよがっかりして、直ぐに出るのも変なものとちょっと座りは座ったが、高座で何事を言うか耳に這入らない、他の笑ったのに誘われて顔を挙げると、ちょうどその時起って手水に行った女の、しょい揚げの赤いのに疑念がかかって、小歌ではあるまいかと用も無い縁境いの紙障をあけて、こちらへ這入ろうとするその女に衝き当たり、厭な人だよと言われてその顔を見れば、なるほど年ごろは十七八眼付きも何処か似たようでも、小歌にそんな黒子はないと、誰かの罪ででもあるように寄席を飛び出し、またもやかの路次をわざわざ通りぬけて、本意なく秋元へ帰ったが、それからは毎夜毎夜、そんなことに本郷から柳橋まで出て来て、話にならぬ苦労にやつれていたが、遂に小歌の影法師にも出逢わなかった。
(十四)
そのうちには雨も降る風も吹く、果ては十銭五銭の車代にも差し支え、同宿の誰れ彼れに当座借りの二三度はしたが、この頃の貞之進の挙止が尋常でないので、かえって貞之進をせびり続けた悪太原の如きに到っては、一層きびしく嘲りこそすれ白銅一個快く貸してくれぬので、貞之進は唯怒り易い一方にのみ傾いて、沈黙男子の値うちはとうに消磨えてしまったが、かの手紙を出してから数えると凡そ十日の後、国元の父庄右衛門が前触れもなく俄かに出京して、着したばかりで直ちに秋元へ尋ねて来た。貞之進は自分の放埓を父が聞き及んでのことと、ヒシと胸板を貫かれ、おずおず部屋へ迎え入れたが、庄右衛門は手織の袷に絹糸の這入っただけを西條の豪家として、頬から下へ福々しい顔に変わりはなく、鬢すこし白んで、悦ばしそうに貞之進をながめ、一旦思い込んだ修行の遣り遂げるまでは、決して費用をおしむ所存はなく、そうかと言ってお前を危ぶんではないの、今年ばかりは学資もたいていではない、それにまた過日の手紙どんな容子かとお袋が気に懸け、かたがた用事もあるので自身出て来たとの話し振りに、金を持って来られたことが明らかに知られて、首を垂れて聴いていた貞之進は、その時冷たい汗が腋の下を伝わるとともにやや安堵し、手紙に書いたままの事を、ぽつぽつと句切って繰り返すを、そうかそうかと庄右衛門はうなずきながら四辺を見回し、いや厚い、いや細かい、これも読んだのかと取り散らしある大字典の金字に目を留め、これは高価な物であろうと言われたに付け込んで、書籍の代に追われますと、貞之進は紙の吸い口で火鉢の縁をこすっていたが、三度の食に望みはないことだから、宿を新しく取るよりも、ほんの二三日ここで済めば結句勝手じゃがと、そのまま父に泊り込まれて気が気でなく、親も大事金も大事しばし夜歩きも出来ずにいる仮の神妙が、まことの念いをますます募らせて、今ごろは小歌はどうしているか、浜田の御前か黒の羽織か、まさかこの貞之進を忘れもしまいと、例によって寝てからの枕の上にも、疑いと打消しとが旗鼓相下らず闘って、明日の天気はと問われた父の詞に、縁結びで御在ますかと答えて、もう夢か寝付きの早い男じゃと笑われ、やっと四日間の父の逗留を三五年程になやみくらし、これで私が雑用もと出立際にのこし往かれた金の、思ったより多額なのに勇気が出て、父を上野まで送ったその日の暮れるをも待たず、請取っただけをのこらず懐にして出ようとする所を、目賀田さんちょっとと呼び留めたは秋元の女房、直帰りますと既に下駄箱へ手を掛けたを、まあお待ちなさい話がありますと強いて引き留められて、余儀なく貞之進は呼ばれる方へ戻って行った。
