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斎藤緑雨『油地獄』(4)
( 20030406 )

Japanese/English

 (註)是亦註に及ばず字の通りと心得べし言文一致体はかようによく万象を写し得るものなり、発矢は勢いをつけるための語にて近火見舞いの酒と同質のものなりといえりなおよく考うべし

 雲を霞の続きあれども都合により略す註者不幸にして下の巻を見ざれば全体の趣向いかなるかを知るあたわず遺憾至極なり検校落魄琴曲の門付けに出るというは音羽屋が新狂言の注文なれどこれは題が題ゆえ盲按摩の身の上話かと考えるも詮なし(音羽屋新狂言の注文そのころ噂高かりしなり)

 この書極めて器械多し僭越の沙汰とは知りながら転載の具合により註者はつとめて除き去りたるが今これをひとまとめにせんにゝヽ。?!……――()「」『』==。。。。。。等の諸種最も多数を占めおれり一頁を三分してその一は字を埋めその一は器械を陳列しなお残りの一は紙の白きままなれば経済上の理屈はイザ知らずこの著あるがために洛陽の紙価益々騰ることと思われたり

 (総註)喧嘩にあらざるも総論という事あり兵糧を運ぶにあらざるも総評という事あり本直しにあらざるもあに総註のなからずやは、古風今様とも全体の文章趣向について総註を下したれど余り長きは御退屈天機を漏らすの恐れありよって左に三書の序文の眼目を掲げて昔と今と小説の趣の異なる点を思い知らせんああ我ながら奇特なるかな

初嵐猫毛衣序   おのれ一日机にもたれ。禿たる筆の尻を噛みて。(中略)おんなこどもを導くと。非に理をつけるも世渡りの。辛い甘いを説き分けて。実から出たうそ鳥の。狂言綺語の百囀り。それでもがたつく米櫃に。あわてて筆のやり放し。だらだら急々如律令。届かぬ智慧に継ぎ足して。書肆の責めは塞げども。透間の多さ一夜漬け。云々

塞翁馬叙   それ小説の妙は人情風俗及び世態の微を巧みに描き出すに在り英国の大家シェークスピヤ嘗て言えるあり小説は能く万殊の正常を(中略)波瀾照応伏線省筆抑揚頓挫大いに天下経綸(このところ画の多き字沢山あれど省く)塞翁馬は社交小説なり脚色妙ならず詞調美ならずと雖も亦以って現時社会の風潮如何を卜するに足らん乎云々

あんま針の序   日本文学の花は、今が盛りです、小説は日をおって流行します、実に未曾有です。(中略)併しながら、文と言が一致しません、これが果たしていい事でしょうか?私は私の考え定めた所に由って、この小説をつらねて見ました、が世間には容れられますまい、批難を受けることは知れて居ります、けれども批難が高ければ、名誉も亦高いは当然です、毀誉褒貶は、世にあることと信じます。云々

 文章趣向は言うも更なり著者の気組みはこの叙文によっておのおの明らかなれば三者の優劣古今の相違及び小説の進みたるか退きたるかは一目瞭然註者をまって後に知らざるなり

正太夫の創意にかかるこの評註は小説のみに限らず芝居にも適用し得る筈にて著者もしこの註の当たらざるを恨みつらむことあらばその書は社会に最も力あるものと知られたし

                          (以下略す)

程経にたれば煙の如きも煙が版になるは明治の徳なり我このごろ物書くにつけて我腹裡にある間は純金の如き文句なるもさて吐いて見ると忽ち鉛に変ずるは不審なりとおもえばそれは活字だからとの事いかさま活字と言うは悪い奴なり読者よ『油地獄』に『犬蓼』に又この『小説評註』に、よい所は筆者のよいのなりわるい所は活字のわるいのなりと思召さば蓋し誤ちなきにちかいか遠いか、火事ならば屋根へ上がって御覧あるが一なりと申す

                         正直正太夫識

油地獄

                      緑雨醒客著

 (一)

大丈夫まさに雄飛すべしと、いらざる智慧を趙温につけられたおかげには、鋤だの鍬だの見るも賎しい心地がせられ、水盃をもしかねない父母の手許を離れて、玉でもないものを東京へみがきに出た当座は、定めて気に食わぬ五大州を改造するぐらいの画策もあったろうが、一年が二年二年が三年と馴れるにしたがって、金から吹き起こる都の腐れ風に日向臭い横顔をだんだんかすられ、書籍御預かり申し候の看板が目につくほどとなっては、得てあの里の儀式的文通の下に雌伏し、果断は真正の智識と、着ている布子の裏をはいで、その夜の鍋の不足を補われるとは、今はじまったでもないが困った始末、ただ感心なのはあの男と、永年の勤労が位を進め、お名前を聞くさえが堅くるしい同郷出身の何がし殿が、縁も無いに力瘤を入れて褒めそやしたは、本郷龍岡町の下宿屋秋元の二階を、あがって左へ突き当たりの六畳敷を天地とする、ことし二十一の修行盛り、早起きをしばしば宿の主に賞揚された、目賀田貞之進という男だ。貞之進の志すところは法学にあるが、もともと口数のすくない、俗にいうむっつりの方で、たまたま学友と会することがあっても、そうだそうでないと極めて簡短な語をもって、同意不同意を表白するだけで、あえてはなはだしく論議したことはない、だから平生においても、敵という者を持たない代わりに、味方という者もまた持たない、つまり親密な友達といっては、貞之進に限ってひとりも無いのだ。生まれを問えば、山は赤石山、川は千隈川、地理書ではひけを取らぬ信濃国埴科郡松代から、もう一足田舎の西條というところで、富豪も朴直と慈仁と、この三つに隣村までの小作の指を折られる目賀田庄右衛門が一粒種、一昨年はまだ長野の学校にいたが、父に連れられて東京に来たり、それより踏みとどまって今の秋元へ龍は潜んだのだ。されば学資はありあまる、書は自由に買い込む、それで読む読まぬに拘らず机の前を離れたことがないので、目賀田はついに字引になるのだとの評が、同窓の学友の口から往々漏れることがあった。

今の貞之進に、嗜好を何だと尋ねたならば、多分読書と答えるだろう、だが不思議なことには、寄席へ行けといえば寄席へ行く、芝居へ行けといえば芝居へ行く、それで何処にも面白いという気ぶりは見えぬが、誘いかけられたとは必ず辞さない、あるいは辞する勇気がないのかもしれない。同宿の悪太郎原は、それをいいことにして折々貞之進をせびる、せびられればすぐうなずいて、及ぶだけ用立ててやるのが例のごとくなっていた、それからある男がつけこんで、あるいやしい問題をささげたとき、貞之進はじっとその男の顔を見詰めて、頻りに唇をふるわしていたが、大喝一声、何っと言い放した音の鋭かったことは、それまでに顕われた貞之進の性行を、ことごとく打ち消すほどの勢いであったと、かえって悪太郎原の間に、興あるはなしの一つとして伝えられた。そのうめ合わせにはこれまで秋元の婢どもは、貞之進の物数を言わぬことを、気心が知れぬと内心忌んでいたが、その頃から単におとなしい方と言い改めて、羽織の襟の返らないのを、呼びとめて知らせてくれるようになった。

窓の障子をがらりと開ければ、日に酔った桃の花が、隣の庭から赤い顔で覗き込んでいるを、こちらからも覗き返し、急に何か思いついて筆立ての中をかき回しているとき、湯に行くよりほか襷をとったことのない小女が駈けて来て、はがきが参りましたというのを何処からかと取り上げてみれば、来たる何日午後三時より鳴鳳楼において、在京長野県人の春季懇親会を開くとの通知であった。貞之進は去年からその都度通知を受けたが、まだ一度も出席したことがない、もっともそれが嫌だというのではなく、出京後日数が浅いのでとにかく馴染みがない、馴染みがないから交際会へ出るべきだとは知っても、何となく気おくれがするようで、それで今まで不参でおわっていたのだ。今年は上田の人松本の人飯田の人、三五人の知己を得たので、それを頼みに是非出席しようとおもい、今朝新聞の広告を見て、会の開かれることを既に承知していたところへ、今またはがきが届いたので、貞之進はすぐさま筆をとって出席の由を幹事へ宛てて申し入れた。