形は正しく目賀田さんでも、金と魂と入れ代わって心ここにない貞之進が、不機嫌そうに勝手の間の入口に立って、何ですと慳貪に問い懸けるを、秋元の女房はしたから上へじろりと見て、お坐んなさいと自分の坐を少しさがり、暫くは落ち着き払って黙って長煙管を吹かしていたが、外ではないんですと言うのが口切で、親御さんがおいでの内は遠慮して居りましたが、今月で三月というもの入れて下さらぬのには困ります、ついぞそんなことのない貴君ですから、二月や三月に御催促申すのではありませんが、何分御存じの不景気でと女房が手癖の前垂れを引っ張っているので、こいつ金の這入ったを知ってのことかと貞之進は、自分が悪いを先が悪いようにむらむらとしたが、早く行きたい早く逢いたい早く実否を知りたいに気が急いて、それで先ず一月だけをと、あるにまかせてなにがしの紙幣を数えて出すを、女房も数えて請取りながら更に上から下へまたじろりと貞之進を見直し、何処へお出掛けと問うにそこまでと言えば、そこまでではありますまい、薄々聞いて知っています、およしなさいよと異見めいた詞の端の顕われたのが、貞之進には先で考えるより強く当たって、いえそんな、いえそんなと詞どもってもじもじとしかけた時、お神さんとあわただしく台所先で小女が呼んだので、何だねと談話半分で女房が立って行ったを幸いに、逃げるように貞之進は戸外へ出て、巻煙草を置き忘れたことに気が付いたが、それを取りに這入るのさへ面倒に思って、十本入りの「ふらぐらんと」を角の新店で買い、二銭の増し賃に両国まで車を急がせたが、ちょうど向こうへ行き着いた時、燈がちらほらつきはじめた。
急がわしく格子の開く音に飛んで出たのは、かの円顔の婢で、おや目賀田さんと言ってそこに有り合せの下駄を突懸け、折角で御在ますが今日はお約束で、みんなお座敷が塞がっていますのでと、這入るなと言わないばかりに門口まで出て来ての挨拶、貞之進はあっと口の明くのを知らない程であったが、どうぞまたと言われるを名残に帰ろうとすると、奥から今ひとりの婢が出て来て、前の婢に何やら囁いたと見えると、貴客貴客と俄かに貞之進を呼び戻し、少々で申し上げるのでは御在ませんがと言いながら申し上げたのは払い残りの勘定の請求で、貞之進も初めてむっとしたが、気をかえてそれじゃァお払いをしましょうと、立ったままでその少々を渡している時、がらがらと曳き込んだ一輌の黒塗車、五十恰好の中肉の何処か威厳のある紳士が、鷹揚に上がって行くを、いらっしゃいましたと呼ぶより先に内儀が出迎え、貞之進には目もくれずについて這入ったが、丸髷を見ておやり遊ばせ、よく似合いますという声が、その時二階の上がり口辺りでするのが漏れ聞こえた、只今お請け取りをと言うのを、いや入らない預けて置くと貞之進は立ち出たが、今のが浜田の御前ではあるまいか、羽織もずっしりとした黒であったがと思うと、丸髷がよく似合ったと言うは小歌がいたのではあるまいかとまで疑われて、春泉の門を睨み睨み河岸へ出たが、そうなると小歌に逢うことがいよいよ急がれ、別に馴染みの家もないので仕方なく淀文へ行くと、お珍しい、お久し振り、お見限りと、変わったことのないあしらいに貞之進も少しく胸を撫で、膳より先に小歌をと言うと、はいと婢は下りて行ったが、やがてお生憎さま春泉へ出ているそうですと告げられて、貞之進はたちまちクワッと胸に火が燃え、酒一滴もまだ口へは入れぬに顔はほてり、そうとも知らぬ婢が、もうちっとしたら貰えましょうと慰めるのも油になって、やや久しく無言で居たが、筆をと言うに婢が硯箱を持ち来たり、すりましょうという下から最早筆を溜まり水に染めて、にじむも構わずさらさらと手紙をしたため、これを春泉へ持たせてやり、小歌に逢って返詞を聞いて来てくれと畳へ投げ出し、婢の後ろ影を見送って自分で銚子へ手を懸けたが、貞之進が生まれてから、手酌に二盃の酒を続け呑みにしたことは、実にこの時が初めてだ。
(十五)
勿論手紙とても敢えて深しい訳があるのではなく、ちょっとでもいいから来てくれまいかとの意味で中へは「淀文にて目賀田」と記したが、上書きにはただ「小歌さま」とあっただけのことだ。暫くして婢はその手紙の封の破られたまま持って来て、只今箱丁が帰って申しますには、春泉へ参って小歌さんを呼び出して貰い、直に渡しました処お客さまはどなただとのお尋ねだそうで、存じませぬと言うとこの手紙をあけて見て、どうぞ宜しくと言って返したそうですから、お返詞はと重ねて尋ねましたら、返詞は入らない宜しくと言って下さればいいとのことで御在ましたと、そうとは知らないあけすけな復命方に、貞之進の腹のうちは一層二層三層倍に沸え返って、いきなりその手紙を取って丸め、丸めたのを噛んで前なる川へほうりこみ、現在封を破った上で、持って帰ればいいとは何処がいい、あのれ覚えていろと天地に向かって吐く息に無念の炎の燃えるばかりなのを、今日は小歌さんは丸髷で居たと言いますから、失礼だと思って来ないのでしょうととりなす婢の手前、ちっと堪えれば堪える程手も膝もふるえ、罪もない淀文の梯子を荒々しく踏んでその夜は帰ったが、それも一旦の怒りでさてまた鎮まって考えると、もしや小歌が春泉の思惑をかねて、わざとそうしたものでもあるように思われ、その翌晩その翌々晩つづけて淀文へ来て小歌をかけさせたが、ただ遠出とばかりで影だにも見せない、さては噂の通りと貞之進が恨みはこの時頂きに上り、床のうちの次団太に自分を驚かして、寝られぬものを無理に寝かせ、夜明けて起きるさえがものうくなって、横倒しにした枕に肱を乗せて腹ばいになっている時、隣室とまちがえて小女が投げ込んでいった新聞紙を、ふと取り上げて絵のある下の方を見ると、一番に目についた標題は小歌の落籍、その要をつまんで言えば、柳橋の芸妓梅乃家小歌が黒の羽織と仇名された深間のあったを、仲間の花次に奪われた面目の見せつけに、かねて執心の厚かった浜田の御前へ春泉の内儀からすがらせて、今度いよいよ廃業するとの記事であった。貞之進はその始終を読むか読まないに、はや髪の毛の逆立つようで、両手を新聞の上に突いてちりちりと睨んでいる間に、いつかその新聞紙は二つに裂かれていた。
嘘であるべく願って居た疑いの方からすれば、それが実であっただけで小歌の廃業について怪しむ所はないが、実であるべく祈っていた打消しの方からすれば、それが全く嘘であったので、約束したでもないことが心変わりかのように思われ、ために貞之進はほとんど狂する如くで、外に憤怒の色の現れるだけそれだけ、内に沈鬱することのますます多きを加えた。その日貞之進は頭から蒲団をかぶって、病気と言って学校へも行かず打ち臥していたが、ひともし頃むっくり起きて戸外へ出て、やがて小さな鉄鍋に何やら盛って帰って来て、また床に這入って夜の一時とも思う頃そろそろ頭を挙げ、忘れていたように急に火鉢へ山の如く炭を積んで、机の上にあった雑誌様のものを取ってそれを煽り立っていたが、活々と火のおこるを待って前の鍋を載せたのを見ると、中に盛られたものは油であった。油は次第に煮えて大小の粒のぶつぶつと沸き立つ頃から、貞之進の形相は自然に凄まじくなって、たたき付けるように投げ込んだのは小歌の写真で、くるくると廻って沈んだと思うと直ぐ浮き上がり、十二三分が間に写真は焦げ爛れて、昨日までは嬉しくながめられた目元口元、見る見る消えてなくなったを、まだ何か鍋の中に残っているように、貞之進は手を膝に突いて瞬きもせずきっと見詰めてその夜の明けるのも知らなんだが、火勢漸くおとろえて遂に灰になる時、貞之進のこうべは前に垂れて果てはうつ伏しになってしまった。早起きの秋元の女房が、なお室内に残る煙に不審を立て、何の臭いかと貞之進の部屋の障子を、がらりと明けたその音に貞之進は驚き覚めて、ヤ小歌かと突然起って足は畳に着かずふらふらと駈け寄ったが、あっと言って後じさる女房の声と同時に、ぱったり其処へ倒れて、無残、それから後は病の床、頬はこける眼は窪む、夜昼となしのうわ言に、あの小歌めが、あの小歌めが。
明治二十四年6月作 (おわり)