やがてその日が来た、幸い天気もよし、開会は遅れがちとかねて聞いていたが、なぜか今日は気が急くようで、ちと早いと思ったが寄り道するつもりで、二時というにそろそろ支度を始めた。さすが豪家のせがれと言われるだけ、衣服のたしなみもあるのかして、上着は宿の内儀に持ちがよいと勧められた茶縞の伏糸、下着は紬かと思われる鼠縞、羽織は黒の奉書にお里の知れたかたばみの三所紋、どういうはずか白足袋に穿きかえ、机の上へ出しそろえて置いた財嚢手巾巻煙草入を、袂なりふところなりにそれぞれ分配し、戸棚のうちに隠されていた黒の方の帽子を手に持って、早足に二階を駈けおり、格子を出てからまた立ち戻って、頼みますと宿へ声をかけ、それで東京へ来て初めて、むしろ生まれて初めて、楼という字のつく大割烹店へ出向いて行った。

 (二)

鳴鳳楼というのは、大川へ臨んで建てられた高名の割烹店というよりは集会席で、長野の懇親会はいつもここで開かれるときまっていた。貞之進は門内へひきこもうとする車を両三歩手前で下り、賃銭を払ったついでに会費と名刺とを取り出して一所につかみ、それを玄関口に立っていた幹事にわたして、あなたこちらですと女郎に案内されて二階へあがれば、なるほど、三時は今途中で聞いたのに、来会者は僅々三四十人に過ぎない。

黒びろうどの薄い小型の不断づかいの座布団が順よく並んで、その間に煙草盆が、五歩に一楼十歩に一閣という塩梅式に置かれてある。されどまだ座を定めた者はなく、向かって右側のまんなかの所の、杉を磨いた丸柱の前にかたまって、移聴論の影弁慶が、南部だとか北部だとか、鮭の鑑定でもないことをいっているのがあれば、その後ろをめぐる縁の欄干にもたれかかって、万治このかた話でも位置の知れた両国橋を、あすこですなと新しそうに指さしているのもある。貞之進はきまりの悪いのを隠そうがためにかえってきまりが悪く、座敷へも入らず縁へも出ず、敷居の辺をうろついていたが、今方はいってきた代言とでもいいたい洋服の若紳士が、無紋の黒八丈の羽織を着た商人風の老紳士と出会って、軽く挨拶して行き去ろうとしたが、老紳士が頭を挙げないのでまた下げると同時に老紳士が頭を挙げ、若紳士がまだ挙げないことを思っておのれもまた下げているのを、奇観奇観これをお辞儀づきあいと名づけると、遠くで見ておかしがっていた藍縞の一重袴をはいた男が、図に乗りすぎて何さんとか呼ばれて振り返る途端に、明けかけの障子の親骨へ、したたか頭を打ちつけたのもまた奇観であった。太平記でいえば、これを戦の手始めとして、追々参着した会員の百余名と註せられたとき、そろそろ膳部を運び出されたので、貞之進もこわごわ末席へついたが、あとで思うと余り末席すぎて両隣が明いているため、かえって誰の目にもつくようで我ながらおぞましい、それにしても知己のひとりでも来ればと、そっと席上を見回すに、その人々いつの間にか来て遥かの上席に傲然とかまえているので、貞之進はいよいよ心細く、こうなってからの助けは、途中で買い足して来た紙巻煙草の煙ばかりだ。

余興ととなえて伯円の講談がおわり、小さんの落語が半ばに至ったとき、春の日は暮れかかっての命が長く、水を隔てて御蔵橋を駆け下りる車にいまだかんばんはついていなかったが、座敷にははや燭台の花が咲いて、それから里朝の曲弾きも首尾よくあい済んだあとは、お定まりの大小芸妓の受け持ちとなって、杯酒潮をわかすと昔は大束に言ってのけたが、まことのぼせ返る賑わいで、やがてつけてしまおうかといって芸妓が三絃をとった時から、一層激しい笑い声が聞こえた。

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